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2006年7月

2006年7月31日 (月)

歩く

 しばらくぶりで杖で歩いた。丸くなっていたからだが上下に伸びた感じである。まだ胸の痛みはあるが、用心して歩けば大丈夫である。
 立つとズボンの上げ下げが容易にできる。ありがたいことだ。車椅子ではこうはいかない。ずっと車椅子で生活している友はご苦労である。
  
 痛みがあるとなにもしないで寝そべって静かな時間が過ごせた。心も平静だった。ここ4、5日が豊かだった気がする。
 痛みが薄らいで、活動できるようになるとこころせわしくなる。あれこれと手を付けたくなるのだ。能力のないことから与えられる平和というものがあるのかもしれない。

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2006年7月30日 (日)

主の日

 Lastscan_b よく晴れた日である。風もさわやかだ。妻と2人で日曜美術館を見ながら朝食をとった。
 シャガール展が青森美術館で開かれるそうで、その紹介をしていた。シャガールの苦悩の人生の中から生まれた深く、純粋な色を見せてもらった。(ちなみにここの『アブラハムと三人の天使」の絵はテレビからのものではない。姪のYさんがフランスの美術館で求めた冊子からの複写である)
 教会出席は休みにした。家にいて教会に行かないのはめったにあることではない。胸の痛みがだいぶ和らいできたので、ここで無理をしないほうがよいと思ったからだ。
 教会ではもうじき礼拝が始まる。讃美と祈りと御言葉の証しとそこに集うものの交わりが今朝もあるのだ。
 主よ、教会に臨みたまえ。集う人々に恵みを下したまえ。あなたを覚える者に一致を来たらせたまえ。

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2006年7月28日 (金)

野球と読書と病

 知人が部長をしている学校が埼玉県予選で活躍しているので興味を持って高校野球を見ている。今日は準決勝だったが残念ながら負けてしまった。彼はベンチの隅でしきりにサインを出していた。
 最終回まで期待を持たせたのだが、ダブルプレーで一点差負けに終わった。
 奥さんと坊やも今日は応援に行っただろう。いつも快活に振舞う方だから笑顔で帰ってくるだろう。
  
 午前は妻が病院に行き、留守居だった。先日の組織検査の結果は悪性腫瘍などではなく単なる脂肪腫とのこと。よかった。
  
 留守を守りながら少し、拡大読書機で本を読んだ。ヘンリ・ナウエンの「傷ついた癒し人」の一部である。翻訳が悪くあまり読みやすい本ではない。でも癒しの肝心な点には触れることができた。
 癒しは苦しみなどを取り除くことではなく、苦しみを他者と共に分かち合うことのできるレベルで認めることだということ、彼らの苦しみが呼び求めている声に従って共に旅をし続けることだということ。分かち合われた苦しみは解放への道として続くこと。
  
 胸の痛みは徐々に和らいでいる。今は歩かず、立たず、もっぱら安静を保っている。
  
 ハルとパパは昨日に続いて所沢までテニスの試合に行っている。どこまで勝ち上がったことやら。

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2006年7月26日 (水)

風鈴

風鈴や風呂場からの風の道
 
補そう具を外して夜の涼みかな
 
氷菓子妻が半分持ち来る

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祈りの会に行けず

 胸の痛みが日曜日らい激しい。昨日は二回目の診察だったが車までも車椅子で行かねばならなかった。杖を使うと胸の響くのだ。
 夜、トイレに行くとき立ち上がるとどうしても胸の筋肉を使う。そんなときには内部でビシビシと音がする気さえする。夜と朝、湿布を取り替えているがなかなか改善の兆しがない。
 体に痛みをかかえると杖を使うものにとっては困難が増す。杖を使うときには全身で歩いているようなものなので、痛みに関係する部分まで動かさざるを得ないのだ。
 今朝は胸にさらしを巻いた。これで少しはいいだろう。
 祈りの会には今月はとうとう一度も参加できずじまいになった。
  
 ついでに、昨日の検診では手術の経過は良好とのこと。薬の種類も一つ減った。

 

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2006年7月24日 (月)

