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2006年11月 9日 (木)

車椅子弁護士M君の引退

 車いす弁護士M君から事務所閉鎖の葉書が届いた。この一枚の葉書はわたしにとっては単なる挨拶状ではない。ここには彼の個人史が綴られている気がするからだ。「加齢に伴ないポリオ後遺症による体力低下が著しくなったため」と書かれたこの一文に彼の生活史が読み取れるのである。

 彼はわたしと多くの共通の課題を負って生きてきた。同じ年に彼は三重県でわたしは埼玉県で生まれたが、幼少時にポリオに罹っている。そして公立高校で入学を拒否され、二人とも私立高校に入学することになった。彼はその後同志社大学法学部に進む。彼の人生の知恵は大学受験に当たって体の障害を告げずに合格してしまったことだ。
 わたしは群馬大学で入学を許されず高校進学時と同じくここでも浪人生活に入る。だから同じ年の生まれでも彼は二年早く大学を終えることになった。そして体の障害からくる生活上のマイナスを軽減すべく新宿区にあった国立身体障害者更生指導所に入って来た。教員を目指すわたしも同じ目的をもって彼に遅れて入所し、しばらく生活を共にすることになった。東京教育大学の4年生の時である。

 彼の障害はわたしよりも重度であった。手術によって立つことができるようになったが補そう具は腰まであって、立つことはできても歩く実用にはならなかった。しかし手術によって彼の生活は大きく変化し、数年後には司法試験に合格し、やがて弁護士の生活が始まった。わたしは彼より一足早く教員としてひとり立ちし、二人はそれぞれの道を歩むことになった。更生指導所を出てからの付き合いはほとんどなくなった。

 松葉杖で歩くわたしにはわたしなりの困難があった。だが、弁護士生活を34年間続けた彼にはもっと解決すべき課題があったろう。彼の著書にも書かれているが車いす生活者にとってトイレの問題は深刻である。利用できる場所は限られている。仕事上、全国どこでも出かけなくてはならない彼にはこれは大変な重荷に相違なかった。飲み物を極力減らす毎日であったと想像される。また、バリアフリーが整っていない日本の環境の中で依頼人との面談や法廷活動はどうしていたのだろう。一度会ったときに、出張先のホテルで早くお湯を抜きすぎて風呂から出られなくなって(彼は立てないし腕の力も弱い)、あわててもう一度浴槽にいっぱいお湯を張り、その浮力を利用してやっと上がったという苦労話を聞いたことを思い出す。

 幾多の困難を彼は持ち前の社交性と知恵で34年、なんとかやってクリアーしてきたであろうことは彼に聞くまでもなくわたしにはわたしの経験から理解できる。

 しかし、今度の通知からうかがい知れるように、二人とももうかなり体は思うようには動かなくなっている。ポリオの故かどうかは判然としないが数年前の動作が今はもうできない。筋力がなくなり、疲れ、体のゆがみによる痛みも出てきているのだ。

 今度の通知はM君からのものであるが同時に、わたし自身が書いたものでもあるような複雑な気がしてならない。

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