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2007年6月

2007年6月30日 (土)

弟が二晩泊まって帰った。昔の友とゴルをするために来たのだ。ゴルフは一日だから終わったら帰ってもよさそうなのに、どうも我が家は居心地がいいらしい。
前日に来て少しの時間練習に行って、その後一緒に食事をする。妻はいつもビールを用意し、好きな西瓜を買ったりもして、あれこれ接待する。
当日は朝7時には出かける。前の晩、「おにぎり1つ作ってくれればいいから」と言うが、そういうわけにもいかず、早起きして朝食の準備をする。
一日ゴルフを楽しんで、友人と寿司を食べて帰り、「氷をいっぱい浮かべた水がいいね」と求める彼に、せっせと応対もする。
その夜も泊まって、昨日帰っていった。
泊まった部屋の片付け、蒲団や敷布の後始末を妻は階段を上がり下がりしてようやく終えたようだ。
来月にはまた大きな手術をしなければならない身だが決して弱音を吐かない妻である。何もできない兄のわたしが一人気をもんでいる。

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2007年6月28日 (木)

三点句

インターネット句会で下記の句が三人の方に選ばれた。先日の地元の句会ではまったく選ばれなかった句である。句会はこれだから面白い。
  

苺詰め納屋の筵に子ら眠る

 子供らが苺詰めのあと疲れて眠っているのでしょうか。ここは苺を詰める傍らで眠っている方が微笑ましいので、苺詰む納屋とした方が、趣があるように思いました。  
 親と子の心情が良く表されていると思います。
 朝一の摘み取り、そしてパック詰め、寝る暇も無しの、作業そばで眠る子。やはり目の届くところに親ですね。
 
 収穫期って言うのは、特に傷みやすい苺になると他の何もできる状態ではないのでしょうね。海苔の手伝いをもっとしてやれば良かったと反省しています。親の愛情が溢れていると感じました。

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2007年6月27日 (水)

買い物

治療方法が決まって急に疲れが出た。何をするでもなく一日ぼんやり過ごす。
句会の作品が送られて来たので、到着分だけ入力する。
午後になって今月分の医療費とガソリン代補助費の申請を役場に出し、その足でカインズホームに行き、紙を買う。一人の生活になったら買い物も不便なので今のうちに買っておくためだ。この紙は私家本の裏表紙に使う。
  
書棚の不要なものを整理していたら「恵の日々」というかつて書いていた日記のプリントが出てきた。今も恵みのうちにあるのに病人が出たりすると、恵の中にあることを忘れている。弱い信仰である。

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2007年6月24日 (日)

そうあることの意味

さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」
イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」

ヨハネによる福音書9章1節からの引用である。今日の礼拝説教はこの聖句を用いて行われた。
弟子たちは目が見えなくなった原因や責任を追及している。ところがイエスはその弱い人がなぜそうあるのか、その存在の理由、目的を告げている。困難をかかえておびえている人が大きな神様のご計画の中に位置づけられていることを知らせている。
病気は避けたいと誰しも思う。今日の礼拝にはいつも来ている婦人が見えなかった。腰を打って入院したという。他にも先週入院をしたご婦人がいる。これから目の手術のために入院する人もいる。高齢なのでタクシーで数千円をかけてM市まで行くそうだ。
この人たちはご自分を否定したり、己の責任を重く背負ったりするかもしれない。だが神様は新しい視点をお与えくださる。
神の視点、価値観によって今の困難を見据えることを大事にしたい。

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2007年6月23日 (土)

囀り

快晴。緑が美しい。
ソファーで体をひねって庭の木に来る鳥のさえずりを聞く。

囀りや木々の緑を渡りけり

在京の息子から妻を気遣うメールあり。涙ながらに読む。

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2007年6月22日 (金)

投句

照る坊主五つ並ぶやプールの日

郭公や雨の朝にひとり啼く

子烏や枝を揺らして啼きにけり

紫陽花や病ひ受容の妻哀れ

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2007年6月20日 (水)

