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2006年6月

2006年6月29日 (木)

静まりから

 「静まりから生まれるもの」を読んでいる。先日受洗したHさんから贈られたものだ。副題に「信仰生活についての三つの霊想」とあるが、一人静まり、神の声を聞くことの大切さを書いた本である。
 Book これを読んで、主イエスのいたもうことが強くわたしに迫ってきた。そして、一人家にいて、これといった対外的な活動をしない状態を安心して受け入れられるようになった思いがする。
 ここ数日感想をまとめている。よいものができそうである。それは本書がよいからである。
   
 もう一冊、「角川俳句大歳時記(夏)」を求めた。大部のなかなか豪華な本である。机の上に置くだけで自分が大きくなった気さえする。
 本は持っているだけでも安心するものだ。

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2006年6月26日 (月)

しばらくぶりの訪問

 本庄総合病院で看護を受けていたY・M先生を一年半ぶりに訪ねた。前回は一昨年のいつだっただろう。原因不明の発熱でわたしが入院したりして去年は一度もお会いしていなかった。
 先生は明治41年10月4日のお生まれとおっしゃっていたから、今年は97歳になるはずだ。小学校でも中学校でもお世話になり、教師というより母のような方であった。
 以前お目にかかったとき、優しい目の奥にわたしの子ども時代をしっかり納めていてくださる思いがして、わたしは懐かしさに向き合っている喜びを感じつつ、先生と面会していた。現在のわたしの生活をお話してもすぐにお忘れになって、同じことを何度も話しながら小さくなったおばあちゃん先生との時間をわたしは楽しんだ。
 昨日はもしかしたらもういらっしゃらないかもしれないと内心心配しつつ、和子と一緒に特別の病棟に向かい、エレベーターを降りた。
 いつもの介護職員が数人、固まって食事をしていた。
 「Y・Mさんはいらっしゃいますか」わたしはそう問うた。
 すると彼女らは顔を見合わせて、もういません、と顔を振った。

 先生は昨年、いや職員もいつだったかはっきり時期は答えなかったが、どうも去年らしいのだ、亡くなったとのことだった。
 その答え方から先生はもう「過去の入所者の一人」になってしまったようだったので、それ以上のことは問わなかった。
 「先生がお世話になりました」とお礼を言って、頭を下げ、わたしはその場を辞した。

 家族もない先生はどんな見送りを受けて旅立ったのだろう、そう思いつつ日曜日でさんかんとした病院の長い廊下を玄関に向かった。
 

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2006年6月23日 (金)

白内障

 眼科の検査で半日を要した。白内障の手術を七月にするのでその事前検査である。眼圧、視力、眼底、目の大きさ、血液、心電図、肺、血液凝固速度、その他の検査である。

 肺のレントゲン写真を見て、医師は口ごもっていた。肺が白くなっているからである。「右下でしょう。これはいつもそうなので心配ないのです」と告げると彼は安心して、「では手術しましょう」と言った。

 それにしてもこの像が写る肺になったのはいつのことだろう。

 今日の検査はわたしが車椅子に乗っているので検査器にしっかり目を付けられなくて、看護師が毛布を尻の下にあてがったり、機器を動かしたりたいへんだった。

 だいぶ白濁度が進んで、右目は正面がしっかり見えないのだ。今度の手術でどこまで回復するか?空気が澄んで見えるようになることを期待している。

 三泊四日の入院だそうだが、全国キリスト教障害者団体協議会の総会もこのころには終了するから、ゆっくり病院で過ごそう。

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2006年6月21日 (水)

立ち上がる

妻が庭にきれいにバラが咲いたと教えてくれた。肩が痛く、足もはれぼったいので一日家の中にいたから、これはよい機会だと思って外に出た。

スロープを下りたまではよかったのだが芝生を歩き始めたとたんどうしたことか転んでしまった。重い体がゆっくりと倒れて肘から落ちた。痛みはなかった。

よし、これは立ち上がれるかどうかみるにはよいチャンスだ、そんな思いが浮かんだ。地面から立ち上がれるかどうかいつも不安に思っていたのだ。

右足を手で曲げて膝立ちになり、左足をまっすぐに伸ばして、杖を支えにして体を起こしにかかった。重い体に下へ、下へと重力がかかり、右手はそれに耐えるのに懸命だ。

06062103dscf0014うまくいった。立てた。転ばなければできない体験だった。

バラの花は厚みのある赤い花弁を寄せ集めて咲いていた 。

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2006年6月16日 (金)

