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2008年4月

2008年4月30日 (水)

ヨブ記の学びから 目的は与えられるもの

ヨブ記7章から学ぶ。今回も荒川教会の「ヨブ物語」から引用させていただく。
  
 絶望した人間の決まり文句は「もはや人生には何のよいものも期待できない」ということです。しかし、その観点を変える必要があるのです。あなたは人生に何もないと絶望しているかも知れないが、あなたが死んだらあなたのやり残した仕事はどうなるのか、あなたを愛して待ち続けている子供はどうなるのか、人生はあなたが生きることを望んでいる、それを考えることが大切だというのです。それを真剣に考えたら、自己放棄はできないのだというのです。

 自分を中心に他の人間や社会に意味を問いかける人生を生きていったら、必ず行き詰まる時(絶望)が来るのです。しかし、神様や他の人間によって、あるいは生かされていること、愛されていること、使命が与えられていること、果たすべき責任があること、そのようなことを考えると、「なぜ」という人生の問題に答えが出てくるわけです。難しいことですが、ここに希望を持つために大切なヒントがあるように思うのです。

 ヨブの問題に即して言えば、神様に苦難の意味を問うのではなく、苦難を通して神に問われている(=期待されている)ということを、ヨブが気づく必要があるということなのです。

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2008年4月29日 (火)

庭がきれいになった

従兄弟に当たるKさんが一日がかりであかめ樫の垣根を整えてくださり庭がすっかりきれいになった。切る傍らで義姉が葉を片付けてくれたので6時間で終わってよかった。
三男が駆けつけてくれてお昼やお茶の接待もしてくれたし、妻の世話もした。間にはいつも病院に付き添ってくれた姉がやってきて妻の機嫌を伺ってもくれた。
いつも居る長男夫婦が昨日だけは休めないのでこんな形で一日が支えられたのだ。
  
北上市在住のOさんが私のブログの記事を日曜礼拝の奨励に用いてもいいですかと問い合わせてきたのでご自由にどうぞと答えたのだったが、Oさんは早速先日の礼拝でとてもよい奨励をされた。そしてごていねいに奨励の原稿を送ってくださった。
思いのほか多くの記事を引用しておられたが、私はそれによって妻の闘病に対する私の態度をOさんの目を通して対象化することができた。
しかしそれにもまして励まされたのはOさんのお母さんとの関係だった。リュウマチのためにまったく体の自由をなくしているOさんが年老いたお母さんと二人で暮らしているとき彼を支えた信仰をこう語っているのだ。

「母が苦しんでいるときは、司式者に読んでいただいた、
詩篇 23:4  死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。
を声に出して、一人祈った。聖書にはどの箇所にも感動するのだが、母が苦しんでいるときは、いつもこの箇所だった。『あなたがわたしと共にいてくださる。それがわたしを力づける。』」

昨日は大勢の人が我家には来てくれたし、夜も必ず誰かは居る。その上神様に守られているのにどうして不安になるのか。Oさんの体験に思いを馳せ、信仰を見習わねばならない。

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2008年4月27日 (日)

じじの顔

ヒカちゃんが私を描いてくれた。4Bの鉛筆を持ってすらすらと描きあげた。なかなかの出来栄えである。気に入ったのでここに紹介する。Photo 以前描いたもの(右)と並べてみよう。Lastscan

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2008年4月26日 (土)

ヨブ記の学びから 神にある忍耐

日本基督教団荒川教会のHPから「ヨブ物語」を学ばせていただいている。妻の発病をきっかけにヨブ記を読んだのだが心に食い込んでくるものがもう1つない。そんな時このHPに出会ったのだ。そして聖書は読むものでなく聞くものだということを実感している。
当教会の牧師先生のご許可をいただいて今日も私の慰めになった文章を以下に引用させていただく。

