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2007年11月

2007年11月30日 (金)

教職大学院開設に当たって

「教職大学院」なるものが来年度からスタートするそうである。新聞によれば学校運営の中心となっていく中堅教員や、実践的な指導力を備えた新人教員の養成をめざすという。

現場を離れて10年になるし、広く教育界の現状を知るわけでもないのであまり批判めいたことは言えないが、印象から物申せば、教員養成がテクニーク中心主義に走っているように思えてならない。

一体「プロの指導者」なるものが教育という営みの中に存在するものだろうか。教育は人と人の豊かな関係の中に成立するものだ。昨今の学校現場での問題、例えば暴力事件、学級崩壊、「思考力の低下」等々は指導力の不足から生起するというより学校に豊かな人間関係が欠けていることによると考えたほうがいいのではないか。

「教職大学院」がスタートすることが決ったというなら、せめてそのカリキュラムに開発的カウンセリングを含めてほしいものである。

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2007年11月29日 (木)

校長室で

今回の講演会では校長先生も会場に終始おられ私の話を全部聴いてくださった。講演が終わって校長室に帰ってお茶をいただいているとき先生はふと「学校に先生のような車イスの先生がいるといいんですけどね」とおっしゃった。そして「実際にいるとその方から教えられることが多いでしょうね」と続けた。
今まで幾つもの学校を訪ねたがこんな反応をいただいたことはなかっただけに私はうれしくなった。
先生によると小学校の教員採用試験には器械体操の実技試験が何年か前に付け加えられたそうだ。これが加わった理由は児童の体力の向上に教師が努めるということだったが、この表向きの理由のために障害を持つ人は採用試験を受けられなくなったと先生は言う。「大勢の先生の中に器械体操の指導ができない人がいても全然問題ないんですけどね。」こうも先生はおっしゃった。
私は今日の話を先生に十分聞いていただいたことを納得し、温かい紅茶をゆっくりとすすった。

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2007年11月28日 (水)

たくちゃんとお母さん

中学一年生200人に標題で語ってきた。事前に聞く評価は好ましいとはいえない学校だったが生徒は50分の間静かに耳を傾けてくれた。
たくちゃんは筋萎縮症の病気を持っていたが、サッカーを生きがいとして毎日を懸命に生きた生徒だった。病気の性質上多くの人の世話を受けつつ日々をまじめに歩んだのだった。
その世話をする人には友達もいたし学校の先生もいた。中でもお母さんの世話は大きかった。
そう紹介をしてから、私は世話をすることによって世話をする人自身がよりその人らしく大きくなっていくんだよ、と生徒に語った。また、世話を受ける人がいることが世話をする人される人の関係を作りだすのだとも言った。
お母さんがたくちゃんが亡くなったときたくちゃんに「ありがとう」とお礼の言葉を言ったのもお母さんはたくちゃんにたくさんのものをいただいたからだと思うからだ。
皆も困っている人を支えてほしい、そうすれば自分が豊かな自分になる、それはまた自分自身の悩みや苦しみを引き受けて生活することによって自分を自分らしくすることにもつながる、そう語りかけて話を終えた。

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2007年11月27日 (火)

妻の旅立ち

お昼用のにぎりめしをインスタント味噌汁と一緒にテーブルに置いて妻は旅に出た。7時過ぎだったので今頃は空港に着いて搭乗準備をしているかもしれない。
姪は両親と早く別れたので妻とその姉に世話を受けながら成長した。いつか2人に恩返しの印に旅行をプレゼントしたいと願っていたらしいのだが、今回それが実現したというわけである。
世界旅行で多くのお客さんと接している姪は仕事柄フライト回数も多くなり、今回はそこで得た無料の航空券で九州まで飛ぶ。宿はかなり高級なところを選んだらしく、室内に温泉も付いているとのことである。先日、妻と姉は姪に宿代を全部おんぶすることはできないね、などと電話で話していた。
3日間の旅をおしゃべりの好きな女同士、十分楽しんだらいい。
帰ってきたら体験談を矢継ぎ早に聞かされることだろう。

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2007年11月25日 (日)

