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2008年7月21日 (月)

主は牧者 前夜式の様子

7月7日夜7時、教会の鐘が夜の空気を震わせて街に響き渡った。妻和子の前夜式の始まりを告げる鐘であった。その式次第は以下の通りである。

前奏 (黙祷)
讃美  493

讃美  451(故人愛唱)
聖書  旧約聖書・詩篇 2316
    
新約聖書・ヨハネによる福音書 101415
(個人の略歴)
説教
祈祷
讃美  434(1.35
頌栄  27
祝祷
後奏  (黙祷)
(挨拶)
(献花)

当初参列者を70名前後と予想したのだが、なんと140名の方がおいでくださった。教会員、親族はもとより、隣近所の方、コーラスグループの会員、生協でいつも交わっていた方また和子が受洗した教会の古い友達、私の関係ではかつての職場の同僚、大学時代の友人、東京で一緒に信仰生活をした教会の友など数え上げればきりがない。子どもたちの会社関係の上司もわざわざ本庄市までおいでくださった。
 牧師はイエスは牧者であることを説かれ、羊をどんな困難な時にも導いて守ってくださる羊飼いの話をしてイエスを証した。嬉しかったのは和子は私の世話をいつも引き受け、また4人の子どもをどんな時にも支え続けて一生を終えた、これは羊飼いのような行いであったといえると思うと言ってくださったことだ。
 最後の挨拶で私はこう述べて多くの参列者にお礼を言った。

 「先ほど先生がおっしゃってくださいましたように妻和子は三つの教会で信仰生活を送り48年の地上での教会生活を終え7月5日午後10時25分天に召されました。

 振り返ってみますと妻の教会生活は難しい信仰論をたたかわすとか役員として教会形成に携わるとがというものではなく、そうではなくて台所でお茶碗を洗ったり教会のトイレのタオルを持ち帰って洗濯する、あるいはまた集会のお弁当を用意するというように裏方の用事をしながらの教会生活でありました。

 和子は神様が与えられたその奉仕を喜んで引き受けて旅立っていきました。その一人の小さな信仰者の葬りの式にこうして大勢の皆様がおいでくださったことを大変うれしく思います。本当にありがとうございました。」

 参列者を玄関に子ども達と並んでお見送りしたのだが、何人かとは涙を共に流しながら和子を偲び、悲しみを分け合った。

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