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2006年3月

2006年3月31日 (金)

楽々泳法

Nagai2  昨夜遅く机の上の資料を片づけて書棚に収めようと並んでいる本を寄せているとその間から小さな封筒が出てきた。それは高等学校時代の恩師からいただいた手紙だった。

 開けてみると先生が造った版画が印刷された何枚かのはがきと図解入りの楽々泳法、それと短い文章の手紙だった。そこにはこう書かれていた。「(教会への)献金と献本、ありがとうございました。水泳もされたそうなので『楽々泳法』を同封します。無理な動き、疲れの残る運動は老年には禁物です。しかしゆっくりした楽な動きは体を育てます。私は暇なのでほとんど毎日プールに行き、1時間ぐらい1500メートルぐらい泳いでいます。バタフライをやっているので大会で優勝金メダルが大変たまりました。ただし私の歳の出場者は一人だけ。

 お元気で、ゆったりお過ごしください。」

 なんとよい手紙であろう。無理な動きをせず、ゆったりと動くことは体を育てます、このことばは今の私の生活に潤いを与えることばである。ゆったり過ごしたいものである。

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2006年3月29日 (水)

捧げるということ

定められた祈りの会に出席。今朝は光ちゃんを伴なっての出席となった。わたし達が聖書の学びをしている間光ちゃんは隣のコーナーで絵本を見ていたのだが、わたしは気になって時々覗きに行った。そして、退屈している光ちゃんと折り紙をして少しの時間を過ごした。
聖書の学びが終わるとめいめいが祈りを捧げる。最初は牧師である。その祈りで牧師は今年一年教会が守られた感謝を捧げたのだが、そのとき、礼拝をお捧げできたことを感謝します、と言った。また、幾多の集会を捧げられたことも感謝しますと付け加えたのだった。
礼拝をする、集会を持つ、これはわたしたちのための業ではないのだ。これは主への捧げものだったのである。先日は教会総会が持たれたがこれも捧げものであった。役員会も同様である。
わたし達が教会で行ういろいろの奉仕も同様に理解し、これからも主に仕えようと改めて知らされた今日であった。

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2006年3月27日 (月)

花腕輪

卒園の孫にもらひし花腕輪

光ちゃんが卒園した。保育園には5年11ヶ月お世話になった。
今日から、4月になって児童館にいけるようになるまで家で過ごす。わたしたち夫婦がその間面倒を見なくてはならない。
パソコンで「たまごっち遊び」をし、お買い物ごっこをし、また庭に出てお遊びをしても時間はなかなか経ってくれない。
「じいちゃんが歩けて、強ければいいな」と言いつつも光ちゃんはなかなか解放してくれない。

東の道の脇にはナズナの花がたくさん咲いている。光ちゃんに頼んでその一本を抜いてもらった。小さな葉を引っ張って葉柄を茎からすこしはがし、耳元で揺すってみせた。光ちゃんは「響くよ」とナズナが立てる音に聞きほれた。
そのうちに光ちゃんはまた別の茎を二本手にし、輪にして「はい、じいちゃん」とわたしの手首に巻いた。小さな緑と白のリストバンドがわたしの手首で踊った。

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2006年3月22日 (水)

お彼岸

姉の墓に和子とお花を持って詣でた。木蓮の蕾が大きな白い塊になって寺の塀の上から見下ろすところに車を停めて、暖かな風の吹く中、墓まで歩いた。きのうが彼岸の中日だったのであちこちの墓にお花が供えてある。ちーちゃんの墓には桜餅まで上げられていた。和子はお菓子と生花を用意して、水も持っていった。義兄と姉の名前が刻まれた石を見ながら、もう今年の5月には8年になるんだね、と話しながら姉を偲んで手を合わせた。畑中の寺は大きな空の下にのんびりと静かだった。
帰り、母の妹の家を訪ねた。その叔母もなくなって8年が経つのだが、叔父さんがご存命でおられる。玄関の鍵は閉められていたが、すぐに開けてくださってとても喜んで迎えてくださった。88歳とのことでもう外出もなさらないとのことだが、お元気だった。わたしが高校生の時模擬試験などで高崎市に行った時、この叔父さん夫婦にはたいへんお世話になった。このことを話すと懐かしそうに「もうだいぶ昔だね」とあの時のように優しい笑顔を見せた。帰り際わたしが立ち上がろうとするともうご無理な体なのにわたしを支えようとして、両手をわき腹に当ててくださった。いつまでもわたしを守ろうとする叔父の心がそこにはあった。

