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2006年10月

2006年10月31日 (火)

みんなで歌う

 妻が参加しているコーラスグループに車いすを使用している女性がいる。このグループはこの3日に町の文化祭に参加して日頃の成果を発表するのだが、会場がバリアフリーになっていない。壇上に上がるには何人もの助けを得なくてはならない。これは本人もいやである。
コーラスグループの代表者がなんとか壇上に上がれる設備を作って欲しいと町に掛け合った。その結果スロープができることになった。今日は業者が来て設置するという。
 今朝になってその女性から体調が悪いので代わってわたしに現場に行き、車いすを利用する立場から見張りの役をしてほしいと電話があった。
 _0071 9時半というので急いで行ったのだが、設置作業が始まったのは10時を過ぎていた。客席を10席ばかり外して、80センチの高さのところまで金属製のスロープを架けるのだ。勾配は10度弱だという。消防法の問題もあって常設できないので車いす利用者が会館を利用する時にその都度倉庫から取り出してはつけなくてはならない大変さもあるとのこと。
 家にあった資料を持参して車いすリフトをつける手もありましたねと町の係りの方に話したが、これも検討はしたらしい。
 12時近くなってようやく取り付けが終わったので押してもらって上ってみた。急勾配なので自走はできない。勾配をゆるくすることもスペースの関係で無理である。
 結果、これでよしとすることになった。(わたしがよいあしを言う立場にはないのだが)観客が大勢見ている前をスロープで上がっていくのはやはり抵抗があるだろうが、今回はここでみんなで楽しく歌って欲しいものだ。
 ホール建築の段階から車いす利用者のことを考慮すればもっともっとよいものができるのに、後付ではどうしようもないのだ。これでも数十万円かかるということだから、町もそれなりの決断をしたということだろう。
 妻たちの発表会の前には中学生の音楽会があるとのことだった。そのときスロープをどうしようかと会館の方が話していたので、このまま使ったら生徒もスロープの必要な人を意識するでしょうねとわたしは申し上げた。

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2006年10月30日 (月)

必修科目の履修漏れ

 高校の必修科目の履修漏れ問題が話題になっている。全国的に公立高校で必修科目を履修させないで卒業させようとしたり、名目上履修させたことにして推薦入試の内申書を提出していることが最近になって公になってしまったのだ。

 こうしたことが起こった最大の理由は入試に関係ない科目の学習に当てる時間を極力減らして「無駄」を省き、受験中心のカリキュラムが編成されていることによる。

 これは明らかに指導要領に違反しているのだが、おかしなことに違反した当事者が責められないばかりか、教育行政の本家本元の文部科学省や地方教育委員会が救済策を探っているのである。学習指導要領の細部を探し回って抜け道になる規定がないかどうか検討しているのだ。 

 大方の言うように確かに高校生の卒業資格や進学に支障が出ては気の毒である。学校は何らかの手立てをしなくてはならないだろう。

 そこで思うことがある。一つは以前内申書改ざんによって処分を受けた教員がいたことだ。これと対比して未履修の科目を履修したように見せかけて内申書を書く事とどれだけの違いがあるだろうか。いったい内申にはどんな成績が記されているというのだろう。

 もう一つ。先日障害を持つS君と会ったときに彼は公立高校に進学を希望したが体育の単位が取れないという理由で受験を許されなかったと話してくれた。現在は例えば都立高校は障害を持つ生徒を区別することなく受け入れているがかつては同様な事例があちこちであった。遠い昔の話だが私自身その当事者である。肢体不自由の生徒の高校進学はこうして一応型が着いたが、まだ他にも単位習得問題で就学できない者はいることだろう。

 学校はこうしてまで単位履修にこだわるのだ。それでいて今回の履修漏れ問題のようなことをやってのける。大勢の利益のためには規則を無視してもことを為すが一人の困難をかかえる者の学習の権利は無視をしてきたのが学校の歴史だったと言える。

 しかし、わたしは学習指導要領どおりにやれと言っているのではない。教育は一人の人間がその人らしく成長することを援助する業である。規則もその人、その場に応じて適応したらよい。もともと教育は行政にはなじまないものなのだから。

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2006年10月29日 (日)

