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2006年5月

2006年5月28日 (日)

わたしたちと共に歩む主イエス

聖日礼拝。与えられたことば。

   出エジプト記3章11節、「 モーセは神に言った。『わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」12節「 神は言われた。『わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。』」

 神は必ずわたしたちと共にいてくださる方である。だからこの世の生を人は生きられる。

   ヨハネによる福音書14章26節、「 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」

 生きる時わたしたちは苦しみに遭う。しかし、わたしたちには弁護者が付いている。それは聖霊である。ここに安心がある。

 救いは来るべき世において実現する。神はわたしたちを訪ね、わたしたちがそれに応えるとき、共に食事の宴に与れるのだ。
   ヨハネ黙示録3章20節「
見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」

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2006年5月25日 (木)

陽光

蜥蜴獲り遊ぶ老犬あはれなり

ボール投げ紐を手繰るや初夏の庭

 減量作戦が裏目に出てすっかり疲れてしまった。あまり根を詰めるのもよくない。
   
 今日は天気がよく、風も爽快。一時庭に出て風に吹かれた。葉ばかりになったミズキがよい日陰を作ってくれていた。
 台座に長いゴム紐がつながって、その先にテニスボールが結びついている健康器具がある。ボールを投げたあと自分で拾いにいかなくてもゴムの力で自然にボールが戻ってくるので都合がよい。椅子に坐ってしばしこれで遊んだ。しかし、わたしは勢いよく投げられないから紐を手繰り寄せざるをえなかった。ようやく緑が濃くなった芝生の上で一人、しばらくそうして時間を過ごした。
 家に入ろうとすると玄関でライアンが蜥蜴をもてあそんでいた。もう死んだと見えてまっすぐに伸びた体は動かなかった。

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2006年5月24日 (水)

懺悔

 Kさんから電話がかかってきたよ、と長男が教えてくれた。「Kです。」と言われて一瞬誰かと思ったと言う。

 Kさんとは一か月前、夜中に自転車事故にあって意識不明になっていた元気のよかったあのKさんである。わたしも一度病院に見舞ったが、寝てばかりで全く反応はなかった。奥さんもあまり長い間、お父さんは出張中だよと隠しておくわけにもいかず、連休前には子どもたちに打ち明けたそうだ。

 そのKさんが最近になって看護師さんに手を上げて挨拶したり、長男夫婦が行くと判別できているらしいということは聞いていた。夕べも孫とママが訪ねると、孫のおでこに指でデコピンをしたとのこと。また、散歩もしているともママが看護師さんの話として教えてくれた。

 長男は手術の時には奥さんに付き添ってあげたし、ママも時々病院と家を訪ねて手を差し伸べていた。

 そして今日の長男の話である。

 なんとうれしいことであろう。わたしたち夫婦も朝の祈りでいつもKさんのこと、その家庭を守ってくださいと祈っていた。それでも長い間意識がなかったのでどこまで回復するか不安を持ちながら祈っていたのだ。

 信仰の弱さを懺悔しなければならない。

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2006年5月23日 (火)

その通り!

 遅い朝食をとっていると電話が鳴った。神戸に住む全国キリスト教障害者団体協議会の姉妹からだった。会計の役を長くやっていてくださっている。
 7月に松本市で開催される総会で加盟各団体の役員をもっと元気付けて欲しいと言うのである。今、各障害者団体では会員の老齢化が進み、運営もたいへんになっている。新しい会員の加入もあまりない。
 この時にその現状を嘆いたり、愚痴を言っても仕方がない。会の責任を担っている役員こそ元気を出して、積極的に母教会に戻って障害を持つ人に誘いの手を伸べるべきである。会が生き生きしてこそ会員も増える。このことを各団体の責任者に話し、もっと元気をだしなさい、とわたしに言って欲しい、こういう電話だった。
 この姉妹は雰囲気に飲み込まれない個性を持っておられる。かなり距離を置いた立場から平然と発言する。今朝は早くから異質の、捨てがたい贈り物をいただいた。

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2006年5月20日 (土)