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2006年3月20日 (月)

運転免許の更新

本庄警察署に出かけて免許証の更新をしてきた。白内障が進んで右目はいつも霞がかかっている状態なので視力測定が気になっていたがなんなくクリアーできた。

今回の更新にはある特殊な感慨がある。それはこの更新が69歳の更新だからである。優良運転なのでこの更新によって今後また5年は運転できることになる。もしも5年後の更新ができるとすればそのときは74歳だ。
そうすれば晩年になってわたしを頼りにしてくれた兄が亡くなったのが72歳だからその歳を越えることになってしまう。脳溢血で不自由な生活を数年送った父が義姉に見取られたのが74歳である。もうわたしの歳はそんなに大きな歳になっているのだ。
わたしの家系は男性は皆早死にである。父ほど生きたものは祖父を含めていない。
与えられた歳を大事に生きねばならない。

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2006年3月18日 (土)

信仰による慰め

わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。
わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。あなたがたについてわたしたちが抱いている希望は揺るぎません。なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、わたしたちは知っているからです。(コリントの信徒への手紙二 一章三節から七節)

今朝は三年前に天に召されたI・K兄の記念式が教会であった。上記の聖書は式で用いられた箇所である。
牧師はパウロもこの手紙を書くとき苦しみの中にあった。その苦しみは今のわたしたちの教会、信徒の生活にもある。しかし、この苦しみは十字架のイエスに共に担われているとおっしゃった。主イエスが連帯してくださる苦しみ、これにわたしたちは与っている。そして主はその苦しみに勝たれて勝利されたのだ。ここにわたしたちの望みがある。

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2006年3月15日 (水)

よい便り

よい便り届いて春日暮れにけり

かつて一緒に国語の勉強をした生徒の一人からメールが届いた。
この生徒は腎臓に障害を持っていて透析をしながら勉強していた女の子だった。
実はわたしの長年続けてきた授業法が行き詰って、生徒中心の授業に変更せざるをえなかったとき、この子達は新しい授業を喜んで受けいれてくれた子どもたちだったのである。
生徒は教室でも図書室でも、暑い夏には涼しい廊下ででも勉強に熱中し、自らが作った学習計画に沿って楽しく学んでいたのだった。
メールの女性は帽子を被って、時にはイヤホーンをはさんでいることもあったが、それでいて学習材にしっかり取り組んでいた。そして卒業時の感想文には「先生との授業で、勉強は自由にできて楽しいものなんだ、ということを知ったのです。・・・もう一つ先生の授業で楽しくできる理由は授業を始める前の握手です。これはとてもリラックスして学習ができるような、そんな温かなものなのです」と書いてくれたのだ。

その後どうしておられるか気になっているとき親切な人のお陰で彼女と連絡取れるようになり、そしてメールが昨日届けられたのである。
今はある店の介護用品売り場で「お客様に一番近い立場で商品のアドバイスをさせて頂いています」とこのこと。
毎日が守られますようにと祈らずにはおられない。

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2006年3月14日 (火)

今朝の俳句

雨戸引き犬と別れぬ春の夕

三角に光る屋根あり春の朝

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2006年3月13日 (月)

レントの祈り

 主日礼拝の司会をする。開会の祈り。

 

 恵みに富みたもう主なる神様。 

 寒い冬がようやく過ぎ、春の息吹が感じられる今日、わたし達がお守りのうちにこうしてまた主に連なる兄弟姉妹と交わりを許され、共にあなたを仰ぐことができますことを心から感謝いたします。
 どうぞ、さまざまの事情でここに集えない方々、とりわけ体の衰えや病のゆえにご家庭におられる兄弟姉妹の皆様がその場でわたし達と同じあなたの恵みに与れますようにお祈りいたします。
 教会は一年の歩みを終え、新しい年度に備える時を迎えております。この一年わたしたちは体に不自由を覚えることも多くなり、礼拝に集うこともままならない友が多くなりました。
 しかし、神様、あなたはどのようなところにも聖霊を下し、御心をなしたもう方であることをわたしたちは知っています。どうぞ、この教会を用いて、わたしたちに新しい宣教の業をなさしめてください。わたし達が希望を持って働くことができますように御心を示してください。
 教会はレントの時の中にあります。御子イエスが贖いの子羊となられたことを覚え、わたし達が己の罪を見つめなおし、あなたの愛をもう一度しっかりと覚えることができますようにお導きください。
 その御言葉を取り次ぐ先生を励まし、力を与えてください。
 これらの祈りと感謝、わたしたちの救い主、主イエス・キリストのお名前によって御前に捧げます。 アーメン

