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2007年3月

2007年3月30日 (金)

好奇心

子供のゲーム機にニンテンドーDSというものがある。軽快な音を響かせて、小さな人形が動き回るこのゲームが小さな子たちを夢中にさせている。
先日この機器でインターネット接続ができることを知った。ランの環境があればよいとのことだ。書斎でパソコンをやっている私はこれがあれば居間にくつろぎながらホームページが見られる。これはいいと、期待してソフトを買った。ところがだめだった。うちのルーターは古い型で適応していないのだった。
仕方なし、もう3500円奮発してパソコンから発信して接続するUSB装置を購入した。そして今日、半日かけてようやく接続に成功。
と言っても、はがき台の大きさの画面。文字は小さく、画像はなかなか開かない。好奇心を一週間がかりで満たしたことをまあよしとしよう。
  
ついでに。
最近漢字を忘れて困る。簡単な漢字が思い出せない。そこでDSでできる漢字検定ソフトも購入した。現在2級を突破したところだ。
「脳を鍛えるDSトレーニング」なるものも家にあるのでこれにも挑戦している。70歳に間もなくなる私の脳年齢は56歳とのことだ。あっぱれあっぱれ。

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2007年3月29日 (木)

主は貧しく、私は豊か

コリントの信徒への手紙Ⅱ8章1節から9節
8:1兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。
8:2 彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。
8:3 わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、
8:4 聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。
8:5 また、わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで、神の御心にそってわたしたちにも自分自身を献げたので、
8:6 わたしたちはテトスに、この慈善の業をあなたがたの間で始めたからには、やり遂げるようにと勧めました。
8:7 あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。
8:8 わたしは命令としてこう言っているのではありません。他の人々の熱心に照らしてあなたがたの愛の純粋さを確かめようとして言うのです。
8:9 あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。
  
先日の説教題は「主の貧しさ、私の豊かさ」だった。主は人の形を取り、十字架につけられ徹底的に貧しくなられた。その貧しさのゆえに私たちは豊かなものとされたのだ。施しはここから自ずからあふれ出る。

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2007年3月27日 (火)

一行詩

Popi 主の祈り言い淀む言葉一つあり今日も暮れ行く
  
河内長野市に住む友人がご自分が主宰している一行詩の会誌をまた送ってくれた。同人も少ないらしく、会誌はパソコンを使って手作りであった。友が糊付けをして一日がかりで綴じたと言う。
上掲の詩はこの会誌の中の一ページをとって真ん中に一つ載っていた。
なんと誠実なお人であろうかとわたしはその人柄に心打たれた。主の祈りはキリスト教を信じる人が決まって祈る祈りである。この婦人は信仰深く、夕べの祈りに主の祈りを用いたのかもしれない。一日の終わり、感謝の祈りをささげたのだろう。だが、祈りながらふと自らの言葉に言い淀まざるを得なかった。そこがどこかはわからない。もしかすると「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく我らの罪をもゆるしたまえ」という箇所かもしれない。わたしたちは他の人を裁くことはしてもその人を許すことは難しい。真実な人はそのことに気付いて、ここで祈りに一瞬躊躇するのだろう。
   
可愛い可愛い娘よ丸くまろく育てよ棘すら
バラのジャムを一匙さびしい舌にのせてあげよう
この作者は以前こんな詩も書いていた。

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2007年3月26日 (月)

任期終わる

昨日は教会の臨時総会。一年のまとめと新年度の活動についての審議を行った。
礼拝に招かれるだけでも十分恵みに与っているのだが、この世に生きるかぎり、主がなさったように世に福音を伝えていく業もしなければならない。来年度は教会内に「協議会」を設けて自分たちのできることを検討し、働いていくこととなった。
もう一つ大きな議題は故障が頻繁になったオルガンの取り扱いであった。結論として電子オルガンを購入することとしたが通常会計の予算だけでも苦しい現状において購入費用をどう賄うか今後知恵を出さないといけない。
今年度まで6年継続して役員をしたので規約上来年度は役員から解放される。来年は部会でわたしなりの方法によって奉仕しようと思う。豊島岡教会に比べて自由さの少ない教会だからあまり我流にはできないが心から喜びを味わえる集いなどを企画したいものだ。

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2007年3月24日 (土)