送られてきた雑誌

 友人のHさんがいつもキリスト教雑誌「共助」を送って下さる。先日も5月号が届いた。今回の特集は教育基本法をベースにしている。

 全体を通して読ませていただき、教育基本法の改定に危惧を抱く方がかくも真剣に学びの時を持っておられることに心強さを覚えたのだが、この雑誌で私の心に響いたのは以下の数行であった。

 「教育基本法制定に中心的な責任を担った田中耕太郎が、法制定の前提として、その基礎にどういう思いと基本的な考え方を持っていたか。そこに注目することは『自然法』を大事にすることにつながる姿勢であると思いますが、この点について林竹二はその著 『教育亡国』の中で(二二一ページ)次のように述べています。『田中耕太郎にはおそらくカトリックの信仰に結びつくものであったろうが、教育の本質について、それは国家以前のものだという確固たる信念があった。彼は『新憲法と文化』(五五頁)の中で、教育の本質について、こう述べている。

   教育は一般文化現象と同じく、私的、民間的性質を有して居り、本来国家の活動の範囲外に位するものである。それは本来国家的起源のものではない。教育者と被教育者との関係-教育関係-は芸術家と作品との間のものと同様に、極めて個人的の関係であり、そこに国家の介入を許さないのである。このことは教育の最も本源的な関係である親子関係及び学校教育が沿革上私塾的のものから発達した事実に想到すれば明瞭である。教育の国家的独占は、教育を国策の手段と見るナチ的、ファシスト的又は共産主義的理念の所産に外ならない。」(「共助」2006年5月号 27頁 )

 特にこの中で「教育者と被教育者との関係は極めて個人的の関係であり」という叙述は私の教育論と全く一致するところである。教育問題を論ずるときには教師と生徒の間でどのような実践が展開されたかを抜きにしては議論は成立しない。その意味からいうと教育基本法を教育実践に生かすという志向は逆であって、教師はまず、己の信ずる授業観、児童・生徒観に則って教育関係を成立しなければならない。その教師は児童・生徒という個を重んずる人、人を信頼する人、平和でありたい人、自らもよりよい人間になろうとする人でなければならないだろう。その教師が子どもとよい関係を結ぼうとする時、それを妨害する事態が生じるとき、いや既に教育現場では多くの困難が起きているのだが、教師と子どもを守るもの、それこそが教育基本法ではないのか。だからこそ、為政者は改定を試み、心ある人はそれを阻もうとしているのだ。

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2006年6月14日 (水)

雀らや蛇を囲んで鳴き騒ぐ
  
 蛇が我が家の庭の垣根から東の松林の方に向かって道路に長々と横たわっていた。一メートル以上もある黒い蛇である。
 気がつくと雀たちが続々と集ってきた。蛇のわきに一列になって凄まじい勢いで鳴きたけっている。蛇は少しずつ移動を始めた。そのうち尾長も加わって声を限りに鳴きだした。すると蛇はするすると滑って松の木の下へ入っていった。木に登ったのか草陰に隠れたのかはわからない。
 わたしは蛇は嫌いである。追いかけられたら逃げられないという心配から子ども時代から人一倍の恐怖心を持っている。
 夏になってガラス戸を開け放つことも多くなるが、さて、どうしたものかと年甲斐もなく新たな心配を抱えることとなった。

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友の手紙

 先日クラス会で会った友に写真と手紙を送ったことは既に書いた。実はその折、「こころの便り」316号「レンズの性格」(http://homepage3.nifty.com/bridge2/317.html)を同封したのだった。

 先週末あたりからお礼の返事が毎日届く。その中の三人の友が「こころの便り」に関心を示してくれ、感想などを書いてくれている。

 今日届いた葉書のK君もその一人である。彼は弟さんが障害を持っておられ、大阪に住みながら弟さんの施設のある徳島県まで時々世話のために出かけなくてはならない。今回もそのためにわたしの手紙を見るのが遅くなったとのことだ。

