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2007年7月

2007年7月31日 (火)

90歳の叔父さん

隣町から来年は90歳になるというj叔父が突然やってきた。腰が大きく左に曲がっていて歩くのもおぼつかない感じがする。自転車で線路沿いに来たのだが私の家が見つからず畑をする人に二度尋ねてたどり着いたのだそうだ。
叔父は大きな包みをお土産に持ってきた。帰ってからあけるとタオルのセットだった。お土産まで持ってこられることもこの叔父らしい。
ほんの少しの間だったが、お茶を二杯飲み、娘の結婚式の写真とまだ私の兄弟がみな健在だった時の写真を見、昔話をして、帰っていかれた。
4キロは十分にある距離を自転車をこいでわざわざやってこられたのはなぜだろうと思わざるを得なかった。昼間は一人で留守番をしている叔父だ。人に会いたいのだろうか。外に出かけたいのだろうか。亡くなった奥さんの身内の者に触れたいのだろうか。
何度もていねいにお礼を言って帰っていく叔父がとてもよい人に思えた。

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2007年7月30日 (月)

本庄一校と自民党敗れる

高校野球の埼玉大会決勝戦が昨日行われた。親しい方の主人が野球部長をしている本庄一校が決勝戦まで勝ちあがり、浦和学院と対戦するというので我が家の若い者たちは応援に行った(もっともハルちゃんのテニスの試合が近くであったのでそのついでということもあったのだが)。
残念ながら6対2で破れた。夜遅く帰ってきた孫たちは興奮冷めやらず、私たちのベッドに来て選手たちの活躍ぶりを大きな声で報告してくれた。
  
昨日は参議院の選挙の日でもあった。こちらは自民党が惨敗し、民主党が参議院第一党の座を占めることとなった。共産党や社民党はまったく相手にされず、三議席、二議席という始末である。
民主党が「国家中心主義」と批判した自民党が破れたのは結構だが、民主党も9条などでは自民党と大差ないわけだから一概に喜ぶわけにはいかない。民主党の政治がすぐに実現するわけではないが、早く実権を握るようになったらいいだろう。そして、今度は民主党の本質が見抜かれて、平和主義を貫く政党が日本の舵取りをしてほしいと願う。

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2007年7月28日 (土)

理解

5年生の孫Hちゃんはテニスに夢中である。いや、Hちゃんというより父親が夢中なのだ。テニススクールに入れて、孫は毎日夕方から電車で行くのだが、帰りは務めを終えた親が迎えに行く。帰宅は10時にもなる。
テニスに費やすお金も大変なものだろうと想像する。服装も整えなくてはならない。また先日は千葉のホテルでの合宿に参加させた。
親はテニス界で一流の選手になることを信じてやらせているようである。
先日妻の手術が終わるのを待つ間、家族控え室で息子が部屋を空けているとき嫁に本当に一流選手になれると思っているのだろうかと尋ねてみた。すると、いいんです。テニスに賭けるのはパパの張り合いですから、と答えてくれた。
普段の生活ではこんなことを話題にすることもないので、これを聞いて、息子はいい奥さんを持っているなとうれしくなった。
田舎に私たちが帰ってくるとき息子が一緒に行くと言ったとき、私は東京暮らしとはだいぶ違うよと彼女に言ったのだが、そのときもタク(息子の名)と一緒ならどこでも私はいいんですと答えていた。理解されて一緒の生活できる息子は幸せものだ。

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2007年7月26日 (木)

生活の単純化

疲れていると生活が単純になるらしい。人生の機微を捉えることを止め、二者択一式に生きるようになるのだ。
日曜日夜にはNHKラジオで「ラジオ文学館」なるものを放送しているがそれも聴かず、ましてFEBCのキリスト教番組も聴かず、スポーツの結果を追ってしまう。日曜日午後の「心の時代」も最近はご無沙汰している。
朝も大リーグ中継をよく見るようになった。夕方は相撲があるときはまたそれを見る。昨夜は12時過ぎまでサッカーのアジアカップを見た。
土日は競馬中継がある。馬の名前もろくに知らないが、あちこちの予想を頼りに賭けてみるとそれなりに当たる。パソコンで遊んでいないでゆっくりと読書をすればいいのに、それをしない。
疲れていると言いながらこうして疲れる生活を作っているのだ。