無事に帰る

 神宮球場周辺の道は分かりにくい。田舎と違って一時停車して方向を確認するわけにもいかず、同じ道を二度も走りながらようやく日本青年館にたどり着く。
 係りの方が大勢外で待っていて案内に当たってくださった。館内でもボランティアを買って出て車いすを押してくださる青年が懸命に動き回っていた。
 約二時間の間であったが昔の「教え子」と対等に会話を楽しみ、かつての同僚と安否を確認しあったのだった。
 同窓会の実行委員会が綿密に準備をしてくれたお陰で療護園から遠く離れた会場であったにもかかわらずすべてが滞りなく済んだようだった。
 わたしも障害を持つ身であるが彼らは障害を持って生きる中で強い実行力を獲得して来たようで、これはわたしの持たない驚きの姿だった。
  
 Photo_9 今日は豊島岡教会で礼拝説教。用意した原稿に沿って語ったのだが、終わっていったい神の御心をどれだけ語りえたか心もとなかった。しかし、幸いにもその不安は礼拝献金の祈りをしたM姉妹によって拭い去られた。
 礼拝後の茶話会で語られた兄弟姉妹のことばにもわたしの思いを越えた神の心が表され、わたしの説教が主によって十分に味付けされ、友の心に届いていることを実感できた。教会の友はわたしの言葉をそれぞれに自らの信仰にひきつけて引き受けてくださったのである。豊島岡教会はそんな自由さのある教会なのだ。
 茶話会の後、なじみのお蕎麦屋さんに先生、役員そろって行き、食事を共にし、歓談して帰途についた。
  
 金曜日の日誌に書いたとおり帰りは一度も休息をとらずに一気に高速を走りとおした。夕日が少し傾きかけていた。 

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2006年10月27日 (金)

緊張

 どんより曇ってあまりよい日ではない。気分も重い。これは天気のせいばかりではない。外出前によくあることだ。
 明日はしばらくぶりで東京に行かなければならない。日本青年館で整肢療護園同窓会結成五十周年記念式典があるのだ。会に参加すのは楽しみなのだが車を運転して都心に行くとなるとやはり緊張する。板橋に住んでいるころ行ったことのあるところだが、もう20年も前である。
 明日は都内に泊まって日曜日にはかつて籍を置いていた教会で礼拝説教をする。この話のチェックも今日のうちに済ませておかねばならない。
 こんなわけで行きの運転はいつも気分が重い。しかし、すべてが守られて無事終了し帰りの道を走る時には重荷が取れ、スピードもついつい上がってしまう。これがいつもの私なのだ。楽しく行ってこよう。
  
 「こころの便り」に教会の老齢化の話題をアップした。関心のある方はごらんいただきたい。

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2006年10月25日 (水)

カメラをゲット

06102700dscf0006  デジタルカメラをようやく手にして心が躍っている。なにせ半年も選びに選んで決めたカメラである。幾つもの候補が浮かんでは消えた。値段が高すぎたり、色へのユーザーコメントがおもわしくなかったり、メーカーのサンプル写真がよくなかったりいろいろの理由で消えたのだった。
 買ったカメラの良さの一つはファインダーが付いていることだ。デジタルカメラは液晶部分でアングルを決めるものが多い。これでは手を伸ばしてシャッターを押すことになってブレが心配である。フィルムカメラを長年使った者にとってブレは致命傷である。
 もう一つの良さは画角が35ミリカメラに換算して35から140まである点だ。これだけの幅をカバーすれば大体好みの写真が撮れる。画素数が600万あるのも選んだ理由の一つである。背景のボケを気にしたらデジカメは使えないのでそれは不問にする。
 このカメラを選んだのはもう3ヶ月も前なのだが値段が4万円をなかなか切らなかった。今年の5月の発売だからもうそろそろ落ちてくると思ったのだがそれでもインターネット販売でも3万5千円はした。
 ところが先日ふとカメラ屋で見かけたものが3万3千弱だった。26日までの限定販売と表示してある。もう買うしかない。こう決めて、清水の舞台から飛び降りるつもりで今日ゲットしてしまった。
 今まで持っていた固定焦点のものがある。これもよい色を出す。それでも使うのは旅に出たときくらいである。今度のカメラもいったいどれほど使うというのだろう。まあ心の洗濯になったと思ってよしとしよう。
 家の棚には一眼レフが4台、コンパクトカメラが4台、デジカメが2台並ぶことになった。レンズは数えるのが大変なので数は書かない。
 今バッテリーの充電中。終わったらシャッターを切ってみよう。

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2006年10月23日 (月)

