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2008年8月

2008年8月31日 (日)

「大丈夫よ」

「大丈夫よ」「大丈夫よ」
これは教会で90歳を超えるお年の婦人から今日言われた言葉である。
「大丈夫よ。皆が見ていてくれるからね。わたしがもうじき天に行くから奥さんによろしくと言っておくわね」
この婦人は体が弱っていて毎聖日に礼拝に来るというわけにはいかない。だが毎朝説教集を読んで礼拝を一人ですることから一日を始めるという。
「大丈夫よ」と言われて何が大丈夫なのかなどとは考えない。そう言われると無条件に、ああ大丈夫なのだ、と変に納得がいって安心する。
そうだ。大丈夫なのだ。恐れたり、不安になったり、いらだったりする必要はないのだ。
この方に「また、お元気のときおいでくださいね。お会いしましょう」と言ったら「私はね、教会には来るのではなくて、帰るの。教会は帰ってくるところなのよ」とおっしゃった。
妻が教会墓地に葬られたことによって私にとっても教会は帰るもう1つの家になったような気がする。

  

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2008年8月30日 (土)

誰にも明らか 妻の支え

多くの皆さんが慰めの言葉をくださる。その言葉には必ず妻が私を支えたことが含まれている。これは誰にも明らかだったのだ。
先日の納骨式では牧師が説教の中で礼拝堂の私の脇にはいつも和子さんがいた、とおっしゃった。
先ほど届いた2通のお手紙の中にもこうあった。
「御主人の久様を支え、闘病の苦しみの中をよく仕えて来られました。今は本庄教会の墓地に静かに眠っておられる和子様のことを思います。本当にご苦労様でした。」
「いつも傍にいて助けてこられた奥様が先に召されたのですね。お寂しいことと、ご不自由であろうことを、一度に思います。」
妻に改めて「ありがとう」を言わねばならない。

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2008年8月28日 (木)

昼食終わる

ママがおいて行ってくれた「いかめし」を食べた。北海道の名産のいかめしだが、パックされていてレンジで3分暖めると食べられる。赤いいかのなかには御飯が詰められ、1つでは足りないと思ったのだが意外に腹にこたえ十分だった。こめはもち米だったのかもしれない。
丸かじりするよりも妻がいつもやっていたように包丁で輪切りにしたほうが食べやすいのでそうした。
デザートはぶどうをいただいた。朝方昔の同僚が贈ってくれたものだ。深大寺葡萄と箱には印刷されていた。豪華葡萄とのこと。
なるほど粒が大きく、しっかりしていて、美味しいぶどうだった。
中に何か手紙があるかと探したがなかった。この同僚は一言話すにもしばらく考えるタイプである。きっと妻のことを知って送ってくださったのだろうが、簡単に私に向ける言葉がなくて何も書いてないのだろう。
贈ってくださったことだけで十分に慰められる。ありがたいことだ。

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2008年8月26日 (火)

慰めの詩

天に一人を増しぬ
         Sarah Geraldine Stock作 植村正久訳

家には一人を減じたり 楽しき団欒は破れたり 愛する顔 いつもの席に見えぬぞ悲しき
さはれ 天に一人を増しぬ 清められ 救われ全うせられしもの一人を
家には一人を減じたり 帰るを迎ふる声 一つ見えずなりぬ 行くを送る言葉 一つ消え失せぬ
別るることの絶えてなき浜辺に 一つの霊魂は上陸せり 天に一人を増しぬ
家には一人を減じたり 門を入るにも死別の哀れにたえず 内に入れば空しき席を見るも涙なり
さはれ はるか彼方に我らの行くを待ちつつ 天に一人を増しぬ
家には一人を減じたり 弱く浅ましき人情の霧立ち蔽いて 歩みもしどろに 目も暗し
さはれ みくらよりの日輝き出でぬ 天に一人を増しぬ
げに天に一人を増しぬ 土の型にねじこまれて キリストを見るの目も暗く
愛の冷ややかなるここいかで我らの家をなつべき