礼拝司会者の祈り

 恵に富みたもう主なる神様。
 あなたは今朝もこうして私たちを教会に招いてくださいました。ありがとうございます。
 今から、私たちはこの体と心をあなたに向け、上を向いてあなたを賛美し、あなたの御心を求めて礼拝を捧げます。
 あなたに大きな御手で触れていただきたいと願う私たちを受け入れてください。
 どうぞここにあなたが聖霊をもって臨んでくださいますように。
 私たちは一昨日本庄教会バザーを開催しました。私たちの力は弱く、業は十分ではありませんが、しかし、私たちは祈りをもってバザーを始め、またあなたへの感謝を捧げてバザーを終わりました。
 どうぞこの業があなたに祝されますように。そして、本庄というこの地にあるあなたの家が人々に知られ、あなたの喜びのメッセージを取り次ぐ場所として用いられますように。
 どうぞ私たちの持つもの、行うことすべてがあなたからの頂き物であることを覚えいつも己を誇らず、あなたに栄光を帰することができますように。
 最後にここに共に集うことがかなわない兄弟姉妹のことを覚えて祈ります。体や心に痛みを負い、不安の中にいる友に安らぎをお与えください。一人で過ごす人に友を与えてください。私たちをその友の一人に取り上げてください。いろいろな差しさわりで今日の礼拝に来られない人をどうぞ神様が訪ねてくださいますように。
 あなたの御心を取り次ぐ先生を力づけ、聖霊で満たしてください。

 これらの感謝、祈り、願いをわたしたちの主イエス・キリストのお名前によって御前に捧げます。 アーメン

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2007年11月24日 (土)

ロバのようにゆっくりと

「練馬二丁目伝道所だより」が届いた。創設8周年を迎える喜びの記事に満ちた会報である。
この伝道所は豊島岡教会で青年時代から一緒に信仰生活をした谷内爽兄が自宅を開放して開いた小さな主の家である。ところが牧師の資格をいただいて御言葉のとりつぎをはじめて間もなく、兄は主に召されたのだった。
しかし誉むべきかな、主はこの家を守られ、今は新たな牧会者の下に福音伝道が続けられているのだ。
驚いたことに一昨日召されたH・H姉の記事がこの便りに載っていた。姉は谷内爽牧師夫人のお姉さんであられる。その記事をここに紹介させていただく。
 

 ロバのようにゆっくりと

 二丁目伝道所は小さいですが、手づくりの良さがあります。大きな教会に比べて、少なく弱い群れですが、他人の弱さを支え合う二丁目ならではの結び合いの強さがあります。

 問題があれば、一緒に考え、励まし、険しい道であっても自分の信仰と執えて「高い山に登れ」のイザヤ書の言葉に励まされて、この先はどのように開けるのか、行く先をいつも神様にゆだね、その姿勢が人に伝わっているのだと思います。小さくても明るく濃い信仰に溢れているからでしょう。心身が弱っていても、笑顔が出せなくても、二丁目に行けば安らぎが与えられます。それはいつも明るい下里先生をはじめとして、人を思いやる暖かさに満ちているからでしょう。それはかって、創立者谷内爽牧師を天に送り、「主が与え主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(ヨブ記1:21)の強い信仰があってのこと。

 平和をもたらすメシアは、戦馬ではなく、ロバに乗って来られるそうです。二丁目の歩みもロバのようにゆっくりでも、誰もが気安く立ち寄れ、お茶を自由に飲み、話し合える主の僕の場で、神様のご計画を賛美申し上げます。これからは、時々私も参加させていただきたいと願っております。

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2007年11月23日 (金)

バザー終わる

祈りに始まって祈りに終わるバザーが無事終了した。寒い風の吹く日だったが光には暖かさがあり、教会の中はお客さんたちがにぎやかに談笑していた。
熱心に準備をしたのだがいつものバザーに比べるとお客さんの数も少なく、収入も少なかった。だが会員は終わって祝されたことを感じ、感謝しながら散会した。
1時30分終了でも片づけをすると家路につくのは4時近くなり、もう冬の日が傾いていた。
  