減量作戦

 何か月ぶりかに体重計に乗ると66.5キロだった。あまりにも体が重いのでもっとあるかと恐れていたのだがこの重さは許容量の範囲である。とは言え、以前より2キロ増えている。これはよくない。
 早速体をもっと動かすことを始めることにした。まず仰向けに寝て、体をにょろにょろと揺すること。うまくいけば足から頭までがS字を描いくのだが、わたしの場合は一本の棒が左右に揺れているに過ぎない。テレビの案内によれば体が熱くなって汗をかくとのことだがそんなことにはならなかった。だが、やるしかない。毎日続けよう。
 歩くことも始めた。雨ばかりの日なので寝室から居間までの廊下を往復する。10分もやっていると疲れるが、わずかに汗が背ににじむ。
 この他、相撲を観戦しながら足を上げ下げしたり、夜座椅子に坐って上体の屈伸運動をする。ベッドでは腹式呼吸も試みている。
 さあ、これで体重減が成るであろうか。一か月後に65キロにはしたいものだ。

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2006年5月18日 (木)

小さな世界

 人形たちの居場所が変り、今朝は皆でくっつきあって一列に並んでいる。一年生の孫、光ちゃんが夕べここで遊んだのだろう。

 _2 少し説明を加える。玄関を入って二階に上がるところに小さい棚がある。そこに停年を記念して大学からもらった壷、板橋区観光写真展推薦によるトロフィ、その他幾つかの記念の品が飾ってある。そして、残ったスペースに一寸ほどの人形や民芸品を置いているのだ。

 旅に出たときに求めたフクロウの置物(それは筍の皮でできているものもあれば焼き物であったりする)、裏磐梯で買った赤べこ、勤めていた学校の女性事務員のおばあちゃんが陶芸教室で作った子犬、誰かにお土産でいただいたコケシのようなダルマ、そしてまた蔦でできた鹿(?)等々がこの棚で小さな世界を形作っているのである。ちなみに昨年韓国で買った「天下大将軍」「地下女将軍」もここに並んでいる。

 光ちゃんはここがなぜか気になるらしい。そして時々この世界を作り変えるのである。フクロウの頭に小さいほうのフクロウを乗せてみたり、皆を向き合わせたり、どれかを壷の陰に隠してしまったりする。

 「赤い牛が仲間はずれになっているね」と言うと「光はしらないよ」と答えるがその顔はいたずらをした喜びを隠し切れない。

 今朝、こんなに一列にしたのはどんな気持ちだったのだろう。小学生になって毎日が緊張の連続のようだが、この陳列台の上の世界だけは彼女の自由になるところなのかもしれない。

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2006年5月12日 (金)

いっぱいのいただき物

 忙しく、楽しい一日であった。
 朝メールをチェックすると捨てられないメールが三つあった。その一つは「キ障協」の原稿を送ってきたものだった。朝食を済ませると私はその原稿を取り込んで「キ障協」の編集に取りかかった。昼までかかってやっとそれを成し終えて封筒に入れた時には少し疲れを覚えていた。
 正午になるのを待ちかねてTVをつけた。二つ目のメールでかつての同僚が教え子がテレビに出るから見て欲しいと言ってきたからである。番組は北海道の、ある共同学舎でチーズが作られる様子を紹介していた。この学舎にはたくさんの体や心に困難を持つ人たちが働いていた。しかしよい経営者のもとでみんなそれぞれに自分のできる役割を担って充実した毎日をそこで送っているという。
 「教え子」はすでに四四歳になっていた。その生い立ちに人知れぬ試練を負っている彼ではあるがその顔は黒く光って深い彫を作っていた。あたかも鉄塊に名工が彫刻刀を振ったように見えた。
 編集を終えた原稿をフロッピーに入れて広島にある印刷所に送ると今日の仕事は一段落であった。
 三つ目のメールにあった「ビデオと録音テープを送りました。二、三日のうちに着くでしょう。」という神戸の友の簡単な文章を思い出しているときクロネコヤマトの宅急便が届いた。大きな袋を開けてみるとそこには録音テープが二本とビデオが二つ、それに一冊の本が入ったいた。テープはこの友が教会における障害を持つ人たちの問題を語ったときのものである。この話をする前に友は草稿を私に見せ、私は多少の修正を手伝ったのだ。
 ビデオテープのラベルには「親分はイエス様」とある。これは劇場で上映されたこともある牧師さんの話である。私はまだ見ていない。
 もう1本には「まばたきの詩人・水野源三の生涯」「悲しみ多き日に」と書いてある。
 たくさんのよいものをいただいた一日であった。