 Kawano2jpg2K君の葉書には丁寧な絵が最近描かれている。パソコンと違って出す人ごとに手書きするのだから手間もいるだろう。感心するほかない。

 その彼が「こころの便り」を読んでこんなことを書いてくれた。無断に紹介するがきっと許してくれるだろう。

 「『レンズの性格』という一文は気に入りました。人間も自然界の一つの存在なのだという感覚が見えて来たように思います。仏教でいう菩提心ということばを思い起こしました。やはり年齢がそう思わせるのでしょうか。」

 さて、この文、どうもわからない。どなたかこの解釈をコメントしていただけないだろうか。

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2006年6月12日 (月)

梅雨

半袖にカーデガン着て梅雨の朝 

昼寝から覚めてもやはり一人かな

 なにもしないでいることに満足する素直な人になりたい。

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2006年6月11日 (日)

梅雨

暗き梅雨電光文字の光りをり
   
 雲が低く暗い道を教会に行く。体調悪く体が重い。
 礼拝の司会をする。詩篇122編からエルサレムへ向かう信仰者の姿を教えられる。我らも神の国に向かう者であり、そこに喜びが約束されていることを知り、一時疲れを忘れる。
  
 祈り。  

 すべてを治めたもう主なる神様。

 

 聖霊降臨節第一週をわたしたちはお守りのうちに過ごし、ここに第二聖日を迎えることができました。

 あなたを仰ぐこと少なく、隣人を愛することの難しさを常に覚えるこの一週でありましたが、あなたは御心に留めてくださり、今朝もそれぞれの生活の場から呼び出してくださいました。こうして礼拝をここに兄弟姉妹共に集ってあなたに捧げることができますことを心から感謝いたします。

 あなたは聖霊をわたしたちの弁護者としてお送りくださいました。あなたの御心をこの世に実現することに常に不安を覚え、お互いに不信を抱く時、また、この世の現実に失望する時、わたしたちは精霊と言う助け手をあなたからいただいていることを忘れず、教会の交わりにおいてもこの世の働きにおいても勇気を持って奉仕を行うことができますように。

 神様、わたしたちの教会をかえりみてください。兄弟姉妹をそれぞれに用いてください。遠く離れている友も、体が衰えたり病のなかにある友も、どうぞ、皆一人一人があなたの体に連なる枝として、あなたの聖霊のもとに活かして用いてください。

 今日もあなたの御言葉を取り次ぐ先生を聖霊で満たし、励まし、力を与えてください。聞くわたしたちをあなたの方に向き直らせてください。

 これらの祈りと感謝、わたしたちの救い主、復活の主イエス・キリストのお名前によって御前に捧げます。 アーメン

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2006年6月10日 (土)

選ばれない子

 今日もHちゃんのことから。

 夕方担任の先生から電話があった。Hちゃんが硬筆書写大会のクラス代表の一人に選ばれたという連絡だった。土、日にもっと練習して月曜日に学校でお清書を書くときのために準備してくださいと先生は付け加えたという。

 Hちゃんは大喜びである。

 4年生のお姉ちゃんがテニス練習から帰って来て、このことを聞いた。お姉ちゃんは今年も代表には選ばれなかったようだ。そしてこう言った。「一度は選ばれたかったなぁ。」

 確かにお姉ちゃんよりもHちゃんのほうが字が伸び伸びしている。勢いもある。お姉ちゃんは長女らしくどこか気が弱く、几帳面で固いのである。

 それはともかくとして、わたしは選ばれなかったおねえちゃんのことが気になった。他にもクラスには毎年、今年はもしかして、と期待しながら選から漏れる子どもがいただろう。

 わたしは中学校時代を思い出すと、写生大会、珠算大会、読書感想文コンクールなどでいつも学校代表に選ばれていたから、こうして漏れてしまう友のこころなど気がつかなかった。

 教師として35年務めたが、わたしの学校では代表を送り出す行事はあまりなかったからこんな思いの子どもを作り出してはいなかっただろうと多少は安心もする。しかし、日々の授業の中では同じような場面があったであろう。子どもたちはそこからどう切り替えしてまた学習に立ち向かったのか。お姉ちゃんのことばに接しこのことが気になっている。

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2006年6月 9日 (金)

ある夫婦

 テレビで障害を持つ子どもがいる夫婦の生活を紹介していた。ダウン症で生まれ、視力と聴力に障害を持ち、知的にも困難をかかえている男の子A君を明るく受け入れて育てている夫婦である。

