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2006年4月

2006年4月28日 (金)

喜びの知らせ

Hisamotp  昨日はうれしい便りがたくさん届いた。みなかつて在職した学校の仲間からだ。お一人は便箋七枚に若いころ知り合った牧師の思い出とご自分の生活ぶりを赤裸々に書いてくださった。また、他の方は旧制高等学校時代西田幾多郎と過ごしたある夜のことを記した冊子を送ってくれた。
 この二人の手紙に交じって受け取ったもう一つの封書を開けるとカードが入っていた。そして、なんと「復活祭には洗礼を授かりました」と書かれていたのだった。
 思わず、ああ主よ、感謝します、とわたしは祈らずにはおられなかった。かつての同僚が主に捉えられた、主を受け入れた。これ以上の喜びがあろうか。
 彼女は職場を離れてもう九年になるわたしに、しかも普段は交わりをしていないのに「先生には是非、お知らせいたしたく思いました」と言い、その上「先生には教会のことを教えていただいたり、ふりかえると、点が線となって信仰の世界へ導かれたように思います」と続けてくださったのだ。
 復活祭にはこの教会でも聖餐式があったとみえて、「初めてパンをいただき、闇を照らす光をいただき、よかったと感謝しています」とのこと。
 どうぞ主よ、この姉妹をあなたの懐にいつまでも抱き続けたまえ、と祈らずにはおられない。
 

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2006年4月27日 (木)

いのちを喜ぶ

 「みちのくコスモスの会」から機関紙をいただいた。この会は東北地方の障害を持つキリスト者の集まりである。代表は小田嶋義幸さん。兄はリュウマチの後遺症で手足のほとんどの機能を失っているが、北上の地で福祉の担い手として一戦で働いている。そこにわたしは信仰の強い力を見る思いがしている。
    
 今回送られてきた機関紙の巻頭言には盛岡松園教会牧師坐間豊先生の「キリストのとき、恵みのとき、いのちを喜ぶ」という説教が掲載されている。すばらしいメッセージである。これはわたしだけが受けたのではもったいない。小田嶋さん、坐間先生のお許しを得たので以下に紹介することにする。
    

「この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。」 (ヨハネによる福音書九章二節) 

 或る若い受刑者から、「中学の時、母親が男に殺された。やり返そうとしない父親がふがいなく、自分はぐれた」と聞かされました。色々と話したあと、「情けなく思っていた父親ですけど、戻っで来いと言ってます。あのとき、父親が相手の男を殺(や)っていたら、俺にはもう帰る所が無かったですね。親父が我慢してくれたこと、今の俺には誇りです。」こう気づいてくれて、うれしかった。この気づきは、実に「貴い」です。そう気づくのに、相当時間がかかったにしても。
 冒頭の引用は、或る目の見えない人が人々に「本人の罪のせいか、親の罪のせいか」と、問い続けられてきた言葉です。これからも過去を問われ続け、責め続けられ、退けられて行くはずでした。時が未来に向かって進んでも、彼は少しも過去から動き出せません。疎外と自己否定のみが、彼の存在の証です。
 
ところが、イエス・キリストは彼を過去から解放しました。共に歩む神とそのみ業を喜ぶ者に、彼を変えました。主は言われます、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」 (三節)
 
 彼の時はいっきに動き出します。それは未来に向かいます。大いなる目標を目指してです。それは、主イエスによって、 「見えるようになった」からです。(七節)
  気づかなかったことを気づくようになり、見えないものは見えるようになったという体験は、貴いものです。それも単なる発見ではありません。愛され、受け入れられ、神さまと共に歩める自分を知ったのです。その喜びがひととおりでないのは、よく分かります。
 
だから、神さまと共に歩み出すのに、とき既に遅し、は無いのです。 そのときからその人の人生が変わるのです。何と美しいことでしょう。そのような体験を持てる人は、何と幸いでしょう。
  十字架の痛みをこらえ死を受け入れたキリストは、自己を見失っていた私たちに、その勝利の復活によっていのちの道を示し、共に歩むよう招いて下さいます。私たちは信仰によりキリストによって、過去に固まったままの自分の時が動き出したのに、気づきました。神の恵みの時を刻む証人にされました。どなたも、キリストと共に歩む者たちです。この幸いを喜び、証ししましょう。

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2006年4月26日 (水)

茗荷谷界隈

Yamanaka  ふとテレビをつけると、東京、文京区にある茗荷谷の街が映っていた。母校東京教育大の前の落ち着いたよい一角である。
 地下鉄の駅の脇から細い道がくねって家々の間を抜けている。そこを行くと、やがて拓殖大学や跡見学園などの学校にたどり着く。わたしの下宿はさらにその先、外務省の研修所を通り越した小日向町にあった。
 この道を雨の日は合羽をかぶり、杖が滑らないように気をつけながら大学に通ったのだ。
  
