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2007年8月20日 (月)

男と女

 マウスの子が雄の関与がなくて、卵子だけから誕生させることができるようになったと朝のラジオが伝えていた。以前からこの生命操作はなされていたのだが成体まで成長する割合を高めたということらしい。

 いったい研究者は何を目的としてこんな研究をするのだろう。これが人間の幸せにつながるとはまったく予想できないことだ。いや、それどころかこの世界に雄(男)と雌(女)が創造され、共に必要としながら生き、与えられた生殖機能によって歴史が作られていくという創造と終末の大原理をはみ出す方向へ人間を向かわせることにならないか。

 マウスの研究にそんなに目くじらを立てなくてもいいというかも知れない。それならそれでもいい。だが、私は以前に読んだ本の指摘が忘れられないのである。

 「男性であること、もしくは女性であることは、もう一方の性との関連において、さらに結婚によって新たな生命を生むという性の融合においてのみ、その最も深い意義が生じる。たとえ愛しあっていても、別々の形に作られた肉体は、やはり愛する者同士が求める魂の完全なる融合のようには、一つにはなり得ない。しかし、性が相補うことにより、性の結合による子供の誕生を通して、人は分離を超越する肉体的手段を得ることになる。…生殖器も連結を表す肉体的なしるしであり、自分たちの子孫をはるかな未来まで指し示しているのだ。(134ページ)」
 「
私が言いたいのは、遺伝子工学と技術に対する懸念の根源にあるのは、尊厳や人間性への挑戦だということだ。(170ページ)」

 「バイオテクノロジーで舗装した道を人道主義的情熱で突き進んでいけば、その道の果てにあるのは人間の満足ではなく、人間の基盤喪失である。…トルストイが「実人生」と呼ぶところのもの‐‐直接的で、鮮明で、大地に根ざした営み‐‐は、完全に操作され、実りのない、孤立したものに置き換えられていく。一言でいえば、それは非人間化である。(176ページ)」
 出典 「生命操作は人を幸せにするのか」 レオン・R・カス著 堤理華訳 日本教文社 平成17年
 

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