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2008年9月

2008年9月30日 (火)

負けず嫌い

ヒカちゃんは負けることが嫌いである。勝負事が大好きだが負けることは大嫌いなのだ。
児童館から帰ると家には私しかいないから遊び相手は自ずから決ってしまう。
ヒカちゃんはオセロ、将棋、挟み将棋、将棋崩し、トランプなど何でもできる。
最近将棋を覚えたのでまだ駒の動き方は全部理解しているわけではないのだがそれでもやりたがる。角や飛車を落として対戦しようか、と私が言うと自分の弱さを認めることになるこの方法は許さない。
さて、対戦が決って、始める。だがどうしても戦局はヒカちゃんの不利になる。そうすると途端に不機嫌になるのだ。王様の近くに歩を張ったりすると「何でそんなところに貼るん」と文句を言う。もうすっかり笑顔は消えている。王の逃げ道がある場合はいいが、なくなると怒って、銀を横に動かしてわたしの駒を取りにかかる。銀はそっちには行けないよと言っても、じいちゃんはそんなこと教えなかった、と頑として聞かない。
最後はじいちゃんなんか嫌いだ、となるのが落ちである。
次男や次女はどうしてもこういう性格になるらしい。実は私が子供のときそうだった。弟と将棋をやって負けそうになると駒を放り出したものだ。だから弟は私と勝負事はしたがらなかった。
ヒカちゃんの場合、6年生の姉がテニスで注目され、父親の厚い保護を受けていることも関係していよう。姉は先日M市の中学生テニス大会で優勝している。夏にも昭和の森公園の大会で優勝した。ヒカちゃんも自己を主張しなければならない。負けてはいられないのだ。

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2008年9月28日 (日)

新島学園への夢

昨日は青空が広がるよい日だった。息子がお昼を食べに行こうというので近くの店に行くのかと思いきや、なんと安中まで行ってみようという。新島学園の様子を見たいのだそうだ。新島はテニスが強いらしい。私の母校でもあるので喜んで連れて行ってもらった。
新島は公立校を身体障害ゆえに断られた私を喜んで受け入れてくれた学校である。木造の校舎には鐘が下がっていて授業時間の区切りをのどかに教えてくれた。昨日も帰りに友人に会って言葉を交わしたのだが、先生も友人も一生お付き合いできる人をここ新島で得たのだった。
学校に着いて校舎の周辺を息子に車イスを推してもらいながら回っていると生徒(女子)に何回も出会ったが彼らは皆丁寧に挨拶した。孫が「じいちゃんのこと、知ってるの?」と言うほど親しみを込めた態度だったのだ。
卒業生です、と言えば許されるだろうと勝手に判断して校舎にも少し立ち寄ってみたくなった。礼拝堂には立派なパイプオルガンがあるはずである。ところが正面玄関には数段の階段があった。それならということで少し先の門に回ったのだが、ここも校舎に入るのは無理だった。どこにもスロープらしきものは見えなったのだ。
私は木造の平屋校舎に迎えられて少人数の高校生活を過ごしたのだが、立派な高層の学校になると障害を持つものは学びの喜びや先生、友との交わりの温かさには与れないのかもしれなかった。それを希望する車イスの子どもがきっといるに違いないのに。

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2008年9月27日 (土)

小春日や

小春日や新調ソファーで横になる
秋の陽や妻の通いしポストあり
歳を経し土蔵の農家柿光る
妻逝きて悪癖つきぬ老いの秋
秋彼岸花に抱かれし妻の墓
DSやお膳手付かず秋の夕
 
秋の穏やかな朝である。日差しが東の窓からいっぱいに入っている。先日妻の葬儀の一切が終わったので子ども達とソファーとテーブルを買いに伊勢崎市まで出かけた。私が車イスから乗り移りやすい高さのソファーと高さ調節の出来るテーブルを買ってきた。今朝はそのイエローの椅子に朝日が美しく差している。
 
今までは手紙を書くと直ぐに妻が自転車でポストまで行ってくれた。今度は私が電動車椅子で行く。その途中に古い農家がある。土蔵にはひびがいっぱい入っている。絵の材料にもなりそうな家だ。そこに今柿がなって日の光を浴びている。その先少し行くとポストである。先日は投函してから近くの公民館まで行った。中学時代の友が館長をしているのだ。10年ぶりに会って旧交を温めてきた。
 
夕方その日のワークが終わると居間の畳に上がって孫のDSで遊ぶ。ほとんど毎日やっている。簡単そうでなかなかいい記録が出せない。ついむきになって時間を忘れる。終わると遠くのものに視点が合わなくなっている。

