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2006年11月14日 (火)

聖日の意味

 小友聡氏が「信徒の友」11月号に「安息日の意味を考える」と題する文章を書いている。今日は特に為すべきこともなく、それゆえに開いた本誌から思わぬメッセージをいただくことになった。

 安息日とはキリスト者にとっては日曜日のことである。なぜ日曜日が「安息」日となったか。

 聖書からその根拠を見出すとモーセの十戒の第四に「安息日を心に留め、これを聖別せよ」とあることによる。ところがなぜ安息日を厳守しなければならないか、その根拠が出エジプト記、申命記では違っている。私には現代の社会にあって申命記の説くところがより力強いと思われるのでその聖書箇所を掲げよう。

 あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである。(申命記5章15節)

 すなわち「救いの出来事を想起し、主に感謝し、主との契約に生きるために、礼拝の日すなわち安息日がある」(小友聡氏)のである。

 さて、この安息日を聖別するとはどう安息日を過ごすことか。この説明を小友聡氏は明快にこう記す。

 安息日を他の六日間と徹底的に区別すること。「時間の聖別」である。安息日のことをヘブライ語では「シャッパー」と言いそれは「やめること」「放棄すること」を意味する。

 もともと神に属する時間を神に返し、自らのものとして使うことをやめ、放棄することだと言うのだ。自分の時間として用いず、異なる性質の時間を作ること、これが現代人にとって真の「安息」となるのであろう。

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