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2008年6月

2008年6月29日 (日)

会話

昨日、ママに運転してもらって病院に行った。ヒカちゃんも一緒に。
 
ヒカちゃん「ばあちゃんこんにちは」
妻「光ちゃんはいい声だね」
  
妻「背中がかゆい」
ママに体を傾けてもらい私は背中を病衣の上から掻く。
妻「気持ちいい」「もっと下」
肋骨が直接手にさわり悲しい。いやな表現だが、ブリキの湯たんぽのようだ。

妻「引っ張って」
私「何を?」
妻「指」
手指を一本ずつ引っ張ってあげる。かなりむくみがある。

ママとヒカちゃんは買い物に出て私と妻だけになる。
私「二人でいい生活をしてきたね。お母ちゃんと一緒で本当によかったと思うよ」
妻「・・・・」
私「誰か会いたい人いる?」
妻「・・・・」
私「この間来たT・Sさんの手紙、読んであげるね」「K子さん、今日はお逢いできてとてもうれしかったです。あなたの輝いたひとみから 握手をした時のあたたかい ぬくもりから 主にある交わりの確かさを直感しました ありがとう 祈っています よかったね」
妻「・・・・」
私「T・Sさんが言っていたように、神様の所に行っても何にも心配ないけど、ぼくはおかあちゃんとこうしていられるように祈っているよ。お母ちゃんもそうだろう?」
妻「・・・・」
  
ママとヒカちゃんが帰ってきた。
私「また来るからね。また会おうね。」「今夜はTUが泊まりに来るよ」
 
昨日は会話の出来るよい日であった。

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2008年6月28日 (土)

もう少し一緒にいてね

医師と話すために早く病院に行った。一人だったので見ず知らずの方に車イスをおろしてもらった。
話の中心は輸血と高単位の点滴をどうするかだ。血小板が今月10日に13万あったのに一週間後には8.4万になり先週は5.6万、昨日は2.6万だという。出血が体の内部で起きた場合これでは止まらないかもしれない。
点滴を変えてもこれで元気になるかどうか、むくみが抑えられるかどうかも不明だという。体力の強化にはつながらないかもしれないのだ。だがもう針を刺す血管がなくなってきている。肘の裏側は両手とも紫色の瘢痕が痛々しい。
私はこう言った。「先月の重篤な日から40日、恵みをいただいて生かされてきました。この世での交わりを許されてきました。先生や看護師さんには大変お世話になっています。これから何日妻とこの世での共に生きる生活が与えられるかわかりませんが、できるなら少しでも妻の体を落ち着かせて、苦しみのない状態で最後のこの世での交わりをしたいと思います。そのために少しでも役立つなら輸血と点滴をお願いします。」
いつものことだが私は涙を流しながら途切れ途切れに話を終えた。そして病室で妻に今やろうとしていることの許可を受けた。
 
早速鼠蹊部から大きな静脈に管を差し込む措置が取られた。廊下で待ったのだが医師と看護師が20分以上も作業をしたように思えた。
医師たちが去って、二人だけになってから手を握りながら「先日T・Sさんが言ったように神様の下に行って、おばあちゃんやおじいちゃんと一緒に過ごしても何にも問題はないんだけど、ぼくはもう少しおかあちゃんと一緒に話したり、こうして手を握っていたいんだ。だから神様にそう祈っているよ。この手は本当にたくさんのことをしてくれたものね。お母あちゃんもそう思うだろう。子供たちもきっとお母ちゃんに、もっと皆と一緒にいて欲しいと思っているよ」
妻はうつろな目をしながらうなづいていた。

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2008年6月27日 (金)