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2008年9月25日 (木)

子供が殺される世

皆出かけて一人となった。パンの食事を取り、しばらく新聞を読む。麻生内閣誕生のニュースが大きく取り上げられているがあまり興味もない。
それよりも小さな子どもが親に殺される世相に心が痛む。先日福岡市で母親が小学1年生の子供を殺すという事件があった。報道によるとこの母は障害を持っていてトイレの介助を子どもに頼んでいたという。子供はそのようなお母さんに反抗をしたというのだ。それがきっかけになって子供の首を絞めるなどという哀れな事件が起こってしまったらしい。
障害を持つ親と子の間に起こる典型的な問題だろうがそれがこうした悲しい結末を迎えてしまってなんとも残念なことだ。
今日の新聞にはこの記事はもうあまり取り上げられていない。今度は千葉県で女の子が殺されると言う事件が起きたからである。福岡の事件はもう忘れられていく。

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2008年9月22日 (月)

恩師林芳和先生の召天

林先生が19日の午後亡くなられた。奥様からお電話があったのは20日だった。
電話をかけてもどなたも電話口に出ない日々が続いたので案じていた。きっと入院しておられるのだろうと判断し、手紙を書き、その中に「一人になってお尋ねできない身なので失礼ですが」とお断りしてお金を同封した。先生の枕辺に秋のお花を飾ってくださいとお願いしたのだった。
先生にもう一度お会いしたかった。それなのに、先生は逝かれてしまった。親しい大事な方が私の周囲から去っていく。
夕べ、雨の中通夜に参列した。基督教と違って仏教の通夜はご遺体と対面することも出来ず、読経が始まると直ぐに焼香をして会場を後にしなければならなかった。
先生は中学時代私の人格形成に大きな影響を与えてくださった方だ。定年後田舎に帰ってからは私の書くものをいつも心をこめて読んでくださり、私を励まし、認めてくださっていた。埼玉県下の学校をくまなく講演して回っておられたが、その際にはいつも「母の背、友の背イエスの背」を贈呈用に持っていかれた。お陰で私は幾つかの学校との交わりが出来講演にも招かれたのだった。
埼玉北部の教員を中心とした読書会の中心人物でもあり、そのかたがたを会員とした実践人の会の代表としても力を尽くされた人だ。
言葉も手紙もいつもていねいで、人をやさしく受け入れる先生だった。
今日は告別式がある。雨の日だが、きっと実践人の会の方々が東京や神奈川ばかりでなく関西からも駆けつけ別れを惜しむだろう。
 
先生のことを以前記した文章を下記HPに掲載した。
 http://homepage3.nifty.com/bridge2/352.html

 

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2008年9月20日 (土)

秋が来た

抜けるような青空になった。小学校で運動会が予定されていたのだが台風のおそれがあり昨日のうちに延期が決った。ところが起きてみると光いっぱいの朝である。学校に勤めていたときもそうだったが秋の行事は決断が難しい。まあ、今回の学校の決定はやむをえないだろう。
  
車イスで玄関を出た。西の山並みが青々と見える。秋になったのだ。スロープを下りると途中にヒカちゃんが植えた風船カズラが薄緑の風船をぶら下げて風にかすかに揺れていた。秋の陽を浴びて背中や手がほんのりと温かった。
玄関に戻ってふと水槽を見ると金魚が死んで浮いていた。3匹いた金魚が妻の死以降皆いなくなってしまったことになる。
  
俳句メモ
秋来たる山並み青く連なりて
秋の陽や手にも背にも温さあり
秋の風風船カズラで遊びをり

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2008年9月18日 (木)

妻の宝物

妻の納骨式においでくださった中学時代の友達からハガキをいただいた。そこにはこう記されていた。
「朝晩秋の気配が感じられる頃になりました。先日は写真をお送りくださいましてありがとうございました。和子さんの愛唱歌『キリストには代えられません』がいつも心に響いています。ご自分のことよりも友達のため、愛する家族のため、いやそれにもましてすべては神のために捧げたご生涯だったのですね。
20数年前大宮から北区赤羽に越して来るまで子育てや生活に追われてお会いする機会もありませんでしたが、こちらに来てから一度常盤台のお宅に伺ったのが最後になってしまいました。信仰についてもっとお話できればよかったのにとしみじみ思うこの頃です。
どうぞお疲れが癒されますように。季節の変わり目ご自愛ください。」