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2007年7月24日 (火)

更新しました

諸事情でなかなか更新できなかった「こころの便り」を更新しました。
ご覧ください。
http://homepage3.nifty.com/bridge2/kokoro.html

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今日の一日

昨日のことを記す。
 
午前は肝臓の定期検査へ。同時にこの一か月ほど胸がうっとうしいのでレントゲン検査をしてもらう。画像には異常は見られず、胸の筋肉の疲れかも知れず、湿布薬をもらう。
 
午後妻の手術後初めての診察。肺はよくふくらんでいるとのこと。抜糸を行う。手術跡が前回よりかなり小さい。胸腔鏡を使用して手術を行ったとのことだ。
  
帰宅は午後4時、疲労激し。
  
東中国キ障共から機関紙をいただく。H兄から「共助」届く。高校の友から同窓会の知らせあり。弟の連れ合いから妻に幾つかの衣類のプレゼント。
みなみな、感謝。

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2007年7月22日 (日)

礼拝の祈り

 主なる神様。

 あなたの恵みに感謝いたします。私たちはあなたの恵と導きによって今朝もまたこうしてあなたの家に招かれました。

 そして今から、私たちは心を一つにしてあなたを賛美し、あなたの御心に触れ、祝福をいただこうとしています。

 神様、この一週間、私たちは様々な出来事に出会って参りました。

 新潟では大きな地震が発生しました。突然命を絶たれた方、持てるものを多く失った方が大勢おられます。

 日常の生活を無くし、不自由な中に置かれ、今苦しみの中で生活しておられる方も沢山おられます。

 また、私たちの近くにも体に病を負い、病院で痛みに耐え、不安を抱いて日々を過ごしている姉妹もおられます。

 神様、あなたは主イエスをこの世にお下しになり、苦しみの十字架に架けられました。

 私たちはすぐる聖日、苦しみに与った主イエスが私たちの苦しみを背負う方であること、私たちはそこから慰めをいただけることを教えられました。

 神様、どうぞ、今こそ私どもに与えられている苦しみのなかに、あなたが臨んでくださり、あなたにある慰めと信仰を一人一人に与えてくださいますように祈ります。

 今日の礼拝に来られない人を神様、あなたが訪ねてください。

 あなたの御心を取り次ぐ先生を力づけ、聖霊で満たしてください。

 これらの祈り、十字架に付き痛みを知っておられる、わたしたちの主イエス・キリストのお名前によって御前に捧げます。 アーメン

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2007年7月20日 (金)

今月の投句

囀りや木々の緑を渡りけり
  
夏場所や常連女将来てをりぬ
  
心太姉ちゃんたちに仲間入り
  
根無し草妻の癌はいつ来る

百日紅咲いて妻は退院す

  

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2007年7月19日 (木)

妻、帰る

梅雨空や雨戸を開けて妻待ちぬ
  
百日紅咲いて妻は退院す
  
11時30分無事家に帰る。睡魔が襲う。
神と全ての人に感謝。

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2007年7月18日 (水)

緊張の中に

妻がいないと気を抜くことができない。誰が訪ねてくるかもしれないし、突然何が起こるかもしれないのだ。だから例えばチャイムが鳴ったときすぐに玄関に出られるようにいつも車椅子に乗っている。
先日は書き留めでお見舞いが届いたし、昨日は近くの方がゆでたとうもろこしを沢山持ってきてくださった。かつての「教え子」の親から新潟のお蕎麦もいただいた。妻が一生懸命になっている生活協同組合の関係の方も時々来られる。
  