弟になる

病院に行く時にはいつも6歳上の姉を連れて行く。病院に行く道筋に家があることも1つの理由だが、それよりも私のことを今最も心配し、積極的に世話をしてくれている一人だからである。妻が危篤になった朝早く、病院に集る前に我家にやってきて涙声で「しっかりするんだよ。一緒に行くわけにはいかないんだからね」と叱咤激励したのもこの姉であった。
姉は77歳になるが病院に着くと私の車から積んである車イスを降ろし、運転席に横付けにしてくれる。そして、車イスを押して病室まで行くのだ。自分でも漕げるのだが姉は「いいよ、押すから」と言ってきかない。
面会が終わって帰るときになると、今度はまた車イスを自動車に載せてくれる。いやその前に私が重い体の向きを変え、足を車内に入れようとすると、その足先を持ち上げてくれることまでする。こんなことは妻さえしないことだった。亡くなった長姉が妻に「K子さん手伝ってあげて」とわたしの動作を見てよく言ったものだが、どうも幼いとき一緒だった肉親にとって病気で動けない私は常に面倒を見てあげなければならない存在だったようだ。
時によっては病院からの帰りが夕方になることもある。私は姉の、一人家で待っている主人・義兄が気になるのだが、姉は私の夕食まで心配し、スーパーに立ち寄り、買うことになる。だがここで私がお金を払うことはない。すっかり昔の同じ家に住む姉弟になってしまって、買ってもらったものをそのままいただいて帰るのだ。
私は時々涙声になって「いつも世話になってばかりで悪いね」と言うのだが、姉は「なんにもしてなんかいないよ。いつでも出来ることがあったら言いな」と言って自動車から降りるのである。
今日もまたこの姉に世話をかけて病院に行く。

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2008年6月25日 (水)

電動車イス来る

病院でふと自分の腕を見て驚いた。甲からその上の部分が赤く染まっている。袖に隠れていた部分は白い。ようやく日焼けであることに気づいた。
昨日は午前中梅雨晴れ間の紫外線が強く降る中、二台の電動車椅子の試乗をしたのだった。コンビニや立体交差のある道路をケアマネさんと業者の方に付き添っていただき回った。そして自走式の車イスに近い簡易型の電動車椅子を当分使うことに決定した。
なにせ介護保険の手続きは契約書ばかりいやと言うほどあり、全部を済ませたのは午後二時に近かった。
だが要支援2では原則として電動車椅子は使えないことになっている中、ケアマネさん等の熱心な支援によってこれが使えるようになったのは幸いである。
妻の居ない生活で、今後はこれを活用して買いものやその他の社会生活をやっていくことにしよう。
今日はこれから近くのコンビニでお昼の食材を買ってくることにする。
以前のように文章を書いたり読書が一日の多くを占める生活でなくなり、食べること、衣服を整えること中心の生活になってしまったがそれはまたそれなりの実を産むことだろう。

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2008年6月23日 (月)

私に信仰があるなら

95歳になられる信仰の先輩からお手紙をいただいた。冒頭に手紙を書けなかった理由をこう記している。「どんなことを言い、どんなことを書いても今のあなたのご心境を同じ様に把握することは出来ないと感じていたからです。」
そして、続けてこう書いてくださった。

「今日はふと私のノートからこんな言葉を見つけ、誰が言った言葉かさえわからないのですがこれを送ります。

もし私が神の御手によっていかなる時でも助け起こされていることを知っているとすればわたしたちを襲う最悪の事がなんであろう。それが、私の生存の終わりであれ、子供の死であれ、最愛の者が失われることであろうとそれが一切がなんであろう。

もし神が私の信じる神であるならば私は一切の問いの答えを聞く。

しかし、それが私から奪われているならばどうであろう。実はそれが私から奪われているのである。それこそ罪である。その罪の中でキリストは私に言われる。

『聖なる神はあなたの父である。あなたが父を愛するように神はあなたを愛しておられる。神はご自身の慈しみに向けて神の恵みの理解を超えた自由の中にあなたを受け入れられる』

私にとって大切な二人の上に神による心の安らぎが訪れるよう毎日祈っています。30年一人で生きてきたSMより」

アンダーラインを引いてわざわざ私の心を喚起しようとされた文章が重い。

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2008年6月22日 (日)