梅の実

Pa0_0001_1 祈りの会を欠席。

妻は梅の実をもぐ。籠いっぱいの実が採れた。若緑色のしっかりした実である。

妻のいる空間、時間はゆっくり過ぎる。ありがたいことだ。

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2007年6月19日 (火)

模索

午前は泌尿器科受診。いつも付き添い、事務的処理を一切引き受ける妻がいないので一人でやる。
午後は妻の担当医と面談。内科医も同席。また異なる所見を聞く。一貫性のなさに興奮して医師を責める。
22日に他の病院でセカンドオピニオンを受けることにした。

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2007年6月18日 (月)

書けない

なかなかここに記事を書けないでいる。落ち着けないのと疲れのためである。
土曜日、日曜日は神様が定めてくださったものだが、忙しい現代人にとっては病院との関係が絶たれなんの援助も受けられず困る。

土曜日には息子が東京から来てくれた。父の日のプレゼントと遅まきながら母の日のプレゼントを持参した。Tシャツと花だった。
その日の午後には姪の一家が娘への結婚祝いを持ってきたくれた。
妻はこの姪にトマトを持たせてあげようと、朝から農協に買いに行った。
今日も、もう梅の実が熟したから採って梅ジュースを造り、秋の教会バザーで販売しよう、と言っている。未来を今としっかりと結びつける妻の態度には敬服する。

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2007年6月15日 (金)

主を信ず

主にある皆さんが祈っていてくださる。
今、キ障協の総会運営をお願いした役員の方からFAXが入ったのだが、このSさんも「主のお癒しを祈ります」と書いてきてくださった。
祈りに囲まれているのにどうして不安を抱くのか。そんなに信仰が弱いのか。
いや、そうではない。神よ、あなたを信じます。私を先に進ませてください。

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2007年6月12日 (火)

紫陽花咲く

07061216img_0518_1妻が育てた紫陽花が庭の隅に咲いた。額紫陽花と墨田の花火という種類らしい。
しばらくぶりで庭に出て写真を撮る。やはりこういう時間を持たないといけない。
07061216img_0521_1
いつも病気のことばかりに気を取られ、インターネットであれこれ情報探しをしていると日常を忘れてしまう。今朝3時にトイレに行きその後眠れずたちまちに1時間が過ぎた。今日また病院に行き医師に面会をしようとか、カウンセリングで不安を解消してもらおうとかあせる気持ちの中思い悩んでいたのだが、ふと戸の隙間から差し込む光に気づき、ああ外には光が満ちていると知った。光が来ているとわかると落ち着く。そしてまた眠りに落ちた。

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2007年6月10日 (日)

司会者の祈り 花の日礼拝

 いつも私たちを優しく見守り、恵をくださる天のお父様。

 この一週間の私たちの毎日を大切に守ってくださり、励ましてくださりありがとうございました。

 今、私たちはあなたを皆で賛美し、あなたの大切な言葉をいただくためにこうして教会に集められました。いつもは別々に生活している皆さんともお話ができ、一緒に礼拝を守ることがでて、私たちはいっぱい喜びをいただいています。

 どうぞこの礼拝の間、あなたがずっとここにいらっしゃって私たちと豊かに交わってください。

 このように私たちが感謝し、喜びをいただくことができるのは、神様、あなたが聖霊を下してくださったからです。イエス様が十字架につけられ皆が悲しんでいたように、私たちも今沢山の出来事によって悲しみや絶望の中におります。

 でも聖霊はその私たちを元気にして、顔を上に向けてくださいました。どうぞいつまでも聖霊を私たちに留まらせ、私たちが希望の光の中を歩けるように導いてください。

 今日は特に花の日、子どもの日礼拝として私たちは礼拝を守っています。神様の国は子どもも大人も、元気な人も病気の人も、皆大事な一人として一緒に生活できるところです。どうぞ地上の教会もそうなるように聖霊によって励ましてください。