スポーツに夢中

 今スポーツが面白い。日本では日本シリーズが始まっている。昨夜は日本ハムファイターズが新庄の活躍などで見事中日ドラゴンズに雪辱した。これで1勝1敗となり日本ハムファイターズは本拠地の北海道に戻ることになった。

 アメリカではワールドシリーズが始まっている。今日はタイガースが勝ってこちらでも1勝1敗という接戦を繰り広げられている。

 昨日はほかに競馬の菊花賞もあった。本名のメイショウサムソンが敗れなんと8番人気のソングオブウイントが優勝してしまった。武豊が最初から飛ばして一時は10馬身以上も差をつけて場内を沸かせていた。またJリーグやゴルフの試合もよい試合の連続であった。

 実は、昨日は衆議院の補欠選挙が2カ所で行われたのだがそんなことよりもスポーツ中継の方につい関心が向いてしまう。スポーツの世界にはウソがないのだ。一生懸命にプレーする選手のところにそれなりの結果が現れるのである。政治の世界では北朝鮮の核実験を停止させようとしてアメリカのライス国務長官が日本、韓国、中国そしてロシアまで飛び回っているが、経済力や軍事力を背景とした強国が自国の権益を守ろうとする姿勢のみが見え隠れしている。この状況につけ込んで日本でも核武装の理論までもが出始めている。予想だにしないことがこうして簡単に、いとも正論のように湧いて出て来るのである。

 スポーツばかりに目をとられていてはいけないのは言うまでもないが、スポーツの世界の論理が何とも単純明快で、ついついそちらに気をとられてしまう昨今ではある。

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2006年10月22日 (日)

聖日の祈り

 恵みに富みたもう主なる神様。

 過ぐる週日を恵みのうちに過ごさせてくださりありがとうございました。

 そして、今日またこうしてあなたに連なる兄弟姉妹と交わりを許され、一緒にあなたを讃美し、御ことばに聞く時を与えられました。心から感謝いたします。

 神様、今朝は特に新潟県中越地震で災害を受けた友と教会を覚えて礼拝を御許に献げます。

 二年前に起きた地震は今なおそこに住む兄弟姉妹の上に大きな困難を背負わせています。それにもかかわらずわたしたちは毎日の生活に追われその兄弟姉妹のことを忘れ、己のことのみに集中して過ごしてきました。

 どうぞ苦しみの中にある人々を思う心をお与えください。もしも、自分たちは忘れられていってしまうという恐怖、忘れ去られてしまったという悲しみを抱いている友がいたら、その方の上にあなたが留まってください。

 どうぞわたしたちを友の苦しみ、悩み、悲しみを一緒に背負う人としてください。

 そして、この世があなたの御支配の下にあることを心から信じ、勇気を持って交わりの業をなさしめてください。

 今から御言葉をいただきます。取り次ぐ先生を聖霊で満たし、語る力を与えてください。この場に集えない人々にも恵みをお与えください。

 これらの祈りと感謝、わたしたちの救い主、復活の主イエス・キリストのお名前によって御前に捧げます。 アーメン

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2006年10月21日 (土)

今日の句

 秋の陽や手すりの上を蜂歩く
  
 山茶花や恥らい秘めて咲き初めつ

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2006年10月20日 (金)

コスモス

 06101214pa0_0001咲き残るコスモス哀し荒れ畑
  
 一輪車乗る子を待ちぬ秋の暮
  
 葡萄の実バッグに詰めて部活かな

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2006年10月19日 (木)

憩う

 榛名町に信仰の友を訪ねた。榛名山へ通じる道の途中に友の住まう老人施設はあった。
 Untitled1 友は盛岡市での伝道を最後に牧師の務めを終えていた。実直な方でいつも控えめなお姿をしていたが、話し方には威厳があり、確かさを秘めていた。だから今日お訪ねしても和やかに談笑できるかと一抹の不安を持って行ったのだが、友は優しく笑顔で迎えてくださり、二時間ほどの間楽しく、すてきな交わりの場が生まれたのだった。
 お一人住まいで、最近は目が不自由とのことだ。しかしバスで山を下って日曜日には高崎市の教会で礼拝を守っている。時には安中市の教会に行ったりまた榛名湖にも出かけるという。偶然にもわたしの教会と深い関係のある島村教会の牧師とも交わりがあるとのことだった。
 群馬県に暮らすのは初めてというお話を聞きながら、主に連なるものはどこに住まっても友が近くにいますから寂しくないですねとわたしは感じたままに友に告げた。
 めったに使うこともないであろうカップにお湯を注いで、紅茶パックをその中で揺すりながら作ったお茶をいただいて、友とわたしと妻の交わりの時は過ぎていった。
  
