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2007年2月27日 (火)

千の風になって

「千の風になって」が多くの人を慰め、生きる力を与えているという。大事な娘を失った両親が悲しみの中から立ち直って新しく生きる姿や父親を交通事故で亡くした子供とお母さんがこの歌でお父さん(主人)はいつも身近にいてくれているのだと感じることができるようになったという話を昨夜のテレビは紹介していた。
この歌の歌詞にはこういう表現がある。
  
私のお墓の前で 泣かないでください/そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に/千の風になって/あの大きな空を/吹き渡っています
秋には光になって 畑にふりそそぐ/冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる/夜は星になって あなたを見守る
千の風になって/あの大きな空を/吹き渡っています
 
亡くなった人が風になって、光になって、雪になって、また鳥になり星になって、共に生活していた人たちに寄り添い、見守り、生き続けているというのだ。
消えたと思っていた最愛の人が生まれ変わってそばにいてくれる、これはなんとうれしいことだろう。
そこでふと思うのはキリストにある信仰はもっと豊かな、確かな、大きな慰めではないのかということである。主を信じる生活は「千の風になって」にもまして私たちの生活に寄り添うことであるはずである。ところがキリスト者はこの喜びを「千の風になって」を聞いた人のように語らない。
どこか信仰の姿がおかしい、そんな気がするのである。

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コメント

おっしゃるとおりだと思います。それでは、『キリストにある信仰はもっと豊かな、確かな、大きな慰めではないのかということ』を、どうやって語ったらいいのでしょうか?かけがえのない若い家族を失った友達が、「いたこ」のようなカウンセラー(?)の話を信じています。亡くなった家族が天使になって家族の周りをさまよっていると言われ、ずっと悲しみの中にいたのに、今は喜んでいます。亡くなった家族が”元気でいる”事を知って喜んでいる友達に、どうやって、再び信仰にたち返らせてあげたらいいのでしょうか?私の信仰の弱さと友達に真実を告げられない罪悪感を感じています。

投稿: midori | 2007年3月 2日 (金) 08時38分

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