 女性は小学校の先生、男性は「主夫」だという。A君は自傷行為があるため両腕にペットボトルの空いたものを、自分の顔を打たないためにはめている。

 この番組を宿題をしながら孫のHちゃんが時々見ていた。

 画面はやがてこの夫婦に第二子が誕生する話になった。そして出産場面が映し出された。難産だったが無事に女の子が生まれた。出産直後のまだ体に血液がついたままの姿だった。ちらちら画面を見ていたHちゃんが「わっ、血がいっぱい」と叫んだ。わたしはチャンネルを変えようかと一瞬迷った。小学校一年生のHちゃんにとって誕生とはもっと童話的で夢のあることかもしれないと思った。

 その時お勝手で夕食の用意をしていたHちゃんのママが「Hちゃんも血がいっぱいだったよ」と声を掛けたのだ。女性は現実的で、強いなと感じ入った。

 Hちゃんはもうテレビには関心なく、硬筆の練習に余念がなかった。

 テレビでは家に帰った嬰児がA君と並んで寝かされ、夫婦が笑顔で見つめている光景を映していた。

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2006年6月 8日 (木)

一人の日

 妻がいない。いつも何か話していないと気がすまないおしゃべりの妻がいない。すべてを切り回している頼れる妻がいない。

 今日は関東教区婦人連合修養会で遠く五浦まで朝早く出かけたのだ。帰りは明日の夕だから今夜も明日の朝もいないことになる。

 今日の朝食と昼飯はテーブルの上に用意していってくれた。明日は昼は自分でインスタントラーメンでも食べようと思う。

 彼女がいないと緊張感を持って過ごさねばならない。来訪者があったときにすぐに出られるように車椅子に乗っていないといけない。座敷に乗って寝転んでいるわけにはいかないのだ。

 四時前には孫が下校する。そしたら駅までテニススクールへ行くために送る。雨が降ると車まで行くのに困る。なんとか天気がもって欲しいと願う。

 犬は玄関脇につないでおいてもらった。ここなら万一の時も車イスで出て、オシッコにも連れて行かれる。

 なんやかやと明日までは気がもめる。一人の日は大変である。

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2006年6月 6日 (火)

ありがとう

 先日のクラス会の写真ができたので友へ手紙をつけて送ることにした。その手紙の3通をここに残しておきたいと思う。

 先日はありがとうございました。素敵な会になりましたね。人間って、変わらないものだとつくづく思わされました。みんな、学生時代の良さの上に職場体験という衣を重ねているだけという感じでしたものね。これから最期の時に向かって、いくつかの重いものを背負うことになるでしょうが、しっかりとそれを受けとめて、今までの良さを持ち続けたいものです。色々とご配慮ください感謝します。またお会いしましょう。

  Kawano先日はお目にかかれてとてもうれしかったです。よい時を共に過ごさせていただき感謝いたします。皆様、それぞれにいろいろの課題を抱えつつ、よい人生を歩んでおられますね。個性を失わずに生きられるなんて今の社会では贅沢なことかもしれません。貴兄もどうぞゆとりをもって1日1日をお過ごしください。また会いましょうね。

 先日は本当に久しぶりにお会いし、楽しく、うれしく思いました。学生の時の姿はそれぞれみんな持ち合わせているものですね。貴兄に階段を背負っていただいた思い出もよみがえってまいりました。先日の写真と小生の個人通信の最新号をお送りします。またお目にかかれる日まで。

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2006年6月 5日 (月)

新幹線車イス用座席

以下の提言をJR東日本に送った。回答を待つ。
  
 小生車イスを利用して新幹線を利用する者です。先日駅の方に案内していただき車イス座席のある号車に乗せてもらいました。ところが入り口が違っており、車イス用の座席に到達できませんでした。
 このように号車は合っていても乗り口を間違って案内されることは今回だけではありません。以前は停車駅で移動をしたり、ひどいときには階段を必死の思いで上って移動したこともあります(MAX二階建ての場合)。
 駅の方のご親切には感謝しております。しかし駅の方もこうした間違いをするのですから、ぜひ列車のドアにはっきりと車イスマークをつけるようにしてくださることを提案いたします。