 今朝のテレビにはかすかに下町の様子が見られたがそれと一緒にしゃれたビルも映って、だいぶ茗荷谷界隈も様変わりしたようであった。
 リポーターは小石川のどこかにある居酒屋風の店に入っていった。店と一緒に画面の端には大通りが映り、車がひっきりなしに走っていたから、どうもそれは教育大の前の春日通であるらしかった。となると、店は大学の東隣のどこか近くらしい。
 
 この推理が当たっていれば、そこは大学食堂が混雑して入れなかったときにお昼を食べに学友と出かけたところである。うどんかそばでも食べに行ったのだったろう。杖をついているわたしだったが一生懸命に歩けば友達にそう遅れることなくついていけた。もちろん彼らはわたしの速度に配慮してくれていたのだろうが、当時のわたしは苦にならずに行動を共にできたのだった。
 その彼らと六月には東京でクラス会を開くことにしている。幹事役の友がわたしの入りやすい店を今懸命に物色してくれているところである。
   
 昔のように茗荷谷や小石川の街を友について元気に歩く力はなくなり、車椅子で移動するようになったわたしのために。    

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2006年4月24日 (月)

主よ

 今わたしの心を占める最大の課題は隣のKさんの体のことである。Kさんは先週のある日、自転車で転び、頭を地面に打ち付けてしまった。すぐに病院に運ばれたのだが、未だに意識が戻らないらしい。
 家庭には小さな子どもが二人いる。うちの孫たちと同じ学校で、いつも仲良く遊んでいる子たちである。Kさんも我が家の若い者たちと親しく付き合ってくださっているよい男である。
 そんな平和な環境が一瞬にして変化し、もう三日間もわたしたちと言葉を交わせない状態になってしまっている。
 わたしと妻は朝ごとにこの家庭を守ってくださいと神に祈り続けている。Kさんを今までの姿で家庭に戻してくださいと神にお願いしている。

   
 それにしてもあの一瞬の転倒という小さな出来事を境にして人間の生活はこうも大きく変ってしまうものか。なんと弱くもろいわたしたちの日常の営みであろう。
 Kさんのことはまだ子どもたちには知らされていない。彼らには今までの生活が続いているのである。

  
 主よ、哀れみを垂れたまえ。Kさんをお救いください。

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2006年4月23日 (日)

司会者の祈り

 すべてを治めたもう主なる神様。

 

 復活節第二聖日の礼拝をここに兄弟姉妹共に集ってあなたに捧げることができますことを心から感謝いたします。

 あなたは御子イエスを死の墓から甦らせられました。そして、地上の権力がその力を失い、神の御支配が始まったことを弟子たちにお教えなさいました。

 わたしたちもあなたに連なるものとして、いかに暗い、つらい世にあっても、もうだいじょうぶ、復活の主が共におられると歌いつつ、今日からまた新しい生活を始めることができますよう導いてください。

 神様、教会の兄弟姉妹の中には、遠く離れて住まいし、礼拝に来られない友もおります。また、体の衰えや病のゆえに家庭に留まらざるを得ない方もおります。

 しかし、どうぞ、神様、皆があなたの福音に共に与ることができますように教会を導いてください。一人一人があなたの体に連なる肢体としてお互いを大事にし、一つの体としてあなたに仕える群としてください。

 今日もあなたの御言葉を取り次ぐ先生を聖霊で満たし、励まし、力を与えてください。聞くわたしたちをあなたの方に向き直らせてください。

 これらの祈りと感謝、わたしたちの救い主、復活の主イエス・キリストのお名前によって御前に捧げます。 アーメン

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2006年4月20日 (木)

笑顔の人、逝く

実家の裏に住んでいるKさんが逝った。

Kさんは兄の親友である。だから82歳。安中市の高等学校に行ってからはこのおじさんに会うことも少なくなったが、小学校、中学校時代にはよく兄のところに遊びに来たからわたしも出会っていた。そのころはおじさんの家は駅近くにあったのだ。

Kさんは国鉄に務め、高崎駅勤務だった。農家のわたしの家にはない雰囲気を体いっぱいに漂わせていたのでこのおじさんが来ると家の中の空気が変るような感じだった。
ツイードの洋服を着て、ハンチングをかぶって、少ししわがれた声で「よー、渋沢いるかい」とニコニコ顔でやって来た。