帰宅すると以前属していた教会の姉妹H・Hさんが昨日天に召されたとの連絡が入っていた。歳を重ねても少女のような率直さを持ったすてきな女性だった。
  
今日は7年前島崎光正さんが天に帰られた日でもある。島崎さんの心は障害を持つキリスト者の団体ばかりでなく多くの人々の上に留まっている。
H・Hさんもきっといつまでも教会の友に覚えられるだろう。

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2007年11月22日 (木)

冬が来た

群馬県北部にも雪が降ったという。それどころか東京・六本木でも昨夜みぞれが舞ったそうだ。今年はもう冬が身近にやってきているのだ。
先日来妻が風邪気味でお腹をこわしていたが、今朝は孫もママも風邪で寝込んでしまった。明日は教会バザーなので今朝少しばかりその準備に行ったが午後は失礼して明日に備えている。
大昔の教え子からメールが届き、冬は嫌いだと書いてきた。足が冷え、着込むから動きにくくなるというのである。確かにその通りである。トイレの回数が増えるのも困る。
人間様ばかりでなく愛犬ライアンも寒くなると家に入れろと鳴いて催促する。
なんとか皆早くよくなってテニスにサッカーに興じてほしいものだ。

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2007年11月20日 (火)

ホームページ更新

ADSLから光通信に変更の勧誘が何度もあるので、この際思いきって替えようと決断し昨日からniftyと何度も電話で相談をしてきた。
やっとこれも決着がついたのでしばらくぶりに「こころの便り」を更新した。今度アップしたものは私と車のかかわりである。車なくしてはわたしの生活は成り立たなかったと小文を書いてみて再認識している。
ご覧いただけたら幸いである。
http://homepage3.nifty.com/bridge2/346.html

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2007年11月19日 (月)

のばせることは先延ばし

妻が血液検査のために病院に行った。一人残ったわたしはのんびりとパソコンで遊ぼうとの算段だったのだが、期待に反していろいろなことに対応を迫られることになった。
電話が鳴った。トイレから急ぎ出て取ると、姪がスカーフの贈り物をしたいがどんな色がいいでしょう、普段おばさんは何色の上着やスカートをはいていますかと問う。さて、と困った。注意してみていないのだ。
電話を置くと、今度は玄関のチャイムが鳴った。ヤクルトのおばちゃんが来たのだ。これも妻がいないと何を買ったらいいのかわからない。また来て下さいとお帰りいただいた。
また電話である。今度は教会の姉妹からバザーの準備に関しての問い合わせだった。これも食堂のことでわたしにはわからない。
あれこれしていると、妻から気分が悪いから迎えに来てほしいとの連絡である。ストーブを消し、靴を履き替えて玄関に出た。するとゆっくりとドアが開いた。近くの町に住む姉が柿、白菜、大根などをどっさりと持ってきてくれたのだった。訳を話すと姉はじゃわたしが迎えに行ってやるよ、と言う。姉の住む町なので道はよく知っている。
1時間ほどして2人は無事帰り着いた。姉は夫の昼の用意があるといってお茶を1杯飲んで帰っていった。「わるかったね。ありがとう」というわたしのお礼に「いいんだよ、なにもしてないんだから」と笑顔で応えながら。
午前中はこんなことで何をするでもなく終わった。わたしは昨年しばらくぶりで会った大学時代の女友達がわたしの本を見て、「よくやっているね。わたしなど明日にのばしていいことは今日はやらない主義だから毎日がのんびり楽しいわよ」と言ったのを思い出した。

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2007年11月18日 (日)

お疲れさま!

