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2007年3月27日 (火)

一行詩

Popi 主の祈り言い淀む言葉一つあり今日も暮れ行く
  
河内長野市に住む友人がご自分が主宰している一行詩の会誌をまた送ってくれた。同人も少ないらしく、会誌はパソコンを使って手作りであった。友が糊付けをして一日がかりで綴じたと言う。
上掲の詩はこの会誌の中の一ページをとって真ん中に一つ載っていた。
なんと誠実なお人であろうかとわたしはその人柄に心打たれた。主の祈りはキリスト教を信じる人が決まって祈る祈りである。この婦人は信仰深く、夕べの祈りに主の祈りを用いたのかもしれない。一日の終わり、感謝の祈りをささげたのだろう。だが、祈りながらふと自らの言葉に言い淀まざるを得なかった。そこがどこかはわからない。もしかすると「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく我らの罪をもゆるしたまえ」という箇所かもしれない。わたしたちは他の人を裁くことはしてもその人を許すことは難しい。真実な人はそのことに気付いて、ここで祈りに一瞬躊躇するのだろう。
   
可愛い可愛い娘よ丸くまろく育てよ棘すら
バラのジャムを一匙さびしい舌にのせてあげよう
この作者は以前こんな詩も書いていた。

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