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2007年8月22日 (水)

救いの出来事を思い起こすこと

 ナウエンは牧会者の務めとして信者に神の救いの事実を思い起こさせることを挙げている。本書では「導く想起」と言われるものである。

 私はこれを信ずるものが自ら思い起こすことの大切さに置き換えて読んだ。

 なぜ思い起こすことが必要かといえば、「私たちの記憶の多くは、反省に先立ってすでに私たちを導いている。」からである。多くの記憶は力を発揮しているのだ。生活に中の「信頼・愛・受容・赦し・確信・希望などの記憶」、「生活では休眠しているよう」なものであってもそれは尊い。

 ナウエンは「こうした意識的、また無意識的な記憶に向かって、代々の預言者たちは訴えて来たのである。イスラエルの預言者たちは、まず民に思い起こさせることで彼らを導いた。モーセがどのように民を導いたかを聞こう。『主がどのようにあなたをエジプトから導いたかを覚えなければならない……。主の道に歩んで彼をおそれなければならない』 (申命記八・二~一四参照)。『寄留の他国人を苦しめてはならない。あなたがたもかつて寄留の他国人であったことを覚えなさい』(出エジプト記二二・二一、申命記一〇・一九参照)。」と言う。そしてこう続ける。

 「奴隷の悲惨と神の解放の愛とを民に想起させることによって、イスラエルの預言者たちは彼らに前進の刺激を与え、彼らの行動によって記憶を尊ぶよう要求した。神の守りとあわれみの生きた想起者として、預言者たちは、同時代人の重苦しく偏狭な見方を暴露し、かつまた、父祖たちに霊感を与えたまぼろしが、今もなお救いを求め続けるひとたちに、変わらない導きを与えていることを明らかにしたのである。」

 「イエスが、弟子たちに悔改めの必要と御父の愛について語られたことはすべて、彼らがやがて直面する困難に際して、それらのことを思いおこすために語られたのである。」

 以上今日の箇所から私は聖書の語る出来事を思い起こすこと、想起することの恵を教えられたのである。それは救いの過去への感謝だけでなく、いやむしろ未来に向けて与えられる希望の源となるであろう。(引用箇所は「傷ついた癒し人」190頁から191頁)

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