妻の加わっているコーラスグループが合唱際に参加するので9時半には一人お年寄りを乗せて文化会館に着いた。
少し早すぎるがそのまま教会に向かう。そして温かすぎるほどの会堂で恵まれたメッセージをいただく。
午後、23日に行われるバザーの準備に当たった。人数が少なく、忙しい作業だったが3時過ぎにはなんとか会場が整った。教会バザーが地域に福音を伝えるにどれほどの意味があるのかいつも疑問に思うのだが、取りやめるより実施したほうがいいだろうと自分に言い聞かせている。
急ぎ帰り、G1のマイルズカップを見る。また外れである。
そのうち長男から電話が入り、ハルちゃんが群馬県のテニス大会で優勝したとのこと。64人もの参加者があった大会での優勝ははじめてである。本人はもちろん長男の喜びは大きいことだろう。
孫たちはこれからサッカーのJ2の試合を見に行くそうだ。また夕食は妻と2人だけだ。
大河ドラマを見ながらゆっくり皆が帰るのを待とう。
皆、今日は一日お疲れさま。

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2007年11月15日 (木)

地区集会

秋の日が入る温かな部屋で本庄教会の地区集会が我家で持たれた。Mさん宅と交互の開催なので二ヶ月に一度の集会である。前回から民数記を読むことになったが1章はMさん宅で終わっているので第2章が今朝の聖書箇所だ。
出エジプトをしたイスラエルの民がその翌年民の数を数えることから荒野の旅を続ける物語である。ヤコブの部族がそれぞれに数えられていたが、やがてそのうちのユダ族とベニヤミン続だけになっていくという。そしてユダ族からイエスが生まれ、ベニヤミン続からはパウロが主のご用に当たる。
一人では決して読み続けられない民数記を牧師の導きでこれから何ヶ月かをかけて読み進めることになる。どうか主の導きのもと、健康を許されて継続できるように祈る。

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2007年11月14日 (水)

編集後記に代えて

このブログに綴った毎日の記録は印刷物として残すことができる。niftyがそのようなサービスを利用者に提供しているからである。
わたしは過去に3度これを利用したから、書棚には3冊の本がちんまりと座を占めている。やがてわたしがパソコンの前から姿を消すときが来ても、この本たちは子どもたちの手元で生きつづけ、折に触れて小さな声を彼らに送ってくれるだろう。
前回本を作ったのは2007年1月だったからパソコンには新たにたくさんの記録が溜まってしまった。あまり大部になると費用もかさむからここで4冊目の本を出すことにしよう。
  
今日は小春日和のよい日であった。午前中は祈りの会に参加し、午後はソファーに横たわって日に当たりながら「カラマーゾフの兄弟」を読んだ。
無事に毎日が守られていることに感謝しながらこれを「編集後記」とする。

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2007年11月12日 (月)

病院の一日

肝臓の定期検査に病院に行く。9時半ごろ受付をしたのだが診察が終わり会計を済ませたのは12時を過ぎていた。妻が別の病院にかかったので一人での行動だった。駐車場がいっぱいで奥のスペースに停めさせられ院内に行くにも大変だった。
だが検査の結果はまったく問題はなく安心させられるものだった。血小板が14万に戻っているのにも驚いた。今C型肝炎訴訟が新聞をにぎわしているが早い治療をすればこうしてヴィールスが消え、肝硬変になっていても肝癌の恐れもなくなることを思うと製薬会社や行政はもっと早い時期に誠実に対応すべきであったとつくづく思う。
病院に向かうとき、正面には雪を載せた浅間山が優しい姿を見せていた。もう冬がやってきているのだ。

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2007年11月11日 (日)

「障害者」週間の祈り

日本キリスト教協議会・「障害者」と教会問題委員会は11月11日から17日を「障害者」週間として設けている。障害を持つ人が教会に与えられていることを信仰的に受け取り、そこから教会を主の御名にふさわしいところとしてよみがえらせようという意味もこの週間にはこめられていると考えてもいいだろう。
NCCではこの週間を意味あるものにするべくポスターと祈りの文を各教会に送っている。その祈りの1つを掲げる。
  
 天の神さま、すべての人は、あなたの愛によって生き、存在しています。どうかすべての人が、さまざまな困難のうちにあっても、自分を大切にし、互いに尊重し合って生きることができるようにしてください。
 
ことに重い病を負う人、心や体にさまざまな「障害」を負う人が、イエス・キリストの愛と平和によって、真の希望をもって生きることができるようにお導きください。
 すべての人が偏見や差別する関係から解き放たれて、命と存在を尊び、互いの人権を真に尊重し合ってともに生活できる平和の世界の実現のために、わたしたちを遣わしてください。救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン

