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2007年1月

2007年1月31日 (水)

イエスの愛がある

「むしろ、あなたがたは、その人が悲しみに打ちのめされてしまわないように、赦して、力づけるべきです。そこで、ぜひともその人を愛するようにしてください。わたしが前に手紙を書いたのも、あなたがたが万事について従順であるかどうかを試すためでした。あなたがたが何かのことで赦す相手は、わたしも赦します。わたしが何かのことで人を赦したとすれば、それは、キリストの前であなたがたのために赦したのです。わたしたちがそうするのは、サタンにつけ込まれないためです。サタンのやり口は心得ているからです。」(コリントの信徒への手紙Ⅱ 2章7節から11節)

「祈りの会」でコリント書を学んでいる。今朝の箇所は上掲のところだ。ここで、パウロは喜びと悲しみを取り上げるのだが、信仰によって悲しみは喜びに変えられることを教えている。牧師は既にわたしたちは赦されているのだから相手を赦すことができるのです、と今朝語った。コリントの人のなかには様々な不信仰があってパウロを悲しませた。その人たちは教会の人からも非難された。しかし、「その人が悲しみに打ちのめされてしまわないように、赦して、力づけるべきです。そこで、ぜひともその人を愛するようにしてください。」とパウロは言う。それは私たちの努力でも力でもなく、私たちもイエスに愛されているからなのである。

弱い人の作る教会はこうして神の愛によって導かれるのだ。

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2007年1月30日 (火)

疲れた一日

1日が無事終わろうとしている。疲れた1日であった。前橋の病院まで往復2時間。その上今日はCT検査のため朝食抜きであった。造影剤注入のための針がなかなか入らず3回も刺し直しをされた。悪いことは重なるものでトイレに行くこと多き日でもあった。

検査が終ってから補そう具の修理に富士見村に回った。30分ほどかけて修理をしてもらい急いで家に帰る。ハルちゃんを駅に送らなければならないからである。学校は3時50分に終わる。4時15分の電車に乗せるために私は車の中で待ってそなえた。その後町役場で今月分の医療費補助の申請。
こんな日であったがこうして日記を綴ると聞いてくれる相手がいるような気持ちになり疲れがほぐれるから不思議なものである。

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2007年1月29日 (月)

地方の豊かさ

あるところからアサヒコムの愛媛版を紹介された。これがなかなかおもしろい。愛媛だけあって俳句記事が多いのだ。夏井いつきという方がコラム「子規おりおり」を書いているし、過去には俳句の作り方を連載で載せていたらしい。
前者では子規の俳句を毎日一句鑑賞することができる。俳句もあまりたくさん載っていると読む気もしないが、こうして一句一句出されるとじっくり味わうことができてよい。
それぞれの国にはこうしてその国の文化がある。お互いもっとそれを発信しあってみんなが豊かになったらどうだろう。
  
今日はひなりんごという方から昨日の日記にコメントがついた。そして、この方のブログをあけてみるとそこには山口県周防大島町のマンホールが写真で紹介されていた。みかんの有名な島だそうで、絵柄にみかん畑と広い海がデザインされているとのことだった。ここにも文化の香が豊かに漂っていた。

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2007年1月28日 (日)

人の弱さ

礼拝に来られない方が多くなった。年を重ねたり、病の床にあったりして出かけるのがしんどいのである。今日来られたKさんは若い人に送ってもらって教会にたどり着いたのだが、送ってきたKTさんは家に残っているKさんのお姉さんの看護のために家に帰って行かれ、礼拝を共に守ることはできなかった。
こうして礼拝にやっと来られる人もいる一方、人とのかかわりの苦労で来られない人もいる。教会という世界は狭いから、そして年を重ねると人間関係も限定されるからお互いちょっとした言葉のやり取りが気になって関係がこじれてしまうのである。そんな姿を見ていると、子どもの時、つまらないことで仲たがいをしたことを思い出す。
教会清掃が今度の土曜日にあるから誘いの電話を入れてみよう。きっと今日来なかったNさんも来週には来てくれるだろう。

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2007年1月27日 (土)

