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2007年6月24日 (日)

そうあることの意味

さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」
イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」

ヨハネによる福音書9章1節からの引用である。今日の礼拝説教はこの聖句を用いて行われた。
弟子たちは目が見えなくなった原因や責任を追及している。ところがイエスはその弱い人がなぜそうあるのか、その存在の理由、目的を告げている。困難をかかえておびえている人が大きな神様のご計画の中に位置づけられていることを知らせている。
病気は避けたいと誰しも思う。今日の礼拝にはいつも来ている婦人が見えなかった。腰を打って入院したという。他にも先週入院をしたご婦人がいる。これから目の手術のために入院する人もいる。高齢なのでタクシーで数千円をかけてM市まで行くそうだ。
この人たちはご自分を否定したり、己の責任を重く背負ったりするかもしれない。だが神様は新しい視点をお与えくださる。
神の視点、価値観によって今の困難を見据えることを大事にしたい。

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