この手紙だけでなく妻の死を惜しむ便りは必ず妻が他人のために尽くしてきた様子に触れている。
去年の暮れあたりから足や腰に痛みを感じつつも妻は我が家に届けられる生活協同組合の品物を個人別に分類し、近くの家にはそれを届けに行っていた。そんな時私は「わざわざ持って行かなくてもいいじゃないか。」とよく言ったものだが妻はそれには耳を貸さずにせっせと戸口まで運んだ。
多くの人の手紙に接するたびに妻のこの行為は妻の宝物であったという思いがしてならない。

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2008年9月15日 (月)

沢山のいただき物

08091515img_0823妻の身内の者がお墓に花を捧げにきてくれた。
午前中に姉がいつものようにリュックサックに沢山の食物を詰めて一足先にやって来た。妻の好きだったシベリア(お菓子)、薄皮饅頭、私の食料。=若いものと食べ物が違うだろうからといって幾つかの煮物も入っていた。
姉はしばらく納骨式の写真を見たり、妻の残した衣類を触ったりしていた。納骨式で教会の婦人の会の代表の方が妻を偲んで思い出を語ってくれた話には涙が出てしかたなかったとのことだった。
午後になってつくば市から姪一家が到着した。姪は「何でも私たちがお手伝いできることがあったら喜んでしますから言ってください」とのメッセージを、表にフクロウが印刷されているカードに書き込んで持参した。そして、今回は大きなすてきなフクロウをプレゼントしてくれた。
1時半過ぎ、近くの町に住むもう一人の姪と教会で会う約束をして家を出た。長男が自主的に運転をかってでてくれた。
教会の墓地にはしおれかかった百合が手向けられていたがそれを丁寧に墓の後ろに立てかけ、新しい水を入れた鉢に紫やらピンクの混じった花を差した。そして墓碑に水をかけたり、触ったり、手を合わせて皆その下に眠る妻を偲んだ 。
沢山のいただき物をした一日(ひとひ)であった。

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2008年9月14日 (日)

生きることと死すること

今朝の礼拝は「恵老の日礼拝」だった。申命記の終りと使徒言行録の20章(ここはパウロがエルサレムで捕らえられ、やがてローマに送られて死に向かうことの序章である)をテキストに説教がなされた。
モーセは民を率いて奴隷の地エジプトを脱出しカナンに向かったのだが神は約束の地カナンにモーセが入ることを許さなかった。カナンの地が見渡せるピスガの山に導いて、そこで彼のこの世の務めを終わらせたのだった。
パウロも「“霊”に促されてエルサレムに行」く。そこには「投獄と苦難」待ち受けていることを知りながら。そしてこう言う。「自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません」。
人の生きる道と死は神様の計画の中に覚えられている。周囲の者が、いや本人もまだやることがいっぱいある、あっただろうにとか早すぎる死だと思っても、神様は、もう十分に走り通したよ、十分だよとおっしゃってその人を召されるのだ。その上、モーセに約束の地を見せたように信仰を持った者は希望のうちに死することが出来る。
老いを恵みとして受け、生きることも死することも神様の御意志として毎日を生きる者となりたい。妻の召天もそう受け取って慰みを得たい。

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2008年9月11日 (木)

何もしない時間

朝晩、急に涼しくなった。タオルと薄い夏掛け蒲団を使っているがそれだけでは涼しすぎる。
涼しさに伴なって疲労が大きい。朝体が重くてなかなか起き上がれない。日中も体の芯が無いような気がする。
急に涼しくなって疲労が表面化してのかもしれない。昨日は一切の作業をやめゴロゴロと寝ている時間を多くした。
一人でいると余分な時間を持つことが難しいのだ。妻がいれば一緒にお茶を飲んだり、買い物に付き合って車で出かけたりしてのんびり過ごす時間を持てた。今は何もしないでいると時間を無駄にしているようで、何か始める。これがいけないのかもしれない。
 
一昨日は歯科で抜歯をした。麻酔を打つと胸の上部が温かくなった。気分は悪くないですかと何度も念を押されたが、ちょうど肝臓のCT検査で造影剤を入れたときのように胸が熱い感じです、と伝えた。
脈と血圧を測りながら抜歯を終えたが、いったいあの温感は何だったのだろう。

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2008年9月 9日 (火)

外へ

工事用のトラックがひっきりなしにバックして来て家の前に止まる。掘り返した土を積んでいくためだ。
家の周辺に下水管を埋め込む工事を町がやっているのだが、ようやく我家の前の道にその順番が回ってきたというわけである。
先日工事関係の人がやってきて「火曜日にはお宅の前を工事するので車の出入りが出来なくなるんですけど、どうですか」と言った。「火曜日は病院に行かねばならないです」と答えると「では少し先の農協の駐車場に車を置いてください。そこまで車イスを押していきますから」と親切に応じた。
今日はその日だ。午後3時から歯科で抜歯が予定されている。トラックのいない時間を見て少し余裕を持って行くには2時に家を出ればいいだろう。
  