転ぶ

車を車検に出して駐車場が広く空いていた。妻が畑で土いじりをし、Kさんがいつものように畑仕事をしている。すっかり春らしくなって暖かな午後、わたしも外の空気に当たりたくなってスロープを下りて行った。駐車場にさしかかって、こちらを見ている穏やかな顔のKさんにもっと近づこうとしたその瞬間だった。足か杖が地面をこすってわたしの体は前のめりになって倒れていった。
Kさんが跳んできてくれた。起きられる?そう言われて、一瞬どうかなと思ったが自分の敷地内なので慌てる必要もない。わたしはお尻を地面につけたまま移動し、郵便受けのポールに掴まって立ち上がった。携帯電話がポケットから落ちていた。
気付くと唇がひりひりと痛かった。どうしたわけか手を出さないで、顔から落ちたのだ。前歯に砂利が挟まったようにじゃりじゃり感があった。歯がすこし欠けたようだった。あごもすりむいていた。
昨年の7月から8ヶ月ぶりの転倒だった。ますます歩くのが恐くなるだろう。

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2007年3月22日 (木)

すきだよ。

Neko_1 学年末になって子供たちが学校から持ち帰るものが多くなった。習字やら工作作品、作文集などをランドセルだけでなく袋にまで入れて、「あー重い」と言いながら帰ってくる。
ヒカちゃんが先日版画を持ってきて、「じーちゃん、ほら」と見せてくれた。猫が大きく目を開いて、じっと見つめている作品である。「わー、かわいいな。よくできたね」と思わず私は大きな声をあげてしまった。
近くで見ると下に「ねこだいすきだよ」と題が書いてあった。この題もすばらしい。猫に言っているのか、他の第三者にヒカちゃんが、私猫が大好きなの、と知らせているのかわからないが、これは猫に向かって言っているのだろうと私は勝手に解釈した。
  
大好きだよ、と言うことが日常の生活で私たちはなんと少ないことだろう。もっともっと、あなたが好きだよ、と言えたら生活がどんなにか潤うことか。
 
以前「ずーっと ずっと だいすきだよ」という絵本を買ってあげたことがあった。犬が年とともに体が利かなくなって、やがて自分では階段も上がれなくなってしまう。そして亡くなる。家族は抱き合って泣いた。そんな中にあって少年には一つの慰めがあった。それは犬が動けなくなっても「ずーっと、だいすきだよ」と言っていたことだった。こんな話だったかもしれない。
  
ヒカちゃんも絵の猫に「ねこ、すきだよ」と言っている。私たちも周囲の人に、好きだよ、と言いたい。

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2007年3月20日 (火)

余裕の恩恵

このところ疲れが取れず体が安定しない。理由はわからないが、対処の一つとしてパソコンは午前だけにすることにした。
昨日、午後をのんびり過ごそうとして「信徒の友」をめくっていた。この雑誌は教会の「祈りの会」で使うだけでほとんど「積読」である。ところが4月号から紙面が一新し読みやすくなっていることに昨日は気付かされた。相変わらず権威者の信仰論は載っているが新企画も加わったし、レイアウトも親しみやすくなったのである。俳句や短歌のページがゆったりとして、明るくなってもいた。
その中でかつて在籍した教会の牧師TのH氏との対談「死生学を通して復活の希望を考える」に出合った。牧師はこう言っていた。人は苦しみ、悲しみながら生きて、また死んでいくが「教会のすべきことは、そこに、神さまの『大きな物語』をきちんと示すことではないでしょうか」。
これは私流に解釈すれば私の存在を神さまの大きなご計画の中に位置づけるということだ。悩みも苦しみもみな神さまとの関係の中にある。けっして私ひとりの出来事としてむなしく終わっていく事柄ではないということだ。このようなことに気付かされたら人は大きな慰め、励ましをうけるだろう。

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2007年3月19日 (月)

イエスの癒し

レビ記には出血中の女性は汚れていると記されている。そしてその汚れに触れた者もまた汚れるというのがレビ記の教えである。汚れた者は社会から追放されて生きねばならなかった。
新約聖書マルコによる福音書5章25節からにはイエスが出血の止らない女に触れられた記事がある。旧約の教えではイエスも汚れに染まるはずである。しかし、イエスはその触った女を癒す。癒しの原義は手を触れること、手当てにある。悩みを負った人、苦しみにある人に触れることでその悩み、苦しみを癒すことができる。こう聖書は教えている。
先のレビ記の記事はバビロン捕囚の際に異国の地でイスラエルが自らの信仰を守り抜くために律法を固くしたために生まれたという。聖性に生きるために自らを律したのである。その精神が時代と共に人を差別するものに変わってしまったというわけだ。
イエスは自らを差別される者と同一視される立場に置きながら女を救った。そして十字架に付かれた。今はそのイエスの苦しみを偲ぶレントの時である。  