顔を合はせて わが君を見まつらん かしここそ家なれ また天なれ
地には一人を減じたり その苦痛 悲哀 労働を分つべき一人を減じたり 旅人の日ごとの十字架をになふべき一人を減じたり
さはれ あがなわれし霊の冠をいただくべきもの一人を 天の家に増しぬ
天に一人を増しぬ 曇りの日にもこの一念に輝かん 感謝 讃美の題目 更に加はれり
われらの霊魂を天の故郷にひきかかぐるくさりの環 さらに一つの環を加へられしなり
家に一人を増しぬ 分るることのたえてなき家に 一人も失はるることなかるべき家に
主イエスよ 天の家庭に君と共に坐すべき席を 我らすべてにも与へたまへ
   
これは納骨記念式の礼拝で牧師がその一部を紹介してくれた詩である。私はこの詩がいたく気に入り、書斎のドアに貼った。
詩人については何の知識も持たないが、この詩は親しきものを天に送った者の心を余すところなくとらえ、またその者に慰めと生きる希望を与える。
妻が召されたことを悲しみのうちに悟るのはほんの日常の小場面である。この詩の詠うごとく、いつもの席にいるべき妻がいない、外から帰ったとき鞄を持ちに出てくる妻がいない、体の不調や寂しさをふとささやく相手の妻がいない、そんな時がなんともやるせないのだ。
だが、妻は失せたのではない。天の一人として加わったのであるという。そのことを覚え、かつて同じ心境の詩人のいたことを心に刻み、悲しみに耐え抜こう。

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2008年8月25日 (月)

天に一人を増しぬ 納骨式終わる

Photo 8月23日午前、納骨式が恵みのうちに終わった。

礼拝には教会の兄弟姉妹、親族あわせて50数名が参加された。その中には妻の中学時代の友人も一人混じっていた。転校生であった彼女は妻に助けられ、また妻の母にも世話になったと教えてくださった。

牧師は説教の中で植村正久が愛する娘を亡くしたとき用いたというサラ・ストック作、植村正久訳の「天に一人を増しぬ」を紹介した。その冒頭の句は

「家には一人を減じたり 楽しき団欒は破れたり・・・・さはれ 天には一人を増しぬ」であり、「主イエスよ 天の家庭に君と共に坐すべき席を 我らすべてにも与へたまへ」で詩は終わるという。

愛するものを天に送った悲しみ、喪失感は尽きない。しかし、この詩は天も地も一つであり、それは神の世界であることを教えて、慰めに満ちている。感謝である。

さらに説教ではパウロの書簡フィリピの信徒への手紙3章20節「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」が読まれ、私たちはそれゆえに、苦しみと悲しみの中にあっても今の時を希望を持って生きることができるのです、そう生きるよう聖書から励まされているのですと語りかけられたのだった。

Kenka 霧雨の中妻の遺骨は教会の共同墓地に埋葬された。

人一人が立って入れるほどの深い納骨室の入り口近くに壷は納められた。先日マジックペンで蓋と壷に黒々と書いた名前がまだ蓋をしない入り口からはよく見えたのが嬉しかった。

やがて閉じられた墓は献花の式場となった。大きな雨避けの天蓋の下でそれぞれの祈りを込めて献花が行われた。

妻よ、天上にある妻よ、安心して眠れ。

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2008年8月22日 (金)

納骨式を前にして

明日は納骨式である。天に送る葬送の式を終えもう7週間が過ぎた。納骨式を終えると地上の式の一区切りだ。
天に召された妻は神様にお任せして、私たちは何も心配する必要はない。祝福に満ちた日々を送っていることだろう。
それに比して地上の私を初め子どもたちはまだ妻の死を現実的にとらえられないでいる。お母ちゃんが病院の階段を下りてくる夢を見たよ、と先日息子がメールをくれたのだ。
どうぞ私たちを悲しみの淵から救い出してくださいと神に祈る。また、周囲の方にどうぞ支えてくださいとお願いしたい。
  
