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2007年3月19日 (月)

イエスの癒し

レビ記には出血中の女性は汚れていると記されている。そしてその汚れに触れた者もまた汚れるというのがレビ記の教えである。汚れた者は社会から追放されて生きねばならなかった。
新約聖書マルコによる福音書5章25節からにはイエスが出血の止らない女に触れられた記事がある。旧約の教えではイエスも汚れに染まるはずである。しかし、イエスはその触った女を癒す。癒しの原義は手を触れること、手当てにある。悩みを負った人、苦しみにある人に触れることでその悩み、苦しみを癒すことができる。こう聖書は教えている。
先のレビ記の記事はバビロン捕囚の際に異国の地でイスラエルが自らの信仰を守り抜くために律法を固くしたために生まれたという。聖性に生きるために自らを律したのである。その精神が時代と共に人を差別するものに変わってしまったというわけだ。
イエスは自らを差別される者と同一視される立場に置きながら女を救った。そして十字架に付かれた。今はそのイエスの苦しみを偲ぶレントの時である。  

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