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2008年5月

2008年5月31日 (土)

看護

つばくらの声飛び込んで妻眠る

「便が出た」嬉しく読みつ夏看護

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痛みよ去れ

Img_0758 昨日は午後2時から消灯時間が過ぎるまでベッドサイドで過ごしたのだが、妻の言葉はわずかであった。痛みのために体の位置をずらしたり、足を曲げ伸ばしたり、ベッドの上げ下げを繰り返すだけの時間だった。

痛み止めを飲むように勧めても応じない。空を見つめる瞳は何を考えているか知れない妻。

一昨日興奮状態にあって、「早くして」「家に帰る」を連発したというので、昨日の朝こころを鎮めるために風呂に入れたという。その後胸のレントゲン写真も撮った。こうしたことがまた妻を疲れさせたのかもしれない。

雨で外に出るのが危険のため牧師に援助を求めて病院に連れて行ってもらった。牧師は毎日のように耳元で聖書を読み、祈ってくださる。外なるものは滅びても内なるものは永遠に生きる、主に救われている私たちはいかなる時も主の御心のうちにある、こうしたことを祈りは確認させる。その確かさに安堵しつつも、妻の手を撫で、骨が直に触れられるようになった足をさすっていると再び家での味のある生活は戻らないことを認めざるをえず、せめて痛みが去って欲しいと願う。
写真は妻の古い友人SSさんが送ってくださったものだ。数年前に脳梗塞で利き手が不自由になったが反対の手を用いて聖句を盛り込んだ絵を描いている。
今の妻に聖書を持っていって読んであげることは難しいが、こうして聖句を絵と共に見せられることはありがたいことだ。この葉書を妻の枕下に置いている。

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2008年5月30日 (金)

負担をかける存在

妻がダダをこねるようになったという。決してそんなことをする人ではなかったのに、昨日は薬を飲むのを拒んだり、家に帰ると言い張ったというのだ。御飯も食べないと頑固な態度を見せたらしい。
この妻に昨日は長男が一日付き添った。今朝はママ(長男の連れ合い)が子どもたちの登校前から家を出て病院に行き世話をしている。
孫たちはそれぞれに登校しなければならない。長女は具合が悪く結局欠席してしまった。
ママは病院に出かける前に子どもたちの朝食とわたしの分を用意していった。
こんな緊急事態で唯でさえ忙しいのに、私のことも心配しなければならないのだ。自分の存在を家族への負担ととらえることは妻が元気なうちは成人してからはついぞなかったことだが、今はそういう思いがこころの隅に隠れている。

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2008年5月29日 (木)

未明のメール

今朝4時過ぎに枕下に置いてある携帯電話が鳴った。びっくりしてとびついた。ふとしたことから眠りから覚め、高等部の生徒と学習した宮沢賢治の「永訣の朝」を思い出している時だった。

「けふのうちにとほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ」で始まるこの詩は賢治の最愛の妹トシとの別れの時を詠った詩だ。熱にあえぐトシに頼まれて「あめゆき」を取りに「まがったてっぽうだまのやうに」外に飛び出して行くさまは賢治の切羽詰った妹への愛を如実に表している。

この2、3日妻は眠る時が多くなっている。痛みに苦しみながらも遠慮がちに痛み止めを求め、耐えている。そして話をすることもなく眠る。そんな妻を思っているときの電話の音は私を驚愕させた。

だが、幸いその電話は付き添っている長男からのものではなかった。朝方まで働いている義兄からのメールだった。兄も朝になってみてもらえばいいと思って仕事の途中で打ったのだろう。

私はしばらくしてまた眠りについた。

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2008年5月28日 (水)

今日のお母ちゃん

一日、一日を生かされて妻は、お母ちゃんは生きている。昨日は5時間ほどベッドサイドで共に過ごしたのだが、さすがに疲れて遠くに居る子どもたちに妻の様子を知らせることはできなかった。

一昨日一日の終わりにベッドから3人の子どもの携帯電話に「今日のお母ちゃん」を送った。すると次男からすぐに返事が来た。こんな具合である。

「熱が6度9分あった為かあまり話をしたがりませんでした。食事は3割がた食べています。明日は血液検査とレントゲン検査をします。
みんなに支えられてお母ちゃんも喜んでいると思うよ。
T(長男)が今夜も泊まりに行きました。
お母ちゃんの回復を祈っています。おやすみ。」

「可能性的には難しいんだろうけど、いつか本当に薬が劇的に効いてきて、また元気に生活できるようになったらいいなと思ってます。
Tには世話になりっぱなしで申し訳ないけど、手伝える時にまた手伝いに行くよ。
また様子教えて下さい。」

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2008年5月26日 (月)