 その後、わたしは安中市に高校の友を訪ねた。奥様も停年を迎え、お二人で豊かな毎日を送っている様子を見せていただき、三時少し前見送られて友の家を辞した。
   
 今日は一日よい日であった。

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2006年10月17日 (火)

生きるための費用

 高校1年の終わり、当時の生活費を日記にこう書いていた。
   
 2年生の生活はどれくらい金がかかるのだろう。なるべく1年の時と同じでおわそうと思う。今のところ減らせる金といってもない。パンを買うのを削るくらいで他にはない。
 それでは今の様子はどうだろう。寮費2400円、月謝1500円、家へ一度帰る費用100円、映画を月に一度見る50円、参考書代150円、その他100円。こう見ると、今までと同じにかかる。
   
 わたしの家は農家だった。現金収入がいつもあるわけではない。だから家を一人離れ、私立の高校で寮生活するわたしは生活費をいつも気にかけなければならなかった。姉は家で賃機を織っていたがその収入の中からわずかの額を小遣いとしてくれることがあった。
  
 家族みんなの支えでなんとか3年間の高校生活を終えたわたしはまた大学にまでも進むことを許された。
 
 現職にあるとき同僚が息子の進学で相談に来た。学費が賄えるかどうか心配だという。わたしは学生時代は一時のことだ、3年、または4年で終わる。家計が苦しくとも子どもの希望をかなえてやることを優先したらいい。そう伝えた。このことばの裏にはわたしが家族から受けた支えへの感謝の気持ちがあった。
 

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2006年10月16日 (月)

サルビアの花

 06101614pa0_0019スロープを下りきったところに紫色の花が咲いている。小さな、産毛がついた花だ。細い茎の先に幾つも連なって花弁が並んでいる。名もない草花かと思っていつもはその脇を素通りしていた。
 昨日の朝である。NHKの園芸の時間でその花が映し出された。サルビアを20年以上も世話をしているという女性が他のサルビアも紹介しながらその花の育て方を楽しそうに話していた。家の花もサルビアだそうで、Photo_8冬には根元の保温が大切だとのことだった。
  花の素性が分かったとたん家の花が急に身近なものになってきた。おかしなことだ。

 06101614pa0_0003このサルビアの先の駐車場を過ぎると小道があって松の木がこんもりと茂っている。これは私を慰めてくれる大切な場所である。なんの用がなくともぶらりと出かけてこの松を見て帰れば一つ大きなことをし たという思いが私の中には湧いてくる。

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2006年10月15日 (日)

神こそ主

 聖日礼拝に出る。
 礼拝に出られることはたまたま体の具合に恵めれたとか避けがたい用事がなかったということではない。礼拝に参加し、献金を捧げることは偶然の集まりではなく神の奇跡による。神の御手による出来事である。
わたしたちは神がいてくださって生きている。神はわたし達の願いどうりに祈りを実現してくださるのではなく、神の願いによってわたし達が変えられる。わたし達はそのように生きている。
 神が全能であり、すべては神の御手の中にある。
  
 以上、礼拝で確認されたこと。

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2006年10月14日 (土)

高齢者の多い教会

 教会にも高齢者が多くなった。こうした傾向は一般社会で歓迎されないように、教会でも同様であると言っていい。社会的には生産性が落ちる、社会の負担が多くなるなどの問題が指摘されるのだが、教会においては宣教活動が乏しくなり、また、献金額が減少するなどと言われるのである。
   
 先日私の教会で「年齢(とし)をかさねることと教会」というテーマで懇談会を持った。参加者の大部分がいわゆる高齢者である。
 感謝すべきことにこの席で皆さんが、教会に連なり、礼拝に参加し、友との交わりを持っていることによって、希望が与えられ、余分なものを剥ぎ取った信仰の生活を大切にし、病床生活にある友も礼拝出席を望んで日々を過ごしていることを証したのだった。
 会員の義務としての礼拝参加ではなく、まして習慣としてのそれでもなく教会生活が喜びの泉となっていることが明かされたのだった。
 ここには教会の再生の源があるような気がした。若い人が来ないと教会が沈滞する、若者を呼び戻そう、そういう声が多い中で、今回の友の発言は一つの出来事といえるようなことだった。
 全国の教会がもう一度主にあることの喜びを声をあげて歌うとき教会は生き生きしたものになるだろう。(注 近く「こころの便り」に今回のテーマをより詳しく書くことにしている。)

