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2006年3月29日 (水)

捧げるということ

定められた祈りの会に出席。今朝は光ちゃんを伴なっての出席となった。わたし達が聖書の学びをしている間光ちゃんは隣のコーナーで絵本を見ていたのだが、わたしは気になって時々覗きに行った。そして、退屈している光ちゃんと折り紙をして少しの時間を過ごした。
聖書の学びが終わるとめいめいが祈りを捧げる。最初は牧師である。その祈りで牧師は今年一年教会が守られた感謝を捧げたのだが、そのとき、礼拝をお捧げできたことを感謝します、と言った。また、幾多の集会を捧げられたことも感謝しますと付け加えたのだった。
礼拝をする、集会を持つ、これはわたしたちのための業ではないのだ。これは主への捧げものだったのである。先日は教会総会が持たれたがこれも捧げものであった。役員会も同様である。
わたし達が教会で行ういろいろの奉仕も同様に理解し、これからも主に仕えようと改めて知らされた今日であった。

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