黙っていても

午後1時から5時過ぎまでベッドサイドで過ごす。妻はうつらうつらしている時間が多く話をしない。だが私には退屈感はまったくなかった。胸を上下させて呼吸を続ける妻の体、何を見詰めるのかわからないが、空を大きな瞳でにらんでいるその顔。そこには愛する妻が居る。私は傍に寄り添うだけで、濃密な時を感じていた。

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2008年5月24日 (土)

この手はなにをしたか

今日の妻は元気がない。目を閉じているばかりだった。8時間ほど傍らに居たのだがあまり話をすることはできなかった。
私は妻の手を取り、長い指を順番に撫でていた。指は関節が太くなっていた。
この指は私の車イスを押し、雪の日に杖で歩く道を開き、教会で掃除や料理を作り、子どもを背負いながらもう一人の手を引き、信用金庫の食堂で10数人の食事の賄いをして子どもたちの養育費を稼いだのだった。
妻の手は奉仕の業に用いられたものであった。その思い出をたどっていると、半日以上も話をしない妻の傍にいたにもかかわらず妻の手との触れ合いは決して私を飽きさせることはなかった。
神よ、どうぞ今夜も妻の傍に寄り添ってくださいますように。

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2008年5月23日 (金)

また明日ね

「また明日ね」と言って妻と別れてきた。つらい別れのときである。
20日の危険な時を脱して今は安定の時にある。20日の朝は口径の食物、薬は以後やめることにしますと説明を受け、延命措置はしないことを医師と文書で約束した。
意識障害や、傾眠傾向は痛み止めの薬によるのではなく命がその方向に向かっているとの説明を受け、命の灯は今日か明日、明後日に消えるかもしれないと言われたのだ。
子供たちに急いで知らせ、近い肉親にも電話を急いだ。後になって妻に「あまり皆が集まってきたのでわたしはおしまいかと思った」と言われる始末だった。
その朝私はまだ意識がハッキリしない妻の枕元で、いい家庭を、子どもたちを与えてくれてありがとう、一緒に生きられて嬉しかったよ、と声にならない声で話しかけた。長男もそばで聞きながら涙を流した。
しかし、主に助けられて、その日の午後あたりから眠りにおちることもすくなくなり、掛け声にうなづくことが起こってきた。
翌日などは顔色もよく、会話もできるまでになった。ステロイド剤を用いた効果かもしれないと医師は言う。わたしは子どもと相談して、粘り気をつけたお茶が飲めるのなら最期の試みとしてイレッサを使って欲しいと申し出た。今日で三日間これを服用している。
医師は終末期を脱したわけではなく,お家の人と話などができる日ができてよかったですね、と言うに留めた。
イレッサを用いた気持ちの裏には奇跡が起きて妻が家庭で一緒に過ごせることを期待したのだがそれはなかなか無理のようだ。
だから、妻と別れてくるのはつらい。また、明日ね、と言うことが今後何回できるだろうと思うと、胸がつぶれ、涙がこみ上げる。
妻は目薬を毎日自分から言い出して冷蔵庫から取り出してもらいつけている。目を今後の生活のために守らなければならないとの気持ちからである。これからも家庭で役割を担って生きる意欲を持っているのだ。
その妻に全てを話すわけにはいかない。今までの幸せな日々を感謝して振り返るわけにもいかない。
また明日来るね、というのが精一杯である。つらい、本当につらい。

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2008年5月21日 (水)

主よ、

祈りつつ、感謝しつつ、涙しつつ、助けられつつ、決断しつつ、準備しつつ・・・・・。
主よ、導きと支えをください。アーメン

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2008年5月19日 (月)

痛みを止めることと意識

病院からの呼び出しがあって出かけた。MRI検査の同意書にサインが欲しいという。
行ってみると妻は眠っていた。いや意識が朦朧としていたといったほうが正確だろう。大きな声で呼びかけると目を開けるがその瞳はどこを見ているのか定かでない。
昨夜痛みがひどいので痛み止めのレベルを一段上げたのだそうだ(看護師)。7.5のレベルだという。
これでは食事などとれる話ではない。ますます弱っていくだろう。栄養価の高い点滴の必要性を訊ねると、そのためには静脈からの点滴ではなくそけい部や肩の太い血管から入れねばならないとのことだった。
医師は食事量などを勘案して点滴を考えているが、また医師にも相談してみてくださいとのことだった。
MRI検査から帰った妻は昼食をとるどころではなかった。意識は朦朧としているようだった。
私はこのまま妻が召されていってしまうのではないかという不安に襲われた。痛み止めを弱めて、痛くても意識のしっかりした妻が帰ってきて欲しいとも思った。

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2008年5月17日 (土)