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2006年10月12日 (木)

真夜中さんへ

 真夜中さん、今日はおいでになりませんでしたね。
 私は今朝いつもより早く目が覚めてしまいました。そしてふと真夜中の1時前「こうりゅう広場」にアクセスしてくださるあなたのことを思っていました。
 この時間に開いてくださる方はどんな方だろう。お仕事が夜遅くまであって、夜中に帰ってこられてパソコンに向かうのだろうか、それとももしかしてお病気で眠れないままにパソコンでお過ごしなのだろうか。いやそうではなくて、若い方で夜中とか昼とか関係なくいつも元気に活動しておられる方かもしれないな、とも想像しました。
 心配しないでください。このココログではアクセス分析ができるのですが、どこのどなたかはまったく分かりません。たくさんの数字とアルファベットで構成されるIDが示されるだけなのです。そのIDのあなたが真夜中にアクセスしてくださるので勝手にわたしが真夜中さんと名前を付けさせてもらったのでした。
 夜中にもかかわらず私の愚痴やら思い付きの俳句などを読んでくださっているあなたに感謝しています。そして私自身病気で寝られないつらさを知っていますので老婆心で、もしやと考えたりしたのです。また、体力がなくなった今、夜中まで働いているとすればそれは大変なご苦労だなと感じているのでした。
 先日の朝日新聞の投書欄に定年退職した人がパソコンが唯一の楽しみだと書いていました。この気持ちはよくわかります。ですから真夜中さんだけでなくこの「広場」をお読みのすべての方にこの場でお礼を申します。ありがとうございます。

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2006年10月10日 (火)

夕暮れの庭

  庭の隅茗荷発見妻歓喜
  
 ハルちゃんを駅に送ってからしばらく庭に遊んだ。妻はもう庭がいっぱいなのに次々苗木を買ってくる。昨日はザクロを買った。どれも美しく咲いたり実をつけるというわけではない。いや、枯れてしまうものの方が多い。でも少しの間でも残って葉をつけていると嬉しそうにその葉を触ったり水をあげたりしてい06101016pa0_0000る。
 もう少し造形美を考えて植えればいいのだが、そんなことには無頓着である。買ってくるのが楽しいのだ。だから我が家の庭にはごちゃごちゃとたくさんの種類の草花や実の生る木が並んでいるのである。
 先刻、そんな木の下をもぐって、蚊に刺されながら妻は茗荷を二個発見した。黄色い花が顔をのぞかせて咲いていた。
 今夜の味噌汁は茗荷のよい匂いがするだろう。

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2006年10月 9日 (月)

銀杏拾い

 池上神社の銀杏が落ちる頃になった。昨日から夜通し強風が吹き荒れたので今朝はきっとたくさん落ちているに違いなかった。

 06100910pa0_0008 案の定、境内は銀杏の絨毯であった。田舎の人は朝が早いから拾われてしまったかと案じたのだが、とても拾いきれる数ではない。今朝は抜けるような青空である。大きな木々の間から差し込む光に輝く粒を妻は歓声を上げて拾い始めた。
 この神社は和銅年間(8世紀)の創主である。この片田舎にも中央の支配はしっかりと伸びていたのだ。北条氏と織田勢の合戦(神流川の合戦)で一度は消失したものの時代の波を潜り抜けて現在の社殿が再建されたのだった。マキの大樹が空に向かって何本も伸びる陰に社殿は1200年の歴史を語って納まっていた。
 妻はまたたく間に袋いっぱいに銀杏を集めてしまった。落ちている粒を踏まないようにして車を回転し、春に住職としばしお茶をいただきながら歓談した寺に行ってみた。駐車場脇の田には刈りとった稲が数列になって干され日に輝き、その向こうには農家の柿が色づいて見えた。
 実は今日は私たち夫婦の結婚40周年記念日である。昨夜は子どもたちがテニスの試合に出かけている間にお寿司をとってひそかにお祝いをしたのだ。40年間過ごせたことに朝には感謝の祈りを捧げたのだが、いったい私たち夫婦が残したものは何かを改めて思う時、子供たちの誕生という命の継承を許されたこともその一つであると思わずにはいられない。

