« 歩く | トップページ | 人ができる »

2006年8月 3日 (木)

天国の教育哲学

0010  先日のキ障協の総会の際に講師の川田殖先生からいただいた本「今こそ人間教育を」の一部を読んだ。「社会科教育五十年に思う その来し方とゆくえ」と題する信州社会科教育研究会五十周年記念講演である。

 人権尊重の精神にあふれるすばらしい講演である。先生によると文部省は1948年と1949年に「民主主義」という教科書を出版したのだそうだ。このなかで従来の教育を反省し新しい教育のあり方を示したのだ。

 この中には以下のような表現がちりばめられている。

 「学校制度が単純化され、教育を受ける機会が平等化されたことは、教育における民主主義の実現への画期的な出来事であるといわなければならない。」

 「新教育は、生徒の個性を重んじ、その自発性を尊ぶとともに、先生の教え方にもじゅうぶんに自主性を認める。」

 川田先生はこの資料と憲法前文、教育基本法などの資料を用いて教師が生徒と共に学習共同体を作っていく必要性を熱っぽく語ったのだった。いや、先生は社会科教育を「生命共同体としての社会科教育」とおっしゃる。

 そしてこう述べる。「生物においても一つとして同じ個はない。それでいて、それを包む共同体によって、一つ一つがかけがえのない個である。自分は他者とのかかわりにおいて、初めて生かされて主体となり自己が形成されていく、ということを考えさせられる。」

「社会参加のメカニズムは、従来の単純な個人と社会というものを対立の図式ではとらえない。むしろ、個は、互いにバラバラにアトミスティックに存在するのではなく、生命共同体の脈絡の中で、互いに助け合い支え合うような、インターディペンデントな動的な存在である。」

 講演の終わりに先生は「天国の教育哲学」なる用語を用いた。個人エゴイズムや国家エゴイズムを語りながら先生はこういうのだ。「私たちは、昔から聖賢が、人間の救いのために取り組んだ人間の根本問題、我執と煩悩と個人・国家エゴイズムの問題にいやおうなしに直面せざるを得ないわけでありましょう。昔はこれを、個人の宗教の心の問題として、内心の解決に委ねていました。これからは、人類普遍の課題を解決するために、各人が、各国が、全人類が、全世界が強制ではなく自発で、説得ではなく気づきで、お互いに協力して、人間が背負っている根本問題というものに取り組まなければならのではないでしょうか。」

 高い見識に基づき、豊富な経験の中から語られた講演をここに記し尽くすことができないのは当然であるが、私の今後の資料として上記の引用、紹介させていただいた次第である。

|

« 歩く | トップページ | 人ができる »

教育」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 歩く | トップページ | 人ができる »