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2007年8月

2007年8月31日 (金)

夕べとなりぬ

朝方は霧雨が降っていたが今は雲が高い。先日来の暑さはどこへやら、すっかり涼しくなってしまった。足首が冷える陽気である。
朝食後新聞に目を通す。小学校の学習指導用要領が変るという記事を読む。学力中心主義を批判されて、生きる力を育てるという名目で総合学習を取り入れた現在の指導要領だが、今度は学力低下を問題視され授業時間の増加に踏み切ったようだ。
早お昼を食べて教会へ行く。キ障協の役員会を教会を借りて開くためである。埼玉県の東端と中央に住む役員がわたしの都合で本庄まで来てくださったのである。4時過ぎまでよい話し合いができて感謝している。
帰宅して孫を駅に送り、妻の買い物に従い、それが終わってパソコンに向かっている。昨日ウインドウ95がまったく起動しなくなってしまったのでダメもとでサポートメールを送ったら返事をいただいた。企業の対応も捨てたものではないと感じた。回復するかどうか分からないが試みてみよう。
今日はこれでお仕舞い。夜は野球中継でも見よう。

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2007年8月29日 (水)

リュウマチ科の名を消さないで

 「リュウマチ友の会」で同じ病気の人のために働いている友から機関紙が送られてきた。この友は「私は、二十代の十年間を家族の介護で寝たきりの生活を送った。夢も希望も失った、心細い十年間だった。ただ、家族の優しさが救いだった。」と書いている。
そして、リュウマチは「今は、新薬が開発され、専門医の先生方も増え、早期発見、早期治療によって不治の病ではなくなった。八十五パーセントの人は完治するといわれている」病となったと紹介する。
 だが、まだリュウマチに苦しんでいる人はたくさんいる。その人たちの間でこんな問題が起こっているというのだ。彼の文から引用する。
 「『リウマチ科』標傍の見直しが行われている。存続の署名活動の協力が役員にあった。リウマチ学会・リウマチ財団・友の会が長い間運動して実現した『リウマチ科』標傍がなくなると、また、『何科』に行ったらいいか迷うリウマチ患者が増えることになる。ようやく勝ち取った灯を消したくないと思っているのは、リウマチ患者、家族だけでなくリウマチに関係する多くの人々の一致した願いと思う。
 昨日も『痛みをこらえている姿を見ているのがつらい、どこか良い先生を紹介してください』と、痛みに耐えている夫を思いやる奥さんから電話があった。」
 診療科目の見直しで「リュウマチ科」という標榜が消えてしまわないようにという願いを私たちも受け止めたい。

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2007年8月28日 (火)

店への道程

2ヵ月半ぶりに床屋にいった。いい店を見つけたからだ。そこは入り口に車を停めると散髪をする椅子まで数歩で行ける。
最近大型スーパーがあちこちにできるようになってから足の弱いものには買い物が不便になった。駐車場は200も300台分あるのだが駐車場に停めてから目的の店まで行くのがなんとも大変なのだ。街の入り口に車を置いてその町の中を歩いて目的の店に行く、そう言ってもさほど大げさではあるまい。
床屋も例外ではない場合が多い。
大型店にはハートビル法かなにかの定めで障害者用の駐車場やトイレ、エレベータなどが設置されるようになって、この面は評価できる。
だが上記の不便さを考えると、もう1つ、必ず入り口に車イスを用意することが義務付けてほしいものである。
今日の床屋は髪をきるだけだから消費税を含めて1000円である。「また来ます」とお礼を言って帰ってきた。

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2007年8月27日 (月)

肩の痛み

寝ていても肩の痛みで目を覚ますことがある。そんな時は体の向きを変え、左手で患部を押すのだが痛みは消えてくれない。
今日は眼科の定期健診があったのでついでに整形外科に寄った。期待はしていなかったのだが、ひどい肩の障害がると困るので検査だけでも受けようと思ったのだ。
レントゲン検査の結果を見て、医師は骨や筋肉に特に目立った問題はないですね、加齢による痛みでしょう、と言った。
なるほどと合点がいった。私は右肩に世話になり続けてきた。階段を上る時、左手は手すりを掴むが、力を込めて足を階段の上に乗せるとき右肩がその役を背負う。運転する時にも片手運転の私がハンドルを回すのは右の手である。左半身にマヒがあると左手は体を支える役を引き受け、実際に多くの活動をするのはもっぱら右の肩や手になる。
ここ一か月ほど湿布薬を貼って痛さに耐えてきたのだが、これからも同じようにして我慢しながら生活していくほかない、私は医師の診断結果を聞いてそう判断した。
だが、医師はもう少し私の肩に対して優しかった。「注射をしてみるのもいいかもしれません」。
私はその言葉に従った。そして長い間世話になってきた右肩に私自身が冷淡だったことに気付いたのだった。

