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2006年3月13日 (月)

レントの祈り

 主日礼拝の司会をする。開会の祈り。

 

 恵みに富みたもう主なる神様。 

 寒い冬がようやく過ぎ、春の息吹が感じられる今日、わたし達がお守りのうちにこうしてまた主に連なる兄弟姉妹と交わりを許され、共にあなたを仰ぐことができますことを心から感謝いたします。
 どうぞ、さまざまの事情でここに集えない方々、とりわけ体の衰えや病のゆえにご家庭におられる兄弟姉妹の皆様がその場でわたし達と同じあなたの恵みに与れますようにお祈りいたします。
 教会は一年の歩みを終え、新しい年度に備える時を迎えております。この一年わたしたちは体に不自由を覚えることも多くなり、礼拝に集うこともままならない友が多くなりました。
 しかし、神様、あなたはどのようなところにも聖霊を下し、御心をなしたもう方であることをわたしたちは知っています。どうぞ、この教会を用いて、わたしたちに新しい宣教の業をなさしめてください。わたし達が希望を持って働くことができますように御心を示してください。
 教会はレントの時の中にあります。御子イエスが贖いの子羊となられたことを覚え、わたし達が己の罪を見つめなおし、あなたの愛をもう一度しっかりと覚えることができますようにお導きください。
 その御言葉を取り次ぐ先生を励まし、力を与えてください。
 これらの祈りと感謝、わたしたちの救い主、主イエス・キリストのお名前によって御前に捧げます。 アーメン

 今日の説教において信仰とは御言葉を信じて行動することであると教えられた。聖書に記された者達は皆行く先がわからずとも御言葉によって歩き始めた者であった。
 本庄教会は今、高齢者が多くなって一見教会の活動が衰えているかに見える。しかし、高齢者や病気の者、障害を持つ者が多い教会はその教会でなくてはできない教会の業があるのだ。ここを用いてくださる主を信じて新しい年を動き出さねばならない。

 そして、その結果の判断を主にゆだねる。主イエスはエジプトに売られたヨセフを用いて、イスラエルの歴史を作られた。人間の判断では責められるべき兄たちも神に用いられた者たちであったのだ。終わりの判断は人間にはなしえないことをここから知ることができる。

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