納骨式後市内のホテルで「記念会」を持ち、親戚の者の食事会を行う。この段取りも全部私が行った。冠婚葬祭には古いしきたりがあるから難しさもなるのだが、無難に終わって欲しいものだ。
  
今朝は明日着る洋服の試着をし、ネクタイ選びなどをした。あれこれ新しいことをこれからはやらねばならない。

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2008年8月20日 (水)

一日をどう豊かにするか

看病と葬儀の身体的疲れは徐々に回復しつつあるように思う。だが、体の中に空いた大きな穴はなかなか埋まりそうにない。その穴から力が漏れて動くエネルギーが消えてしまうのである。
ベッドに帰ると納骨式のことや妻の生活をとめどもなく考えて、そんなことばかりで時間が過ぎる。そして疲れる。
今もハルちゃんを駅に送ってきたのだが、家に入るとああ私は一人だったのだという思いが強くなる。お茶を飲んでも同様である。
この空虚感を強いて忘れるための努力はするべきではないと考える。無理を強いるとどこかにゆがみが出る。無駄な時間を送っているうちにいつかはそれを脱したい心が湧いて自然に新しい方向に向かうだろうとも思う。
だが一方で妻は自分がいないことで先に進めない「父さん」を望んではいないだろうという気もする。
私が代表になっている全国の障害を持つキリスト者の会が新年度を迎えた。会長、副会長は総会で決ったのだが会計と書記は私が委嘱することになっている。早くこのことに手をつけなければいけないのだがその元気が出ないのだ。この作業にかかれば力が与えられるかもしれないとも思うがいまだそのままである。
妻の陰から出られない自分。そんな私がいる。
 
昨日は骨壷に名前を書いた。教会の共同墓地には他の兄弟のお骨も納められているからだ。
長男に白い布を取り、壷を出してもらった時蓋を開けてみた。骨は白さがましているように見えた。触ることはせず、また蓋を戻した。
こうして妻にかかわっている時間がもっとも落ち着く時間なのである。

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2008年8月18日 (月)

半日が終わる

家事をして半日が終わる。
夜中トイレで失敗して下着とパジャマを汚す。着替えをして汚れ物を買い物袋にいれ丸めた。朝になったら一番に雨戸を開け、空気を入れ替えようと決める。若い者には部屋の夜の空気を感ずかれたくない。妻がいないとこんなところにも気を遣う。
今日は孫のヒカちゃんが児童館には行かず家にいるという。洗濯をしていると不思議がるだろうから分からないように洗濯機を回し、そっとパジャマを干す。
10時になったので郵貯銀行のATMに行く。車椅子では見にくいディスプレーだがなんとか失敗しないで引き出しが出来た。今週末の納骨式の費用である。
店内に入りおにぎりを二つと湿布薬を買った。二の腕の痛みがまったく改善されない。もう我慢するしかないとあきらめているのだが昨夜湿布をもらって貼ったら少しよさそうなので買ってみたのだ。
帰って、車イスの充電をした。ヒカちゃんとお昼を食べて、先ほどまで星野ジャパンのカナダ戦を見ていた。もう14時半である。
若い者が帰ってこないうちに洗濯物を取り込んでおこう。

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2008年8月15日 (金)

新しい日を始める要件

子どもたちが病院で寝泊りしている時につけた日誌をパソコンに取り込んだ。A4版用紙で18ページにもなる。
妻の今度のガンとの闘いの資料はこのブログに私が日々書き連ねた日記もかなりの分量になる。
他にまだ公表していない私の揺れる心を記した記録などもあるし、また医師が時に応じて病状説明をした時にくださった資料もある。
全部を合わせれば40枚以上にもなるかもしれない。
これを総合してこの半年の出来事を総括してみようと思う。
妻は終わりまで生きて自分の務めを果たそうとしたのだからそのことをまずまとめなければならない。
次に妻を苦しめた痛みがどんなふうに襲いかかって来たのかを正月の初めから最後のときまでのスパンで確認したい。
また、精神的に不安定になり、意識に障害が出てきたことも見つめなおしたい。
治療を怖がらず、言われるままにそれに従った妻のことも書かねばならないだろう。
全部書き終わるまでには半年か一年かかるかもしれないがこれらをいい加減にして私の新しい生活を始めるわけにはいかない気がするのだ。