一時体をこわして、調子のよくないときがあったらしい。わたしがまだ東京にいるとき、上京した兄が「勤め人は皆体を悪くするみてえんな。KもN(やはり兄の親友で、この人も鉄道勤めだった)も歩くのがやっとだよ。俺が運転してあちこち連れて行くんさ」と言っていたのを思い出す。
しかし、どうしたことか兄が10年前に先に逝ってしまった。

Kさんはいつのころかわたしの実家の裏に引っ越してきていた。昨日ふとその家の前を通りかかると喪中の印があったので義姉に電話すると亡くなったとのことだ。

大事な兄の親友のKさんだった、わたしに小さな異文化をくれたKさんだった。その思いがわたしを通夜の会場に押しやった。
祭壇には笑顔のKさんの写真が飾られていた。

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2006年4月17日 (月)

イースターの朝

Tosima  豊島岡教会のイースター礼拝に出席した。会堂入り口のスロープには草花の鉢がたくさん並んでいて復活祭を祝うところにふさわしい彩りを演出していた。同時に、車椅子利用者が普段は通らないことも証明していて、わたしは鉢の幾つかを移動しながら会堂へと上がって行った。

 説教は明瞭で、力に満ちたものだった。

 マタイによる福音書28章はイエスが甦った朝の墓場の様子を伝えている。マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行くと、大きな地震が起こったというのだ。そして天使が天から降って石の上に座ったという。

 高橋牧師はこれは神様の御支配がこの世に介入したことであると言った。地上の権力がその力を失い、神の御支配が始まったのである。それは力あるものにはうろたえをもたらし、弱さをもつものには喜びを与える時の始まりである。

 「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。『恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。』」と聖書は続けている。

 牧師は「おはよう」は「シャローム」(平和があるように)の意味だとおっしゃった。それは「ガリラヤ」というこの世の現実の中に「平和があるように」というメッセージである。毎日の生活には苦しみがあるだろうが、しかし、そこには神様の御支配が介入したのだから、シャロームという声が響いているのだ。

 もうだいじょうぶ、今日から新しい生活を始めなさい、こう聖書はイースターに当たってわたしたちに呼びかけている。

 豊島岡教会に伺ったのは2年ぶりくらいになる。わたしを見つけた古い会員は近寄っては握手をし、笑顔で喜びの挨拶をしてくださった。

 礼拝後、愛餐会にも加えられた。教会員は新しくなり、交わりは生き生きとしている。持ち寄り形式の食事会であったが、子どもから老人まで皆楽しそうだった。その中にわたしはあたかも主賓のように座り、挨拶をし、もてなしを受けたのである。見回すと部屋にはわたしの描いた油絵が二枚依然として掲げてある。その席にこの日新しく会員に加わった3名の兄弟姉妹もいた。皆さんもうわたしよりも年長の方であるが、こうして新しくこの教会の会員としてこれから信仰生活を始めようとしておられる。

 愛餐会ではスピーチもなされ、その方の生活ぶりも伺えた。忙しい、波乱を含んだ生活を率直に語る姉妹方に都会の教会の開放的な力強さを感じないわけにはいかなかった。田舎の人々は誠実だが、こういう姿は見せないのだ。

 新しく会員となられたS兄とも親しくお話をしたりしやがて愛餐会はおしまいになった。わたしは去る前にかつて豊島岡教会で会計役員としてはたらいたM・I婦人を川越市の老人ホームに訪ねる予定だと告げた。すると牧師はじめ何人かの会員は病床聖餐のためにM・H姉をご自宅に伺うとのことで、賑やかに、語り合いながら会堂を出て行かれた。聞けば、皆さんは前週にはM・I婦人を見舞ったとのこと。

 ちなみに週報には韓国ソウルにあるチャンヒョン教会創立80周年記念式典に牧師他8名が参加すると載っている。また、会報では松戸市で新しい開拓伝道の拠点として「南花島集会所」を開設した記事も見ることができた。

 豊島岡教会は与えられたタラントを十分に用いて主への奉仕をしようと動き続けているようだ。それを義務として、つらさに耐えながら行うのでなく、礼拝司会者が式次第を間違えたらその都度「あっ、ごめんなさい。言い間違えました。」と言って、適切な言葉を選びながら喜びのうちに進行を続けるように、教会も変りながら主への奉仕を行っているのだろう。

 雨が上がって狭い路地の緑がより輝きを増した岡の上の教会をわたしは心に平安を覚えながら後にして川越への道をナビで探した。

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2006年4月13日 (木)