友への手紙

先日の地震には驚きました。被害はなかったですか。
さて、妻のことではご心配をいただいていますが、今日は近況をお伝えし、また、お考えをお聞きしたく思います。
イレッサを一か月ほど使ってきました。でも食欲が増したり、痛みが軽減することはありませんでした。
最近では経口の食物はほとんど取らなくなりました。おかゆを数口食べるだけです。イレッサは4等分して飲ませているのですが全部取れない日もあります。
昼間も眠ることが多くなっています。
でもこちらの問いかけにはうなづいたり首を振ったりして答えています。点滴を用意した看護師に名前を問われると答えることもできます。
血液検査で赤血球と血小板が少なくなっていることがわかり、医師からはこれはガンの進行または必要な栄養が取れていないことによると判断されました。これに対応するために高単位の点滴を首または足の付け根からいれること、また輸血をすることが考えられるがこれを希望するかどうか意見を求められています。
どちらにせよまた新しい処置をすることはさらに妻を苦しめることになるのではないかとの思いもありますが、しかし今命ある妻の命を支えることも与えられた命を十分に生き切るためにはやらねばならないとの気持ちもあります。
もう少しの共なるこの世での生活だと思いますが必要なことをして召される日を待ちたいと思います。
医師から求められていることなどへのご教示をいただけたら幸いです。

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2008年6月19日 (木)

足を洗う

昨日の続き。
T・Sさんが帰って少したった時いつも元気よく妻を看護してくださっているM・Sさんが「S・Bさん、足を洗おうね」と言ってプラスチックの大きなタブを抱えて入ってきた。この看護師さんはわたしが行くと「ほら、ご主人が来たよ。よく見えるように体の向きを変えようね」と妻を動かしたり、わたしがいないときは「今日はご主人は来ないの?」とか「二人は仲がいいね」と付き添っている娘などに言うのだそうだ。
昨日は娘が付き添っていたので、「ちょっと手伝ってね」と言いながらタブの中にお湯をいっぱい注ぎ、妻の体を起して足先をその中に入れた。お湯の熱さを気にしながら足を何度もこすりながら洗ってくれた。左の足はさほど垢が出なかったようだが、右になると「ほら、出てきたよ」と指の間にタオルを差し入れて洗った。
妻は何も言葉を発せず、されるがままにしていたのだが気持ちよいことに疑いはなかった。お終いにじょうろの役をする容器からきれいな湯を注いで洗浄はおしまいになった。
妻の足は少し赤みを帯び、白い線を引いて乾いていた皮膚は滑らかになっていた。
「なかなか洗ってあげられなくて悪いんね。金曜日にはシャワーの予定を入れておくからね」、そう言ってM・S看護師は部屋を出た。
聖書にはイエスが弟子の足を洗う記事がある。この時のイエスは「この世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(ヨハネによる福音書13章1節)と聖書にはある。
妻が足を洗ってもらう行為を自分のことのように見ていたわたしは思わず「有り難いことです」とつぶやかずにはいられなかった。

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2008年6月18日 (水)

今日の病室

今日の病室は恵みに満ちていた。
その1つだけ今夜は記してもう1つは明日にしよう。
東京の教会で共に信仰生活を送ったT・Sさんが練馬から来てくださったのだ。J駅で彼女を車に乗せ病院へと向かった。
病室に着くとT・Sさんは妻の顔にご自分の顔をつけるようにして挨拶された。妻は今日は何も声を発しなかったがその目で訪問客を迎えた。「ああ、わかっているね。いい目をしているものね。」こう言って「今日はね、神様のところに行っても何も心配ないけれど、K子さん、あなたをもう少しご主人のところにおいてくださいとお祈りするために来たの」と続けた。
T・Sさんは4年前にご主人を神様のところに送っている。会社員だったご主人は定年を境に献身し、自らの家を伝道所にして神様に仕えたのだった。だがその志の半ばで主に迎えられた。T・Sさんはその悲しみを体験しているだけに私の心をよく理解され、今日は来てくださったのである。
私なら涙で言えないことをゆっくりした口調で神様に全てお任せすればいいのよ、でももう少し主人といさせてくださいと祈ろうね、とやさしく、やさしく話しかけていた。
教会の青年会のころの思い出や、妻が教会でどんな働きをしていたかも懐かしく思い出してくださった。「その目は大丈夫よ」と言いながら慰めの言葉も妻に与えていた。
主にあって悲しみを乗り越えた人のやさしさと強さが彼女を包んでいた。

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2008年6月17日 (火)