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2008年8月13日 (水)

訪ねてくる人

ヤクルトのおばちゃんが来た。水曜日に来る約束をしていたのでトイレにもいけず待っていたが早く来てくれてよかった。
玄関ではなくて居間のガラス戸を開けて一週間分のヤクルトを買った。
その都度値段を尋ねる。518円と言われ財布の中を底まで探って支払った。お店では後ろに人が待っているとせかされているようでつい札を出してお釣りをもらってしまうのだが家にいる時はゆっくりと支払いができる。妻は店のカウンターの前でも小銭をしっかり揃えて出していたが、これは買い物の経歴の違いだろう。
  
今日は少なくとももう一人来る。テニス用品をインターネットで注文したので業者が来たら渡してくださいと現金を預かっているのだ。
来る時間が分からないと居間の畳に横になることも出来ない。車イスに乗ったままで待つ。
最近足がむくんでしかたないのだがこれは妻がいなくなって生活様式が変わったせいである。
 
先日は男性が突然見えた。何の用かといぶかっていると同じ町内の方だった。社会福祉協議会の協力金を集めに来たのだった。妻の入院お見舞いと葬儀への列席を感謝しながら一律500円を5千円札で支払った。
  
これを書き始める動機は先週の木曜日に3人の婦人が来られ句会を催したことを記すことだったのだが書いているうちに訪ねてこられる人は他に多様な方がいることに気づき、こんな日記になってしまった。句会のことはまた日を改めて書こう。

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2008年8月11日 (月)

病院に行ってきたよ

診察が終わって食堂に行った。そしてね、前に食べたことあるだろう、ラーメンとお稲荷さんがセットになったやつ。あれ頼んだんだ。そしたらね、経営者が変わってそのメニュウは今はないから、ラーメンとお稲荷さんをべつべつに注文してください、と言われてね。結局同じものが食べられたんだけど、一人で食べているとね、夫婦で来ている人たちが目に付くわけ。2人とも立って出来上がった食事を取りにいく人たちもいれば、夫は座ったままで奥さんが2人分運んでくるカップルもいたよ。
そんなの見ているとつくづく一人になってしまったなと思わずにはいられないね。
なにせ、ぼくは診察を受けるだけで、受付から、会計までみんな君がやってくれたんだものね。
今朝は運良く車いす用の駐車場が空いていたからそこに停めて、車イスがあるところまで歩いて、車椅子に乗って、杖を車に入れておくために駐車場に戻って、それから診察に向かったのさ。今までは杖は君が持ってくれたけど一人では持ち運びにくいから工夫したんだ。
  
眼科がいつになく混んでいて予約時間を30分もオーバーしたけどちょうど昼の時間になったから家にいるときのように昼食の心配をせずに済んで助かったよ。
衣理ちゃんと納骨式に参加してくれる教会員にあげる記念品の相談が済んで、お茶を飲み、ようやく落ち着いたところさ。
病院に行く前に納骨式の後の記念会で献杯の音頭をとってくださいと浦和の姉さんに頼んだんだけど、人前では何も話せないから断ると言われ、兄さんに電話をしたところだ。
神様のところでどうしているんだい?天国の様子がもう少しわかればいいのにね。ぼくも早く元気にならないとね。

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2008年8月10日 (日)

主よ、何故ですか

2 主よ、今朝は礼拝の司会をしました。いつもならば教会に着くと私は祈りの場所へ、妻は椅子を拡げて、司会の席への道を作り、私の聖書を開き、週報を机の上に載せてくれて準備を整えてくれるのでした。
あなたはその助け手の妻を天に召してしまわれました。ですから私のやるべきことは多くなり、準備から始めなくてはなりませんでした。
神様、私はそのために多くの緊張を背負いました。なぜ、助け手の妻を天に召されたのですか。必要な人を何故に引き上げられたのですか。
でも今日の牧師の御言葉から私たちは土の器ですがその中に神様からの宝、信仰を与えられていることを知らされました。土の器は壊れますが信仰は永遠でいつまでも続くことも知りました。
妻は、そして私たちはやがて壊れ、地上からは消え去るものですが、あなたは永遠のものをその中にくださっているのです。
毎日が悲しゅうございます。早く今日の説教が喜びの響きに変わりますように御手をください。
  