子どもの遊び

ヒカちゃんが昼過ぎに帰ってきた。しばらくは友達と遊んでいたがそのうち私が相手をしなくてはならなくなった。遊びを順に書くとこんなものだ。
学校ごっこ、ボール投げ、トランプ遊び、お絵かき。
学校ごっこではヒカちゃんが先生になって学校の時間割にしたがって算数や国語の勉強をした。国語でひらがなを書いたがわたしの字はなかなか丸をつけてもらえなかった。ボール投げは糸を巻いたマリを2メートルも離れていないところで投げ合った。負けることが嫌いなヒカちゃんだから強い玉がときおり飛んで来る。用心しなくてはならない。
トランプはダウトをした。ここでも負けず嫌いのヒカちゃんが顔を出した。カードを覗いたり、出しなおしたりしたとき注意すると急に怒り出すのだ。
パパもママの帰りが遅かったので付き合いは夕食まで続いた。その頃になるとわたしも疲れが溜まってきて、勝手なことをするヒカちゃんに腹を立てたりもした。
平静な気持ちで2時間以上子どもと付き合うのは大変なことである。

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2007年1月25日 (木)

学校が変る

冬の日が差し込む暖かな書斎でのんびりとパソコンに向かっている。子どもたちがもうじき窓の下の道を帰ってくるだろう。その子どもたちは自分たちの学ぶ場がこれからどう変っていくかを知らない。
今日から国会が始まって安倍内閣の目玉の一つの施策である教育改革なるものが推進される。昨日教育再生会議から出された報告が法案として具体化されるらしいのだ。この中にはゆとり教育の見直し、「いじめている子ども」の出席停止、高校生の奉仕活動の必修化などなどが含まれている。教員の中には主幹という役職も設けられ、教育効果のあげられない教員の指導に当たるという。教育の世界がますますぎすぎすし、管理が強まり、子どもが叱咤激励されていきそうである。
授業が終わったら教師は校庭で子どもたちとドッチボールで遊んだり、仲間同士でその日のお互いの授業の様子を語り合ったり、一人でぼんやりと明日の授業構想を練ったりする、美術の先生は準備室に篭って美術展に出す絵を描く、そんな学校はもう戻らないのだろうか。

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2007年1月24日 (水)

安心感

体が動かなくなっていくことへの不安は常にある。歩く速度が遅くなり、立っていることのできる時間も短くなっていく。また、椅子から立ち上がるにもスムーズにいかなくなった。
それを感じると何か運動をしなくてはと思うのだがなかなかよいものがない。だから、テレビなどでできそうなプログラムが紹介されるとすぐに飛びつく。そして少しの間だがやってみるのだ。
先日タオルエクササイズなるものが紹介された。タオルを両手で握って腕を上下するという簡単な運動である。今、このエクササイズを含めて幾つかのことを一日の中でやっている。
まず、朝九時半前にNHKでやっている「みんなの体操」、これを五分間。そしてタオルエクササイズ。夕方になるとソファーに坐ってペダル漕ぎの動作を二十分。左足は動かないから右だけだが、これをやると太ももが温かになる。疲れると足が上がらない。そんな時は手でズボンをつまんで引き上げる。最後が風呂で腰ひねりを五十回。風呂に体を伸ばし、右に左に体を回転するのだ。
こんなことで少しは体を動かし、カロリーを消費しようと思うのだが、さて効果はありやなしや。単なる安心感のためかも知れぬ。

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2007年1月23日 (火)

バリデーション

春の朝パソコンという社に着きにけり
  
朝のテレビを見終わって今パソコンの前に坐ったところだ。ここはわたしにとって多くの仲間とたくさんの仕事が待っている会社のようなところとなってしまった。
  
テレビでは認知症の方への接し方の一つ、「バリデーション」という方法を紹介していた。この方法は相手への共感を中心とした接し方である。相手の立場、心情をそのまま受け入れることを大事にする。「相手の靴を履いて歩く」のだという。
表情が消えてしまった人でもその人の奥には感情が溜まっている。徘徊する老人は心地よいところを探している。その方々に共感の心を持って接し、その心に寄り添うと、表情が甦り、徘徊よりも共にいることを喜ぶようになる。
テレビはこんな様子を伝えていた。