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2007年8月26日 (日)

救いから残された者

ヘブル人への手紙4章が今日のメッセージだった。
6節、7節にこう記されている。「そこで、この安息にあずかるはずの人々がまだ残っていることになり、また、先に福音を告げ知らされた人々が、不従順のためにあずからなかったのですから、 再び、神はある日を「今日」と決めて、かなりの時がたった後、既に引用したとおり、/「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、/心をかたくなにしてはならない」とダビデを通して語られたのです。」
ここは詩篇95を背景にしている。王の圧制からの脱出という出エジプトの愛を受けながらイスラエルはやがてこの世の王を求め、主なる王の言葉に従うことをしなかった。
王は羊飼いに従う羊のような従順を私たちに求める。11節「だから、わたしたちはこの安息にあずかるように努力しようではありませんか。さもないと、同じ不従順の例に倣って堕落する者が出るかもしれません。」
主を信じる人も今日語られる主の言葉を聞くことに真剣でありたい。

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2007年8月24日 (金)

妻と生きる癌日記 その2

タイトルの便りをホームページにアップしました。
http://homepage3.nifty.com/bridge2/342.html

手術後40日余が過ぎました。夕方になると横になることもありますが、朝から元気に仕事に精を出しています。
お祈りと励ましに感謝します。

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2007年8月23日 (木)

今月の投句 11月用

恥じぢらひしごとく咲く蓮葉に隠る
秋風や寝巻きの中を通り抜け
犬散歩帰りし孫に冷麦茶
ごろごろと寝場所変へけり夏の夜
西の窓秋が転がり込んでくる
  
法師蝉悔恨の念増幅す
秋めくやコーヒーカップと哲学書
  
今月のインターネット句会の兼題は「法師蝉」と「秋めく」である。
今日は少し涼しい。居間の畳で読書をしているとつくつく法師の声が折り重なって聞こえる。空を見上げるともう秋が来ていることが分かる。
読んでいるのは哲学書ではなく、「コルヴィラーグの誓い」という、アウシュヴィッツ生還者のユダヤ人作家の小説である。読みにくい本だがユダヤ人弾圧と信仰とのかかわり、過去と現在との関係をテーマにしているらしいので止められず読んでいる。

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2007年8月22日 (水)

救いの出来事を思い起こすこと

 ナウエンは牧会者の務めとして信者に神の救いの事実を思い起こさせることを挙げている。本書では「導く想起」と言われるものである。

 私はこれを信ずるものが自ら思い起こすことの大切さに置き換えて読んだ。

 なぜ思い起こすことが必要かといえば、「私たちの記憶の多くは、反省に先立ってすでに私たちを導いている。」からである。多くの記憶は力を発揮しているのだ。生活に中の「信頼・愛・受容・赦し・確信・希望などの記憶」、「生活では休眠しているよう」なものであってもそれは尊い。

 ナウエンは「こうした意識的、また無意識的な記憶に向かって、代々の預言者たちは訴えて来たのである。イスラエルの預言者たちは、まず民に思い起こさせることで彼らを導いた。モーセがどのように民を導いたかを聞こう。『主がどのようにあなたをエジプトから導いたかを覚えなければならない……。主の道に歩んで彼をおそれなければならない』 (申命記八・二~一四参照)。『寄留の他国人を苦しめてはならない。あなたがたもかつて寄留の他国人であったことを覚えなさい』(出エジプト記二二・二一、申命記一〇・一九参照)。」と言う。そしてこう続ける。

 「奴隷の悲惨と神の解放の愛とを民に想起させることによって、イスラエルの預言者たちは彼らに前進の刺激を与え、彼らの行動によって記憶を尊ぶよう要求した。神の守りとあわれみの生きた想起者として、預言者たちは、同時代人の重苦しく偏狭な見方を暴露し、かつまた、父祖たちに霊感を与えたまぼろしが、今もなお救いを求め続けるひとたちに、変わらない導きを与えていることを明らかにしたのである。」