妻にとってのQOLとは

妻が変っていく。以前の人ではなくなっていく。
病衣を脱ごうとしたり、両手を頭の上に上げて組んだり、「何とかして」と求めたり、いらだちを見せる。
足がしびれるというので実姉と二人で片足ずつを揉んであげても、もんでないと言う。足に触れられていることが分からないのかもしれない。指を動かしてごらんと指示しても動かないと言う。脊椎損傷が起こっているのか、医師に確認しなければならない。
看護師が名前を確認したり、痛さを訊ねたりすることには答えられるのだが、私の問いには確かな返事はできなくなっている。
病室の天井と壁を見詰めての毎日。痛みと闘う日々。点滴にのみ栄養を依存する生活。
いったい妻にとってQOL(生活の質)とは何を意味する言葉だろう。
昨日も牧師が来られ、祈りを捧げてくださった。主イエスの恵みによって永遠の命に与っていることを感謝し、今の痛みをやわらげてくださいと祈った。妻もアーメンを唱えた。
限られた命を自覚し、信仰をいただいた感謝を唱えて生きる、こうした境地に立てれば生活の質も豊かになるかもしれないが、彼女は命の終わりを自覚していない。リハビリを望んでいるくらいだから、この世でまだ生きることを望んでいるのだ。
もういい、私は一方でそう思いつつ、一日でも多く私達のところにいて欲しいとも願っている。

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2008年6月16日 (月)

地震と障害

岩手県宮城県の内陸を大きな地震が襲った。震度6強だという。
まず心配になるのが障害を持った人たちの安全である。この地方にある障害を持ったキリスト者の会「みちのくコスモスの会」に招かれてかつて盛岡市に講演に出かけたことがある。だから障害の有無にかかわらず多くの友人がこの地方にはいる。どうか皆無事でいて欲しいと願う。日常の生活が守られますようにと祈る。
友人の中でも特に気がかりなのはO・Dさんだ。リウマチの後遺症で大きなハンディキャップを抱えている。
北上市の社会福祉の分野では重要な働きをしているから地震のときもう職場に行っていれば仲間が助けてくれただろうが、家にいたら大きな揺れに耐えられただろうかと心配である。すぐに電話を入れたのだが通じず、預かり電話になってしまった。きっと彼のことだから無事に守られて、落ち着いたときに元気な声を聞かせてくれるだろう。

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2008年6月14日 (土)

応えない人

田舎の病院の看護師さんはきさくである。方言丸出しでしゃべっている。昨日も私に「ご主人、髪切ったん?」と問いかけた。もう一週間も前に切ったのだが気づかなかったらしい。「先週ね」と答えた。すると「Kさん、ご主人髪切ったんだって。わかるかね」と妻に向かって大声で話しかけた。
妻は目を閉じたまま、私を見ようともしなかった。「ほら、髪切ったんよ」ともう一度呼びかけたが同じだった。
最近は手紙を持っていって見せても見てくれないことが多い。反応が乏しくなっているのだ。
世の中には意識障害を持つ奥さんを独りで介護している男性も多い。松本サリン事件で犯人と疑いをかけられた方もサリンのために意識を失ってしまった奥さんを尋ねてやさしく話しかけている。
相手がどうあろうとも愛し続ける、これは難しいことだがしなければならないことだ。

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2008年6月12日 (木)

神様のご計画

教会員のK婦人からお手紙をいただいた。Kさんは90歳を超えているSさんを尋ねていろいろ話したという。手紙にはこうあった。
「いろいろお世話になっておりますのに何のお返しもできない不甲斐なさを情けなく思います。Sさんといろいろ話を致しました。神さまのご計画には人間はどうすることもできないのよ。ひたすら祈ることよ。悲しいけれど私たちにはそれしかできないのよね、って言われました。」
私はSさんのことばに慰めをいただいたので、すぐに電話をした。「Kさんからとてもよい言葉を聞きました。ありがとうございました。」と言うと「あなたに会って背中をさすりながらいろいろ話したいけどわたしも出かけられないで御免ね。あなたのことを思うとつらいの。でもね、こちらがして欲しいことが起こるのが奇跡ではないのよ。神様が望むこと、なされることを私たちは感謝して受けるようにしようね。それが神様のご意思だと後でわかるかもしれないわ」と答えてくださった。そうだ、そうだと私はうなづいた。

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点滴の

点滴の影絵になりぬ夏の夕
 
つばくらの乱舞見えて妻病みぬ
 
疲労困憊、昨日今日。

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2008年6月11日 (水)

