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2006年8月

2006年8月31日 (木)

インターネット俳句

 インターネット句会に出会って投句を始めた。俳句雑誌への投句と違って自分の投句への反応が帰ってくるのがなんとも楽しみである。
 先日の句会の兼題は「涼み」だった。
補そう具を外して夜の涼みかな   
 わたしの投句である。一日補そう具をつけていると夏は足が蒸れてたまらない。夜になってもう歩く必要もなくなったとき、それを外して夜風に当てるとほっとする。こんな気持ちを詠んだのだ。
 すると、こんな感想をいただいた。「
補そう具を外す行為に障害がある人が見えますが、決して重くなってない所がいいです。」一人の方のみの選だから一点句というわけだが、気持ちが通じることはうれしいことだった。 

 一人一句を選ぶという制限があるので、もう一人の方はこの句を選ぶことはできなかったらしいが、こう書いてくれていた。

 「 近所に病院があるので、リハビリ中らしき散歩人の方とときどき出あいます。いろいろ大変なこともあるけれど、ひと休みのベンチで心地よい夜風に吹かれていると、『また明日もがんばろう』というパワーが湧いてくるのかも・・。じんわりと心に沁みてくる一句です。」
 見ず知らずの人が俳句という広場に集って交流する。日本独特のいい景色だ。 

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2006年8月30日 (水)

友の生き方

 小田嶋さんから「みちのくコスモスの会」会報が送られてきた。A4版にゴシック体文字で印刷された素朴な体裁の会報である。しかし、ここに載っている文章は主にある者の確かな歩みを証している。わたしの好きな会報の一つである。
 小田嶋さんはリュウマチのために体の自由が制限されている。昔、新宿区にあった国立身体障害者更正指導所に来て自立の道を求めたのだが結局行き所がなく、「無条件で受け入れてくれる」お母さんの許に帰ったのだった。ただ一つ上京したときと違ったことは主の愛を信じるものとなっていたことだ。
 彼はみちのくに帰り、そこで彼に勉強を教えて欲しいという子どもを与えられ、やがて学習塾を開くことになり、地域の社会福祉団体の責任者となる。さらにリュウマチ友の会の代表や障害を持つキリスト者の会の責任者にもなった。
 今回の会報に彼の活動が紹介されているが、彼はほとんどのことを介助に頼りながら九州や四国にまで出かけている。そうしたとき最も悩まされるのがトイレのことだと言う。これはわたしも同様だからよくわかる。彼は一人では移動もできないのだから私以上に緊張するだろう。
 ただ、彼の文章はいつも感謝に満ちている。困難にあっても土の器でしかない自分を生かしている主に守られているのだから大丈夫、こういう調子が文章の基調になっているのだ。それをやさしく、具体例を紹介しながら証しする。
 会長がそうだからこの会報に載るほかの会員の文章も気取らず、力まず、素直に信仰を語るものが多い。
 きっと長くこの会は守られて続くだろう。

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2006年8月29日 (火)

眼鏡

 眼鏡の処方をいただくために眼科に行った。遠用と近用を作らねばならないので検眼時間もだいぶかかった。外で待っている家内は体が冷えてしまったという。
 右目は手術のお陰で視力が出たが、左目は右に比べてかなり劣っている。しかし、それぞれの目の実際にあわせてレンズを用意してしまうと今度はバランスに問題が出る。これが厄介のようだ。
 一応処方箋はいただいたのだが、さてこれがわたしの目にベストな処方かと言えば疑問がないわけではない。しかし、ベストが何かも分からない。とりあえず明日眼鏡屋へ行って注文しようと思う。
  
 今日は皮膚科にもかかった。左足に水虫ができて、赤く腫れてしまったのだ。薬を処方され、しばらく使ってくださいとのことだった。
 医師の言うには靴を履かずに足を乾燥させるといいのだそうだ。しかし、わたしは靴を履かないと歩けない。車いすで動けばいいが、そうするとこんどは運動不足になってしまう。昨日は歩くのはきついからせめて立つ時間を増やそうと思って杖で立ってスロープの手すりに絡む赤芽の葉を剪定までしたのだ。最近はそうして10分ほど立っているだけで足首が動かないほどに疲れる。
 あれこれ故障が出てくる歳にはなった。