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2007年1月21日 (日)

司会者の祈り

 慈しみに富みたもう、全能の主なる神様。

 過ぐる週日々を恵みのうちに過ごさせてくださりありがとうございました。

 そして、今日またこうしてあなたに連なる兄弟姉妹と交わりを許され、一緒にあなたを讃美し、御ことばに聞く時を与えられました。心から感謝いたします。

 わたしたちはクリスマスを祝い、あなたの御子の誕生の恵みの中に信仰生活を過ごしております。あなたの慈しみをいただきながらあなたにある兄弟姉妹と教会生活を送っております。この幸いをもう一度わたしたちに覚えさせてください。そしてこころからの感謝を捧げることができる者とさせてください。

 神様、わたしたちの教会は二〇〇六年度の歩みを振り返り、また新たな年を歩み始めるための準備をするときを迎えています。あなたの御手に捉えられ、たくさんの恵みをいただきながら、それを教会の中で、また地域において豊かに用いることができたのかどうかを問われる時を与えられています。

 神様、どんな人もあなたの福音に共に与れる教会になりますように、ここに集う者ひとりひとりを導き、強めてください。

 どうぞ苦しみの中にある人のために、一人で悲しんでいる人のために祈る心をお与えください。

 今日の礼拝に集えない方々の上にあなたが臨んでください。その方々を励まし、病の床にある方を慰めてください。

 今から御言葉をいただきます。取り次ぐ先生を聖霊で満たし、あなたの言葉を語らせてください。

 これらの祈りと感謝、わたしたちの救い主、復活の主イエス・キリストのお名前によって御前に捧げます。 アーメン

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2007年1月20日 (土)

独りの友

川越市にあるホームに入所している友から年賀状を昨日いただいた。数行の手紙で、決まった挨拶文だけのものだった。しかし、わたしにはそれだけで彼女の今の生活ぶりがうかがえた。
教会で長く会計役員として働いた人だ。何事にも几帳面で、一時会報の編集をしていたこともあったがガリ版の字は数頁にわたって同じ筆致で書かれたのだった。
お年を召し、同居の姉妹方も体が不自由になって、この友はホームの入所を決意した。一度お訪ねしたことがあったが、ベッドのある一部屋に住まいする友は以前より会話の速度も遅くなっていた。東京ならば教会の人たちももう少し頻繁に訪ねることもできようが、それができない環境では無理からぬことであろうとお察しした。
今、葉書でお返事を書いた。裏面には先日書いた「お手前」を葉書に収まりきる量に書き直して印刷した。そして表にこう書いた。「あけましておめでとうございます。お葉書うれしく拝見しました。わたしたちは元気に新年を迎えました。ご無沙汰ばかりでごめんなさい。これから時々わたしの生活をお知らせします。今日はその第一号です。お楽しみに。」
訪ねる人の少ないところに住まう人は懐かしい友の生活ぶりに接するのがなによりの楽しみだ、わたしはそう思うので、自分のできることをして独りの友を励ましていきたいのである。

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2007年1月19日 (金)

松過ぎ

インターネット俳句の兼題が「松過ぎ」。明日の締め切りだという。
  
松過ぎの朝餉やサラダとトーストに
松過ぎや焼き芋売りの声聞こゆ
松過ぎや身を固くして登校す
松過ぎや二人になりし昼下がり
松過ぎや妻と無言の時過ぎる
  
さあ、どれにしようか。二句目は焼き芋が冬の季語で季重なり。でも松過ぎに焼き芋屋のおじさんが東北から帰って来て商売を始めるのだからこれはこれで仕方ないのだが。

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2007年1月18日 (木)

家庭集会

昨日と違って今朝は暖かで明るい。その中で家庭集会が持たれた。牧師を含めて四人がおいでになり、わたしたちを入れると六人が聖書の恵みに与ることができた。
今学んでいるのはレビ記である。今朝は22章。旧約聖書はいつも聖なるものを求めている神を語っている。献げ物も聖なる物でなくてはならない。動物の中でも体に「欠け」のあるものは汚れたものとして排除される。21章では障害を持つものは祭司にふさわしくないとも書かれている。こうして聖を尊ぶ信仰を献げることによって神は恵みを下すというのが旧約聖書の思想である。契約の思想である。
今読むと障害者差別、女性差別と思えることがらが随所にある。しかし旧約の思想は聖を尊ぶことにあったのである。信仰から聖性は取り除かれえない。
新約の時代ではイエスが聖を負いきれない人々の代わりになって十字架に付かれた。わたしたちはそのイエスをわが身に受け入れることによって恵みを受けることができる。
こんなことを教えられた家庭集会であった。
  