「忍耐とは生きながら死を味わいながら生きることです。もう一分一秒たりともこの苦しみが続くことに耐えられないと、ヨブは言います。神さまは忍耐をもとめられるけれども、わたしにはそんな力はないとも言います。
 忍耐のための力とは希望です。神の御心がはっきりと分かっていさえすれば、希望も湧いてくるし、忍耐する力も湧いてくるでしょうが、ヨブにはこれが何のための苦しみか、何のための忍耐か、いったいどんな終わりが待っているのか、さっぱり分からないのです。これでいったいどうやって忍耐すれば良いのでしょうか。 『わたしにはもはや助けとなるものはない』という深い絶望が、ヨブを襲ってくるのも仕方ないことです。
 しかし、このような時にもなお、ヨブは神さまの前にいます。決してそこを離れません。それこそがヨブの信仰ではないでしょうか。『ヤコブの手紙』にはこのように記されています。
 『忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。』(5章11節)」
  
 祈り 神様、どうぞ私と妻をあなたの御前にいつまでも置いてください。あなたを離れずに居る信仰をお与えください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン

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車イスが2台

妻の動きは危なっかしい。立って歩くことはあちこちと触りながらでないとできない。だからつい車イスを使うことになる。幸い先日車イスを購入したので、今我家では2台の車イスが家の中を行きかっている状態だ。
薬を飲んだり、トイレに行ったりするほかは炬燵でごろごろしている時間がほとんどである。下痢と便秘を繰り返し、病院に居る時のようにまた元気がなくなっている。これが昼間だけならいいのだが夜も同じだから気の毒だ。おぼつかない足で夜中トイレに行くと、こちらまで不安になる。
昨夜は2階で寝ている長男までが音を聞きつけて「大丈夫?」と様子を見に来てくれた。嬉しいのは長男の声にはどこかやさしさと落ち着きがあることだ。「うんち、でた?」と聞くにも切迫感がない。福祉の現場に長く働いているとこういう態度を身につけるのだろうか。それとももともとこんなに優しい男だったのだろうか。
安心して家で療養できるように早くなって欲しいものだ。

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2008年4月24日 (木)

ヨブ記の学びから 全て頂いたもの

「あなたの神、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、あなたに与えると誓われた土地にあなたを導き入れ、あなたが自ら建てたのではない、大きな美しい町々、自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑を得、食べて満足するとき、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないよう注意しなさい。」(申命記610-12)

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お帰り!

およそ80日ぶりに2人の生活が戻ってきた。2月4日に歩くこともできなくなって緊急に入院してから長い長い日々であった。
放射線治療のために転院をしたり、抗がん剤の副作用で笑顔がまったく消えることもあった。その間、私は姉の世話を受けつつ1日おきには病院に通い続けた。それは私のしなければならない務めだった。
今朝、私の肝臓の定期検査のためにK病院でCTを取ってから、長男の運転でF病院に行った。そして妻はいっぱい薬を持って自分の家に帰ってきた。
昨日第2クルーの初回の抗がん剤の点滴を受けたばかりだから、今はいたって元気である。会話も楽しそうにしている。そんな姿を見ると、ひとまず、治療が済んだという感がある。だが、1週間後には外来での治療が待っている。
きっとまた2週間もすると発熱や下痢などが起こって不安定になるだろう。
だが、一緒に暮らせることは感謝しなければならない。ライアンの甘える動作を見たり、ミズキの花が咲く庭を眺めて、これからの新しい生活を始めてほしいものだ。

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2008年4月22日 (火)

神のなさること

乱雑な机上に出しそびれた年賀状が残っていた。私はそこに妻の近況をこう書いていた。「昨年7月に2回目の手術を受けましたが、すっかり元気になりました」。
今日はこれを破り捨てた。
 
ヨブ記にこんな記述があることに気付いた。
33:8 あなたが話すのはわたしの耳に入り/声も言葉もわたしは聞いた。
33:9 「わたしは潔白で、罪を犯していない。わたしは清く、とがめられる理由はない。
33:10 それでも神はわたしに対する不満を見いだし/わたしを敵視される。
33:11 わたしに足枷をはめ/行く道を見張っておられる。」
33:12 ここにあなたの過ちがある、と言おう。神は人間よりも強くいます。
33:13 なぜ、あなたは神と争おうとするのか。神はそのなさることを/いちいち説明されない。
33:14 神は一つのことによって語られ/また、二つのことによって語られるが/人はそれに気がつかない。