夕食介助

夕べはわたし独りで夕食の介助をすることになった。おかゆとサツマイモのペースト状の煮付け、それにもう一品がついていた。
おかゆだけでは味がないのでいつも海苔の佃煮を混ぜることにしている。だが佃煮はベッドの向こう側に行かないと取れない。車椅子では通れないので廊下に行き手すりにつかまって立ち、杖で歩いて冷蔵庫から「御飯ですよ」を出す。
立ったままでやったほうが妻の口元にスプーンを運びやすい。「おいしい?」そう聞きながら三匙ほど口に入れてやる。黄色のペースト状のものも運び、「これ何だ?」と訊ねると「薩摩芋」とのこと。「おいしい?」。「まずい」「もういらない」。それからはもう一口も食べない。「そりゃ、おかあちゃんの料理に比べたら美味しくないだろうけど食べないと元気になれないよ」と言ったのだがもう受け付けなかった。
こうして夕食は簡単に終わってしまった。
 
昨日は比較的よくしゃべっていた。目にも光りがあった。「家に帰りたい」と4時に行った時にまず訴えた。
食事が終わって私が帰りの時間を気にするそぶりを見せると「T、遅いな」と長男が来ないことに不満を示す。
足が痛いというので「どっちの足?」と言うと「右」と答える。この足指にはもう刺すところがなくなった点滴の針が入っている。ふくらはぎをさすってやる。「そっちじゃない」。「右はこっちだろう」とさわって見せても不満そうだ。
 
7時15分になったら帰ることに意を決した。外は暗くなったし、疲れが出てしまったからだ。「Tがもうじきくるからぼくは帰るね。看護師さんによく頼んでおくから何かあったらこれを押してね」と看護師室に通じるボタンを手の傍において部屋を出た。
  
独立心の強かった妻が今は甘える人になっている。その甘えに完全に応えられないのが申し訳ない。

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2008年6月 9日 (月)

心安く

昨日も妻は話をしなかった。目を開けてはいるが空を見詰めていた。声をかけるとうなづく。だがそれ以上のことを返してはくれない。手を取ってその肌を撫でてしばらくの時を過ごしてきた。
そうした中でふと両手を伸ばして屈伸をすることがある。何かことを始めるかのように。また、「早く、早く」とも言う。起き上がるような姿勢をとり「引っ張って」と言ったりもした。
4ヶ月にわたるベッド生活で精神的にも疲れているのだろう。いつも忙しく飛び回っていた彼女には何にもできないでこうしていることが耐えられないのかもしれない。
かけてあげる言葉もない。
 
夕べの祈り
天の父なる神様。こうして一日が守られて今終わろうとしています。感謝します。
子どもたちに支えられ、周囲の皆さんに守られ、看護師さんたちにお世話を受け、K子も一日が終わることでしょう。どうぞ今夜そばに泊まるTをお守りください。
毎日一緒に生活してきたK子が今は何もできずに痛みに苦しみ、狭いベッドで独り苦しんでいます。傍にいても何もしてやれません。どうぞあなたが抱きしめ、癒しの御手を差し伸べてください。たくさんの尊い思い出を刻んできたK子を近くあなたの御許に送ることは限りなく寂しく、悲しいことです。御心ならば共にいる日々を長らえさせてください。
そのために子どもたちの体が疲れ果てることのないようにしてください。小さなヒカちゃんがママから一人離れているとき、その寂しさを癒してください。
これから眠りにつきます。明日の日がK子の上に、全ての人の上に巡ってきますように。
十字架につき全ての人の苦しみを負われた主イエスのお名前を通してこの祈りを御前に捧げます。アーメン

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2008年6月 7日 (土)

二つのこと

今日の妻は眠りの多い日だった。話しかければうなづいたりするが目を閉じている時間が圧倒的に多かった。
私はその手を取ってさすり、時には私の頬に手の甲を押し付けたりして触れ合いを豊かにしようと試みた。まだ手はすべすべとしている。頬につけたままその体ごと抱きしめたい衝動がこみ上げてくるのを感じていた。
  