俳句自撰

道俳句会から「道俳句撰集」第3集を発行するとの連絡があった。会員一人20句を自選してほしいとのことである。

今までの俳句を眺めながら次の20句を選び出した。かなり古いものもあるがこれらを送ろうと思う。あらかじめここに書き出してみる。

暮れ早し書斎を出でて妻の許

お正月妻と二人の昼湯かな

春浅し癌と言はれし妻とゐる

妻連れて今朝も通院土手青む

二人してこの春耐えよう主に在りて

桃の花活けて妻は入院す

春昼餉話す人なく独り摂る

沈丁花咲いて妻の帰り待つ

病みし妻買い物に出て日脚伸ぶ

妻癒えて小言響けり初夏の家

春光やテーブル囲み聖書読む

山茶花の散り敷く庭で手紙取る

玉葱もジャガイモも来る吾が玄関

終戦忌君が代再び歌はれき

雨戸閉め台風過ごす夜長し

柿八つ数へては今日ももがざりき

暮れ早し薬局に寄る帰り道

降誕祭お煮しめ食べて祝ひけり

黙示録説き明かされて寒に立つ

初春や縁に坐りて爪を切る

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2006年4月11日 (火)

再会

Minoyama_1 昨日、今日の二日間、いつもこの季節、埼玉南部の山に一泊して親睦を深めているOB会が今年もあった。会場は昨年と同じ「いこいの村美の山」。

あいにく雨が降り続いて、野外での活動はできなかったが、夜の語りの会は心和む、温かいときであった。

古代史に興味をお持ちで、東山道などを深く調べているTさん、松本清張を読むことに毎日を賭けているUさん、今回も近作の児童文学書をお持ちくださったSさん、自然破壊に憤りを覚えているHさん、教え子の自死を力を落として語るYさん・・・集った友一二人、皆さんそれぞれの生活を熱っぽく語ってくださった。

年に一度の会であるが、これほど真実に語る会は他にない。いかに職場がよいところであったかの証しであろう。

Su 語りの会の前にはYさんとは今年も一緒に風呂に浸かったのだった。その折、兄はわたしがいざって動かなくて済むようにと自家製の台を用意してくださった。それはすのこの下に車を6個つけたものだ。わたしが裸になってその上に乗る。Yさんがわたしを押す。こうして浴槽までのごつごつしたタイルの上を今までのようにお尻に痛みを感じることもなくスムーズに進むことができたのだった。

雨の山はまだ寒い。帰り道、車二台に分乗し山頂に行くとそこは霧の世界であった。まだ固い蕾の桜を霞の中に見ながら少しの間歩いた。そして1枚の写真を撮って、再会を期し、長い山道を下った。

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2006年4月 7日 (金)

準優勝

Lastscan ハルちゃんのテニス大会が埼玉県三芳町であった。親達は勤めがあるのでわたし達が世話をして連れて行くとことにした。高速道を一時間、8時過ぎに会場に着いた。

豊島区の運動公園だけあってレストハウスもバリアフリーになっており、外の設備も使いよく助かったのだが、まだ春とはいえ風が冷たく一日のお伴はきつかった。

近県から大勢の子どもたちが集った。小学3、4年生の女子の参加者は7名。2つに分かれてリーグ戦をやり、2名がトーナメント戦に臨む形式で戦いは進んだ。
そして、ハルちゃんは一位でトーナメントに上ったが、決勝戦で敗れ、準優勝の成績を得た。

これはハルちゃんにとっては大きな成果であった。今までに何回か試合に出ているが負けて帰ることが多かったのだ。その夜は当人も元気なかったし、パパも疲れきって風呂にも入らず寝てしまっていた。それが昨日は3回の勝利を経験し、褒美までもらったのだ。夕べは一家そろって明るい気分になれたのも無理もない。

子どもの試合はいつもこうなのかどうか知らないが審判がいるわけではない。プレーする当人が審判を兼ねているのだ。だから見ているものにはどちらが点を取ったのかよくわからない。獲得したセット数の掲示も選手が行うので、あれっ、そっちが今のセット取ったの?と観戦者はびっくりしたりする。

だが、やっている者は真剣である。ハルちゃんも時々、おなかが痛いなどと言う。緊張しているのだ。お昼のおにぎりもとらなかった。
だから、勝つとうれしくてしょうがない。仕事中のパパにそのつど携帯で報告する始末であった。

わたしは時々寒さから逃れるために車に避難した。トイレにも何度も行った。そうしながら試合を見つめ続けたのだ。鋭いサーブが入ると、ウン、と納得したし、もう少し点にこだわればいいのにと大人のずるさが心に湧くのを覚えた時もあった。