 「イエスが、弟子たちに悔改めの必要と御父の愛について語られたことはすべて、彼らがやがて直面する困難に際して、それらのことを思いおこすために語られたのである。」

 以上今日の箇所から私は聖書の語る出来事を思い起こすこと、想起することの恵を教えられたのである。それは救いの過去への感謝だけでなく、いやむしろ未来に向けて与えられる希望の源となるであろう。(引用箇所は「傷ついた癒し人」190頁から191頁)

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2007年8月20日 (月)

男と女

 マウスの子が雄の関与がなくて、卵子だけから誕生させることができるようになったと朝のラジオが伝えていた。以前からこの生命操作はなされていたのだが成体まで成長する割合を高めたということらしい。

 いったい研究者は何を目的としてこんな研究をするのだろう。これが人間の幸せにつながるとはまったく予想できないことだ。いや、それどころかこの世界に雄(男)と雌(女)が創造され、共に必要としながら生き、与えられた生殖機能によって歴史が作られていくという創造と終末の大原理をはみ出す方向へ人間を向かわせることにならないか。

 マウスの研究にそんなに目くじらを立てなくてもいいというかも知れない。それならそれでもいい。だが、私は以前に読んだ本の指摘が忘れられないのである。

 「男性であること、もしくは女性であることは、もう一方の性との関連において、さらに結婚によって新たな生命を生むという性の融合においてのみ、その最も深い意義が生じる。たとえ愛しあっていても、別々の形に作られた肉体は、やはり愛する者同士が求める魂の完全なる融合のようには、一つにはなり得ない。しかし、性が相補うことにより、性の結合による子供の誕生を通して、人は分離を超越する肉体的手段を得ることになる。…生殖器も連結を表す肉体的なしるしであり、自分たちの子孫をはるかな未来まで指し示しているのだ。(134ページ)」
 「
私が言いたいのは、遺伝子工学と技術に対する懸念の根源にあるのは、尊厳や人間性への挑戦だということだ。(170ページ)」

 「バイオテクノロジーで舗装した道を人道主義的情熱で突き進んでいけば、その道の果てにあるのは人間の満足ではなく、人間の基盤喪失である。…トルストイが「実人生」と呼ぶところのもの‐‐直接的で、鮮明で、大地に根ざした営み‐‐は、完全に操作され、実りのない、孤立したものに置き換えられていく。一言でいえば、それは非人間化である。(176ページ)」
 出典 「生命操作は人を幸せにするのか」 レオン・R・カス著 堤理華訳 日本教文社 平成17年
 

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2007年8月18日 (土)

避暑地に来たような気がする。40度前後の昨日までの数日がうそのようだ。
今日はしばらくぶりで外に出た。松の木の下にはたくさん松ぼっくりが落ちていた。蝉が地面から出たときに土が盛り上がるように、松ぼっくりが黒くあちこちにあった。このまま秋がやってくるのだろうか。

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2007年8月17日 (金)

苦しみは御業の中に

 「ミニストリーのたたかいは、本当に具体的な問題に直面している人々――病気や悲しみにある人々、肉体的あるいは精神的な障害を持つ人人、貧困と圧迫に苦しむ人々、世俗的あるいは宗教的組織の複雑なからみ合いの中に囚われている人々――が、自らの生活を、この世における神の絶えることのない救いのみ業の一部として理解し経験することができるよう、彼らを助けることである。」(引用書は昨日と同じ、p.157)
  
 ミニストリーとは牧会だが、ここではもっと広義に解釈していい。教会の友との交わりとも言えるし、自分自身へ向かう信仰的態度と捉えてもいいだろう。
 主にある人の交わりはいかなる困難も主の物語の一部であるととらえられるように友を助け、自分自身に言って聞かせることである。昨日も学んだように、「人間の物語」(ヒューマン・ストーリー)を「神の物語」(ディヴィアン・ストーリー)に統合することなのである。
 癌の悲しみと怖れを畑を耕す農夫の物語の視点からとらえなおすことだ。

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2007年8月16日 (木)

神の計画に参加している私たち

 「傷ついた癒し人」-苦悩する現代社会と牧会者ー(H.J.M.ナウエン著、西垣二一、岸本和世訳 日本基督教団出版局)を読み始めた。その中の一部、「生きた想起者」に以下の文が収められている。この世の苦しみとは何か、牧師、ひいては信仰者の務めはなにかを問うよい文なのでだいぶ長い引用になるがここに紹介する。
 なお、想起とは平たく言えば、あることに思いをいたす、思いを寄せることによって自分の事実とするということである。信仰において例えば十字架を想起するとはイエスの苦しみを思い、その事実を自分に引き寄せることに他ならない。