痛みの中から

 昨日は聖日。礼拝司会をする。
 祈り。 

  恵みに富みたもう主なる神様。

  この七日の日々を恵みのうちに過ごさせてくださり心から感謝いたします。朝ごとに、新しい朝を迎えられたことを感謝しながら、過ごしてまいりましたが、今日またこうしてあなたに連なる兄弟姉妹と交わりを許され、あなたの御ことばに聞くときを与えられました。ありがとうございます。

  わたしたちは毎日ただ忙しく、あわただしく過ごしてきました。この世の仕事をすることで自分の確かさを確認しようと心を用いてきました。

  神様、どうぞこの礼拝のひと時をあなただけに心を向け、あなたに聞くときとしてください。この世の価値からわたしたちを遠ざけ、あなたとの確かな交わりの時としてください。

  そして、わたし達があなたにならってこの世で生きることのできる者とならせてください。

  神様、今日ここに集えない友を愛することができる心をお与えください。わたしたちがその兄弟姉妹の思いと立場に心を重ねることができますよう助けてください。

  御言葉を取り次ぐ先生を聖霊で満たし、語る力を与えてください。

  これらの祈りと感謝、わたしたちの救い主、復活の主イエス・キリストのお名前によって御前に捧げます。 アーメン
  
 手術のため聖書、交読文が読みにくいので拡大コピーをして持参。
 胸の痛みが増す。最初に痛みの箇所がやや下に移り、胸骨の下方部分が、力を入れると痛む。動作一つ一つがぎこちないがしかたない。

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2006年7月21日 (金)

転ぶ

 左わき腹が痛い。昨日病院の入り口で転んだせいだ。
   
 車を降りてバッグをしょって歩き出した。バッグの中には合羽と帽子が入っている。傘がさせないから降ってきたらこれで対処しようとしていた。しばらく緊張した足取りで進んでもうじき玄関というところで左の杖が地面にひっかかった。体が倒れていく。地面に倒れこむまでの時間が空白になる。周囲の音も消えた。
 駐車場管理のおじさんがとんできた。一瞬、立ち上がれるだろうかという心配が頭をよぎる。おじさんの申し出を断って、自分流の立ちかたをしてみることにする。「途中でズボンを持ち、上に引っ張ってくれますか」と言って、足と杖を、コンクリートのザラザラした感触に気づきながら手で動かし、立つ動作に入った。バッグが勝手に背中から腹のほうにまわってじゃまをする。
 重い体が少しずつ上に起きていった。大丈夫だった。おじさんが落ちた車のキーをポケットに差し込んでくれた。
 立ってから周囲の視線が気になった。見ている人はあまりいなかったようだ。玄関で一回りした路線バスの運転手が「大丈夫ですか」と声を掛けてくれた。
 
 家に着いてわき腹の痛みに気づき湿布を貼ったのだが、まだ治っていない。

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2006年7月20日 (木)

妻の手術

 毎日雨が続くのに幸にも今日は落ちてこなかった。妻の手術の日なのに行ってあげられないのではないかと昨夜から心配していたのだが本当によかった。
 手術が午前かもしれないと言うので10時半には病院に着いたのだが結局午後になってしまった。妻は1時少し前ストレッチャーに乗せられて病室を出た。だが予定の1時間が過ぎてもなかなか帰ってこない。途中までは高校野球のテレビを見ていられたが、2時を過ぎるとそれどころではなくなった。何度も廊下に出て帰って来るストレッチャーを待った。
 2時半を過ぎてようやく看護師二人に伴われて妻は帰ってきた。まだ麻酔が残っていてあまり話す状態ではなかった。酸素マスクをつけているとだんだんと意識がはっきりしてきた。
 医師が来ると言うので手術の具合を聞きたかったが、とうとう私が帰る時間までには来てくれなかった。私はハルちゃんを4時には駅に送り届けなければならない。看護師に断って、妻が落ち着いていることを確認し私は病院を後にした。
 肩にできた脂肪腫を除去するだけなのに今回の手術も私にとっては大手術であった。

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2006年7月19日 (水)

お勝手

 夕べガスのつきが悪いというのでお勝手まで入った。あまりガステーブルの周囲までは行かないから様子がわからない。家を建てる時に設置したままでもうだいぶ年数が経っている。バーナーの周囲を掃除してみることにした。妻もよく見えない目で、屈むと痛い足を無理しながらあちこちといじっていた。
 そのうちに孫のH・Iちゃんが帰ってきた。そして開口一番「じいちゃんもそこに行けるん?」
 Hちゃんはわたしはお勝手までは行けないと思っていたのだ。それも無理もない。わたしは台所では何もしていないのだから。
  
