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2008年4月26日 (土)

ヨブ記の学びから 神にある忍耐

日本基督教団荒川教会のHPから「ヨブ物語」を学ばせていただいている。妻の発病をきっかけにヨブ記を読んだのだが心に食い込んでくるものがもう1つない。そんな時このHPに出会ったのだ。そして聖書は読むものでなく聞くものだということを実感している。
当教会の牧師先生のご許可をいただいて今日も私の慰めになった文章を以下に引用させていただく。

「忍耐とは生きながら死を味わいながら生きることです。もう一分一秒たりともこの苦しみが続くことに耐えられないと、ヨブは言います。神さまは忍耐をもとめられるけれども、わたしにはそんな力はないとも言います。
 忍耐のための力とは希望です。神の御心がはっきりと分かっていさえすれば、希望も湧いてくるし、忍耐する力も湧いてくるでしょうが、ヨブにはこれが何のための苦しみか、何のための忍耐か、いったいどんな終わりが待っているのか、さっぱり分からないのです。これでいったいどうやって忍耐すれば良いのでしょうか。 『わたしにはもはや助けとなるものはない』という深い絶望が、ヨブを襲ってくるのも仕方ないことです。
 しかし、このような時にもなお、ヨブは神さまの前にいます。決してそこを離れません。それこそがヨブの信仰ではないでしょうか。『ヤコブの手紙』にはこのように記されています。
 『忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。』(5章11節)」
  
 祈り 神様、どうぞ私と妻をあなたの御前にいつまでも置いてください。あなたを離れずに居る信仰をお与えください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン

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