 今日の説教において信仰とは御言葉を信じて行動することであると教えられた。聖書に記された者達は皆行く先がわからずとも御言葉によって歩き始めた者であった。
 本庄教会は今、高齢者が多くなって一見教会の活動が衰えているかに見える。しかし、高齢者や病気の者、障害を持つ者が多い教会はその教会でなくてはできない教会の業があるのだ。ここを用いてくださる主を信じて新しい年を動き出さねばならない。

 そして、その結果の判断を主にゆだねる。主イエスはエジプトに売られたヨセフを用いて、イスラエルの歴史を作られた。人間の判断では責められるべき兄たちも神に用いられた者たちであったのだ。終わりの判断は人間にはなしえないことをここから知ることができる。

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2006年3月11日 (土)

ぺんぺん草

ぺんぺん草伸びて吾も生きてをり

一日に一度は外に出ることにしている。出るといっても東の道をほんの少し歩くだけだ。しかし、そのわずかの間に自然が移っていることを見ることができる。

木村さんの畑にはぺんぺん草がたくさん顔を出している。先日までは何もなかったところだ。仏の座も何本か赤紫の花を小さく開いている。こんな様子を見ているとわたしも今日こうして生きていることを実感する。

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2006年3月10日 (金)

行ってしまった電車

「じいちゃん?乗れなかった・・・」そう言うハルちゃんは泣き声になっていた。乗ろうとした電車に乗れなったようだ。

「大丈夫だよ。乗り遅れましたと駅の人に言って出ておいで。出口のところで待っているからね」わたしは努めて平静を装って携帯電話を切った。

 確かに電車は早く着いていた。ハルちゃんを下ろして駅前を一回りしているうちにもう電車が入ってきたのだ。通過電車かと思っていると停まったらしいのである。だから駅を離れても心配で車を止めていると、そこにハルちゃんからの電話が鳴ったのだ。

 ハルちゃんはすぐに改札口から出てきた。聞いてみると駅の人が「4分したら電車が来るけど」と教えてくれたそうだ。でも心配だから帰ってきたという。

 どうも一本前の電車が遅れていたらしいのである。だからハルちゃんが乗る予定の電車はまだ着いていなかったのだ。そんなこととは知らないからてっきり自分が乗りそこなったと勘違いしたのである。

 ハルちゃんにとっては乗り遅れるなどということは初体験である。どうしたらいいのかわからず心細くなって涙がこみ上げてきたのだろう。

 わたしは車でテニスクラブまで送ることにした。安心したのかハルちゃんはやがて居眠りを始めた。

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2006年3月 8日 (水)

私家本できる

motenasi5冊目の私家本を作った。「もてなしを受けた旅人」という題である。表紙をつけるのに苦労したが、まあまあのできばえだ。
ハルちゃんが「じいちゃん、これ売るの?」と言うから、「パパたちにじいちゃんがいなくなったら読んでもらうんだよ」と答えた。すると「いなくなったら」のフレーズには全く反応せず、一冊ずつ「ママ、パパ、力、エリちゃん・・・・」と数え始め、「2冊残るよ」と言う。
「いいんだよ。それはじいちゃんの友達に貸すんだから」と言ってこの話はおしまいになった。
あとがきにはこう書いてある。
「もてなしを受けた旅人」という本書の名前は第六章の2と同じである。そこでは2005年の秋、妻とソウル市を訪問し、韓国の友からたいへん豊かなもてなしを受けたことを記したのだった。
 思えば、わたしの人生は「もてなしを受けた旅人」の道程だったのである。第一章で最近の生活を紹介したが、ここでももてなしを受けて日々を送っていることを書いたに過ぎない。
 まして、第三章の「青春の真実」にいたってはその感が深い。
 言いつめればわたしは神様のもてなしを受けた旅人だったのだ。
 それではいったいわたしはもてなす側に回ることがあったのだろうかと問わざるをえない。第二章で教え子に贈った言葉を整理したが、この子どもたちに真実どれだけのもてなしをしてあげたことだろう。同様に毎日の生活でもてなす業をしているのだろうか、と反省する。
 こんなわたしの思いを伏線にしながら本書をお読みいただけたらありがたいと思う。
 定年を迎え、田舎に帰って八年が無事に過ぎようとしている。妻と一緒に生活をしながら二人で生きることのありがたさを朝ごとに感謝している今日この頃である。
 私家本第五集を出すに際して心からの感謝をここに記す次第である。

