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2006年4月17日 (月)

イースターの朝

Tosima  豊島岡教会のイースター礼拝に出席した。会堂入り口のスロープには草花の鉢がたくさん並んでいて復活祭を祝うところにふさわしい彩りを演出していた。同時に、車椅子利用者が普段は通らないことも証明していて、わたしは鉢の幾つかを移動しながら会堂へと上がって行った。

 説教は明瞭で、力に満ちたものだった。

 マタイによる福音書28章はイエスが甦った朝の墓場の様子を伝えている。マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行くと、大きな地震が起こったというのだ。そして天使が天から降って石の上に座ったという。

 高橋牧師はこれは神様の御支配がこの世に介入したことであると言った。地上の権力がその力を失い、神の御支配が始まったのである。それは力あるものにはうろたえをもたらし、弱さをもつものには喜びを与える時の始まりである。

 「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。『恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。』」と聖書は続けている。

 牧師は「おはよう」は「シャローム」(平和があるように)の意味だとおっしゃった。それは「ガリラヤ」というこの世の現実の中に「平和があるように」というメッセージである。毎日の生活には苦しみがあるだろうが、しかし、そこには神様の御支配が介入したのだから、シャロームという声が響いているのだ。

 もうだいじょうぶ、今日から新しい生活を始めなさい、こう聖書はイースターに当たってわたしたちに呼びかけている。

 豊島岡教会に伺ったのは2年ぶりくらいになる。わたしを見つけた古い会員は近寄っては握手をし、笑顔で喜びの挨拶をしてくださった。

 礼拝後、愛餐会にも加えられた。教会員は新しくなり、交わりは生き生きとしている。持ち寄り形式の食事会であったが、子どもから老人まで皆楽しそうだった。その中にわたしはあたかも主賓のように座り、挨拶をし、もてなしを受けたのである。見回すと部屋にはわたしの描いた油絵が二枚依然として掲げてある。その席にこの日新しく会員に加わった3名の兄弟姉妹もいた。皆さんもうわたしよりも年長の方であるが、こうして新しくこの教会の会員としてこれから信仰生活を始めようとしておられる。

 愛餐会ではスピーチもなされ、その方の生活ぶりも伺えた。忙しい、波乱を含んだ生活を率直に語る姉妹方に都会の教会の開放的な力強さを感じないわけにはいかなかった。田舎の人々は誠実だが、こういう姿は見せないのだ。

 新しく会員となられたS兄とも親しくお話をしたりしやがて愛餐会はおしまいになった。わたしは去る前にかつて豊島岡教会で会計役員としてはたらいたM・I婦人を川越市の老人ホームに訪ねる予定だと告げた。すると牧師はじめ何人かの会員は病床聖餐のためにM・H姉をご自宅に伺うとのことで、賑やかに、語り合いながら会堂を出て行かれた。聞けば、皆さんは前週にはM・I婦人を見舞ったとのこと。

 ちなみに週報には韓国ソウルにあるチャンヒョン教会創立80周年記念式典に牧師他8名が参加すると載っている。また、会報では松戸市で新しい開拓伝道の拠点として「南花島集会所」を開設した記事も見ることができた。

 豊島岡教会は与えられたタラントを十分に用いて主への奉仕をしようと動き続けているようだ。それを義務として、つらさに耐えながら行うのでなく、礼拝司会者が式次第を間違えたらその都度「あっ、ごめんなさい。言い間違えました。」と言って、適切な言葉を選びながら喜びのうちに進行を続けるように、教会も変りながら主への奉仕を行っているのだろう。

 雨が上がって狭い路地の緑がより輝きを増した岡の上の教会をわたしは心に平安を覚えながら後にして川越への道をナビで探した。

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