 牧師の大きな使命は、人間の物語と神の物語とを不断に結びつけることである。私たちは語り継ぐべき一つの物語を受け継いでいる。その物語の中では、日々私たちが聞かされている数多くの痛ましい傷は孤立から解放され、神の私たちに対する関係の一部分として示されるのである。

 癒しとは、私たち人間の傷が、神ご自身の苦難に最も密接に結びついている、ということを明らかにすることを意味している。それだから、イエス・キリストの生きた想起となるということは、私たちの小さな苦しみとイエス・キリストにおける神の苦しみの大いなるみ業との結びつき、私たちのささやかな生活と共にいます神の大いなる働きとの結びつき、を明らかにすることを意味している。私たちに痛みをもたらす、忘れられた思い出を、自己中心的な、個人的な、私的な領域から引き上げることによって、イエス・キリストは私たちの痛みを癒し給うのである。彼はそれを全人類の痛みに結びつけられる。そしてその痛みを自らに引き受け、変え給うたのであった。だから、癒すということは、もともと痛みを取り去ることなのではなく、私たちの痛みはより大いなる痛みの一部であること、私たちの悲しみはより大いなる悲しみの一部であること、私たちの経験は「キリストは必ず苦難を受けて、栄光に入るはずではなかったのか」(ルカ二四・二六)と言われたお方の大いなる経験の一部であることを明らかにすることなのである。人間の歩みを苦難のしもべの歩みに結びつけることによって、私たちは歴史を運命の鎖から救い出し、また私たちの時をクロノスからカイロスへと転換させ、行きあたりばったりにまとめられている一連の出来事や事件を、私たちの生活の中に働かれる神のみ業を知る不断の機会として転化することになるのである。(p.155~156)

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2007年8月15日 (水)

終戦記念日

62回目の終戦記念日。今日まではテレビ、新聞は戦争の惨禍を重ねて報道する。戦争にいたる道も丹念に取材して明かしている。
それを見ると、例えば東京大空襲と同じ悲劇が日本だけではなく外国でも起こっていたことがわかる。また、戦場では人間性が失われ、人として行動できなくなることも知る。
戦争は一般市民のレベルで起こるのではないことだけは確かである。国家という大きな力が政治や経済と過った結合を始める時、どうもそのときが危険なようだ。
明日になると、いや今日も町では戦争のことは話題にならない。

右左寝る場所変えて夏の夜
恥じらいて葉隠れに咲く赤き蓮
秋風や寝巻きの中を通り過ぎ
犬散歩帰りし孫に冷麦茶
西の窓秋が転がり込んでくる

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2007年8月14日 (火)

アップデイト

「こころの便り」に「俳句日記」をアップしました。この一年ほどに作った小生の俳句です。あまり自信はありませんがご紹介します。

http://homepage3.nifty.com/bridge2/341.html

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戦争体験

62年前の今日8月14日。この日は日本に爆弾が落とされた最後の日だ。その場所が私の街の周囲の市や町だった。この夜、家族に牽かれたリヤカーに乗って畑に避難した記憶は未だに脳裏にこびりついている。
それを文章にする。

62年前の8月14日深夜、私の村の周囲の空は真っ赤に染まっていた。東の熊谷や深谷、北の伊勢崎、前橋、また西の方角にある高崎などの市や町が米軍の空襲を受けて炎上していたのである。今にもその炎は私たちの村をも襲ってくるようであった。

危険を感じた家族は残された暗い空の方向、南に向かって避難することにした。8歳の私はポリオ後遺症で歩くことができなかった。

近所の人たちが急いで南に向かう中、家族は私をリヤカーに乗せてひいていくことになった。皆不安の中にいたことだろう。走って早く安全な場所にいきたかったに違いない。だが私をおいていくことはできなかったのだ。

どれだけ進んだのか今となっては定かではないが、私はリヤカーから下ろされ、おんぶされて桑畑の中に身を伏せたのだった。

途中、知り合いの老女に出会った。家族が、一緒に逃げようと声をかけたのだが、そのおばあさんは「死ぬなら家で死ぬよ」と言ってついてこなかった記憶がある。

昔は家族が多く、結びつきも強かった。隣近所との触れ合いもあった。

現代のように、核家族化し、強者中心の社会で戦争が起こったら社会的弱者は真っ先に犠牲になるかもしれない。それだけに弱さを持つ者が戦争につながる社会の動きにより敏感でありたいと思う。

