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2008年7月17日 (木)

人が生きる重さ

風呂に入って居間に行く。下の孫は寝てしまって息子夫婦と小六の孫だけがのんびりテレビを見ている。
「お休み」と挨拶して寝室に入る。一日の終わりである。そのままベッドに入ればの話だが。
何か心残りでそのままベッドに入れない。何段かになった棚の抽斗をちょっとのぞいて妻の残したものを見たくなる。あるいはクローゼットを開けて衣装やら下着類を手にする。
そうなったら簡単に寝ることが出来なくなる。
妻は袋ものが大好きでたくさん持っている。クローゼットの中に掛けてある洋服の下に手を入れるとそこには何種類ものの鞄が潜んでいた。また、布製の風呂敷を袋状にしたものなどがあちこちから顔を出してくる。
抽斗にはノートが入っていた。そのまま捨てるわけにはいかないので開くと年度ごとに日付まで記して医者に支払った額が几帳面に書かれていた。
他の抽斗には子供たちのへそのうが桐の箱に入って納まっているし、いつも悩んでいた足のタコの治療薬や入れ歯の手入れ用の薬などが包帯や絆創膏と一緒に混じって入っていた。
寝る前の慰みに手にした抽斗とクローゼットだけでもこの始末である。納戸や押入れを開けたら子どもたちの学校時代の思い出につながるもの、教会で婦人会の代表をした資料、毎日つけていた日記、そんなものが何十倍もあろう。
ここに一人の人が生きた証がある。人の重さがある。一人がいることは小さな歴史が創造されていることだとつくづく思わされる。

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