聖書の学びを終えてNさんが持参したケーキをいただきながら懇談した。九条の大切さ、安倍政府のこと、教会内の人間関係などが話題に上った。教会では遠慮することも自由に話せて満足そうだった。

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2007年1月17日 (水)

ゆとり教育

息子が新聞を読みながら孫たちに「今度土曜日も学校があるかもよ」と言った。そして「7時間目もできるね。そしたら、ハルちゃん、テニスに行けないね」と付け加えた。

1年生のヒカちゃんがすぐに「やだ。絶対土曜日は学校に行かない!」と声を荒げた。ハルちゃんが「どこの学校もそうなるの」と念を押す。

「まだ決まったわけではないけど、そうなると総合学習もなくなるかもしれないね」とわたしも話に加わった。「ゆとり教育と言ったり、今度は学力重視と言ったり、政治家もいい加減だね」とわたし。

我が家では土曜日はみんなでテニスに出かける。一日がテニスの日と言ってもよいくらいである。その合間を縫って児童館のカルタ大会や縄跳び大会に孫たちは喜々として参加している。「ゆとり」教育のお陰で若い者一家は普段の触れ合いの乏しさを休日に集中して補っているのである。

もともと「ゆとり」を教育現場に持ち込むこと自体日本では無理だったのだが、我が家ではその理念は具体化されたのだった。これが見直されると受験型の教師には歓迎されるだろうが困る家庭も多いだろう。

「ぼく(ヒカちゃんは家の中では自分を僕と言う)、絶対土曜は行かない」。1年生の孫の宣言である。

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2007年1月16日 (火)

インターネット俳句の友

枝先に雀光るや冬の朝
  
遅い食事を取りながら外を見ると葉のない枝先に雀が3羽ほどとまっていた。通勤の自動車も絶え、静かになったところに旭日が輝き、雀の体も逆光の中に光って見えていた。
  
最近俳句がふと浮かぶことがある。どうもインターネット俳句に刺激を受けたらしい。雑誌への投句と違ってインターネット俳句の仲間は反応が速いので、質はともかくも何か作って発表したくなるのだ。昨夜は布団の中で以前伊予に行ったときのことを思い出し「お遍路に逢いけり吾は車椅子」とひねってみた。
  
前々会の句会の兼題は山茶花だった。わたしは
山茶花の咲いて娘の歳数へ
と投句した。すると「 いつまでも九歳くらいの子供だと思っていたら、下の娘も二十歳になり成人式を迎える。この正月はゆっくり酒でも飲み交わすとするか。」とKさんが選句評を書いてくれた。また、「 娘さんの年恰好がもう少し具体的に想像できるとよかったように思う。山茶花なのであるいは亡くなってしまった娘さんかとも思いましたが考えすぎでしょうね。」「『山茶花の散って』だと台無しになってしまいますが『咲いて』なので作者の姿がはっきり見えてきました。」と書いた評もあった。
こうして見ず知らずの人から感想をもらうのも楽しいが驚くのは雑記帳なるところに皆思い思いの雑感を載せて交流していることである。わたしも試しに簡単な紹介を載せたらあっという間にたくさんの人から反応があった。埼玉北部に住むことを知らせるとすぐに又「東京で句会をやりますから出かけてください」と誘われもした。
インターネットは高齢者に新しい世界を開くとよく言われるがこれは本当のようだ。

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2007年1月15日 (月)

お手前

小さき膝並べてお手前小正月

人形も並んでお手前小正月

明るい日差しが差し込むフローリングの床にヒカちゃんとハルちゃんが神妙に向き合って坐っていた。いつもはふざけあったり、喧嘩をしている仲である。今、お手前をしているのだ。