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2007年8月12日 (日)

聖日

礼拝に出席。暑さひとしお。病気の姉妹のことが思いやられる。
SAさんとISさんは同じ病院におられる。二人とも腰を痛めて動けないらしい。SAさんは祈りの会の常連だった。誰も来なくても姉妹だけは来られていた。そして祈りはいつも「神様、祈りの会に出席できる体力と気力を与えてくださってありがとうございます」だった。彼女にとっては動けないことは否定すべきことだった。その人がもう一か月以上も動けず、ベッドに寝たままである。NAさんが見舞いにいってもあまり話さないという。それだけショックが大きいのかもしれない。
年を重ねた人たちが弱さを持ったままで安心して信仰を共にする教会でありたい。

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2007年8月10日 (金)

中学生頃のこと

 中学時代の恩師から当時私が先生にあてた手紙を返していただいた。先生が身辺整理をしていたら見つけたのだそうである。中学時代の私は世の常識に欠けるところが多くなんと恥ずかしい手紙を書いたのだろうと反省しているところである。だがこの手紙を書いたのは私なのだから捨てることをせずここに記録として残しておきたいと思う。なお、これは地元の公立高校で入学を断られ、浪人していた2月に書いたものである

 「ぼくを手紙を見てうらやましいと思ったそうですけれど、あんなにのんびりできたのはあのころだけだったのですから毎日ああしているとは思わないでください。ぼくも今は毎日忙しいです。なぜってぼくのほうの試験日が2月の21日だからです。安中の学校へ行こうと思っているんですけれど、なかなか決心がつきません。あの学校の試験科目は英、数、国、作文、口頭試問の5科目なのでまず一安心というところですけれど、英語など文法をずいぶん忘れてしまって弱っているところです。

 毎日アチーブで3、4時間遊んでしまいます。通信教育の方(注 高校に入れなかったので通信教育を受けていた)、とうとう数学がわからなくなってしまいましたし、それに3月いっぱいで一応けりをつけようとしていますから、毎日もう本を読むのも容易ではありません。

 ぼくは本を読むのは昼休みの一時間と5時から6時の2時間ぐらいです。今読んでいるのはサマセット・モームという人の「月と6ペンス」です。あまり面白いとは思われませんけれど、やめることはできません。

 芸術家の生活というものがどうしてあんなに自分の身のことをかまわずにいるのかと不思議に思います。芸術家という人は人間の社会のあらゆることに無関心になってただ自分の求める一つのもののためばかりに生きるものなのでしょうか。芸術家といわれる人がみんな自分の生活というものをかまわなかったかと言えばそうでないことは分かるのです。それではストリックランドの生活は一種の人間の生き方ということだけで良いのですか。あの本の中から何を発見したらいいのでしょう。(略)

 さてぼくはこれから対数計算をしなければなりません。今日も計画通りに行かないと困りますからこの辺で・・・・・。さようなら」

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2007年8月 8日 (水)

人がいない

インターネットの契約変更ができないで困ってしまった。契約時のIDやパスワードを契約した家の者が忘れてしまったからである。
それでも先日までは電話をすると電話口に係りの方が出て、こちらの電話番号や名前を伝えると応対してくれたのだった。それがどうしたことか最近は電話をかけると自動音声が流れ、パソコンのサポート画面に案内されて、ID入力を求められる。もうここから先には行けない。
これはこの会社だけのことではない。パソコン周辺機器が不具合になって援助を求めてもまったく同様である。人が出てこないのだからなんともはがゆい。
会社の経済的効果を挙げるには人件費を極力抑えて、商品のフォローはあらかじめ打ち込んだ画面上の文字に任せ、売り上げを伸ばすことが大事なのだろう。
人がいない時代が来ていることを感ぜざるを得ない最近である。
最初の話に戻せば、昨夜ふとブロードバンド入会希望者のための画面があることに気付いた。ここでは電話受付をしていた。思い切って電話すると「人」が出て契約変更をすることができた。
新たな加入には道が用意されている。これも現在の商法らしい話である。

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2007年8月 7日 (火)