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2007年3月17日 (土)

無口

言葉が自由に出ない気がしたと医師に告げた。救急車にお世話になったときの話である。そして「十日前ほど、教会で舌がもつれている気がしました」と補った。すると医師は家内に向かって「(今日の)話し方はどうですか」と尋ねた。彼女は「無口であまり話さないです」と答えた。医師は「口数の問題ではなく話し方は?」と再び家内の方を向いて問うた。
  
家内は私が無口だと思っている。教会で婦人たちが家庭のことを話し合うときにも同じように言っているらしい。確かに私は考えることの十分の一も話していない。だが無口かどうかは判断しがたい。逆に家内は四六時中しゃべっていないと気がすまないらしい。車に同乗しても常に口が動いている。その人から見れば「無口」の人と思われても仕方ないだろう。

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2007年3月16日 (金)

言い残すこと

意識が薄れ、体が崩れていくとき、ほんの一瞬、何か家族に言っておくことがあるのではないか、それを伝えないでいいのかという思いが体をよぎった。しかし、すぐに、いい、十分だ、もう十分に書き残しているという声が聞こえてきた。
   
幸いなことに意識は失せることはなかった。

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2007年3月15日 (木)

救急車の中

救急車はあまり乗り心地のよいものではない。窓に沿って細いベッド様の台があり、そこに横になるのだが台が固く、ベルトで固定されていても体が支えられている感じがしないのだ。室内には心電図をとるコードが伸び、救急隊員が脈を取っている。

何より気持ちが悪いのが車がカーブする時である。周囲の景色が見えないから自分の体が空間を漂っているような不安に陥る。この感覚は救急車特有のものではない。手術室に向かうストレッチャーに寝ている時も同じである。病院の天上がストレッチャーの回転と共に大きく動く錯覚に囚われてめまいが起きそうになる。まして廊下に勾配があったりすると自分が谷底に落ちていくのではないかとさえ感じてしまう。

今回もう一つ困ったのが室内の寒さである。乗用車のようには暖房が効いていないこともあろうが、緊張と不安で体の震えが止らなかった。腹部あたりがぴくぴくと動き、腰から足先まで小刻みに震えていた。

「救急車が通ります」「左側に寄ります」などと言いながら車は進んだが、おかしなことにこの声が無言で移送される私の耳には温かく響いていた。

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2007年3月13日 (火)

デジカメの限界

以前デジタルカメラをゲットしたことを書いた。入念に調べて入手したことも書き添えた。だが、デジタルカメラはやはりデジタルカメラでしかなかった。(ここで言うデジタルカメラとはコンパクトのもので、一眼レフ式のものではない)
先日ヒカちゃんの誕生日にカメラ嫌いのヒカちゃんのスナップ写真を撮ろうとしたのだ。子供の表情はころころ変わる。わたしはいい瞬間を待ってシャッターを押した。だがカメラはわたしの意図どおりには反応してくれなかった。ピントを合わせるのが遅いのである。専門用語で言うとタイムラグがありすぎるのだ。シャッターが下りたのはヒカちゃんの表情が変わってからだった。
何度試みても同じだった。今までのメカニカルな一眼レフなら私の指の指示通りに反応していたのに、これには失望した。
もう一つの欠点はストロボによる赤目が起こることだ。せっかくの記念写真なのに目が真っ赤になってしまう。カメラには「赤目軽減」なる機能もあるがこれはあまり役立たない。
ついでながら、このカメラにはファインダーがあることも選択の理由になっていた。だが、ファインダーの視野率がかなり低く、とても使いものにならないことも指摘しておこう。
というわけで、コンパクトデジカメは旅行での記録写真用に用いるものと考えざるを得なくなってしまった。

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2007年3月12日 (月)