ばあちゃんから抹茶をもらって、茶碗を借りて、茶杓まで借りて二人は楽しそうにお手前を始めたのだった。保育園時代に習っておもしろかったのだろう。また、児童館でもやったこともあるらしい。

ヒカちゃんが点てる側になった。ポットのお湯を茶碗に注ぎ、茶杓で笑いを殺して抹茶を点てた。そしてハルちゃんが正座している日が当たるところまでよそよそと運んできて、正面に坐ってゆっくりと茶碗を差し出す。ハルちゃんが一礼してそれを受け茶碗から飲んでおしまいになった。二人に笑みが戻った。

「じいちゃも坐って」と言われたがわたしは床に座れない。おもてなしを受ける人がもっと欲しいらしい。茶を隣の者にまわす所作がしたいのだろう。「じいちゃんはいいよ」と言うと二人はウサギの人形を持ってきて隣に坐らせた。そして、丁寧に顔を回して茶を渡したのだった。

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2007年1月13日 (土)

かつての同僚への手紙

K先生、短歌同人誌「日本海」を御恵送くださり有難うございました。お忙しい生活の中で文学活動に携わっておられるお姿に接し、さすがK先生と嬉しく思っております。

先生の作品「団地の暮らし・回顧」はご自身の生活に直結しておられ、こうして生活を見つめる中でそれを文学に昇華しておられることの素晴らしさを教えられました。

もう一つの作品「秋雑詠」も社会派の先生らしい歌ですね。

 子どもらの生命守らむ教師らの告訴の勝利誇らしく思う

教育現場がますます国家に管理されようとしている時、きっと先生のようにこの判決を喜んだ方は多かったに違いありません。

 高架下に診療所あり薬局あり庶民の砦よ民医連の旗も

この歌からは高島平団地の一角が目に浮かびます。黒ずんだ高架下に診療所や薬局その他の生活に直結する店が寄り添っていて、そこに民医連の旗が立っている。なんだか一昔前の写真を見ているようですね。

先生以外の方の短歌ではH・K子さんのものが目がとまりました。

 若き日にたどりし譜面とりだしてピアノに向えば和むひととき

この方は早朝に新聞か牛乳の配達をしながらお母さんと娘さんを亡くした日々を過ごしておられるようですが、しかし、それらをうたった歌の中には「ぐんぐんと伸びゆく青田」「渡り来る風」などの爽やかな言葉が使われており、まさに2首目の歌にあるように「1日1日を大切に」に生きておられる息吹が伝わってまいります。これからも和むひとときを持ちつつ歌を読んでほしいと願わずにはおられません。

よい歌集を有難うございました。

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2007年1月12日 (金)

今日の日

昨夜寝不足のせいか少々頭が痛い。多少の不安を抱えながら本庄市内の教会が行う朝祷会に出かける。今朝もカトリック教会の老神父さんと会うことができた。いつも大きな手で力強く私の手を握ってくださる。外国の方はどうしてこのようなたしかな交わりの仕方を身に付けているのであろう。集った数人で礼拝を共にし、祈り、交わりをもって解散する。

帰宅するとハンディクリーナーが届いていた。インターネットで注文しておいたものである。これがあれば自分の部屋くらいは掃除ができそうである。

妻が用意してくれたうどんで昼食をとる。その後暫くテレビを見て頭痛も軽くなったようなのでパソコンに向かって今音声入力をしている。

そのうちに学校からハルちゃんが帰って来るだろう。学年が上がったので授業が遅くまであるからテニスに出かけるまでの時間があまりない。「じいちゃん、送って」と言われると駅まで送らざるをえない。昨日は車の中で「今度、図工も選ばれたよ」と話してくれた。書き初めがクラスの代表の一人として選ばれて今度は図工作品も校外の展覧会に送られるらしいのである。駅までの短い時間であるがこうして学校生活の様子が聞けるのは楽しいことである。

今日はあまり無理をしないで夜までと過ごそうと思う。

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2007年1月10日 (水)

カメラの目

NHKの朝の番組で地域医療に情熱を傾ける医師と患者の係りを紹介していた。医師の一人は岩手県遠野市に住む人だったが、この医師は家庭を訪問し、癌を病む老人とその家庭を支えていた。