 ところで今朝、妻は肩にできた脂肪腫の手術のために入院するべく、荷物を持って出かけていった。三日間、わたしの独りの生活が続く。今後お勝手にも入ることが時にはあるかもしれない。

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2006年7月18日 (火)

入院と百合の花

病室に一人の夜や梅雨続く
  
オペ前夜病室静かに青林檎
  
短夜や誰を呼ぶのか声止まず
  
年寄りの手術談に安心す
 
妻ゐなく土用の入院頼りなし
  
  
06071922dscf0012 百合の花妊婦のごとくなりにけり
  
百合の花咲いて地面に触れんとす
  
百合咲くや裏の幼子飛んでくる


名古屋場所端然と坐す女将あり
   

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2006年7月17日 (月)

2人の若者と老人の対話

若者A 君も結婚できそうになったね。最近政府は少子化対策と称して、児童手当制度を拡充し育児手当を増額したよ。保育所も増やすというから子どもが生まれても大丈夫だろう。出産育児一時金さえもらえるそうだぜ。

若者B あまいあまい。一体何ゆえに内閣が少子化対策室なぞを設けたと思うんだ。

 これはな、日本の労働人口が減ると日本経済が衰退する、世界の中で経済大国として威張っていられなくなる、これが怖いのさ。それに加えて、子どもを増やして社会保障関係の資源を負担せようという魂胆なんだ。

若者A それならなおさら君は結婚して、子どもを持って社会に貢献すべきだよ。

若者B そうはいかないよ。年金暮らしのおじいちゃんは昨今の政府の対応に怒り心頭だよ。医療費は増える一方だし、住民税の増額たるやビックリだってさ。リハビリさえ期限を設けられる始末だからね。

 老人も大切な一人の人間だぜ。この老人を粗末にする政府が本当に出産や育児を人間尊重の精神で援助するとは思えないだろう。

老人X わしらばかりでなく、障害を持っている人を含めて、国民一人ひとりを大切にする政治が行われるかどうかの問題なのだ。

 こっちでもあっちでも喜んで生きている人の姿が見られれば若者も子どもを持って積極的に社会参加するだろうよ。

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2006年7月16日 (日)

レンズを外す

 右目が手術のお陰ですっきりした。眼鏡なしでも大体のところにピントが合う。いや、今までの眼鏡をかけるとかえって見えにくい状態である。
 しかし新しく眼鏡の調整をするのは三ヵ月後である。そこで、昨日しかたなし今までの眼鏡の右レンズを強引に外した。こうすると左目は今までどおりに見えるし、右目は眼内レンズによって明るく、ほどほどのピントで見えるのだ。
 今日はその状態で車を使って教会に行った。問題はなかった。
 ただ、すべてのレンズをこうするわけにはいかない。近用レンズを使った読書用の眼鏡がうまく使えないのが困りものである。

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2006年7月15日 (土)

黒くなった新聞

 12日に入院して、13日に白内障の手術を受けた。都合で個室になって、他の人を気にせずに入院生活を送れたのは幸いだった。毎日妻がやってきてくれて世話をしてくれた。
 手術は部屋に入るときから出るまで30分ほどで、痛みもなく終わった。その前後には抗生剤の点滴を受け、夜も点滴だった。白内障の手術は日帰りでできるようになったのに、この病院はおおげさなことをする。
 遠内レンズは遠用を入れてもらった。
   
 きのう退院してきたのだが、まだ目は充血している。顔も洗えない。それよりも使用していた眼鏡が度が合わなくなって困っている。だから、この日記はほどほどに終わりにする。
 ただ結果の一つとして、世界が明るくなったことは確かだ。右目で見ると白く輝いているのである。新聞の文字も今までの灰色からしっとりとした黒になった。黒色が濡れているように見える。

 

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2006年7月10日 (月)

帰り道

 翌日は雨だった。4階の窓から見る道が濡れていた。

 温泉街を少し巡って、それから松本駅に行こうとしていたのだがこれでは無理。しかたなし宿で時間をつぶすことにする。
 チェックアウトの時間が過ぎたので、ロビーでテレビを見ながらタクシーが来る11時を待つ。中庭に植えられて白樺の葉が雨が震えている。
    