足音

二階で小さな足音が聞こえた。春を告げる小人が歩くような暖かな響きだった。
ヒカちゃんが起き上がることができたのかもしれない。
ヒカちゃんがインフルエンザにかかってしまったのだ。おとといからほほが赤かったのだが、昨日病院でインフルエンザと診断された。それ以来部屋に入ったまま出てこない。ママに聞くと四〇度の熱が出ているとのこと。手にも震えがあるらしい。
いつもは、じいちゃん数えて、と言って居間で元気に縄跳びを見せてくれるヒカちゃんである。難しい飛び方をいつの間にかマスターして学校でも一番の縄跳びの名手。他にも児童館で覚えたことを真っ先に私に披露してみせるヒカちゃん。
そのヒカちゃんの音が昨日一日まったく途絶えた。家が小鳥の去った庭のようになっている。
そんな中、先ほど、ほんの少し小さな音が聞こえたのだ。
今から小さなおもちゃを作って枕許に届けてもらおう。

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2007年3月11日 (日)

レント、礼拝での祈り

 慈しみに富みたもう、全能の主なる神様。

 過ぐる週日を恵みのうちに過ごさせてくださりありがとうございました。

 そして、今日またこうしてあなたに連なる兄弟姉妹と交わりを許され、一緒にあなたを讃美し、御ことばに聞く時を与えられました。心から感謝いたします。

 私たちは今御子イエス・キリストの苦しみを思い、その苦しみに感謝を捧げるレントの時を過ごしています。あなたが限りない愛によって御子を十字架に付けられたことは私たちをあなたの救いに与らせる為でした。先週は聖餐を受け、パンと葡萄液によってイエスのお受けになった苦しみを体験し、恵みの確かなことを知ることができ、あなたの愛に押しつぶされる思いがいたしました。

 どうぞ神様、弱い私たちにいつも臨んで下さい。そして、御子の愛をいつも感謝しながら生活する私たちと成らせてください。

 教会は年度の終りの時を迎えています。今年を思い返して見るとき私たちの働きの不十分さのみが心に浮かんでまいります。どうぞ一途にあなたへの奉仕に生きる教会としてくださいますように。信仰薄い私たちを御手の中に抱き、あなたの御用のためにお用いくださいますように。お互いが弱さを補い合いつつ、この教会の中に新しい関係を育てていくことができますように導いてください。

 今日の礼拝に集えない方々の上にあなたが臨んでください。病の床にある方を慰めてください。

 今から御言葉をいただきます。取り次ぐ先生を聖霊で満たし、あなたの言葉を語らせてください。

 これらの祈りと感謝、わたしたちの救い主、復活の主イエス・キリストのお名前によって御前に捧げます。 アーメン

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2007年3月10日 (土)

おんぶすること、されること

私はおんぶされることによって人生を歩むことができたと言っていい。母に、先生に、友に、見知らぬ人に、多くの人におんぶしていただいたのだ。
最近、子供を育て終わり、人生の終わりごろを迎えるときになって、おんぶされることはおんぶしてくださった人にもなにか差し上げてきたのではないかという思いを持つ。孫を膝に抱くと重さをもらうし、温かさも伝わってくる。こんなことに象徴されるなにかを世話をすることによって人は受けるのではないか。
先日中学生にもう少し具体的に以上のことを話した。今日はそれをまとめ、ホームページを更新した。関心のある方はごらんください。左下の「こころの便り」から入れます。

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2007年3月 8日 (木)

救急車で

トイレで意識が薄れていった。
朝食をとっているときに頭が重く、話すにも口元がおぼつかない。
昨日群馬大学病院で医師に脳梗塞の前兆を伺ったばかりだった。二週間ほど前から手にしびれがあり、口がうまく動かないことがあると告げると医師は検査を勧めたのだった。そこで今朝は病院に行く予定をしていたのだが、予定どころか行かざるを得ない事態になったのだ。
救急車はすぐにやって来た。しかし進むに遅いこと。やっと病院について問診の後CTとMRI検査を受けた。
今日は結果だけを記す。血栓もうっ血もなかった。血液検査では昨日肝機能が悪化しているというデータが出たのだが、、それも改善された指数になっている。
長男が駆けつけてくれたので一緒に帰宅。
気候の変化が激しいからではないのと言う彼の言葉にそうだなとうなづいて部屋に入る。

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2007年3月 7日 (水)

沈丁花

沈丁花香りで吾を抱いてゐる
 
沈丁花香りの風呂をありがとう
  
ストーブ冷え灯油が音を立てている
  
冷えている新聞ソファーで貰いけり

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2007年3月 6日 (火)