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2007年11月 9日 (金)

インフルエンザ予防接種

医院はそう遠くではないのだが今までは車で行っていた。だが今朝は車イスで行くことにした。車イスで行けば靴にカバーをつける必要もないし、椅子に座ったり立ったりしなくてもいい。
よく晴れた秋の朝は気持ちがいい。国道はたくさんのトラックが往来しているが妻の押す車椅子に座ってゆっくり景色を眺めながら進んだ。みかんが色付いてたくさんなっている家、柿が光って母屋を隠している農家を通り越し、ファーストフードの店の裏を曲がって医院に着いた。
小さな医院でいっぱいの患者だったがたちまちのうちにいなくなってすぐに順が回ってきた。二人一緒に診察室に入り、接種を受け、また帰りの道についた。
今度はいつもと違う道を遠回りして家々を眺めながら帰ってきた。車では気付かない工夫が施されたお宅を何軒か見、とげのある緑色の実がなる木などを見つけて立ち止まりながらの小一時間だった。

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2007年11月 8日 (木)

11月例会

かたばみ句会11月例会があった。稲刈が終わり広々として田の上を上越・長野新幹線が光りながら走っていく様子を眺めながらの会だった。
主だった句を掲げよう。
着任の案山子にはやも雀くる
稲刈や畦に広げるにぎり飯
孫のせて初のドライブ秋日和
孫の絵を額に収めて文化の日
名月をじっくり見たしと縁に出る
誘ひ文したゝめ今宵の寝待月 

                                          

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2007年11月 7日 (水)

遺伝子操作と人の自由

テレビのニュースでなんとも不可解な実験を紹介していた。マウスの遺伝子操作を行った結果何時間走っても疲れることを知らないマウスを創り出すことができたというのである。この研究に携わった者は「この結果を人間に応用することはあってはならない」とコメントしたという。

では一体科学者は何のために実験をしているのであろうか。己の興味最優先でいのちをもち遊んでいるとしか言いようがない。恐ろしいのはやがて時間が経つにつれて実験当初の警告は無視されて技術や結果のみが一人歩きをすることである。

今読んでいる「カラマーゾフの兄弟」の中にこんな一節が出て来るのを思い出した。「人間の自由を支配する代わりに、お前はそれを増大させ、人間の魂の王国に、永久に自由という苦しみを背負わされてしまった。」「選択の自由という恐ろしい重荷に打ちひしがれた人間が、ついにはお前の姿もしりぞけ、お前の真実にも異議を唱えるようになるということを。彼らはしまいには、真実はお前の中にはない、とまで叫ぶようになるのだ。」

この「お前」を神様と理解すれば神様が人間を自由に支配する代わりに自由を与えたことによってそれが苦しみになり、ついにはその重荷に耐えかねて神様をも退けてしまうようになるというのであろう。それは自由に見えて実のところ恐ろしい重荷であり混乱と苦しみであるというのである。

マウスの研究をした者も与えられている自由の代償に重荷を背負っていることに気付かねばならないだろう。

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2007年11月 6日 (火)

締め切り近し

インターネット句会の締め切りが近い。いつも駆け込み投句である。
今回の兼題の1つは「うそ寒」。そこで取り急ぎいくつか作ってみた。
 
うそ寒や姉ちゃんもっと居てくれろ
うそ寒や震える筆で文を書く
うそ寒や外れ馬券を買い急ぐ
うそ寒や無為の一日夜になる
 
どれも寒々しいものばかりでより寒くなる。

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2007年11月 4日 (日)

永眠者祈念礼拝

永眠者祈念礼拝をもった。
私たちは主の下に召された多くの信仰の先達を持っている。その方々は今主の下に眠っている。そしてやがて時が来ると生ける者もすでに召された者も裁きの場に出され区別されると聖書にはある。
しかし、主が贖い主になられ全ての罪を負ってくださっている。永遠のいのちを私たちに約束されている。だからもう私たちは「命の書」に名前を記されている。こう今日の説教ではあかされた。
主の恵はかくも大きなものだったのだ。
死を恐れず、信仰の道を歩きたい。

