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2006年10月 9日 (月)

銀杏拾い

 池上神社の銀杏が落ちる頃になった。昨日から夜通し強風が吹き荒れたので今朝はきっとたくさん落ちているに違いなかった。

 06100910pa0_0008 案の定、境内は銀杏の絨毯であった。田舎の人は朝が早いから拾われてしまったかと案じたのだが、とても拾いきれる数ではない。今朝は抜けるような青空である。大きな木々の間から差し込む光に輝く粒を妻は歓声を上げて拾い始めた。
 この神社は和銅年間(8世紀)の創主である。この片田舎にも中央の支配はしっかりと伸びていたのだ。北条氏と織田勢の合戦(神流川の合戦)で一度は消失したものの時代の波を潜り抜けて現在の社殿が再建されたのだった。マキの大樹が空に向かって何本も伸びる陰に社殿は1200年の歴史を語って納まっていた。
 妻はまたたく間に袋いっぱいに銀杏を集めてしまった。落ちている粒を踏まないようにして車を回転し、春に住職としばしお茶をいただきながら歓談した寺に行ってみた。駐車場脇の田には刈りとった稲が数列になって干され日に輝き、その向こうには農家の柿が色づいて見えた。
 実は今日は私たち夫婦の結婚40周年記念日である。昨夜は子どもたちがテニスの試合に出かけている間にお寿司をとってひそかにお祝いをしたのだ。40年間過ごせたことに朝には感謝の祈りを捧げたのだが、いったい私たち夫婦が残したものは何かを改めて思う時、子供たちの誕生という命の継承を許されたこともその一つであると思わずにはいられない。

 その感を深くさせてくれたのが今朝の銀杏拾いで訪れた神社だった。延喜の時代から延々と命の営みがこの地でも受け継がれてきて、その中に私の父母もいっとき生かされた。私はその命をいただいてここにおり、そして今朝は孫をつれてサイクリングに出ている私の子どもに命のバトンを渡したのだ。

 天に向かって伸びるマキの木や豊かに実った黄金の稲、赤い柿の実、地面いっぱいの銀杏、この自然の恵みの中に受け継がれる命。この天然の法則を人は毀してはならないだろう。

 

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