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2008年6月23日 (月)

私に信仰があるなら

95歳になられる信仰の先輩からお手紙をいただいた。冒頭に手紙を書けなかった理由をこう記している。「どんなことを言い、どんなことを書いても今のあなたのご心境を同じ様に把握することは出来ないと感じていたからです。」
そして、続けてこう書いてくださった。

「今日はふと私のノートからこんな言葉を見つけ、誰が言った言葉かさえわからないのですがこれを送ります。

もし私が神の御手によっていかなる時でも助け起こされていることを知っているとすればわたしたちを襲う最悪の事がなんであろう。それが、私の生存の終わりであれ、子供の死であれ、最愛の者が失われることであろうとそれが一切がなんであろう。

もし神が私の信じる神であるならば私は一切の問いの答えを聞く。

しかし、それが私から奪われているならばどうであろう。実はそれが私から奪われているのである。それこそ罪である。その罪の中でキリストは私に言われる。

『聖なる神はあなたの父である。あなたが父を愛するように神はあなたを愛しておられる。神はご自身の慈しみに向けて神の恵みの理解を超えた自由の中にあなたを受け入れられる』

私にとって大切な二人の上に神による心の安らぎが訪れるよう毎日祈っています。30年一人で生きてきたSMより」

アンダーラインを引いてわざわざ私の心を喚起しようとされた文章が重い。

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