 その感を深くさせてくれたのが今朝の銀杏拾いで訪れた神社だった。延喜の時代から延々と命の営みがこの地でも受け継がれてきて、その中に私の父母もいっとき生かされた。私はその命をいただいてここにおり、そして今朝は孫をつれてサイクリングに出ている私の子どもに命のバトンを渡したのだ。

 天に向かって伸びるマキの木や豊かに実った黄金の稲、赤い柿の実、地面いっぱいの銀杏、この自然の恵みの中に受け継がれる命。この天然の法則を人は毀してはならないだろう。

 

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2006年10月 7日 (土)

今日の一句

 空が濃い青になった。しばらくぶりで外に出る。耕された畑に車から投げ捨てられたのであろう空き瓶が散らかっていた。そして、道端のダリアは盛りを過ぎ、しおれた花弁をそのままつけて立っていた。
 06100714pa0_0016 
 秋来たり天際に雲流れ行く 
  
 路地の先青き山見ゆ里の秋

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2006年10月 6日 (金)

秋の句

 本読みて自転車行くや秋日和
  
 風呂の香をまとって孫来る秋の夜
  
 宿題のこおろぎ鳴いて孫眠る

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2006年10月 5日 (木)

友の入所

 彼は高校に進学せず大工の道を選んだ。わたしは高校側の拒否によって高校を断念しなくてはならなくなっていた。進路の決まらないわたしを時々訪ねて来て、話し相手になってくれたのだ彼であった。もう50年も前の話である。
 彼は今わたしの近くに住んでいる。奥さんが体の具合がわるく時々救急車で運ばれるような状態にある。その上先日息子さんが三人の就学児をおいて亡くなってしまった。彼が一人では動けない奥さんの面倒をみているが、息子さんの連れ合いも老夫婦と子どもたちの世話で大変であろう。
 聞くところによると彼と奥さんは近く、施設に入所することになったそうだ。全体のことを配慮してこれがよいと判断したのだろう。
 長く工務店を営み、地域では区長を務めたおとなしい彼だが、こうして地域との縁を切って施設住まいになる。
 優しい彼ゆえ奥さんだけを施設に入れるのはできなかったのだろう。今後の幸せを祈るほかない。

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2006年10月 4日 (水)

秋の恵み

 絵が一通り出来上がった。明日にはまた変化するかもしれないがここに載せよう。Photo_7

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2006年10月 3日 (火)

体調

 暖かな一日だった。しかし体調はよくない。夜中トイレに起きてつばを吐くとそれが赤いのだ。先日内科で胸部レントゲンを撮って、医師は肺は問題ありませんね、と言っていたのにどうしたことなのだろう。今日は耳鼻科にかかろうと夜のうちは思っていたのだが、もう少し様子を見ることにして病院行きは取りやめにした。
 パソコンを触ると胸の息苦しさが増すようなので、絵を描いて一日を過ごした。昨日教会の姉妹からいただいたいが付きの栗とコスモス、それに畑のナスを題材に水彩で描いた。デッサンはよかったのだが色をつけると徐々にイメージが変ってきてなかなか思うようにはいかない。
 まだピーちゃんは児童館から帰ってこないが、絵を見つけたら自分も描きたいと言い出すだろう。

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2006年10月 1日 (日)

秋のドライブ(2)

 桐生市には群馬大学工学部がある。高校を卒業した年、わたしは工学部応用科学科染色を受験した。織物の染色関係なら仕事ができるだろうとの判断だった。ところが大学側はわたしの身体障害を否定的に捉え入学を許可しなかった。
 こんなこともあって桐生市はひっかかりのある町だ。一度織物工場を見てみたかった。
 Photo_5 織物参考館紫(ゆかり)は大きな建物だった。織物工場特有ののこぎり屋根を持った建物の中には織物の歴史を語る数々の織り機が展示されていた。紀元前4世紀の織物機は縦糸の先に石をぶら下げていた。話には聞いていたいざり機もあった。模様織りをする織り機には上に人が乗って縦糸を上下させたと聞いて、これには驚いた。
 藍染の壷を覗かせてもらったり、実際に稼動している機械の様子も見ることができた。説明の女性が懇切に相手をしてくれたので快く見学ができた。
 その雰囲気を持ったまま、帰りには絹のネクタイを思わず求めることとなった。よい記念Photo_6 になるだろう。
  
 一日付き合ってくださったKさんには感謝である。

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