病院にて

浅い息をして横たわっていた。時間がわからないという。
痛いところを聞かれても腰も背中も痛いから(困るそうだ)。「長い間痛みと戦ったものね」と相槌を打っているとき涙が出そうになって顔をそむけた。
眠ってしまうのではないかと心配しながら触れ合いをしていると徐々に反応がしっかりしてきた。
ママの実家から送ってくれた小城の水羊羹を少しずつスプーンで口に運んであげた。小豆が固いと言った。おせんべいも一かじり食べた。抽斗からパンを出し、渡すとちぎってひとかたまりを食べ終えた。
すっかり柔らかくなった腕をさすり、足をなでながら話を続けた。点滴が落ち続けていた。
帰り際ママに今月のお金を渡したかどうかと心配そうに訊ねた。「まだだよ、昨日郵便局に引き出しに行ったんだけど失敗して暗証番号が使えなくなってしまってね」私がこう答えると「20日に(ガスや水道の?)引き落としがあるから早く渡して」と念を押された。こういうことを心配してくれている間はまだ気持ちは確かだとつまらないところで私は安心した。

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十分な痛み

昨日ママが病院に妻を訪ねてくれたのだがあまり元気がなかったとのこと。それは無理もない。弱りきっている体をまた内視鏡を使って大腸の検査をしたのだ。その前の日は骨シンチという全身の骨への転移検査もしている。来週の月曜にはMRI検査だという。
もう妻は十分な痛みを負った。一月に坐骨神経痛と誤診していたころから痛みは常に彼女を襲っていたのだ。もういい。楽になったらいい。五ヶ月もの間よく耐えている。痛いときに大声を出すわけでもなく、看護師に痛み止めを飲みますかと言われても「さっき飲んだばかりだから」と答える彼女である。
もう十分だ。楽になったらいい。

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2008年5月15日 (木)

主よ、守りたまえ

アブラハムは主の命じるままに故郷を離れ新しい国に旅立った。
今主は私達家族にどこへ行くことを命じておられるのか。
妻の重大な時を迎えて何を選択すべきなのか。
どうぞ主よ、私たちが選ぶ道に祝福を!
妻との時間と共なる場所をもっと、もっと許したまえ。

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2008年5月13日 (火)

介護保険

先日介護保険の申込みをしたので今朝調査員がお二人見えた。体の具合や日常生活の様子を一時間ほどかけて訊ねていった。
私にとって介護保険は日常生活支援よりも外出の手段として電動車椅子の貸与を受けることが中心課題である。これがあれば買い物や役場、郵便局などの利用がよりやりやすくなる。
この支援を受けるには支援度2以上に判定されなくてはならないという。なんとか実現して欲しいものだ。
昨日は病院で肝臓の検査結果を聞いてきた。CTと血液検査の結果は問題ない。その際医師に介護保険の申請に先生の名前を書かせてもらいました、と告げると、役場から医師の意見を書く書類がきているといって見せてくれた。そしてわかる範囲で書き込んでくださいというのでそのコピーを頂いてきた。
無理もない話しである。医師だからといって介護保険の調査に答えられるほど患者の生活にかかわっているわけではない。
今日は歯科に行くのでその際書類をお渡ししてこよう。そしてその後で妻を訪ねたい。

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2008年5月11日 (日)

あきらめつつ生きる

今日はペンテコステ。聖霊降臨日。だが雨。教会行きをためらう。出掛けはよいとしても帰る頃誰か家に居てくれないと車から玄関までたどりつけない。残念だがあきらめるとしよう。
午後、ママとヒカちゃんは病院に行くという。わたしも行って妻の顔を見ようか。だが、いつも病院通いで遅くなるママを待っているヒカちゃんに今日だけはママを独占させ、買い物などを自由にさせてあげたい。ここはあきらめて家に残ろう。
今朝は8時までぐっすりと寝てしまった。妻がいなくなり急に疲れが表面化してきたようだ。あきらめの背後には疲れている自分が居る。

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2008年5月10日 (土)

何をすべきか

Photo雨の一日。何をすべきか。
無為に過ごす。
ヒカちゃんだけお絵描きやパソコンのゲームに喜々としている。

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2008年5月 9日 (金)