そのうちに子どもの名前を書いて5冊ずつそろえておいてやらねばならない。

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2006年3月 7日 (火)

膝を傷める

5時半ごろライアンが鳴いた。和子は寝巻きのまま玄関に行き、ライアンをつれて外に出た。そのとき階段で膝がピシッといったという。ライアンにウンチだけはさせて寝室に戻ってきたがもう歩くこと自体きつそうだった。
前から痛みがあったのだが忙しく出歩き、案外それで持っていた。でも今朝はとうとうたいへんな事態になってしまった。
朝のごみ出しはママに頼んだ。味噌汁とご飯はできていますから、と言って彼女は勤めに出た。長男が出勤する前に「大丈夫?」と様子を見にきた。
いったい今朝の食事の用意はできるのだろうかと私は心配したが、そのころには痛みは和らぎ和子はいつものように準備をしてくれた。
物置の中に買い置きしてある松葉杖を取り出し、和子に使わせることにした。そして、藤岡の病院へ急いだ。
医者は「筋を傷めたのだろう」と湿布薬をくれたそうだ。今は薬局でサポーターを買ってしっかり固定している。
だんだんと体も不具合が多くなってくる。その中でなんとかやりくりするより他ないが、今朝のように困った時に普段なんとも言わない若い者が、声をかけてくれたり、手助けしてくれるのがなんともありがたい。

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2006年3月 3日 (金)

選ばれた一句

俳句誌「道」には毎月五句ずつ投句している。たくさんの句仲間が出すから数え切れないほどの句が毎号載る。
そんな中、十二月号に出した一句が句友の目に留まって感想を頂いた。選んでくださったのは久保善男という方である。

こんなふうに書いてあった。

  妻のためラジオ買ひけり秋の暮         渋沢 悠歩

 私もラジオファンの一人で特に深夜放送をよく聞きます。奥様にラジオを買って差し上げた作者も、見るテレビより聞くラジオに感心が移ったのかも知れません。ラジオに耳を傾け合う仲睦まじいお二人の笑顔が目に浮ぶ、ほのぼのとした句です。

 実は和子は毎晩ラジオを聴いているのでイヤフォンのコードが切れてしまったのだ。夜中遠慮して聴いている姿を見て、不便だろうと思いネットショッピングで注文した。もうだいぶ以前のことなので確かではないが、どこかの講演に行った謝礼が入った時だったという気がする。

 

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2006年3月 2日 (木)

片付けごと

だんだんと部屋が狭くなってきた。10畳ちかくある書斎だからこんなことを言ったら贅沢なのだが、車椅子で動ける空間を確保しなくてはならないからそう贅沢とも言えまい。
今日はテーブルの上をもう少しきちんと整理したいと願って廊下に放ってあった幾つかの空き箱を組み合わせて整理棚を作った。コピー用紙を大きさにしたがってきちんと納めたり、筆記用具を収納するコーナーを設けたのだ。
さて、一応できたので乱雑に重ねてあった書類を納め始めた。ところがどこに入れるべきなのか判断のつかない資料がたくさんあることに気がついた。分類できるものなどほんのわずかしかない。結局、整理前と同様に「その他」が多くの場所を占めることになってしまった。

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2006年3月 1日 (水)

風呂の予約

時々利用する「ばんどうの湯」には障害を持つ人が便利に使える浴室がある。わたしも一般の部屋はそろそろ使いにくくなってきた。脱衣場で車椅子の乗り降りがたいへんなのだ。床がすべるし、手足の力もなくなってきたので立ち上がるのに一苦労する。
こんなわけで是非わたしも便利な部屋を使いたいのだが、予約しないといけない。予約は使用する日の三ヶ月前の一日から受け付けるという。今度わたしが群馬大学病院に行く日は5月26日だから今日がその受付開始の日である。
朝、8時半に電話を入れた。誰も出ない。まだ営業していないのだろうと思い、9時に掛けなおした。するともう何回かけても通話中で一向に空かない。やっと通じたのが10時近くであった。そしてもう希望の日は満員だった。
なんと大勢の人がこの浴室を希望していることだろう。それはまた一般の風呂場がいかに障害を持っている人には使い勝手が悪いかといことの証明でもある。残念。

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