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2006年8月27日 (日)

子どもたち

 昨夜から三男家族が泊まりに来ている。子どもが中学一年と小学四年、それぞれ立派な体になった。中学生の息子は親に似てサッカークラブに属し、放課後も活動しているという。一学期の成績は5教科で5をもらったと言っていた。
 長男と比べて三男は子どものしつけに厳しい。言葉遣いにも細かいところまで口を出す。ところがこの三男は中学、高校のころ、どうだったかと言えば夜まで遊びほうけていたのだ。中学の成績がどうだったかははっきりしないが高校の時など、喫煙で家庭学習を命じられたりしてわたしたちを大いに悩ませたものだ。
 この息子が今ではすっかり親思いの大人になっている。私たちに礼をつくすのもこの子が一番かもしれない。
 長男も家にいて必要なことはやっているし、長女は近々結婚すると言ってあれこれ電話をしてくる。次男だけはまったく連絡もなしに仕事に明け暮れているらしいが、これはこれでいい。どうやら子どもたちはそれなりに社会人として成長したようである。
 長男と三男は外交的で、交通事故にも合い私たちを心配させた。長女は喘息があって看護を受けること、頻繁だった。次男は独自性が強く、常識派の親は困ったものだった。しかし、こうしたことがかえって親子のつながりを濃くし、子どもの成長の滋養になったのかもしれない。

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2006年8月26日 (土)

女性画家、箸方さん

 箸方さんから作品を紹介する画集とたくさんの絵葉書をいただいた。どの葉書にも素的な絵がプリントされている。
 Photo_2箸方さんは「芝美」出身の画家である。しばらく前「芝美」のホームページを見ていたら「QUATRE MADAME」と題する絵が紹介されていた。四人の女性が並ぶなんとも洗練された絵である。ゴッホやルオーの絵ならゴシゴシ描いているうちになんとかそれらしい類似絵は描けそうな気もするのだがこういう絵はとても描けないなと思う、そんな絵だ。
 「芝美」の絵画展に出品することになって、恩師Sと話しているうちにS先生が電話で箸方さんを呼んで、紹介してあげようということになってわたしはあちこちと調べて電話番号を見つけ出した。確認の意味もあって掛けて見るとご本人が電話に出られしばらく話すことができたのだ。
 それが縁で今日こんなすばらしい贈り物をいただいたというわけである。
 「QUATRE MADAME」以外にもたくさんのよい絵がある。ここに掲載する絵は大方の箸方作品とは一味違うが、これも面白いので許可なしだが載せることにした。
 ご本人とお会いするのが楽しみである。

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2006年8月25日 (金)

1日走る

 群大病院で定期健診。GOTが少し高い。診察の後血液採取。ヴィールス検査を含める。
 入院中の義兄を見舞う。元気なり。皮膚の治療にインターフェロンの点滴を受けている由。8階から前橋の街とその上に広がる澄んだ空を眺める。
 帰り、絵画展で会う恩師への土産として持参する漬物を買う。
 帰宅して、ハルちゃんを駅に送り、その足で新幹線駅に切符の申し込みに行く。車椅子用駐車場は相変わらず一般の車らしいもので満車。
 明日家族で来る三男の馳走の材料をスーパーで購入。
 かくて一日車で走り回った一日とはなれり。
    
 メールにて教え子の死を知る。心不全とのこと。軽井沢のペンションを訪ね、ひと時を豊かに過ごした日を思う。周囲の者を常に気遣い、ゴールを目指して日々を走り続けたU君の天上での幸せを願う。
 

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2006年8月22日 (火)

一日の終わりに

 明日、近くの医院で肝臓のエコー検査を受ける。ここで肝臓の検査をするのは初めてだから群馬大学での受診歴をまとめようとしたのだが、最近は記録もずさんになって、病歴ノートには記録がなかった。
 しかたなし、こうりゅう広場に記した記録から拾った。すると今年はCT検査、胃カメラ検査、血液検査などをしていた。
 記録もとらないようになったことはそれだけ健康に自信がでてきたことでもある。
 