共に祈れてよかった

今23時12分。ビールを飲み干してパソコンを立ち上げた。
朝食を今朝は二人だけで、しかも同じ時刻にとることができた。それは祈りを捧げる条件にマッチしていた。私は妻に祈ることを求めた。妻は元気にしてくださいと祈った。そして最後に「主イエスの御名を通してお祈りします」と聞き取りにくい声だが唱えた。
今思うと祈る機会が与えられてよかった。またしばらくは二人で一緒の時間に祈りをすることができないからだ。
夕方になって妻はお腹が苦しいと訴えた。そして病院に電話して欲しいと求めた。下痢がひどくなり、今までと違う苦しさがあるという。
それからが大変だった。ママに病院に送ってもらい、残されたヒカちゃんと夕食を取る。ヒカちゃんはことの重さを感知し、私の求めを素直に聞き、御飯とスープをよそり、食べ終わると食器を自ら洗った。
長男が帰るまでに入院に必要な品々を用意した。ヒカちゃんが寂しがるので親しい近所の家に預ける。
10時過ぎに若い夫婦がようやく病院から帰る。今夜は緊急患者のための部屋に寝るという。
何が妻の体の中で起こっているのかわからない。今夜はまた慣れない部屋で寝にくいだろうが神の御手に抱かれて休んでほしい。

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2008年5月 8日 (木)

句会に出る

ママが会社を休んでくれたので句会に出た。84歳になる中心メンバーの由太郎さんが体の具合が悪く欠席だった。反対に先日まで2ヶ月以上も入院していた久子さんがまだ完全でないお体で出席された。
女性センターが会場なのだが、その前にある社の緑が美しかった。外に出ることはいいことだ。

子供たちきめかねている子猫の名     由太郎
夫の忌にたけのこ御飯を供えけり     いく
病む妻の起きるを待って春の膳       悠歩
連れだちて皆元気に鳥帰る            マサル

ゆれ動く若葉の光り大樹かな          ひさい

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2008年5月 7日 (水)

つらいね・・・

Photo 車イスに座ったまま動作が止まってしまった。顔がゆがむ。つらそうだ。
しばらく見守っていたが私ではどうにもならない。「居間に行く?」「寝る?」と聞いたが反応してくれない。
「つらいね・・・」と声をかける私は涙を流していた。「かわいそうにね」としか言いようがない。
ママが来たので、ベッドまで連れて行って、と頼む。
ママではベッドに上げられないので長男を呼ぶ。
横たわった妻の腰をそれからしばらくの間私はさすり続けた。

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2008年5月 6日 (火)

連休の間のこと

薫風や疲れし看護の身に優し
 
毎日入れ代わり立ち代り妻の様子をうかがいに身内のものが来てくれた。金曜日、次男が退院も知らず病院に行き、その足で突然やって来た。いつもはまったく音信不通の子だから退院も知らせることもできなかったのだが、相変わらず身軽な風体で飛び込んできて、夕食をして帰った。メールアドレスを置いていったのでこれからはもう少し密に連絡が取れよう。
翌日は三男が息子を連れて来た。妻の歩く様子に安堵して帰った。
一昨日は妻の弟が夫妻で見えた。T子さんは妻の脇に寄り添ってしばらく足をさすってくださりながら愚痴や苦しみを聞いてくれていた。
そして昨日、妻の兄夫婦が見えた。義姉も足を揉んでくれて、あれこれと兄の様子などを話していった。兄は言葉こそ乱暴だが妹への愛は強いものがある。いつも私に妹を見守ってやってちょうだいね、と彼は言う。
今日は誰も来ないでのんびりと過ごせそうだ。おいでくださっても妻は全部の時間お相手できない。私が受け答えをせざるをえない。気の置けない相手なのだが妻の置かれている状況が状況だからやはり疲れる。
いや、そういっている間に浦和に住む姉が来たようだ。大きな声がする。きっとまた、食べ物をいっぱい担いで来たことだろう。
 
先ほど車イスで外に出た。空が青く、緑が美しく輝いている。風も爽やかだった。

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2008年5月 1日 (木)

おむつ交換

抗がん剤の副作用か妻の下痢がひどい。今朝はもう2回オムツの交換をした。
パットを重ねてつけ、そのうえにオムツをしているのだがそれでも漏れてしまう。一度はお風呂場で洗い流し、脱衣場でオムツをつけるのを手伝った。2回目はベッドの上で行ったのだが、ベッドを汚さないようにするために新聞紙を敷いたり、慎重に汚れたパットを取り替えたりなれないことゆえたいへんな作業だった。
  
養護学校に勤めていると脊髄損傷の子供のトイレの始末などを教員はしなければならない。始末だけでなく、便が出ない場合は硬い便をかき出したり、導尿の手伝いもする。だがわたしはこの行為は自然と免除されていた。
 
今朝初めてお尻を拭いてあげたりして、同僚たちは貴重な援助をしていたことに気づいた。手伝う相手の全人格に触れた思いがするからである。飾ったり、隠したりされているところを通り越して、実態に触れたという気がするのだ。
テレビで時々夫が認知症の妻の介助をしている姿を見るがそのとき夫は笑顔で一つ一つの行為をしている。きっと介助をすることによって夫は純化されているのだろう。

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