 今日の礼拝に来られない人を神様、あなたが訪ねてください。

 あなたの大事な言葉を取り次ぐ先生を力づけ、自由に語らせてください。

 このお祈りと感謝を十字架に付き、わたしたちを救ってくださったイエス・キリストのお名前によって御前に捧げます。 アーメン

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2007年6月 9日 (土)

灯火

先日、HP「こころの便り」にD君のことを書いた。これを印刷してD君が小学生の時から交わりのあったH先生に送ったところ、ていねいな字で、「涙と共に拝読いたしました」という書き出しのお返事をいただいた。H先生は今74歳になる女性である。そして、その手紙の一節にはこう書かれていた。
「三歳の孫はDちゃんから足で食べさせてもらい、絵も、字も、そして自分と握手もできることに驚き、彼は彼なりの小さな世界であってもDちゃんの素晴らしさに感心し、保育園で自分は格好いい人知っていると自慢していると娘から聞きました」。
H先生の家庭をD君は成人してからも訪ねたのだろう。そしてH先生の娘さんの子どもと触れ合ったに違いない。そのお孫さんがD君を保育園で自慢しているというのだ。
D君は天に帰ったが未来へのよい灯火を点してくれた、そんな気がしてならない。

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2007年6月 8日 (金)

第三回かたばみ句会

昨日、句会を持った。私のところに事前に送っていただいた句を整理し、プリントして持っていく。そして選句をする。新たにお仲間が一人増えた。今回の3点句は次のとおり。
棟あげや雨後の緑の鮮やかに                                                    

浅間山夏日にやけて煙り吐く                                 

指染めて母の喜こぶ蕗を煮る


選句の前に俳句の基礎を学ぶために私が見つけた資料を印刷して配り読み上げる。これは好評だ。
いつも皆さんお菓子を用意したり、お茶を持参してくださる。これからは会費を何がしか集め私の印刷インク代を賄ってくださるそうだ。

                                                      

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2007年6月 6日 (水)

弱い心を支えるもの

祈りの会に出席。今、コリントの信徒への手紙Ⅱを学んでいる。

この書簡はパウロがコリントの教会との関係で苦しみにあっている時に書かれている。今朝学んだ箇所6章にはこうある。

「大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても、純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力によってそうしています。左右の手に義の武器を持ち、栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、 悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。」

また12章には「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」と記されている。

パウロを支える神の聖霊はわたしたちの上にも臨んでいることを信じ、今日も生きたい。

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2007年6月 5日 (火)

切符の購入

午前はインターネットで手術法や病気の基礎知識の獲得に時間をつぶした。夫として後悔のないように対処したいからである。
午後になって岩手県北上市までの新幹線乗車券を買いに行った。そこでの集会に二人で参加するためである。無理しないようにしようと言ったのだが、大丈夫、と言うので準備だけでもしておくことにした。
車の中でラジオから流れる医療相談を聞きながら移動したのだが、世の中にはいろいろの病気があるものだ。多くの人が体の心配をかかえながら生活している。
こうして午後は私が励まされる立場になってしまった。

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2007年6月 3日 (日)

聖霊

礼拝で聖餐に与る。イエスが肉を裂き、血を流されたことに思いをいたす。主は己のためでなく、他人のためにその苦しみに遭われた。
手術は己のためにする。私はそれを恐れている。イエスを十字架につけられた神の愛のいかに大きいかを知る。
聖霊は世の初めより臨んでおられた。教会を造り、人を導かれた。礼拝で聖霊が共にいてくださることを知らされ、大きな慰めを与えられる。

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2007年6月 2日 (土)

妻の強さ

第一土曜日は教会清掃の日である。いつものように妻は出かけていった。
夕べは若い夫婦が遅い帰りだったので孫たちを児童館の迎えから夕食、風呂と面倒を見なければならなかったのだがこれも何事もないように全て彼女はやってのけたのだった。
来週の月曜日の診断が気にならないわけではないだろう。でもそのことは何も口にせず一日中忙しく動く彼女は本当に強い人だ。

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