感動したのはその医師が老人の希望を心底受け入れて診療に当たっている姿だった。

ある日、老人がかつて妻と毎日暗くなるまで牧草刈りをした草原に行ってみたいと言い出した。映像はやがてこの医師と家族が車で老人を広い草原に連れて行く場面を映し出した。車から降りて手ぬぐいを被った老人を医師と家族が車イスを押しながら草を踏みながら進んでいた。しばらくして、その一団は立ち止まり、おじいちゃんは満足そうに目を細めて遠くを眺めたのである。

すると今度は老人が「歩きたい」と言い出した。おばあちゃんと一緒に何十年も働いた大地を踏みしめて歩きたくなったのだろう。

医師と家族はおじいちゃんの両脇を抱え車椅子から立つのを手伝った。カメラはそこからおじいちゃんの靴を履いた足元に焦点を合わせていた。初めは引かれているようだったが、やがて足が一歩、一歩交互に前に進んで行った。草の上を歩いていた。
カメラは人を生かす、喜びを与えるところに焦点を合わせ、そこを切り取って紹介していたのだった。わたしはおじいちゃんと周囲の人の気持ちを察して目が潤むのを禁じえなかったが同時に、わたしたちの目はこうして隣にいる人の最も喜ぶ関心事にいつも向いているだろうか自戒した。

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2007年1月 9日 (火)

妻の誕生日

07010813pa0_0024  妻の誕生日である。69歳になった。停年を迎え二人だけの生活になってから以前にもまして妻が大事に思えるようになった毎日である。わたしのため、家族のため、膝の痛みや耳鳴りに悩まされながらそれでも朝から晩までよく働く姿には頭が下がる。
  
昨日は成人の日で休日だった。そこで息子が妻の誕生日のお祝いのつもりであろう、食事に一緒に行こうと言い出した。そこは瀟洒な日本蕎麦屋さんだった。茶屋風の店で、庭には木々が多く、埴輪も置かれていた。値段がなかなか立派なのでわたしと妻は700円の鴨蕎麦をいただくことにした。正月の生け花のある床の間付きの部屋は障子を通した光に明るかった。
息子たちと一緒に食事に行くと支払いはいつも妻がする。昨日も妻は一万円を渡そうとした。だが息子は受け取らなかった。
靴を脱いでいたわたしは玄関で立ち上がるとき息子に手を引いて立ち上がらせてもらって店を出た。遥に見える山並みには雪が白く光っていた。

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2007年1月 8日 (月)

賀状から

150通ほどの賀状をいただいた中にかつての「教え子」のものも多く含まれている。そのうちの二つ。
  
「元気でやっています。でも体力が落ちているようです。今年は歩くことに力を入れたいと思っています」
この男性は昭和40年に担任した生徒の一人だ。お父さんが目が不自由で鍼灸の仕事をしていたがそこでこころ優しい少年に育っていた。高校を出てからお茶屋さんに就職し、結婚もしている。もう55歳くらいになるだろう。障害はそんなに重くはなかったがそれでも障害を持って働くことはきつかったに違いない。体力が落ちたというこれからが正念場である。体をいたわりながらがんばって欲しいものだ。
  
「息子は高校受験、母は壊れそうな身体を明日に向けてスローに生きている。たのもしい息子がいるから」
頼もしい母である。その頼もしさは息子からいただいているとこの母は言う。実はこの母なる女性は中学部を卒業するときに受け持った生徒である。決して自分を誇らない、どちらか言えば教師の前では正面を向かないような子だった。答えるときにも口ごもることが多かったと記憶する。結婚したがその後母子で生きることを決心し、息子と生きてきたのだ。その息子が今年は高校受験。お母さんはもう身体が壊れそうになっている。でもここまで一緒に生きてくれた息子を今はたのもしいと思えるようになった。
Iさん、よかったね。たのもしさをいただきながらこれからもスローに生きてください。明日に向かってね。

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2007年1月 7日 (日)

