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2008年9月 1日 (月)

悲しみの先にあるもの

ホームページに載せた「妻よ、帰れ」(http://homepage3.nifty.com/bridge2/351.html)を4年前に夫を亡くしたT・Sさんに送ったところ伝道所便りを届けてくださり、その送付状の隅にこう書いてきた。
「ありがとうございました。沢山泣いて、泣いて、泣いて。その先は大きな喜びです。元気をだしてくださいね。」
T・Sさんのご主人は企業を退職後神学校に学び、自宅を開放して伝道所を開き、主の御用に当たったのだった。だがその志半ばで天に召されT・Sさんの悲しみには深いものがあった。一度は私も礼拝説教の奉仕を引き受け、彼女に悲しみを一人で背負わず周囲の方に訴えてくださいと言ったことがある。
その悲しみを体験した方だけにいただいたメッセージは真実味を帯びていてありがたい。
  
もう一人のO・Yからのメールも紹介する。Yさんについては以前このブログで紹介したことがある。北上市でリュウマチの後遺症を持った体で地域の福祉活動の先頭に立って働いている方である。
彼からのメールを一部、私の返事を交えて以下に載せる。
 
> 私が母がいなくなったときは、居ない部屋に慣れるのに3年かかりました。弟が4年前に亡くなって、今でも、姿、形、動作が時々思い出します。
 そうでしたか。そうでしたか。
> 私は、忘れられない自分をうれしく思っています。たれかが覚えていてやらなければ可哀想です。私一人くらいは、悲しんでいたいと思っています。簡単に忘れない人が一人でも居ていいのではないかと思っています。
 本当ですね。わたしも元気になるということと妻のことを忘れるということは違うのではないかと思っていました。
> 奥さんのことを自然に忘れられる日まで悲しんで、想い続けていいのではないのでしょうか。私たちは弱い人間ですから、あせらないでください。すべてを主イエスキリストにゆだねてください。
 妻のことを尊い記憶に転換できる日まで自分に素直に生活したいと願っています。
 ありがとうございました。

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