こうした毎日だが慰められることも多い。
妻がいない寝室はベッドが空いている。ヒカちゃんはやわらかいベッドが大好きである。先日風呂に入っているとヒカちゃんが覗きに来て、「じいちゃん、今日ばあちゃんのベッドで寝ていい?」と聞きに来た。「いいよ。じいちゃんがいろいろ載せているから片付けたら来てね。でも光はベッドから落ちないかな。落ちてもじいちゃんは上げてあげられないよ」。「だいじょうぶだよ。そのまま寝てるから。」
ベッドで待っていると、ヒカちゃんがややって来た。そして「夜中に帰るかも知れないよ」と言ってしばらくはベッドで遊んでいたが、そのうち、「やっぱり、ママと寝る」と二階に行ってしまった。2年生はまだママがいいのだろう。
  
一昨日は娘が新婚の夫と見舞いに来た。「お見舞い」と書いた袋を夫に渡し、彼が私に差し出した。娘もそれなりの礼儀をわきまえている。私は二人を連れて病院に行った。車椅子を積んでいって病院内を移動した。彼は大きな体だが車イスを押すやり方はとてもソフトでていねいなものだった。
病院から帰り一緒に夕食をしている時、遅れて見舞いに来た東京の息子とその子どもがやって来た。長男の妻は慌ててご飯を炊き足し、しゃぶしゃぶ用の肉を買出しに行った。そしてキャンプに出かけるほどの肉を下げて帰ってきた。
大きな男が4人もそろい、9人の夕食であった。いつものテーブルではおさまりきれず、長男は二階から補助のちゃぶ台を出した。
それにしても若い者はよく食べる。皆自分でお替りをよそって何杯もご飯を食べ、次々に肉が入る鍋には灰汁が湧いて踊っていた。
  
こうして支えられてもう14日が過ぎようとしている。

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2007年7月16日 (月)

一緒に過ごす

夜中に目を覚ますことは普段はめったにない。トイレに起きるぐらいである。でも妻が入院してから二、三回は起きるようになった。
昨夜も3時ごろ目が覚めた。すぐに寝られそうもない。一人なので電気をつけても誰の迷惑にもならない。ラジオを聴くことにした。妻の普段の生活になぞらえたかったからだ。
妻は私と違って一晩に何度も目覚める。そしてNHKの「ラジオ深夜便」を聴いている。昼間の生活に影響がないのかと心配するのだがこれは親譲りのことである。
ラジオは「日本の歌、心の歌」を放送していた。妻も聴いているかもしれないと思うと一緒に時を過ごすことがうれしかった。

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2007年7月14日 (土)

残飯の捨て場所

昼は買いだめしてある食品の中から適当なものを選んで食べる。半ば義務で食べているようなものだ。
ところが昨日は教会の一人の兄がカツどんを買ってきてくださり、一緒に食べましょうと言って訪ねてきた。もう80歳を越えている方で、家ではお茶も自分では汲まない人だ。
「H市で一番うまいという評判のカツどんなんですよ」と言って使い捨ての容器に入ったボリュウムたっぷりのカツどんを出した。
テーブルの上に朝食のとき使ったお茶碗とポットがあったのでそれでお茶を入れた二人で食べた。私は半分しか食べられなかったが妻の様子などを話しながら久しぶりに楽しい昼食となった。
この兄は言葉で慰めをくださることは苦手の方だが、こうしてひとりでいる私を励まそうとする心に感謝せずにはおられない。
  
さて一人になって朝食の残り物などを私は片付けようとした。食器は車イスで流しまで運んで水につけた。問題は残飯である。今まで妻はこれをどこに捨てていたのだろうか。大きな容器があるので開けてみた。ここでよさそうである。若い者が帰ったら確認することにして、昨日はひとまずそこに放り込んでよしとした。
  

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2007年7月12日 (木)