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2008年4月21日 (月)

守られて

新しい痛み止めを使用するから今回は外泊はできないと先週金曜日に聞いたのに土曜日、本人から「外泊してもいいって」と電話があった。その朝早く、たくさんの便が出て、体調が好転し、治療方針が変わったというのだ。
東京から子どもが面会に来るというのでその足で病院に直行してもらって無事帰宅した。足には貼付する痛み止めが見えたが、いつも訴えている腹部の不快感はなく、顔にも艶がある。決して多くはないが食事もはかどり、息子や孫たちと二日間を過ごし、夕べ帰って行った。
何よりの薬は家では睡眠が十分にとれることだろう。日曜日の朝は8時過ぎまで静かな寝息を立てて寝ていたのだ。
金曜日、私は妻が自宅で療養するようになった時の介護について思い悩み、神に守ってくださいと祈ったのだったが、土曜の夜、長男からその妻、Rが会社を辞めると言っていると聞かされた。妻のために多くの同僚との出会いを楽しんでいる職場を辞すというのである。経済的にも苦しくなるだろう。私はこの知らせを涙の出る思いで受け取った。
妻の親族からはそうするように頼め、と以前から忠告されていたのだが、私は私たちの様子を見ていれば分かるだろう、判断は子どもたちに任せていると答えていたのだが、こうして自ら申し出てもらって感謝である。
妻には、守られて、これからの家での日々を送ってもらいたい。

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2008年4月17日 (木)

医師との面会

Img_0740  午後8時前から9時過ぎまで主治医と話す。 

 医師から現在の症状として発熱、腰の痛み、脛の痛み、便秘、右下腹部の痛み、食欲不振などがあることが話された。

痛みを取る薬のレベルも少し上げるという。発熱への対処として抗生剤を投与しているとも。

 発熱、右下腹部の痛みの様子を見て次週から第二クルーの抗がん剤治療をする。 

 わたしは幾つかの問いを医師に向けた。そして最後に、効果が見えないで体力の消耗が進むのでは抗がん剤をやめ、痛みを抑えながら家庭の生活を楽しむことも考えねばならないのではないか。しかし、転移を少しでも押さえ、腫瘍を小さくすることを願って行っている今の治療をやめることは希望をなくすことにもなってしまうのでやめることも決断しかねる、と告げると「まだ中断しなければならない段階ではないと判断している。治療をやめると患者は希望を失うこともあるのでホルモン療法や丸山ワクチンなどを使うのも一つの選択肢である」とのことだ。そして結局、体調を整え、できれば来週から第二クルーを始めることとした。

 医師との面会を終えて病室に行くともう消灯時間で部屋は暗くなっていた。長男Tが帰りの挨拶をするためにベッド脇にいくとポットにお湯を入れて来てと、妻が求めたらしい。Tがそれに応じてから、照明も落ち、ひっそりとした廊下をエレベータに向かった。また今夜も独りで眠る妻が哀れだった。

 昨日は午後にも病院に行った。牧師が面会させてくださいというのでわたしもご一緒したのだった。面会者が来ても笑顔で迎える余裕は今の彼女にはない。帰りに牧師が祈りを捧げてくださったことがせめてもの救いだった。
 一昨日会いに来た姪がギリシャから買ってきたというフクロウをもらってきた。フクロウは知恵の象徴だという。

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2008年4月15日 (火)

老いを生きる

かつての同僚の女性から短歌同人誌が送られてきた。表紙をめくってまず目に飛び込んできた歌。
 古希過ぎて病のつぎつぎ襲いくる長生きするも大仕事なり
本誌にはこうした歌が多い。
 口げんかの相手も居なくぽつねんとテレビ見おれば日は長きもの
 土鍋にもご苦労様と声かけて洗いておりぬ夫の逝ける朝
 
