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2008年8月31日 (日)

「大丈夫よ」

「大丈夫よ」「大丈夫よ」
これは教会で90歳を超えるお年の婦人から今日言われた言葉である。
「大丈夫よ。皆が見ていてくれるからね。わたしがもうじき天に行くから奥さんによろしくと言っておくわね」
この婦人は体が弱っていて毎聖日に礼拝に来るというわけにはいかない。だが毎朝説教集を読んで礼拝を一人ですることから一日を始めるという。
「大丈夫よ」と言われて何が大丈夫なのかなどとは考えない。そう言われると無条件に、ああ大丈夫なのだ、と変に納得がいって安心する。
そうだ。大丈夫なのだ。恐れたり、不安になったり、いらだったりする必要はないのだ。
この方に「また、お元気のときおいでくださいね。お会いしましょう」と言ったら「私はね、教会には来るのではなくて、帰るの。教会は帰ってくるところなのよ」とおっしゃった。
妻が教会墓地に葬られたことによって私にとっても教会は帰るもう1つの家になったような気がする。

  

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