守られて

多くの人と神に守られて手術は無事終わった。
  
医師に呼ばれて手術室に入り摘出した病巣を見ると、脂肪のように白く、2.5cm×1.5cmの大きさだった。原発性の癌で他への転移もないとの説明を受け部屋を出ようとすると、そこにストレッチャーに横たわる妻がいた。もう麻酔が覚めて、「痛い」を連発していた。「よくがんばったね」。私はそれしか言えなかった。4時間にわたる手術を耐えた顔は苦しそうだった。
  
娘、長男とその妻、姪、姉とその息子、こんなに多くの者に手術の間私は囲まれて過ごすことができた。若い者が娘の結婚式の出来事を楽しそうに話したり、それぞれの家庭の様子を語り合ううちに4時間が過ぎた。一人では耐えられない時間をこうして守られていた。
3時間が過ぎた頃、医師に呼ばれて可能な処置2方法のどちらかの選択を問われたが、これからの妻のよりよい生活を重視する選択肢を選んだ。二人の医師が執刀に当たったのだが、前回の手術を担当したM氏もそれがいいだろうとの意見だとのことだ。
  
集中治療室での措置が手間取り、娘たちが面会するまでには時間がかかった。予想された雨が降らない夕暮れの町を息子の運転で帰宅する間、先日来てくれた三男に電話をして妻の無事を告げた。
  
就寝前、ベッドで一人神に感謝の祈りを捧げる。安堵と感謝の涙が頬を伝って落ちた。

  

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2007年7月10日 (火)

入院

昨日妻が入院した。手術はあす。あまりに早い。
二度目の肺がん手術なので手術時間も4時間を超すという。手術のリスクなどを含め説明を受けた。無事を祈るほかない。
牧師がお花を持って見舞ってくださった。病床で祈りを共にす。
一人、就寝前に祈る。多くの友が祈りをあわせていてくださることを思い、祈りが怖れを包み込んでいることを感じる。

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2007年7月 7日 (土)

私家本できる

Photo_22 私家本第6集ができた。この一年に書き留めたエッセイや講演を整理したものである。6集ともなると製本もそう難しくなく、なかなかいいものができたと思っている。
あとがきにはこう書いた。
最近は「こころの便り」の発行が滞りがちである。この5月は1回の更新で終わった。その理由は1つには体の衰えがあるだろう。以前ほど長くパソコンに向かっていられないのである。もう1つはブログへの書き込みが毎日の中心になってきていることもある。ブログ「こうりゅう広場」を何人かの方が毎日読んでいてくださるのでなんとか1日1回は書き込みをしたいのだ。
 さてその少なくなった「こころの便り」を材料に今年もこうして私家本なるものを作ることになった。それはこの1年という時間が確かにわたしにはあったという事実を残しておきたいという思いがあるからに他ならない。社会的な活動を何ひとつしているわけでもない者にも確かにこの1年という時間が存在していたのである。それをこの冊子から読み取ってもらったら手慰みに作ったこの本の目的は達せられる。
 もうじきE子が結婚式を挙げる。Tの所ではHが中学生になってかつて皆が私たちを悩ませた歳になった。Taは夜遅くまで働いている。Aも彼流にがんばっている。そんな中わたしは70歳を迎えた。妻は肺がんの再発という事態に遭遇している。大きく我が一家が変わる時が来ているのかもしれない。その中でただ1つ変らぬことはわたし達が結婚し、4人の子ども達が生まれ、今日までやってこられたその中心に神が共におられたことだ。
 その神を信じて、これからの許される時間和子との生活を共にしていきたいと願う。

    2007年6月5日

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2007年7月 6日 (金)