いや、多いのではなくわたしの目が拾うのかもしれない。
送ってくださったKさんは
 かわるがわる病に倒れる人あれど障全協四十年も継続は力
と障害者の全国協議会の続いたことに困難を見つつも希望を見出している。
Kさん自身自転車事故で顔面に怪我を負ったとのことだが短歌会の仲間の生き様に力づけられると書いてきた。
 老いを生きることの辛さ、難しさも事実なら、そこでも前を見て生きている人のいることも事実なのだろう。

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2008年4月14日 (月)

介護保険

役場に介護保険について相談に行った。用紙をもらってきたので申請しようと思う。
申請の用紙の中に「介護が必要になった経過・悩まれていることなどを記入してください」という項目がある。そこにこう書き入れた。
「今まで妻が身の回りのことをいっさい引き受けてくれていた。
妻がガンになり、ADLがほとんどできなくなり、わたしは妻の助けを求めることができなくなったばかりか、今度は妻を助ける立場になった。しかし、わたしの身体機能ではそれは不可能のことが多く、二人の生活を援助する介護者が必要になった次第である。」

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2008年4月12日 (土)

妻帰る

土曜日で妻は2回目の外泊となった。薬を何種類も持っての帰宅である。
ソファーに横になっている妻の傍にいるだけで私のこころは落ち着く。昼に出されたものへの不満や湯沸かし器に水が少なくなっていることなどへのぐちなど病人特有の呟きが多い妻ではあるがそのことをおいてもやはり病室で対面している時より時間が濃い思いがする。
来週の火曜日の点滴の具合によっては水曜日に退院して、今度は通院で治療を受けることになるという。
そうすると昼の時間の管理が問題になる。これも不安の種だが、介護保険その他、役場に行って相談してこようと思う。
今日は付き添うだけで自分のことは何もできずにしまった。競馬を見たり、買ったりすることでうまく時間が過ぎて行った。これでよしとしよう。

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2008年4月10日 (木)

我家で句会

雨で女性センターに出かけられないので急きょ我家で句会を催すこととなった。

お二人の方が体調を崩して欠席だったが炬燵に入って和気あいあいの句会となった。
2点句は下記のとおり。
畦道や銀河のごとく犬ふぐり
春風や髪なびかせて登校す
雛飾る思い出話も添えながら
水仙が咲いたよと見舞いする息子かな
内科医の庭にミモザの花咲けり
囀りに目覚めて小窓を開けにけり
春嵐テニスの子らの立ち尽くす
 
Kさんが赤飯と天婦羅を昼食用に持ってきてくださったので先ほど頂いてこれを書いている。

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2008年4月 8日 (火)

今日は雨

雨が昨夜からひどい。泌尿器科の定期健診の日なのだがこれでは行けない。もちろん妻の所にも行けない。本を読んで過ごそう。
昨夜は雨でテニスも休みだったが長男は帰宅後病院に向かった。特に変わった様子もないとのことだが相変わらず便秘に苦しんでいるという。抗がん剤のためか、あるいは腸の具合がよくないのか。食事が進まないのだから便も出ないだろうがこの苦しみに耐える妻が哀れである。
体力を減らし苦しむ今の治療を続けることがいいのかどうかも考えねばならない。
  
こうりゅう広場の記事がこうして妻の病気のことのみになって恐縮である。だが真実にこの事態を伝えることが公の奉仕にもなると考えてしばらくは書き続けることにしたい。
  
朝日新聞では「患者を生きる」と題して現代の病のがんを多方面から話題にしている。最近は地域の緩和ケアが話題だ。地域に戻って医師や看護師、薬剤師、地域サポートセンターなどの支援を受けつつ喜びを持って生きられたらどんなにいいだろう。わたしの住むこの町にはどんな資源があるのかも調べてみないといけない。

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2008年4月 6日 (日)

ひと時の家庭

今しがた病院に帰っていった。車に乗る前に庭の色づき始めた枝垂かいどうや桃の花に触れて。
朝はベッドに居るうちに二人で共に朝を迎えられたことに感謝して祈りを捧げた。ベッドにいても話をする気力もなく、昼間炬燵にいてもお腹の張りばかりを気にして留守中のことに関心を示すこともなかった。
食が進まないことがもっとも困ることだ。そのゆえに元気も出ない。ほほがすっかりこけ、体重は9キロ減という。
とはいえ、こうして一晩家で過ごせたことはうれしかったことだろう。もっと体力も回復し、元気になって家の生活を楽しむことができるようになることを切に祈る。