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2006年6月 4日 (日)

丸ビル

06060302dscf0012 大学時代のクラス会が丸ビル5階「筑紫楼」であった。
  丸ビルに入るのは初めて。どんな重厚な建物かと期待を持って行ったのだがどこの町にもあるビルであった。ビル自体よりも車イスで渡る東京駅前の道のほうが新鮮で、街路の緑がみずみずしかった。
 集ったのは妻を入れて11人。皆、懐かしい友であった。そYamanaka_1れぞれに年を重ね、顔にも体にも卒業以来45年蓄積したものを持っていたが、しかし、その内には学生時代の特徴を十分に秘めていた。
 家族の大事な一員を失った者がいたり、伴侶を亡くした者もいた。また、兄弟の世話に長い時間を当てている友もいる。
 それでも皆、現在生き生きと生きている。明るく生きている。現職で大学生の指導に当たっている者もさえいる。今年の叙勲に与った友もいたが、彼には世話人が桐の葉を刻んだ万年筆を記念に贈った。
 ふかひれ料理をゆっくりいただきながら、ビールと紹興酒を楽しんで、皆で心を許しあった3時間だった。
 わたしは今のわたしがいるのは大学時代の皆さんのお陰ですと冒頭の挨拶の中で言ったのだが、今日の会においてもわたしに対する心遣いをひしひしと感じざるをえなかった。

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2006年6月 2日 (金)

友との出会い

 外に立っていたら「渋沢だいね」と声をかけられた。「そうですけど、どなたでしたっけ?」わたしはそう答えざるを得なかった。
 「竹内だよ」。
 そう言われてもまだわたしは思い出せない。少し分かったふりをして「ああ、竹内君。中学の時はどこに住んでいたっけ?」。私は探りをいれた。
 「昔は○○に居たけど、今、東京製菓の裏に住んでるんさ。少し前脳溢血をやっちゃって、歩くのが不自由なんだ。あまり座ってばかりじゃ駄目だって言うからたまにはこうして散歩してるんだよ」。竹内君はそう話を続けた。わたしたちはしばらくの間昔の友達の話をして別れた。
 家に入って昔の名簿を取り出した。そして竹内という名前の友を捜した。20年ほど前に水上で持った同窓会の時の写真も取り出してみた。そしてようやくその男が竹内▽▽君であることがおぼろげながらわかってきた。思い返してみるとわたしは中学時代あまりlこの君とは話したことも遊んだこともなかった。中学を出てから会う機会がなかったことは言うまでもない。
 ただ中学時代の記念として残っているサイン帳をめくって見るとそこには▽▽君の名前でこう記されているのであった。「久君へ。久君とも長い9年間勉強したり遊んだりしてきましたがもう別れなければなりません。別れてからも友達を忘れずに手紙のやり取りをしていきたいと思います。また久君はどこに行くのかわかりませんがぼくは中学校を卒業して社会に出ていくのです。久君もよりなお一層勉強に励んでよい社会人になってください。では君の健康を祈る。さようなら。▽▽より」
 ここには純真な少年の心情がやさしく吐露されている。高校から入学を断られ行く先のないわたしをおもんばかる心も見える。50年余が経っているとは言えこのような友を思い出せなくなっている自分、いや人間というものをどうとらえていいのか。わたしは今穏やかではない。

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2006年6月 1日 (木)

初夏の一日

 三〇度を越す暑さになった。長袖シャツでは暑くてたまらない。本庄市にあるユニクロへ行く。午前中とあって店内はすいていた。半袖のチェックの柄物があったので買う。一つは赤が入ったもので、もう一つは青を基調としたシャツである。一枚一九九〇円だそうだ。最近は改まったシャツを着ることなどあまりない。ズボンにしても軽い、綿のよれよれのものを履いている。家にいることが多いのでこうして気軽なもので済むのはありがたい。
   
 その後新幹線駅へ切符を買いに行く。あさって東京駅の前の丸ビルまで大学時代のクラス会のために出かけるからだ。一緒に七月に松本市で行う全国キリスト教障害者団体協議会出席のための乗車券もお願いした。長野駅、松本駅でのエレベーター利用についても文書で依頼した。
 これらの手続きはみな和子がやってくれた。わたしは木陰の下に車を停めて待っているのみ。

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