新年礼拝

礼拝に参加し聖餐に与った。聖餐はイエスの十字架を偲ぶよい機会である。十字架を覚えることは主の愛を覚えることでもある。
十字架は愛の極みである。その苦しみを思うにはパンを味わっていただかねばならない。葡萄液も今朝はゆっくりと喉を通した。イエスの肉の痛み、血を流す苦しみを具体的に感じるためである。
  
そのイエスにわたしたちは用いられている。今日歌った讃美歌21の512番の最後にはこう書かれている。「わたしのうちに あなたが住んで みむねのままに 用いてください」
わたしたちはいかに弱くとも、力がなくとも心配することはない。わたしの中にイエスの霊が宿って、イエスが働いてわたしたちを動かしてくださる。体が不自由なものは他に代え難い者としてイエスは喜んで用いてくださるに違いないのだ。讃美しながらこの自由さと嬉しさをわたしは喜んでいた。

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2007年1月 6日 (土)

金柑

寝床から光る金柑見てをりぬ

障子戸に小鳥映るや寒の朝

金柑に群がる小鳥妻追ひぬ
  
帰り来し北風よろこび木々揺れる
  
空っ風路地を巡って隣町
  

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2007年1月 5日 (金)

書初めとミシン

仕事始めの日の昨日。親たちは出勤して子ども二人が家に残った。朝からこの孫たちに付き合うことにした。
メインの遊びは書初めだった。遊びといってもこれは小学一年生のHちゃんに言えることであって、お姉ちゃんには宿題のひとつである。学校から書初め用の半紙を渡されている。ところがHちゃんは学校ではまだ硬筆練習の段階だから紙など持っていない。棚の上から半紙を下ろし、二枚を糊で貼りあわせて用紙を作ってあげた。
お姉ちゃんの御題は「花たば」である。学校からお手本を持ってきている。書斎を占拠し、床一面に新聞紙を広げて太筆でゆっくり書き始めた。「花」の七画目の書き方や、「ば」の最後の筆遣いを教えてわたしとHちゃんは居間に移ることにした。
Hちゃんは筆など持ったことがない。文鎮を置き、硯に墨汁を入れてあげると自由に思うままにおねえちゃんと同じ字を書き始めた。入筆も終筆もあったものではない。どんどん書いていく。紙がなくなるとまた糊で貼りあわせる。こんなことが間に妻が用意したラーメンを食べることをはさんで三時過ぎまでも続いたのだった。わたしも退職前になってNHK学園で書道の勉強を少ししたので筆を持つことのおもしろさは知っている。だから二人と一緒にわたしも遊べたのだろう。
書斎を覗くとおねえちゃんはなかなかの作品を仕上げていた。
  
Hちゃんが炬燵に入って寝てしまった後、わたしは妻が出してきたミシンで先日カインズホームで買ったズボンの裾のまつり縫いに挑戦した。上糸の掛けかたを手引書にそってまず学んで、針に糸を通し、折り重ねた裾のふちに沿って縫うのである。タオルでテストしてみるとはじめは上糸が強かったらしくすぐに糸が抜けてしまったがやがてうまくいくようになった。わたしは足が使えないからお姉ちゃんに掛け声に合わせてスイッチペダルを踏んでもらってわたしが両手でズボンを針の動きにあわせて動かした。
多少の脱線はあったがなんとかジグザグ縫いができあがった。
子どもの頃姉たちの側で裁縫を見て過ごし、時にはボタン穴のかがりもやったから糸を持つおもしろさを体が覚えているのでこんなことができたのだろう。

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2007年1月 3日 (水)