 松本駅に着き、インターホンで誘導を頼む。スロープを通ってホームに出たが、長野方面は反対側である。エレベーターが点検中とかで、4人に持ち上げられて階段を渡る。

 「しなの7号」を待つ間、寒さをよけて自動販売機の陰に身を寄せた。寒さ対策を怠ったのが今度の最大のミスだ。キ障協の会合の間じゅう、わたしは持ってきたひざ掛けを肩からまとって身を守ったのだった。出発前のあの蒸し暑さについ気を許して、ワイシャツ姿で来てしまったのがいけなかった。

 長野駅には12時少し前に着く。本庄早稲田駅に停まる新幹線の列車は4時過ぎでないと長野駅を出ない。それまで、善光寺見学で過ごすことにする。

 06070501dscf0032_small 善光寺は地理的に駅よりも高所にあるのでタクシーで寺に行き、見学をしながら下ることにした。運転手にその旨話すと、小さな宿坊がびっしりと並ぶ宿坊通りを抜けて、境内の最も奥に連れて行ってくれた。運転手の両親は介護施設におり、その世話でたいへんな生活を強いられることになったと彼は自分から話した。弟の嫁はとてもこれには耐えられないと離婚して出たが、若い者は勝手だともつぶやいていた。

 わたしたちは予定通り石畳の仲見世通りを下った。途中、焼き物のフクロウを買う。あまりにも寒く、また小雨が降り出したので2人ともレインコートをまとう。

 雨を避けてアーケード街に入る。外れにあったイトーヨーカドーの喫茶でコーヒーとレアチーズをとる。暗い店内の窓からは霧に霞んだ山並みが見えていた。

 車椅子を押してもらい長野大通りをごとごとと駅にたどり着く。

 松本市街と違って、長野市は舗道のふちが段差を感じさせず、動きやすい。

本庄早稲田駅に着いても雨は止んでいなかった。顔にかかる雨を掃いながら止めていった車に乗り、岐路についたとき、もうあたりは暗くなりかけていた。3日間、妻を含め、多くの人に世話になった旅であった。  

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2006年7月 8日 (土)

同伴者

  
 和子と松本城公園に入る。玉砂利が敷かれているが、幸いにも通路は舗装されていて、車椅子でも通れそうだ。
 Hasi 堀の周囲を城を眺め、木陰を選び、ところどころで写真を撮りながら動いた。水に映る六層の城は美しかった。やがて朱の「埋橋」が見えてきた。外国の若者が数人はしゃいでいる。
 道は時々舗装が剥げて、車椅子が動かない。旅の荷物をリュックに詰めて背負っている和子が前になり後ろになって通りやすい道に引き戻す。旅が終わったら肩にできた脂肪腫を手術しようという身である。
 公園を抜け、旧開智学校に向かう。現在の開智小学校も寺社の屋根のように独特の美しさを持っているが、そのさらに奥に(だから、ここでも妻はかなり力を使ったのだが)明治初期に建てられたという重文の建物がバルコニーの上に尖塔を持って白く輝いていた。
 Kaiti 二階までは行けないことをしりつつ、車椅子を拭いて板じきの静かな校舎を巡った。部屋はどれも小さかったが、柱や窓枠はまるみを帯び年の経過を感じさせた。
  
 タクシーで浅間温泉にある公立学校共済組合保養所「あさま荘」に入った。温泉地といってもあまりそれらしい風情のない町だ。宿は高いところにあると見えて旅館やホテルが下になり、遠くアルプスの山並みが眺められた。
 ここは昔、松本市の奥座敷と言われたところで、一般の人はなかなか行けなかったのだと運転手が話してくれた。島崎さんが書くものの中にこの温泉地に客人を訪ねる話が出ることを思い出し、島崎さんが交わった人の特別さに思いを馳せた。
 幾つかのランクがある中の下のものを選んだのだが、夕食は味も、色も、献立もなかなかのもので、二人は会議から解放された夕べの時をゆっくり味わいつつテーブルに向かい合っていた。

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2006年7月 6日 (木)