 今日一日を振り返ってみても、遅く起き、ゆっくりと朝食を妻ととり、新聞を読み、その後「闇への道、光りへの道」をメモを取りながら読んだ。目が不自由だからすぐに疲れるので、休み休みである。
 昼ごはんにカレーうどんを作ってもらい、ハルちゃんと一緒に食べて、二時ごろまで休む。午後また少し本を読んで、ハルちゃんを駅まで送り、ついでにガソリンを入れる。
 インターネットで箸方たみさんの絵を探し、プリントする。
 そして夕食をとる。このころには孫たちもみんなそろって賑やかだ。テレビは巨人対横浜の試合を映していた。
  
 そして今である。雷も去って静かな夜だ。一日が終わる。感謝。
  
 最後に今日の本で出会った聖句を掲げよう。
 ルカによる福音書から
 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」
 詩篇から
 「神に従う人はなつめやしのように茂り/レバノンの杉のようにそびえます。主の家に植えられ/わたしたちの神の庭に茂ります。
 白髪になってもなお実を結び/命に溢れ、いきいきとし述べ伝えるでしょう/わたしの岩と頼む主は正しい方/御もとには不正がない、と。」
  
 

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2006年8月20日 (日)

嬉しいメール

 メールチェックをすると迷惑メールがあまりに多くてうんざりする。一日に30通ほどはあるだろう。だから親しい友からのメールはごみの中に光る宝石のように貴重である。
   
 今朝はそんなメールが2通着いていた。1通は「こころの便り」321号を読んで感想を書いてくださった福岡の友のものだった。こう返事を書いた。
 「いつも『こころの便り』を読んでくださり、メールをありがとうございます。今度の感想の中で、自分が成し遂げたことのみが自分であるのではないということがよくわかりました、と書いてくださいましたが、こう読んでくださったことに感謝します。わたしは人が『成し遂げたこと』を否定的に書きすぎていたことを気づかされました。」
 返事には書けなかったが、自分の成し遂げたこと、成果、それに関係なく自分という存在がある、そのことを友は気づかれたのだった。
  
 もう1通は神戸にお住まいの婦人からのものだ。温厚な方で文面から人柄が香っている。いろいろ書いてくださったのだがその中でインターフェロン治療を受けることになったことにも触れられていた。このことについてはこうお返事した。
 「インターフェロン治療をなさることに決められたとのこと、どうぞこの期間の心と体が主の守りのうちにありますようにとお祈りいたします。
 副作用は医療関係者は一応患者に告げざるを得ないのでいろいろと言いますが、あまり心配しないで治療を受けたらいいと思います。医師が観察しながら治療を続けるのですから、変化があったらその時点で適切な対応をしてくれるはずです。
 副作用よりも自分の気持ちの持ち方を心配したほうがいいでしょうね。俳句を続けるとかお友達と会うとか、発熱や倦怠感の中に留まってしまわないで、日々を豊かに過ごすことに留意たらよいとわたしの経験から思います。」
  
 お二人が主の御守りのうちにありますように。

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2006年8月19日 (土)

準備

 ハルちゃんたちが九州でたくさんの体験をして夕べ帰ってきた。ホテルのプールで泳ぎ、バーベキューをやり、また、川に入って貝も拾ったという。嵐の中をバスで空港に向かい無事に羽田に着いたのだ。
 急に家の中が賑やかになり、わたしは早速光ちゃんの折り紙作りに付き合わされた。
 ハルちゃんは今日は二学期の準備に取り掛かっている。
  
 わたしは昨日は東京に行くための上着を買った。松本に行った時のような失敗をしないように冷房対策を立てたのだ。クリーム色のよいジャケットが見つかった。これがあれば会場に1日いて来会者と面談するにも心配ないだろう。
 額縁も買ってきた。8号の絵「兄と妹」を入れるためだ。画材屋で15号の絵を送るのに使う空き箱も貰ってきて、二枚とももういつでも発送するまでになった。
 よいチャンスを貰ったのはありがたいが準備が大変だ。
  
 娘E子が午後に彼と一緒に家に来るという。彼が結婚の意志をわたしたちに伝えたいのだそうだ。
 今朝の食事の祈りでわたしたちは二人の幸せを祈った。今までの御守りを感謝し、今後の祝福を祈った。
 よい準備ができて結婚の手続きをし、病めるときもすこやかなときも二人して二人の生活を築いていってほしいものである。