今日、私はあなたにこう祈りました。
 「天にあっていつも私たちを守り、導いてくださっている父なる神様。
 暑い夏の朝ですが私たちをこうして恵みのうちに教会に集わせくださってありがとうございます。
 あなたは兄弟姉妹にその人が必要とするものを与えてくださっていますが、私たちにはこうして共に集うことを許してくださいました。
 どうぞこれからのしばらくの時、私たちが心をあなたへ集中し、あなたの御言葉を生きる糧として受け入れ、あなたの愛をもう一度確認できるようあなたとの聖なる交わりをお与えください。
 神様、あなたの御心は私たちの計りしれないほど大きく、強く、深いものであることを私たちは理解しているつもりでおります。そして、艱難も、試練も、苦しみも、痛みもみなあなたが覚えておられると知っています。
 しかし神様。私たちはそのような環境におかれると、苦しみ、悩みの大きさゆえ、痛みの強さゆえにあなたが私たちを愛し、支え、あなたの腕に抱いていてくださることを忘れ、それを否定し、一人孤独になり、悲しみに陥り、絶望の淵をさ迷い歩きます。
 どうぞ神様、いかなるところに置かれようとも、あなたへの祈りを忘れず、あなたのいらっしゃることを常に覚え、あなたにすがって歩む私たちでいることができますように助け、導いてください。
 また友が痛み、苦しみに合っているときには、どうぞ共に悲しみ、悩み、あなたを一緒に仰ぎ見る信仰をお与えください。
 どうぞ私たちが集うこの教会をあなたの御心の生きて働くところとしてください。
 神様、礼拝に出席できない多くの兄弟姉妹、その一人、一人に祈りを復活させ、あなたとの交わりにお導きください。
 最後にあなたの御心を取り次ぐ飯野牧師のために祈ります。どうぞ聖霊をお与えください。
 これらの感謝、願いを復活の主イエス・キリストのお名前によって御前にお捧げいたします。アーメン

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2008年8月 9日 (土)

生活の管理

昨日は浄化槽の点検業者がやって来た。
ライアン(愛犬)が鳴くのでカーテンを開けてみると作業服を着た男が庭に入って来ている。
「何ですか?」と声をかけると「いつもの浄化槽の点検です。今日は1万6千何某かかるけどいいかね」と言う。
そういえば妻の残したメモに浄化槽の点検という項目があった。妻は私のために3度ほどメモを作っている。内容はほとんど同じものだが最近のものには以前入っていた項目が外されているものもある。
NHKの受信料がいつ誰の口座から引き落とされるとか固定資産税は年額いくらで、それは年払いだとか、いろいろ不自由な目を使ってメモを作ったらしい。
万一の時は使ってくださいと20万円もそこには用意されていた。
だがこれは今度の入院を控えて作ったものではない。今回は余りに急な入院だったので身の回りさえ整理できなかったのだ。
だとするといつメモを書いたのか。最初のガンを5年前に発症した頃であろうか。古くからある私の郵便局や銀行の暗証番号まで書いているのに昨年作った口座の番号がない。今それを引き出したいのだがあれこれやってもダメでほとほと困っている。
  
浄化槽の点検業者に「いつも来ている方ですよね」と確認して今年度の点検料を支払ったのだが、こうした私の知らなかった出費がいくつかあって、財布のお金がどんどん減っていく現実に直面している昨今である。

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2008年8月 6日 (水)