正月の夜

Photo_14 正月や妻喜々として台所
  
賑やかな夜だった。まず娘の連れ合い(K)が来て丁寧に新年の挨拶をした。体が大きく、優しく、おとなしそうな男である。朝早くスノーボードに出かけその帰り道なのでおなかをすかしているだろうと妻は娘と私と彼のために夕膳を用意した。若いだけあっておいしそうにたくさん食べてくれる。妻は年末夜遅くまで用意した正月料理を嬉しそうにテーブルに並べた。今朝のうちに結婚式の費用の一部を祝儀袋に入れて娘には渡してあったのだが、そのことを告げられたKがまた改まってお礼を述べた。
そのうちにテニスの試合に出かけていた若い者一家が帰ってきた。孫たちは早速Kの手から娘があらかじめ用意したお年玉をもらう。やがて三男一家が東京からやって来た。三男はますます体が太り、ラフな洋服に包んだ体がのそのそと動く。ここでもお年玉をやり取りして4人の孫たちは満足そうである。
鉄板焼きの音とにおいが部屋中に立ち込め、ビールが次々に空いていく。三男はKに「わがままな妹をもらってくれたありがとう」などと殊勝な挨拶をした。
皆集ったら自動シャッターでわたしも入って写真を撮ろうとして三脚も用意していたのだが部屋いっぱいに広がったお膳や座布団でわたしの動く隙間はなくなった。そこで一段高くなったところから動かずに子どもたちと孫、そこには3人の付け加わった「子ども」も居るわけなのだが、を撮ることにした。
デジカメの液晶画面に映る彼らを見ながらわたしはある種の満足感に浸っていた。ここには次男だけが居ないのだったが。

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2007年1月 2日 (火)

記念誌を読む

東京に整肢療護園という療育施設がある。設立は確か昭和17年だった。手足に不自由を持つ子どもたちが単に整形外科的な措置だけでなく、職能的にも、教育面でも適切に援助を受けてすこやかに成長するようにと願って作られた施設である。戦争によって大きな被害を受けたが戦後又復活し、設立当時とはだいぶ様変わりしたが今でもその存在意義を保持している。
この療護園の同窓会が先日50周年を迎え、記念式典を日本青年館で祝った。同時に記念誌を発行した。それは記念式典の様子をカラー写真でふんだんに取り入れ豪華本になっている。今わたしは少しずつ読み進めているところだが、これは単なる一同窓会の記念誌というにとどまらず、この50年の障害を持つ人たちの歴史書であるという感を強くしている。
障害を持つ人たちが進学を拒否される姿、しかしそれ以前の日本とは違いまったく埒外に置かれるでもなくなっている様子が記され、中には大学での優秀さを誇る手記まである。
就職や職場では懸命に社会適応しようとしてがんばり、成果を収めるものが居る一方で無理がたたって体を傷める事例もある。また学業面と同様に立派に会社に貢献し満足感に浸る事例も紹介される。
結婚し家庭を持つ喜びが綴られる文章の一部には、伴侶にも理解されない障害を持つものの心が率直に披瀝されたりもする。
障害を持つ自分と家族の日々の姿も随所に書かれているが、ここに見る悲喜こもごもをわたしは自分の体験と重ねつつある箇所では喜び、またあるページでは心を引きつらせながら読み進めた。
こうしてみると、この50年は障害を持つ者が社会の一員として自己を主張し始め、古い社会と格闘した期間であったのかもしれないという気がしてくる。だから「成功」した者が己を誇るのは当然かもしれないし一方では戦によって疲れ傷付くものも居たのだ。
ともかくも療護園の卒園者がこうして自覚的に己の生きてきた姿を文章化できたのは療護園が一人一人の存在を受け入れるよい環境を作り上げていたということだろう。まだ前半の一部を読んだだけなのだが、この本は同窓会内部だけで読むには惜しい気がしてならない。

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2007年1月 1日 (月)

年の初め

新しい年が明けた。平穏に年が明けたことを感謝。
今年は息子一家も帰省せず皆そろっての元日となった。十時を過ぎて妻が用意したお膳に皆で向かった。わたしの音頭で「新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と声を合わせた。
  
ママが孫二人にお年玉を名前を言いながらあげた。それに続き、妻とわたしにも袋に入れたお年玉を差し出した。初めてのことである。思わず「わ、感激」とわたし。一万円ずついただくことになった。その後孫たちにわたしたちからもお年玉を渡した。
  
年賀状もたくさん届いていた。一年に一度の挨拶だがこの時しか挨拶を交わさない者も多い。いただくとそれなりに消息が分かって嬉しいものだ。沖縄の友からは「今年は沖縄旅行を計画しませんか」と言ってきた。うん、そうしようかという気になる。
昨年わずらった病気に触れる文面も多いが、年賀状のよさはその後に、今年は元気に過ごそうと思いますというように希望が綴られることである。
  
人気なき元日の道光満つ

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