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2008年1月13日 (日)

日毎の糧

 塚本虎二著「主の祈りの研究」(伊藤節書房 昭和38年)を読んでいる。

 「主の祈り」の「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」を解いて著者は以下の説明をしている。合点がいくのでここに引用して紹介する。

 「毎日毎日その日の分だけを祈り求める点にこの祈りの特徴がある。『明日のことを心配するな』と全く同じ趣旨、父なる神に対する絶対信頼の当然の結果である。」(p.64)

 「かってある人がシモン・ベン・ヨカイというラビに、なぜ神は一年に一度マナを降らせずに、毎日降らせ給うたか、と問うた。ラビが答えた、『これを何にたとえようか。ある王に一人の王子があった。王は一年に一度王子に生活の資料を与えることにした。しかし一年にただ一度だけ王子の顔を見るのでは我慢ができないので、とうとう日ごとに与えることにした。すると王は毎日王子の顔を見ることができたので喜んだ。』神は私たちが毎日パンを求めて彼の前に出ることを求められるのである。その日暮らしは神の愛の必要であり、また私たちの信頼の要求である。神は私たちが明日のことを心配するのを、彼への不信頼として憎み給う。従ってこの第四の祈りは、パンがなくなった時にあわてて祈るのではない。それは異教徒の祈りである。パンがあってもなくても、毎日毎日祈らねばならぬ祈りである。」(p.65)

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