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2006年5月11日 (木)

友への手紙

 信仰の友Tさんのご両親が事故で亡くなられた。この友はわたしが大学時代から交わりのある人である。当時はまだ高校生だったので、わたしたちは彼を君付けで呼んだものだ。やがて大学に進学し、大学教員になり今では教授になっている。穏やかな性格でいつも笑顔を絶やさない。
 その彼の両親が先日亡くなられ、今月初めに教会で葬儀があった。両親とのお交わりはほとんどなかったが、教会にバザーの際お手伝いに見えたことをかすかに覚えている。
 昨日、彼にお見舞いの手紙を書き送った。
  
 復活の主を賛美いたします。
 その後いかが毎日をお過ごしですか。
 先日はEさんから貴兄のご両親のことをうかがいました。教会でのご葬儀にも参ることがかなわず、お許しください。
 Tさんのお父さんの思い出といえばバザーの際気さくに、せっせと綿飴づくり(?)をしていただいたことがあったような気がしております。わたしの記憶違いでなかったら、あまり大きな体でなく、しかし手を休めることをなさらない方ではなかったでしょうか。
 不慮の出来事で一瞬のうちにたくさんの思い出を持つご両親を失われた貴兄の心のうちを思い測ることは他人にはできないことであります。
 しかしあのご両親が今まで存在を許されて、貴兄の生活圏におられたことは感謝すべきことかもしれません。
 わたしのことを申せば父は早く逝き、その後母が今から二〇年ほど前に召されましたが、その時わたしの脳裏をかすめたのはわたしは独りになってしまった、昇給や子どもの成長を報告し、褒めてもらう人がいなくなってしまったということでした。
 貴兄もご両親と別れ、この時に至って、がんばって自立しなければならないのだと実感するかもしれません。
 両親はそれほどに大きな存在でした。その方を天に送ってしまった貴兄のことを思うと神様が共にいてしばらくの間悲しみを支えてください、一緒に歩いてくださいと祈るほかありません。
 Tさんのご家族、ご姉妹の上に神様の恵みの豊かにありますようにお祈りいたします。

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2006年5月10日 (水)

里若葉

 息するも苦しくなりぬ里若葉
  
 06050322dscf0001_1 祈りの会に出席。コリントの信徒への手紙Ⅰを学び、祈りを共に捧げる。わたしたちはそれぞれに神から賜物を与えられていることを教えられる。人を愛することも神様から与えられた賜物によっているのだ。自分の徳を高めるためでなく、神からいただいたものを用いることによって人を愛することができる。
   
 教会への道は先日までは花々でにぎわっていた。狭い旧中仙道だから車は両脇から垂れ下がる色とりどりの花木の間をぬって走らねばならない。
 しかしそれもつかの間だった。今はどこ家の庭も垣根も緑一色である。息苦しいまでに緑が覆いかぶさってくる。
 今日はその緑も雨に濡れそうである。

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2006年5月 7日 (日)

共に歩く主

 復活節の礼拝。聖書箇所 ルカによる福音書24章13節から35節。
 ここは二人の弟子が、エルサレムからエマオという村へ向かって歩いていくときに復活の主に出会った話のところである。二人は婦人たちが十字架の翌朝早く墓へ行ったが遺体を見つけずに戻って来たことを共に歩く人(イエス)に告げた。
 その夜彼らはイエスと共に泊まることになった。そして一緒に食事の席に着いたとき、イエスがパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになると、二人の目が開け、一緒に歩いて来た人がイエスだと分かったという話である。
 この説教を聞き、その後聖餐に与った。
 聖餐は二人の弟子たちに主が自分たちの信仰の目を開いた恵みの出来事であったのだ。
  
 万緑や聖餐受けて主を知りぬ
 復活節一緒に歩む主に感謝
 死の墓を希望に転じ復活節
 聖餐や終わりの日まで主と共に

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2006年5月 5日 (金)