隣の個室の患者さんはおばあちゃんらしい。ご主人がよく面会に来る。そして「ばあちゃん、来たよ。がんばるんだよ。じいちゃんだよ。がんばるんだよ。」と大きな声で呼びかける。
若いうちはどんな夫婦だったか知らないが、こうして長い間連れ添った人が病に倒れるとその関係は相互扶助の関係になるのだろう。ぼくとつな田舎の老人だが、病室からは美しいものが流れ出ている。
 
駐車場に着いた時次男は食事に出ていて車のところに来ることができなかった。私は見ず知らずの男性に車イスを下ろしてくれるように頼んだ。彼は車イスの前後を逆に私の傍に下ろしてくれた。だがすぐに私の注文に応じて置きなおしてくれた。
今、車イスをリフトで収納する装置のついた車を探しているところなのだが、こうして気軽にお願いすることで今の車を使い続けることもよいかもしれない。

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2008年6月 6日 (金)

郭公よ

郭公よお前が来ても妻をぬぞ

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2008年6月 5日 (木)

無事帰り着いたよ

病院の駐車場を出るときに霧雨が降り出したんだ。エリちゃんに車イスを乗せてもらってワイパーを時々使いながら今家に着いたところさ。スロープはまださほど濡れていなかったからよかった。お母ちゃんがいればすぐに家に入って傘を二本とってくるのに今は誰も雨を防いでくれる者はいないものね。
今日はまた眠りの日のようだね。朝なのに眠ることが多かったね。ずっと指をさすっていたのわかっていたかい。ああするとぼくも落ち着くんだ。
「何万年経ったかわからない」と言っていたけど4ヵ月もベッドにいると時の経過がわからないんだろうね。ぼくよりずっと現実に密着した生活をしていたのにそんなことを言いたくなるんだね。
これから独りでお昼を食べることにする。病院の売店でサンドイッチとコロッケパンを買ってきたから後はお湯を沸かしてスープでも作るさ。
今までのように午前中は書斎で文章を書き、1時か2時になっておかあちゃんが「お昼ができたよ」という声でリビングに向かい、テレビを見ながらゆっくり昼食をとるなどということはできなくなってしまったけど、ぼくも生活パターンを変えて生きていくさ。
また、明日会おうね。今日一日を神様が支えてくださいますように。

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2008年6月 3日 (火)

独り言

鏡に向かって

 「疲れた顔してるな!」「もっと元気な顔しろ」

 「無理だよね」「疲れてるんだものね」

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朝の祈り

天の神様、一夜をお守りくださり、こうして新しい朝を与えられて感謝いたします。
お母ちゃんも朝を迎えられましたことをこころより感謝します。
昨日はお母さんちゃんは眠りの一日でしたが、あなたによって一日を過ごさせていただきました。どうぞ今日の一日がこころやすく過ごすことができますように。
これから用意された食事をいただきます。これが一日のマナとなって私を養ってくださいますように。お母ちゃんの食事の時もあなたがその口を支え、必要な糧を取ることをさせてください。
やがてこの世の生活を終え、あなたのところに迎えられることでしょう。どうぞその時を少しでも遅くし、この世での私たちとの交わりの時を豊かに持たせてください。終わりのときが全ての終わりでなく、あなたによって永遠の命を与えられていることを信じることができますように。
今おかあちゃんの傍にあるママを支えてください。いつもママを求めているヒカちゃんの寂しさを癒してください。
今日は雨でおかあちゃんの傍に行くことができません。夕べになってTが連れて行ってくれるときまで寂しさと不安に耐えられますように。
十字架にかかられ全ての苦しみを負われた主イエスの御名によって祈ります。アーメン

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2008年6月 1日 (日)

三人の息子

昨夜から三男が泊まっている。長い夜を感じていることだろう。その前の夜から泊まっていた次男と交替したのだ。
昨日は疲れがピークに達し、私は病院行きをあきらめていた。だが、長男が妻の様態が悪いことを察して病院行きを促してくれたので夜になって急きょ行った。
三人の息子と私の男四人がそろった。
妻の意識はハッキリしなかったが、「息子たちが三人もそろったよ。うれしいね」と声を大きくして話しかけると口元が少し弛んで微笑んだようだった。
嬉しかったのは妻だけでなく、わたしも同様であった。
次男は次回の泊まりの日を確認して帰京した。

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