ある機関紙から

東中国の障害を持つキリスト者団体から機関紙が届いた。たくさんの励ましをいただいた思いがする。早速返事を書いた。
  
「シャローム」をありがとうございました。頻繁に届く「シャローム」がしばらく来ないので心配をしていました。編集を担当してくださっていたYさんが奥様を天に送り寂しさの中にあったことや体の自由がきかなくなったことなどいろいろご事情があったのですね。
これは他人事ではありません。障害を持つキリスト者の団体だけでなく、教会においても高齢化が進んで今までのようには万事が進まなくなっています。
でも、弱くなった者が主を崇めるところには新しい関係が、教会が出来上がると私は希望を持って変化に対峙しています。あなたがおっしゃる「年齢も体調も言いません。ただ神様は素晴らしいですよ!ということを伝え続けたい」、このことをどんな状況に置かれても守っていきたいですね。(私は年齢と体調をいつも言ってしまいますが)。
今度の会報もすばらしかったです。U先生の巻頭言では信仰生活を続けることが神への感謝の応答になることを教えていただきました。
R姉のお話は障害を持つ私、養護学校にいた私には隅々までわかるものでした。お子様と生活を共にされた姉に心からの敬意を送ります。障害を持ったお子様がいて本当によかったとのお言葉の重みを皆でかみしめたいものです。
春の集会が祝されますように。

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2007年3月 4日 (日)

主の体

レントの時。礼拝で聖餐に与る。パンを食する時、主の体の苦しみを体感する。己の体の不安が和らぐ思いさえする。
  
感謝の祈り
慈愛の神、あなたは限りなき憐れみをもって私たちを招き、主の晩餐に与らせてくださいました。深く感謝いたします。
あなたはこれによって御子イエス・キリストの贖いの恵みを私たちの上に確かめ、私たちの罪を赦し、けがれを清め、とこしえの命を与え、御国の世つぎとしての望みを堅くしてくださいました。
いま、聖霊の助けにより感謝を持ってこの体を生きた聖なる供え物として御前に捧げます。私たち、主の体のえだである自覚がいよいよ深くなり、ますます励んで主に仕えることができますように。また、キリストの復活の力を知り、その苦しみに与り、折を得ても得なくても、御言葉を宣べ伝えることができますように。
主よ、常に恵みと祝福とを私たちに満たしめ、終わりの日までその平安のうちを歩ませてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。

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2007年3月 3日 (土)

誕生日

Pa0_0000 ヒカちゃんの7歳誕生日。元気で誕生日を迎えられたことがうれしい。ヒカちゃんは文字どおり元気である。目が覚めている間は何か学んでいる。挑戦している。1年生という段階ではこんなに全てのことに興味を持つものなのかと驚かされる。
社会ずれもしていない。お金をためることにもこだわらないし、豪華なおもちゃも欲しがらないのだ。きれいなカードがあれがいいし、好きな色のビー玉をたくさん持って満足している。
妻がママと出かけているヒカちゃんに電話して好きな靴を買ってくるように伝えた。それをバーちゃんからのプレゼントにしようというわけである。
2人は紙の箱にリボンのついたものを持って帰ってきた。妻が、ハイ、プレゼント、と言って渡そうとすると「夜、ちょうだい」と受け取らない。ケーキを食べる時に他のお祝いと一緒に受け取るつもりだ。
ママに聞くと1980円の靴だという。安い靴だね、と妻が笑った。「本人が気に入ったものが最高のプレゼントだよ」と私は相槌を打った。

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2007年3月 1日 (木)

地元で句会

田舎にも気楽に集会ができる場所がたくさんできている。今日利用した女性センターもその1つである。スロープがあって、車イスが用意されていて、明るい建物だった。新幹線がすぐ前を何度も通過していた。
今朝はここで1つの句会が成立した。メンバーは5人。お1人は84歳の男性である。30歳から俳句を楽しんでいるという俳句に精通した方であった。角川書店の雑誌「俳句」にも年に2、3度掲載されるという。
他の女性も地元で経験がある俳句好き。
こうしたメンバーで月に一度句会をすることになった。今日も女性が蕗のとうの天ぷらを持ってきてくれたのだが、こうして何かを持ち寄っていただきながら俳句を楽しめるだろう。

蕗の薹お皿に分けて句会かな
蕗の薹天婦羅で出る初句会

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