坐れる礼拝堂

0017jpg_jpgsmall  忙しい日程が終わった。その時わたしの中には一つの願いが生まれていた。開会礼拝をしてくださった島津晃牧師の教会を訪ねたい、礼拝堂を見たい、このことだった。
 島津先生は初日の説教でマルコによる福音書5章から病に苦しむ男の癒しを語った。悪霊に取りつかれたゲラサの人をイエスが癒す話である。
 「汚れた霊に取りつかれた」男が墓場を住まいとしており、昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていたという。
 島津師はこの男には家族もあったであろう、愛も受けていたかもしれないとおっしゃる。しかし、例えば現代のストレスによる障害のような何らかの原因で安心の場が奪われ、彼の心に悪霊が入り込むこととなったのだ。男は人間性を捨てがたく、叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。今の若い人に見られるリストカットのような自傷行為だと先生は言う。
 イエスはこの男を癒す。そして、男の「一緒に行きたいと」いう願いを断り、「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」とおっしゃったのである。負担をかけた家族、差別された地域に戻ることはつらいことだったがイエスにいただいた救いの確信がこの男を導いただろうと島津先生はわれわれに告げた。
 この話をした先生の教会は入り口に段差がまったくなく、水が来たらひとたまりもなく入り込んでしまうだろうとのことだ。また、会堂の三分の一は寝て礼拝ができるように椅子ではなく高床のフロアーになっているという。十何人かの人が集う礼拝だが、ここでもう椅子に坐っては礼拝ができない人が何人も横たわって主との交わりに与るのだ。

 こんな現実を見てみたいと思うのは当然だろう。先生に申し出ると快く受けてくださり、数人でおじゃました。確かに話の通りの会堂だった。小さくて、華美なところはまったくないが、教会が人とある、この地にあるということを実感させる開放的な、よい教会だった。一緒にうかがった者皆が、感激し、フロアーに坐って写真を撮った。

 その後、先生は近くのお蕎麦屋さんに案内してくださった。終わって友の一人を村井駅に送る途中、松本病院の前に止まった。県立病院だというが地方の病院らしく塗装も薄くなっていた。思えばここは島崎光正さんが召されたところでもあった。

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アルプスの麓で

06070600dscf0003  3日、4日と松本市村井で全国キリスト教障害者団体協議会総会が開かれた。四国、広島、盛岡などそれぞれの地から主にあるキリスト教障害者団体が集い、祈り、讃美し、共に主の業に与ることを喜び、また、学びの時を持ったのだ。

 この会の代表として祈りつつ準備をし、健康に注意しながら期待と一抹の不安を持って現地に向かった。

 長野新幹線で長野駅に、そして篠ノ井線に乗り換え、特急「しなの」で松本駅に降りた。
 長野市は昔、この協議会にも深くかかわった島崎光正兄が治安維持法によって拘束され塩尻警察から連れて来られた刑務所への道でもあった。わたしは篠ノ井線沿線の木々の多い景色を見やりながら今、島崎さんの苦難の道を逆にたどっていることを思っていた。

 松本駅近くの蕎麦屋「榑木野」で山葵蕎麦をいただいてから女性運転手のタクシーに乗った。川沿いの道をたどって会場の「ウエルサンピア松本」にはそう多くの時間を要せずに着いた。

 早く着いた会場のロビーで無人の売店にあったふくろうの彫り物を買った。

 総会は午後3時から始まり、4日の正午までしっかりと持たれた。今回の準備、進行は松本を中心とした信仰の仲間「信州なずなの会」が担当だった。ここの皆さんも年配の方が多く、今度の会を引き受けるに当たっても代表者は遠慮がちであった。
 0007しかし、二日の間会は充実し、喜びに満たされ、参加者の感謝を受けて、終了したのだった。主題講演をした講師は会場を歩き、近寄って語りかけ、その声は大きく、力に満ちていた。なずなの会の仲間の証しも主の恵みを豊に讃え、参加団体の活動報告は例年語られる不安や心配が影を潜め肯定的な内容に充ちていた。
 こうして会が進行jしたのはなずなの会の皆さんが力を出し切って奉仕してくださったことに負うところが強いだろう。
 奏楽をしたT姉はもう腰が曲がっていたが、しかし、その声は優しく参加者を受け入れて下さっていたし、プログラムの進行役には会の方々が手分けして当たっていたのだった。(以下、明日に続く)

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