総会終わる

全国キリスト教障害者団体協議会総会が無事終わったとの知らせをいただいた。感謝である。
今回は「みちのくコスモスの会」(東北地方の主にある障害を持つ人の団体)が事務局となって北上教会を会場として行われた。
お知らせによると北上教会はよくご準備をして全国からの友を迎えてくださったとのことだ。また、会長の私が妻の病気で参加できなかったゆえ、他の役員方が前夜しっかりと打ち合わせをして総会に備えたという。
きっと主題講演も東北の友の証も、また参加者同士の交わりも豊かなものだったに違いない。
来年は私の地元で開催されるから妻の健康が許されるなら参加できるだろう。しかし、その後の地方での会にはもう難しさが伴なうだろう。私に与えられている役も交代の時期に差し掛かっている気がする。

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2007年7月 5日 (木)

大学病院との別れ

昨日は雨の中G大学附属病院に行った。診察予約を2週間前倒しして受診したのだった。
昨日はいつもより早く、40分ほどの道程であったが普通は50分から1時間くらいはかかる。この距離を一人で運転していくのは心細い。その上、大きな病院なので駐車場からの距離もある。最近は駐車場入り口で妻に降りてもらい、玄関から車イスを借りて、停めた車まで運んでもらうことにしている。
妻の体が今後も同じことに耐えられるかどうか不安である。そこで診察の際、医師にこれからは近くの病院で経過観察をしてみたいのだがどうか、と尋ねてみた。医師は快く応じてくださり、肝臓の状態も安定しているし、肝癌に移行することもほとんどないとおっしゃり、現状説明を含めた紹介状を直ぐに書いてくださった。
こうして9年間通い続けたG大附属病院と別れてきた。
振り返るとここでは治療はしていない。肝炎特有の胃カメラによる静脈検査、CT検査、エコー、血液検査などで経過観察をしてきただけである。その間で最もショックを受けたのは肝硬変になっていることを知らされたときだった。山道でことなきを得たが信号を無視し、草に隠れた溝を乗り越えたのもそのショックからだった。
しかし、妻のお陰で雪の高速道を走ったり、眼底検査でまだ視界が定まらない中を帰ってきたりしながら9年もの間よく通院したものだとわれながら感心する。

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2007年7月 3日 (火)

生活を作る

近くのスーパーに車イスで買い物に行った。家から車イスで行くのは初めてのことである。たかが300メートルほどの距離なのだが、道路沿いの舗道には傾斜があり、なかなか走らない。
店の中は午前なので空いていて妻と食料品のありかを確認し、簡単に食せるものをあれこれ買い込んできた。9日に妻が入院するとわたし独りでお昼を食べねばならない。そのとき、レンジを使ったり、あるいはお湯をかけるだけで済むものを用意したのだ。
お昼はパン一切れと牛乳でもいい。しかし、それを哀れと思うと自分がかわいそうなので食事らしく装いたいのである。
鞄を膝の上において、品物をそこに載せ、レジまで運ぶ。会計を済ませたら鞄に入れて帰る。そんな算段を考えている。
妻のいない間はわたしも自立した男にならねばならないし、きっと変ることだろう。

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2007年7月 2日 (月)

結婚式終わる

温かな結婚式・披露宴だった。
庭園の美しさで有名な会場だが、起伏が多く車イスでは動きにくいことが心配だったが係りの方が親切に応対してくださりことなきを得た。
新郎のご家族ともすぐに打ち解けてお交わりを持つことができた。
司式をする牧師は外国の方であった。それだけにメッセージは御言葉の伝達が中心となり、愛の尊さを確認する幸いに与った。
披露宴の司会はプロの方であるにもかかわらず、素朴で心のこもった進行をしてくださった。新郎新婦がそれぞれのテーブルごとに出席者を全員に紹介する場面も含まれ、二人の生い立ちを紹介する写真上映には親や親族への感謝を現すカットが多く入っていた。私たちへの感謝の気持ちとして演奏するという娘のピアノの旋律には目頭が熱くなるのを禁じえなかった。
一日がかりの式で帰ったときにはさすがに疲れが出たが、同時に子どもたちが大きく育っていることを知り、横になった体の中にはふつふつと喜びが湧いてきていた。

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