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2006年9月19日 (火)

準備終わる

 来月の末豊島岡教会で話す内容の準備を終えた。後はこれを当日読みやすいようにプリントすればいいだけた。
 準備の過程で「心の貧しい人は幸いである」の聖書解釈が変ってしまった。当初はユダヤ人キリスト者の心が奢っていたので貧しくあれ、とイエスが呼びかけていると理解したのだ。ユダヤ人は歴史の初めから救いの歴史に乗っている。また、律法を守った人々でもあった。だから心も豊かであろうと思ったのだ。
 ところが、口語訳聖書では「幸いだ」という祝福が先行している。もう祝福されているのである。彼らはすでに心が貧しくなっている。これは自分たちの救い主と信じたイエスが十字架につき、自分たちも様々な苦しみの中にあることから来ている。マタイはそれを肯定し、世の価値に生きられない人たちこそ祝福を受けるのだと、伝えたくてこういうイエスの姿を描いたのではないか。こう気づいたのだった。
 注解書や説教を振り返ってみて変更したのだが、わたしの今の読みはこれである。

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