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2006年8月16日 (水)

絵画展

 _small 中学時代の恩師がしばらく前訪ねてくれたことは以前このブログに書いた。その時わたしの絵を見て秋の展覧会には出しなさい、展示してあげるから、と言って帰ったのだった。
 これが現実になるとは思っていなかったのだが、なんと先日電話があって絵を送るようにとのことだ。
 Photo_1今日はその展覧会の案内状が届いた。家内が眼科の診察で東大まで行ったので、一人 宛名書きに精を出した。学生時代に東大医学部の油絵同好会に誘ってくれたBさん、同じクラスにいて油絵道具一式をくださったAさん、同じ職場で働いていた美術教師の友、その他20人ほどに案内を送るのだ。
 他人に見せられるような代物ではないが、会場に来てくださる友と話ができるだけでも嬉しいし、時にはこんな場を持ってもいいだろう。
 
葉書に記した挨拶文。
 「暑い日が続きますがお元気のことと存じます。
 さて、この度、ふとした縁で表記の絵画展に小生の油絵二点を展示していただくことになりました。田舎に帰ってから描いた小さな作品です。
 ご都合がつきましたらどうぞお出かけください。九月二日は時間いっぱい会場におります。
 ごきげんよう。  八月十七日」

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2006年8月15日 (火)

泣きみそ先生

 小泉首相が終戦記念日の今日、靖国神社を参拝した。いつものように、「心ならずも犠牲になった英霊に哀悼の誠を捧げ、二度とこのような戦争を起こしてはならないことを誓う」という主旨だと語ったようだ。
 靖国神社の歴史や現在のアジア諸国の問題提起を知りつつも、我を張って、自己流の言い訳をしつつ今日も過ちを繰り返したのだった。
  
 小泉さんのテレビを見終わってから、姉と兄のところに盆の挨拶に出かけた。どこでももう亡くなった人の話よりも家族の現況を語り合うことのほうが多くなった。二番目の姉の息子は両親の写真を盆棚に飾っていたが、子どもと奥さんが帰省して、「仏さんが帰ってもろくなご飯も出せないです」と笑っていた。
 しばらくぶりの訪問だったが他にはない懐かしさのある家々であった。
  
 午後はふと「二十四の瞳」を見ることができた。子どもたちが戦中の貧しい環境で暮らしながら、それでも男の子は兵隊さんに憧れて成長していく過程を前半では描いていた。小さな村でも軍歌が流れ、「おおみこころ(大御心)」に沿うことが国民の忠誠の証とされる世であった。そのなかで高峰秀子演ずる「大石先生」が子どもたち一人一人のいのちを大切し、「靖国の母」になるより生きている子どもの母であることを願っていた。
 やがて、戦争が終わり子どもたちの中からも戦死者が出て、勇ましく送り出された武勇報国と書かれた門を今度は白木の箱に納められて帰って来る。
 戦後の大石先生はそんな教え子の悲しみに会うことが多くなり、「泣きみそ先生」となったのだ。
  
 小泉さんの靖国神社参拝を肯定す国会議員、知識人がいる。いのちの尊厳を無視し、「国のために」命を差し出すことを命じ、その命を英霊という名で呼んで自らの行為を正当化する、この政治の不正にこの人たちは気づこうとしない。

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2006年8月14日 (月)

帰省

 2人の孫とその母が九州の田舎に帰省してしまった。息子だけが残った家は静かなものだ。朝になっても廊下を駆ける音もしないし、夕方の賑やかな会話もない。
 息子はお盆でも休暇がないそうで、昨夜はビールを飲んだ後庭の草取りをしていた。孫がいないと会話の発生源がなくなって、お互いの交流がはかれなくて困る。
 もう10年も一緒に住んでいても息子の連れ合いは家内と同じ生活習慣を身につけるわけではない。仕事から帰って、家内がお勝手をしていても、そのまま孫と二階に行ってしまい、雨戸を閉めたり、外灯をつけたりはしない。そんな様子を見ていると一言口を出したくなるが、こうやって家内と距離をとっているからこそ一緒に住んでいられるのだとも思う。
 昨日からその彼女もいないのでなんだか拍子抜けしたような感じだ。老人だけの家は毎日がこうなのだと思うと、日々の小さな悩み事はかえってあることのほうが健全なのかもしれない。