娘の相手

 「晩御飯、ある?」
 夕方娘から電話が入った。今、秩父に彼と芝桜を見に来ているという。
 娘は先日独りで住んでいたマンションを引き払って彼のところに転がり込んだのだ。わたしたちはまだこの彼に会ったことがない。今夜一緒に来るというのだからこれはよいチャンスである。
 しばらくして二人はやって来た。挨拶もしっかりしているしあまりしゃべらない朴訥なよい感じの男である。まだ結婚するとも聞いていないのであまり身元調査のようなことを聞きただすわけにもいかない。娘より年上で、電気工事関係の仕事をやっているのだそうだ。
 すしが食べたいと言う娘の要求で二人には特上寿司を用意し、そのほかいつもの夕べの料理がたくさん載った炬燵に坐って家族わきあいあいおしゃべりをしながら食べて時間が過ぎた。お寿司がおいしかったと見えて妻が三人分取ったのに全部平らげてくれた。
 阪神フアンだという彼とテレビを見ながら彼の町の様子などを話してわたしも付き合った。そのうち結婚の話も出るかもしれない。二人の楽しそうな様子を見てそう思う。
 明日は益子の陶器市に行くという。芝桜を見たり、陶器市に行ったり、これにも安心させられる。

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2006年5月 3日 (水)

蒲公英

06050301dscf0029  蒲公英と並んで坐るひなたぼこ
 太陽を呑み込んでいる日向ぼこ
 山笑う妻と二人の下ろし蕎麦
  
 よい天気になった。空は青一色。子供達はテニスの試合に出かけ、妻は畑の草を抜いている。
 パソコンをいじっていたがまだ部屋の空気は寒い。畑の様子を見に出た。先日木村さんが草取りの仕方を教えてくれ、その上、石拾いまでやってくださったお陰で、猫の額ほどの畑だが土がきれいになっていた。和子はその隅のいつもライアンがウンチをするあたりに茂っている雑草を勢いよく抜いていた。義姉が通りかかって畑で摘んできた豆を一掴み呉れていった。
 わたしはどうもわき腹が痛い。内臓が引きつれているような感じがする。庭に帰って壊れかけた椅子に坐る。
 暖かな陽光が全身に降りかかる。ふと見ると足元に蒲公英が咲いている。クリームイエローがこってりとして鮮やかだ。この花も連休の日を一人でのんびりと過ごしているのだ。
  
 午後になって神川町へ蕎麦を食べに出かけた。ハナミズキの街路樹が白く輝く道を通って30分。南に低い山が見え、その上の空が青い。ここへ行くといつも下ろし蕎麦を食べる。大根の辛味が効いて、少し固めの蕎麦が口を刺激する。
 帰りに町の苗木センターに寄って今夜の野菜と茄子の苗木を買った。
 二人の連休初日である。

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2006年5月 1日 (月)

立てない

06050103dscf0028  立ち上がるのがなんと難しくなったことか。
  
 今朝、皆がそれぞれのところに出かけて行ったあと、ふと壁を見ると絵を入れた額が傾き、中の絵がずれてしまっていることに気づいた。全紙にガッシュで描いた菜の花の絵である。
 家内に頼んで壁からおろしてもらった。そしてソファーにかけたままで四隅の小さなネジを外しにかかった。これは簡単だった。
 次に中の絵をまっすぐにし、台紙に固定しなければならない。これもなんとか終わった。もっとも厄介な作業はその台紙を額に納めて、またネジ止めすることである。額といっても粗末な素材のものだし、しかも大きいから家内に絵がずれないように抑えてもらっていても全体の枠が開いたりゆがんだりでどうしてもうまくいかない。
 仕方なし、ソファーから床に下りることにした。平らなところでないとだめだと悟ったからである。反対の端を壁に押し付けて固定しながらやると思いの外早くネジは穴に入ってくれた。
 やれやれと安堵しながら元のソファーに戻ることにした。右足を手で持ってくの字に曲げ、立ち上がるための姿勢をとった。そしてソファーの端に手を突き力を込めて立とうとした。やんぬるかな、腰が上がってこない。補そう具を付けた左足の置き所をあちこち動かして立ちやすいポジションを探したがどうやっても駄目だ。
 足の力も弱くなっている。その上、大腿部には余分な脂肪がいっぱいになり重さが増している。そんなわけでほんの2、30センチの座面まで腰をあげられないのだ。
 少し休んで、わたしは床に腰を滑らせ、ソファーに近づけ、からだを寄りかからせるようにした。そして座面に肘を乗せ、足をふんばって体をひねりながら持ち上げにかかった。 こうしてなんとか腰掛けることができたのだった。
 椅子に戻って一安心したわたしは尿意が強いことに気づいた。

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