優勝者と2人だけの表彰式を終え、4時近く、会場を後にした。往路と違って帰りの道はスピードを上げて薄暮の迫った道を走り続けた。

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2006年4月 4日 (火)

故郷

花陰を窓に映して走りけり
線香と雀の古寺桜咲く

Photo 忍保の寺には桜の古木がある。ハルちゃんを駅に送った帰り、今日が見納めかも知れないと思い訪ねてみた。
庫裏に入る門の脇にある二本の桜は今を盛りと花をつけていた。昨夜の嵐にもめげず、しっかりと枝につながっていたのだ。車の屋根に触るほどに伸びた枝の下を走る。影がウインドウにちらちらと動く。

境内にもたくさんの花木がある。歩いて入ると庫裏の上がり口でお茶を飲んでいる人が三人いる。一瞬ためらったがそのまま入って本堂の方に曲がった。雀がたくさん遊んでいて、線香が馥郁とした香りを漂わせていた。桜を見あげてしばし鉄棒にもたれて休んだ。

帰ろうとして庫裏の前まで来ると皆がこっちを見ている。「こんにちは」とお辞儀をする。すると「お茶をどうぞ」と女の人が声をかけた。それだけなら断って帰ることもできたのだろうが、「保さんの弟さんではないですか」と付け加えられて、わたしは足を皆の方に向けざるをえなくなった。
三人はなくなった兄の小学校時代の同級生T・Eさんと寺のご住職、それにその母親の方であった。T・Eさんは懐かしそうに兄のことや友達のことを話してくれた。住職のお母さんは私のことを昔から聞いていたという。ご主人がわたしが卒業した後に中学校の教師としてわたしの母校に赴任したから、よくできる子がいて大学に入ったということも教えてもらっていましたとおっしゃる。なぜかわたしの家にスロープがあることまでご存知であった。
お茶を日の当たる石に座っていただきながら、話はわたしの中学校時代の友達の様子にまで及んだ。この字に住んだ友のことなどをお陰で懐かしく思い出したのだった。
お茶のお替りを頂いたり、わたしのことを聞かれるままに話したりしてしばらく和やかな時をすごした後、供された最中はそのままにしてわたしはお礼を丁寧に言って寺を後にした。

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マリアの香油

春になってあちこちの団体から機関誌が届くようになった。今日もポストに3通の封筒が入っていた。そのうちの一つ「障碍を負う人々・子供達と共に歩むネットワーク会報『共に歩む』」からよいメッセージをいただくことができた。

この会報は巻頭言に決まって青木優先生の文章を収めている。青木先生は全盲の障害をお持ちであるが、このネットワークの中心人物として精力的に活動している牧師である。

今日の文章の中で先生はベタニアのマリアが高価な香油をイエスに注ぎかけて、周囲の人々からなんと無駄なことをしたのかと罵られたことを紹介したあとで神学者カールバルトのことばを引用している。バルトはこう言ったというのである。

「もし、マリアの行為が浪費ならばイエスの行為も浪費である。彼は我々のような全く値しないもののためにご自分を捧げられた。イエスの浪費に対してマリアの浪費、互いに調和しあうものがある」。

この言葉の意味は深い。神は我々罪深いもののためにイエスを十字架にかけられた。だが、この一見「浪費」とも思える行為が我々の救いとなったのである。

我々も主に調和し、この世では浪費と思える行いを主イエスのために捧げてこの世を生きていかなければならない。

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2006年4月 2日 (日)

誕生日

69歳の誕生日。

朝の食卓、和子が赤飯を用意してくれた。

感謝の祈りを共に捧げる。今日まで守られて過ごせたこと、赤飯まで用意されたこと、思えばわたしは「もてなしを受けた旅人」であったこと、交わりを頂いている兄弟姉妹を今日も御手のうちに過ごさせてください、などなど。

食事が終わるころ二階の一家が下りてきた。光ちゃんが「じいちゃん、お誕生日おめでとう。じいちゃんは何が欲しい?」と聞く。

外には春雨でしっとりした垣根が赤い芽をだしている。

こうして過ごせることに喜びがこみ上げる。

教会に行く。

「マルコによる福音書」を説き明かされる。今はレントの時。主に従えなかった弟子たちがイエスの甦りの後、懺悔と恵みへの感謝をこめて福音書を書き記したことを知る。わたしたちはイエスに従えないままでいるのかどうかを問われる。

聖餐に与る。

今は午後4時半。夜のことは明日また書こう。

春雨や赤飯のある誕生日

春雨を庭よろこべり誕生日

受難節主を偲びつつ誕生日

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