この2、3日あちこちの障害を持つキリスト者の団体から送られてくる機関紙を読めるようになってきた。今まではもっぱら自分の内部に溜まったものを吐き出すことをしていたのだが、ようやく吸い込むことができるようになったのだろう。外へ関心を向けられる余裕が、いや余裕というほどではないが、心にそんな空間が生まれたのかもしれない。
寝る前の少しの時間信仰の友の証などを読んで心を潤している。
 
外へ心を向けよう。

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2008年9月 7日 (日)

涙の出るとき

礼拝に出席出来て感謝。教会に着くと必ずどなたかが車イスを持ってきてくださる。最近股関節の痛みが出ているので車イスを出してくださるのは本当にありがたい。
  
第一主日だったので聖餐にも与ることができた。イエスがパンを割き、血を流したことを覚え聖餐をいただき、その後讃美歌、主よ御許に近づかん、を歌っているとなぜか涙がこぼれてしかたなかった。
  
昨日は大学の友人が手紙をくれた。妻の亡くなったことをしらなくて申し訳ありませんでしたと書いてきた。私が気落ちしているのではないか、と妻と一緒に友人たちの集いに参加したときの様子を思うと痛感するとも言っていた。
こんな優しい言葉に接するともうたまらなく涙が出る。
 まだまだしかたないのかもしれない。
 
教会から帰るとき、朝と違う兄が車まで車イスを押してまた援助してくれた。その兄は動きの鈍くなった私の足を持上げて車の中に入れることまでしてくれる。感謝である。(≧∇≦)

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2008年9月 4日 (木)

句会とご馳走

三人のご婦人と私、四人の定例句会が終わった。十時においでになり一時前まで世間話や料理の話を交えての句会だった。いつものように皆さんがおにぎりや漬物、パイ、お茶、果物を持参してくださって和気あいあいの会合だった。
困るのは私を皆さんが先生と呼ぶことである。何も教えることなどない私なのに職歴をご存知なのでそう呼ぶのだ。この会の指導者役の八十歳を過ぎたNさんが四月に亡くなって舵取りがいなくなってしまった。私はプリントを用意し、選句の結果をまとめ、進行を司っているだけなのだ。
  
 今日の私の句。
秋雨や納骨堂に銀の糸
秋寂や帰る家に妻のなく
秋冷やタオル引き寄せまた眠る
子どもらと妻を偲ぶ良夜かな
秋ひとり遺影に目礼箸を取る

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2008年9月 1日 (月)

悲しみの先にあるもの

ホームページに載せた「妻よ、帰れ」(http://homepage3.nifty.com/bridge2/351.html)を4年前に夫を亡くしたT・Sさんに送ったところ伝道所便りを届けてくださり、その送付状の隅にこう書いてきた。
「ありがとうございました。沢山泣いて、泣いて、泣いて。その先は大きな喜びです。元気をだしてくださいね。」
T・Sさんのご主人は企業を退職後神学校に学び、自宅を開放して伝道所を開き、主の御用に当たったのだった。だがその志半ばで天に召されT・Sさんの悲しみには深いものがあった。一度は私も礼拝説教の奉仕を引き受け、彼女に悲しみを一人で背負わず周囲の方に訴えてくださいと言ったことがある。
その悲しみを体験した方だけにいただいたメッセージは真実味を帯びていてありがたい。
  
もう一人のO・Yからのメールも紹介する。Yさんについては以前このブログで紹介したことがある。北上市でリュウマチの後遺症を持った体で地域の福祉活動の先頭に立って働いている方である。
彼からのメールを一部、私の返事を交えて以下に載せる。
 
> 私が母がいなくなったときは、居ない部屋に慣れるのに3年かかりました。弟が4年前に亡くなって、今でも、姿、形、動作が時々思い出します。
 そうでしたか。そうでしたか。
> 私は、忘れられない自分をうれしく思っています。たれかが覚えていてやらなければ可哀想です。私一人くらいは、悲しんでいたいと思っています。簡単に忘れない人が一人でも居ていいのではないかと思っています。
 本当ですね。わたしも元気になるということと妻のことを忘れるということは違うのではないかと思っていました。
> 奥さんのことを自然に忘れられる日まで悲しんで、想い続けていいのではないのでしょうか。私たちは弱い人間ですから、あせらないでください。すべてを主イエスキリストにゆだねてください。
 妻のことを尊い記憶に転換できる日まで自分に素直に生活したいと願っています。
 ありがとうございました。

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