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2007年11月 3日 (土)

友の便り

うれしいことは独り占めにはできない。メールを送ってくださったAさんもきっと許してくださると信じてここに載せることにしたい。

Aさんはもう30年、いやもっと前かもしれないが教育実習でおいでになった方である。だから今でもわたしを先生と呼ぶ。そのAさんに先日わたしはこんなメールを出した。

>Aさん
> いかがお過ごしですか。そちらも寒くなったことでしょう。
> 家内が11月末に湯布院に旅行に行くのですが、寒くないかと心配しています。
> 修学旅行は終わりましたか。生徒と一緒の行動は責任もあって大変ですね。
> 絵を見ていただくのが遅くなりました。お見せするのがはばかられるような作品ですがお送りします。
> 学期末になります。お元気でお過ごしください。

これにお返事をいただいた。

お便りありがとうございます。
メールを見る前に、「こころの便り」を読ませて頂いたところでした。
昨日修学旅行から帰ってきて、今日は休みです。
油絵は、完成したのですね。拝見できて、うれしいです。パソコンに取り込んでおきました。ミレーの「晩鐘」を彷彿とさせる絵ですね。今が秋だからかもしれません。これを書き終わったら、またゆっくり見せて頂きます。
奥様は、湯布院へご旅行とのこと、お元気になって、よかったです。12月でも暖かい日もあり、11月に冷え込むこともあります。
修学旅行はなんとか無事に帰ってきましたが、精神的にむずかしい生徒といっしょだったので、帰り着いてほっとして、涙が出そうでした。
今晩は、ハウステンボスのおいしいチーズケーキを家族と食べようと思います。
では、お体を大切に。

「ミレーの「晩鐘」を彷彿とさせる絵ですね。」とはなんともうれしい言葉である。

妻のことを安堵してくださる心も感謝であるが、修学旅行が無事終わって涙が出そうという心情の吐露も、「さ、ありなん」と共感させられ、私までほろっとした次第である。

ゆっくりケーキをご家族で味わって疲れを取っていただきたい。

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2007年11月 2日 (金)

妻のおかげ

庭の隅に廃材がたくさん溜まってきた。壊れた門扉、テーブル、タイヤを収納する箱などだ。家の中にも布団、スキャナー、コピー機などが玄関に置きっぱなしになっていた。

今朝はこれらをみんな車に積んでH市にあるゴミ処理場にもっていった。もちろん私は車を運転するだけで車に積んだり、先方でおろしたりする役はすべて妻が担った。

車ごと計量機に乗ってからごみをおろす巨大な倉庫のようなところに入る。そこですべてをおろしてもう一度外に出て計量秤に乗る。これで終わりである。

帰宅してみると庭も玄関も広くさっぱりとしていた。運動靴を履いてエプロンをかけた妻の労働のおかげだった。(11月1日)

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2007年11月 1日 (木)

資料探し

地元の中学校から依頼された講演の準備をそろそろしておこうと思って資料を探した。昨年使った金子みすずの詩や少し前小学校の子供達に見せたビデオテープである。最近体の機能が衰えて立ち居振舞いが不便になっているから一度床に座ったら立ち上がるのはきつくなっているので車椅子に乗ったまま書棚の中を探したのだがなかなか出てこない。仕方なし床に座り込んで床を掃除するような格好であちこち移動して探しまくった。

ようやくテレビ台の下から二つとも出てきた。講演の準備や原稿を書くときにいつも思うのだが私は資料の整理・保管がなんともへたである。何とかならないものかと思う。

ただ今回うれしかったのはビデオテープといっしょに塚本虎二著「主の祈りの研究」が出てきたことだ。いつも「主の祈り」を祈るときここに込められている祈りをもっと心の奥から祈りたいと思っていたのでこの本はよい示唆を与えてくれるだろう。

表紙を開くと「昭和41年度教会学校教師の任を終えて本書を教会より頂く。感謝」と記されていた。
文京区大塚にある古い教会の姿がよみがえってきた。

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