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2006年8月11日 (金)

オシム、トイレに行く

 サッカー日本代表チームの監督にオシム氏が就いて、その初戦が先日あった。日本は幸先のよいスタートを切って、前半に二点を取った。ところが後半はなかなか点が取れない。そしてそのまま終わりそうな形勢だった。雨がひどく降って選手も疲れ、動きも鈍くなっていた。
 オシムという人はどこか哲学者のような風貌がある。監督就任に当たってのインターヴューでもスポーツ選手というより学者のような受け答えをしていた。先日の試合でもベンチに背を丸めて、背広姿で冷静に経過を見つめているようだった。
 いよいよ終了の笛が鳴るころになった。突然彼はベンチを立って、フィールドから出て行ってしまった。こんな試合は見ておれん、ということかとびっくりしていると、実況のアナウンサーが彼を追う映像を見ながら、「トイレに行ったようです」と言った。
 これには驚いた。試合が終わると直ちに監督同士挨拶もするだろう、インターヴューも予定されているはずだ。第一、がんばった選手が引き上げて来て、監督がいないなんてなんとも言い訳がつかない。
 しかし、トイレに行ったことは事実のようだった。のそのそと彼は再び姿を現したからだ。
 わたしはびっくりする反面、彼の自由さがうらやましくなった。場面の重大性よりも自分に正直に行動する彼の自由さをうらやんだのである。
 わたしはあちこちの講演に出かけるとき、最も神経を遣うのがトイレのことだ。特に冬場はトイレが近い。もしも講演中に行きたくなったらどうしようと考えると前日あたりから落ち着かない。大抵の会場には車椅子で使えるトイレはないから、そうなると最低二十分は中断することになるだろう。
 わずか二百人ぐらいの人を前にした講演でもこう心配するのに、数万人の観客と全国の視聴者の目を前にして、堂々とトイレに立つオシム氏はまさに大監督の資格ありというべきだろう。

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2006年8月10日 (木)

このごろ

 庭に百日紅の花が咲いた。百合やバラが散った後に、清純な明るさを持って咲くからなんともかわいい。今日も35度以上になるという暑さの中にこの花が清らかさを持ってきてくれる。
  
 今朝は朝早く大工さんが来て、脱衣場の床を直してくれた。風呂入り口がいつも濡れているので腐ってしまったのだ。建てて9年目だが、しかたない。支えの木までカステラのようにぶよぶよだったという。
 ついでに寝室の手すりも直してもらった。自分で設置したものだったのでぐらぐらして立ち上がるときに不安だったからだ。
 気にしていた修理が済んで安心である。一万五千円で半日も労してくださった大工さんに感謝。
  
 胸の痛みはまだ少し残っている。歩くにもさほど心配はないが完全に取れるまでなるべく車椅子を使おうと思う。
  
 この「こうりゅう広場」に書いたものを一冊にまたまとめようと思う。今朝印刷所に見積りをとるメールを送った。三月から先日までの内容を収めるのだが前回より値がはるかもしない。もしも欲しい人がいたら教えていただきたい。
  
 おととい眼科に行き三週間後に眼鏡合わせをすることにした。それまでは本も満足に読めない。まあ、いいだろう。高校野球で時間をつぶすことにしよう。

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2006年8月 9日 (水)

長崎、原爆記念日

 今日は長崎に原爆が落とされて61年の記念日である。高等部の生徒と修学旅行に行って、記念館を訪れた時、目を覆うような展示品が多かったことを思い出す。生徒はバスでガイドさんから永井博士の話を聞きながら泣いていた。
 今日の新聞記事の中で、伊藤一長市長が「平和宣言の冒頭で『人間は、いったい何をしているのか』と呼びかけ、核軍縮が進まない現状への怒りといらだちをあらわにした。」ということと、「『平和への誓い』を読んだ被爆者代表の中村キクヨさん(82)は『戦争を知らない世代が求める強い日本の姿が戦争前の様子に重なる』と危機感を訴えた。」ことが印象的だった。
 不正に対して人は怒ることをしなければならない。また、強さを求めることが社会に蔓延していることを警戒しなければならない。そんな時代になっている。
 