時が経つと見えるもの

俳句雑誌「道」に投稿している俳句を「こころの便り」用に整理してみた。そこで気付いたのだが私の俳句は他人には分からないものが多いということだ。自分でさえ、いったいこの俳句は何を詠みたかったのだろうと疑問に思うものが沢山ある。これではどうしようもない。
感動を伴なわないで、句作のために作っているからだろう。整理の中で多くのものを捨てた。近く「俳句日記」をUPするつもりである。
  
妻の顔にようやく張りが戻ってきたようだ。足もしっかりしてきた気がする。この調子で回復していってほしい。
私の疲労感も薄らいできた。まだ喉が夕方になるといがらっぽくなるがそのうちによくなるだろうと思い、病院にはいかない。

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2007年8月 5日 (日)

聖餐と体

第一聖日。聖餐に与る。パンを受け取って、しばらくわたしは自分の腕を触り、肉の存在を確かめた。この肉が実際に裂かれたのだと思いながら。そしてパンをいただいた。
ぶどうジュースを飲むときにもイエスの肉が裂け、血が滴ったことを偲んだ。
  
今日は教団の定めた平和聖日であった。非暴力の平和主義、これこそイエスの生き方だと先日学んだ。その意味で憲法9条は私たちが守らねばならない。「世界の人々が憲法9条を評価する」ときその尊さを私たちが知らずにいることはできない。
 参考文献「2006ひびき 非暴力による平和への道」(カトリック教会 カリタスジャパン 2006年3月)

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2007年8月 4日 (土)

癌日記

「妻と生きる癌日記」をアップしました。小生も他の方の癌日記に励まされましたので、同じ病気の方にいささかでもお役に立てばとの思いから公表しました。

http://homepage3.nifty.com/bridge2/kokoro.html

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障害を持つ人の場

今朝の新聞の埼玉版には障害を持つ人に関して興味ある二つの記事が載った。
1つは「障害児の進学先自由に」と題した東松山市の教育行政に関係したものである。障害を持つ子どもが就学時に達すると就学指導委員会ないしは就学支援委員会なるものがその子の就学先を判断するのだが、この市では行政は口をはさまず、親に学校の選択をまかせるらしい。
記事によると市では介助員を採用し、子どもの教育活動をサポートしているという。特別支援学校に振り分けずこうして地域の学校が責任を持つと施設改修や介助員費用などに多くの予算が必要なことは明らかだが、しかし、それによって学校や社会が変っていくとしたらその費用は無駄なものではない。
だが、教育が変っているかどうかは疑問である。校長は「授業を理解しているかといえば難しい」と言うし、親は「授業についていけなくても・・・・一緒に生活する中で社会性を身につけさせたい」と話しているという。
先生方にはどうこの生徒の成長を援助できるかを真剣に考えてほしいものだ。障害を持たない生徒も個々違う人間である。一人一人を生かす教育は障害を持つ子に向き合うことから始まり、全ての者に益することへと広がるだろう。

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2007年8月 3日 (金)

浮き人形

今度のインターネット句会の兼題は「浮き人形」。浮き人形とはお風呂に入れて遊ぶ金魚や船のこと。子どもの頃はセルロイドの人形もあった。
風呂に沈めてもすぐに浮かんでくる、ひょっこりと背中のほうから出てくることもあるあの軽さがなんとも面白くて、たらいの風呂でも遊んだものである。
その一方、今のように体が重くなって自由がきかないとあの軽さ、自由さが恋しい。
そんな感情を秘めているからこの兼題はいい句ができそうなのだが、いざ作ろうとするとなかなか思うようにはいかない。
なんとかひねり出したのがこんな句である。
 
動かぬ身浮き人形と唱えをり

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2007年8月 2日 (木)

妻の料理の味が戻らない。朝はパン食だから気にならないのだが、夕食の味付けが手術前と違うのだ。薬を飲んでいるわけではないし、味覚に関係する治療もしていないのにどうしてだろう。
妻はまだ元気がない。夕方になると疲れた表情が顔に出る。簡単でいいんだからと言ってもいつもの癖であれこれとおかずを用意してしまう。生協の品もわざわざ近所に届けてやっている。
疲れが味の戻らない原因だろう。次回の診察は二十日過ぎになる。こんなに遅くていいのかと心配だが、それまで待とう。
ついでに記せば、先日一緒に俳句の会を持っているKさんがおかずをいっぱい作ったから持っていくね、とあらかじめ電話をくださって、コロッケと茄子の揚げ物を沢山届けてくれた。ありがたいことである。

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