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2008年3月 5日 (水)

こころみに会わせず

 今回は「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」について塚本虎二著「主の祈りの研究」から学びたい。
 氏は「第六の祈りは、自分の無力を知った子が父の保護を願う祈りである」という。
 ではここでいう「こころみ」とは何であろうか。「原語のパイラスモスは英訳ではtemptationの一語で訳されているが、わが協会口語訳では試み、誘惑、試錬等の語を以て訳されている。パイラスモスには普通二つの意味があるとされる。第一は「誘惑」で、恵に誘い惑わしてこれに導き陥れることを言い、悪意の目的で人の前に躓の石を置き、あるいは特別の苦痛または快楽を以てその人を虜にしまうとすることを言う。(略)。第二は「試錬」、英語のtrialであって、人を試験し、修業、錬磨せしめる善意の目的で、歩行困難な険路に立たせることを言う」。
 こうして「こころみ」が「誘惑」、「試錬」の両方の意味を持つことが分かったのだが塚本氏は「罪の刺がいかに恐ろしいものであるか、悪魔の術策がいかに巧妙であるかを知り、また、自分がいかに弱く、いかに力なき者であるかを知る者にとっては、誘惑と試錬との区別はない」という。そして「私たらを不信と罪とにさらす危険をはらむ凡ての事件、立場、環境が、ことごとく恐ろしい誘惑である。だから私たちは父なる神に、すべてこんな危険に会わせ給うな、と祈るのである」と説く。少しの成功で自らを誇り、妻の三度の癌罹患にさらされている私にはこの言葉は時を得ている。私は今、「絶対的無力」を告白して以下の祈りを己の祈りとして主の憐れみを乞いたい。
 「『神様、私たちは弱くあります。無力であります。じきに悪魔の誘惑に敗れてしまいます。だから、もし御心ならば、どうか平坦な道を歩かせてください。あなたの愛を疑い、罪を犯すような危険に会わせないでください』と祈るのである。父なる神に対する祈りであるから、子供らしい願でなければならない。深い信頼の発表でなければならない。すなわち自分の絶対的無力の自覚を前提とする。日毎のパンを求め、過ちの赦しを乞うのと同じ子供心を以てする祈りでなければならない。」

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