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安中教会

 ホームページを巡回していたら安中教会に出会った。懐かしい写真やら人の名前がたくさん載っている。急に50年前の世界に戻った思いだった。そして、つい以下のメールを送ってしまった。
  
 主の恵みが貴教会に豊かに、永遠にありますように。
 小生、新島学園6期のS・Hと申します。貴教会のホームページに出会い、とても満たされた心になっております。それは今も昔も主の恵みが豊かに注がれている姿に接したからです。
 小生は清心寮から松葉杖をつきながら坂を上って礼拝に参加しました。もう50年も以前のことです。その後東京に出て主に連なる決心をし、現在は埼玉・本庄教会で信仰生活を続けています。
 本庄教会は新島学園のH・G先生、こんど貴教会でハープ演奏会を開くSHOさんのお母さんとも深い関係にあります。また、教会員の家族が多く学園に進学していることもこの教会に転会して知りました。
 個人的な働きを申せば、今、小生は全国キリスト教障害者団体協議会会長の立場にあります。この会は障害を持つ者が主によって選ばれて教会のなくてはならない肢として存在することを信仰と働きにおいて証ししようとする全国組織の会です。(ちなみに安中教会の会堂は石段が高かった思いがありますが、今、車椅子の方が出席しておられるでしょうか)
 江川先生や柏木先生、ベーケン先生他の皆さんに助けられ高等学校時代を送り、今、こうして主と共にある幸せをお知らせしたくて拙文を送ります。
 在主

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2006年8月 8日 (火)

平和を求める心

 今朝の新聞に麻生外務大臣の意見発表が掲載されている。彼は靖国神社を、「国立追悼施設靖国社(招魂社)」といったものに切り替え、宗教法人法によらない財団法人などへの移行を提案している。こうして宗教色を取り除くことによって政治家も天皇までもが問題なく参拝できるようになり、『英霊』に哀悼の気持ちを表すことができる、とこういう提言である。全国にある護国神社も同列にしたらよいということらしい。
   
 政治家はいったいなにを求めているのだろうか。戦前、戦中の靖国神社がいかなる形態で存在し、どんな機能を果たしたかをまったく顧慮していないのはなぜなのだろうか。
 キリスト教徒が神社参拝を強要されたのは、靖国神社は宗教ではない、神社に祀られる魂を参拝するのはキリストの神を拝むことを否定することではないとの理解を押し付けられた結果ではなかったのか。
   
 再び政治家は靖国神社問題を本質からずらし、宗教性を否定するように見せかけて国民の精神的支柱にしようとしているようだ。
  
 それにしても8月という平和を求める庶民の声が一段と高まる時、先制攻撃論とか迎撃ミサイルの開発とかという武力による問題解決論があたかも平和追及の正道のように表面化するのはなんとも許せない気がする。「もうこんな戦争は絶対起こしてはなりません」と戦争体験者が言う言葉が真実になるためにはただそう言うだけでなく、今の政治家の言動にもっと敏感になり、彼らを攻撃しなくてはならないのかもしれない。

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2006年8月 5日 (土)

医師のこころ

 白内障の手術は古くなって濁った水晶体内の液を除去し、そこに人口のレンズを入れることによって視界を回復しようというものである。それは目を麻酔し痛みを感じないようにすることから始まる。
 麻酔されても視力はある。手術室の照明が真上に明るい。なにやらたくさんの液体が注がれてプールの底から天井を見ているようだ。眼球をいじられるたびに表面がゆがむのだろう、光のかたまりがあちこちと揺れ動く。めまい恐怖症のわたしはここでめまいが起きたら手術中回転する空間に漂うのではないかという不安に襲われてきた。
 不安の解消には自分の世界だけに留まるのではなくて、外界との交流をすることが有効である。わたしは「めまいが起きそうな感じですね」と執刀医に話しかけた。
 すると返ってきた医師の言葉は「では手術はやめますか。今だったら間に合いますよ」というものだった。
 意外であった。わたしはそんなことを言っているのではなかった。なぜ医師はそんな応答しかできなかったのだろう、と今でも不可解に思う。
 「いや、そんなことではないんです。続けてください」そう言って手術は続行され、無事に終わったことはすでに以前に書いたとおりである。
  