頑張ってくれてありがとう

松本サリン事件の被害者、河野澄子さんが亡くなった。澄子さんは被害に遭われてから意識が戻ることはなかったが、夫の義行さんは14年ずっと看護を続けていたという。誕生日に洋ランを部屋いっぱいに飾ってあげたり、口紅をさしたり、足や手のマッサージを続けたと新聞は報じている。そして、義行さんは「『家族のために生きなければ』という思いでここまで頑張ってくれたと思う。この14年間、彼女にエネルギーをもらい、私は生かされてきた」と言ったとも朝日新聞(5日夕刊)にはある。

看病しても応じてくれない人を看つづけることはきついことだ。何でもいい、どんな方法でもいいから応えて欲しいと願う。

しかし、そのような病気の人でも亡くなってみるとやはり居てくれただけで自分は支えられていたのだと気づく。

妻の闘病生活からも、ガンの痛みを思うと、いたずらに治療をして命を延ばすよりも疼痛のコントロールをしっかりしてQOLを大事にした生活が大事だという意見に何度か接したが、近親のものにとっては治療によって少しでも長く傍にいて欲しいと願わずにはいられなかった。

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2008年8月 4日 (月)

子どもは社会人だった

葬儀には大勢の方がおいでくださったのだがその中にはわたしの子ども4人の職場関係の方もたくさんおられた。
長男と三男は公務員とそれに近い職種だから私の経歴からこんな時にどんな接し方をしてくださるかは大方予想がつくのだが、民間の会社に勤めている次男と長女の場合、会社の対応振りには驚くものがあったのである。会社の上層部がこんな片田舎まで多くの時間を割いて弔問に来てくださり、会社の業務に支障がでないのかと要らぬ心配までしたのだった。
娘によると「私がそれだけ会社の中で重要な立場にいるということなのよ」とのことである。E子は私の一人の娘ではなく、会社にとって経理部門の重要なスタッフであったのだ。
息子の場合も同様であった。その上さらに驚いたのは会社と取引のある子会社からも献花があったり弔電が届き、またわざわざ家までおいでくださってお参りしてくださったことだ。その方は小さな部品を作っている個人企業の経営者だというが、こうしてまで親会社とつながりを持っていなければならないものかと私は哀れにさえ思えたのだった。
次男も時々関係部署の方と電話で仕事の打ち合わせをしていたのだが、子どもたちのこのような姿を見て、今まで気づかなかったのだが子どもたちは皆すっかり責任ある社会人へと成長していたのだった。

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2008年8月 1日 (金)

神の前での要介護度

介護保険を申請すると申請者の体の状態を調べるために役所から担当者が訪ねてくる。複数の方が来て、申請者の生い立ちから病歴、現在の生活状況、その困難度などを詳細に聞き出すのだ。私の場合は2時間ほどかかった。
この結果とかかりつけの医師の意見書を合わせて、データをコンピューターに入力してどの程度の援助が必要か、すなわち要介護度が決るのだそうだ。
コンピューターに入力することとか医師の意見書についてはその意味について疑問もあるがそれは別にして判定の客観性を保とうとする姿勢がおもしろい。
私は要介護に当たらず、要支援と判定された結果、電動車イスを利用できないことになる怖れが出てきたのだが、なんとかお願いして願いが実現したのだった。
  
妻は入院中にこの判定を受けた。まだ家に戻ってこられるかもしれないという一抹の希望があったから病院で全介助の状態で判定を受けたのだ。
その結果要介護度5ということになった。最も重い判定結果だった。自分では自分の生活を成り立たせられない状態、周囲のものに全面依存して生きる、こう言ったら正確さを欠くであろうか。
役場から介護認定の結果をいただいたまま具体的な援助についてケアマネさんと打ち合わせをする間もなく妻は天に召されてしまった。
全てを神様に任せて今は毎日、毎時襲ってきた痛みからも解放されて、神様の前で温かな介護を、それも介護度5の介護を受けながら平和に過ごしていることだろう。
いや、人間誰しもこの世に生きるときから神様の前では要介護度5であるのにそれに気づかず、感謝もしないで生きているのかもしれない。

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