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2008年4月 5日 (土)

いる人がいる

妻が一日の外泊を許されて帰ってきた。自動車からおぼつかない足で階段を上って玄関に姿を見せたときには特別の人が登場したようにわたしには見えた。
今までごく当たり前にやっていたことをすぐに始めたのだがその一つ一つの行為がなぜか今日は新鮮に映る。お茶を飲み、菓子の袋を開け、伊予柑をむく。テーブルの上の片づけを始める。息子が気を利かせて居間の中まで連れてきたライアン(犬)が忘れずにジャレついたこともうれしそうだった。どれもこの二ヶ月しなかった、できなかった行為であった。
まだ食欲がないらしくラーメンをほんの少し食べただけだが、そのうちにやって来た仙台の大学で教鞭をとっているわたしの高校の友人とも話し始めた。東京から三男も駆けつけた。
こうしてひとしきり痩せた体で、細い声でふるまっていたが、友人や息子が帰るとベッドに入った。今見に行くと寝息が聞こえる。少しの間だが家のよさをゆっくり味わったらいい。
  
友も来年の3月には職を辞するという。わたしたちを気遣ってよくぞ今日は来てくださった。ありがとう。

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2008年4月 3日 (木)

朋有り遠方より来る

かつての同僚Sさんが川越市からおいでくださった。着くと早々にお勝手に立って手際よくラーメンを作ってくださり、一緒に昼食をとった。そして病院に向かった。
途中姉の所に寄る。いつも病院に同道してくれていることを話しているのでSさんは姉にもお土産を持参くださったのだ。
病院では妻に親しく話しかけてくださった。在職中からの長いお付き合いがあるので私たちは一年ぶりの再会にもそれだけの時間を感じていないのである。
先日治療した歯の具合がよくないのでわたしは面会の後歯科に向かったのだった。Sさんとは時間の関係上、そこでお別れすることになった。
まれにしか来ない電車をどれだけ待ったことだろう。小さな駅からSさんは帰っていかれた。
Sさん、ありがとうございました。

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2008年4月 2日 (水)

誕生日

71歳の誕生日を迎えた。無事にこうしておられることに感慨ひとしお。
2時からリハビリが入ることを予想して1時に病院に行った。今日がもっとも明るく、元気だったかもしれない。気概が感じられ、明るさが漂っていたのである。
1日の点滴で1クルーが終了したから8日まで様子を見て、問題なかったら2クルーが始まる15日まで帰宅できそうだとのこと。
よいことを聞くことのできた誕生日になった。
病院に行ってくると一仕事終えたようで体に満足感が広がる。あとは自由に過ごせばいいのだ。

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2008年4月 1日 (火)

春の嵐

外は風が強い。ライアンは風が嫌いだ。ハルちゃんに頼んで家に入れてもらった。
ハルちゃんもこの風邪では自転車で友達の家に行くのは危険なので先ほど送って行ったところだ(ハルちゃんは今日だけはテニスがお休み)。帰りに寺の境内に車ごと入って満開の桜を仰いできた。最近病院通いばかりで自然を見る余裕がなかったことに広い風景を見て気付いた次第。

家の中は温かである。インターネットで入念に調べて車椅子を注文した。6割強の値引きだから正価で買うのはばからしい。これからは出先で車イスを使うことが多くなる。妻が同伴する時は家で使っているものをその都度持っていけばいいのだが、今後は一人で出なければならないだろうから一台を自動車に積んだままにしたいのである。
妻の姉から衣類やら和菓子が届いた。これを仕分けして病院に持っていく準備も終えた。
そして先ほど昼飯を済ませたところだ。主夫は何かと忙しい。

ハルちゃんが小学生テニス大会(県予選)でダブルス優勝、シングルス三位の成績を先日挙げたことも記しておこう。関東大会がどこで行われるのかは聞いてない。

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