 医師は患者の心理をもっと勉強しないといけない。手術を受けている者がどんな心理状態にあるか、なぜ今のことばを発しているのかを分かるこころを持たねばならない。
  
 お年寄りにも親切に応対し、耳元で大きな声で説明をする優しさを持つ医師であるが、まだ彼は患者とのコミュニケーションのとり方を十分には知らないのだろう。

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2006年8月 4日 (金)

人ができる

 Hちゃんが児童館から帰ってきて「久、ただいま」と書斎に飛び込んできた。そして、ドアの内側に貼ってあった大きなカレンダーが垂れ下がっているのを見つけた。
 「なにこれ」と言うが早いか、垂れている頭の部分を持って何度もジャンプしてもとあったところに貼ろうとする。しかし、Hちゃんの背では届かない。
 そのうち、「いいこと思いついた」と言うなり、まだ付いている下のところも剥がしてしまい、「じいちゃん、下じゃだめ?」とわたしの顔をのぞく。「下がよく見えるよ」。
 わたしが承諾するとHちゃんは透明の荷造りテープをうまく使って見事カレンダーを貼ったのだった。
 実はおねえちゃんも昼間この部屋にやってきた。しかし、カレンダーのことなどまったく関心なく、自分の欲しい電池を求めただけだった。
 人はこんなに小さいうちからもう違った道を歩いているのだろうか。

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2006年8月 3日 (木)

天国の教育哲学

0010  先日のキ障協の総会の際に講師の川田殖先生からいただいた本「今こそ人間教育を」の一部を読んだ。「社会科教育五十年に思う その来し方とゆくえ」と題する信州社会科教育研究会五十周年記念講演である。

 人権尊重の精神にあふれるすばらしい講演である。先生によると文部省は1948年と1949年に「民主主義」という教科書を出版したのだそうだ。このなかで従来の教育を反省し新しい教育のあり方を示したのだ。

 この中には以下のような表現がちりばめられている。

 「学校制度が単純化され、教育を受ける機会が平等化されたことは、教育における民主主義の実現への画期的な出来事であるといわなければならない。」

 「新教育は、生徒の個性を重んじ、その自発性を尊ぶとともに、先生の教え方にもじゅうぶんに自主性を認める。」

 川田先生はこの資料と憲法前文、教育基本法などの資料を用いて教師が生徒と共に学習共同体を作っていく必要性を熱っぽく語ったのだった。いや、先生は社会科教育を「生命共同体としての社会科教育」とおっしゃる。

 そしてこう述べる。「生物においても一つとして同じ個はない。それでいて、それを包む共同体によって、一つ一つがかけがえのない個である。自分は他者とのかかわりにおいて、初めて生かされて主体となり自己が形成されていく、ということを考えさせられる。」

「社会参加のメカニズムは、従来の単純な個人と社会というものを対立の図式ではとらえない。むしろ、個は、互いにバラバラにアトミスティックに存在するのではなく、生命共同体の脈絡の中で、互いに助け合い支え合うような、インターディペンデントな動的な存在である。」

 講演の終わりに先生は「天国の教育哲学」なる用語を用いた。個人エゴイズムや国家エゴイズムを語りながら先生はこういうのだ。「私たちは、昔から聖賢が、人間の救いのために取り組んだ人間の根本問題、我執と煩悩と個人・国家エゴイズムの問題にいやおうなしに直面せざるを得ないわけでありましょう。昔はこれを、個人の宗教の心の問題として、内心の解決に委ねていました。これからは、人類普遍の課題を解決するために、各人が、各国が、全人類が、全世界が強制ではなく自発で、説得ではなく気づきで、お互いに協力して、人間が背負っている根本問題というものに取り組まなければならのではないでしょうか。」

 高い見識に基づき、豊富な経験の中から語られた講演をここに記し尽くすことができないのは当然であるが、私の今後の資料として上記の引用、紹介させていただいた次第である。

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