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2006年2月

2006年2月26日 (日)

犬のお陰

夕刊を取りに庭に出たとき、ライアン(我が家の愛犬)は屈めないわたしに自ら立ち上がっていつものようにじゃれ付いてきた。それまで、ひとりで今はやりの軽量素材でできた椅子に鎖をつながれて少し寒くなった風の中にいたのである。

わたしはそのまま家に入った。やがて暗くなった。和子が帰ってきた。「ライアンはどこ?」と聞くので「庭にいるだろう」と答える。「いないよ」と和子。

ライアンが椅子ごといなくなったのである。椅子を引っ張ってどこかに行ってしまったらしい。長男に電話をした。和子も不自由な目で暗い中を探しに出た。長男の連れ合いも「車で回ってみる」と言って近所を探す。そのうちに長男も帰宅し、娘と懐中電灯をもって探索に加わった。

しばらくしてライアンが鎖を引きずって畑の道からおずおずと帰ってきた。誰かが椅子から鎖を外してくれたのだろう。椅子はどこに行ったのかわからずじまいである。

何はともあれライアンが無事に帰って皆安堵した。家族がこれほど一致してことに当たったことは最近にはないことだ。犬のお陰でいい体験をすることができた。夕べはライアンはすまないことをしたとばかりに小屋の中でご飯も食べずにしょんぼりしていた。

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2006年2月23日 (木)

本を作る

私家本第5集の編集がほぼ終わった書名は「もてなしを受けた旅人」とすることにした。

第1集は「山が見える」、第2集「シャローム」、第3集「あなたが必要なのです」、そして第4集が「呼応」だった。

私家本は「こころの便り」がある程度溜まったときにそれを1冊の本にしたものである。今回の本も200ページ近い分量になる。

ホームページや印刷物で公開したり友人に郵送して既に読んでもらってるのでわざわざ本を作る必要もないように見えるが、この私家本は私の4人の子供たちに将来読んで欲しくて作っているのである。親がどのように生きていたか、何を考えて生活していたか、それを確認してほしいのである。

これから印刷に移る。1冊の本でだいたいインクを1本使うから1冊が2500円ぐらいの値段になる。

先日表紙を作るのに使うソフトを買ってきた。絵を描いたり文字を入れたりすることがペンを使って自由にできるもなのだが、なかなか自由に使いこなせない。今日はこの作業でもしかしたら1日が終わるかもしれない。

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2006年2月19日 (日)

WE ARE THE WORLD

WE ARE THE WORLD のDVDを購入した。これはアフリカの困窮を救うためにアメリカのアーチストが立ち上がったことを伝える記録的な映像である。

実は、この映像が何度も映されたところがニューカウンセリング会場だったのである。伊東博先生がこのビデオが大好きで実習を始めるまでの時間テレビの前に座り、皆でWe are the world,  we are the children・・・と参加者と一緒に楽しく歌ったのだ。なかなか歌詞が覚えられないわたしたちに先生は愚痴をこぼしながらそれでも先頭に立って歌った。

困っている人々を救うために立ち上がる、それを音楽という世界共通語で体を使って実行する、こんな生き生きしたアーチスト達の行動をわたしたちは当時感動しながら見たのだった。

平凡な日常の中にこの感動をもう一度取り戻したくなってこのDVDを買ったのだ。

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2006年2月18日 (土)

胃の検査

胃カメラによる検査を受ける。結果、静脈が前回の検査(といってももう4年ほど前だが)よりもやや太くなっていた。しかし、出血の心配は当面ないので、一年後の検査で大丈夫だろうとのこと。右わき腹の不快感も訴えたが、肝硬変の患者はこうした感じになることがあるという。

前回のCT検査の結果も今日聞いた。肺も肝臓も大きな変化はない。他に異常も見えないとのこと。

こうして生かされることに感謝。

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2006年2月14日 (火)

「清心寮」閉寮

 母校新島学園高等学校の寮「清心寮」が閉じられという手紙が届いた。この寮は1947年の学園創立と同時に発足し、59年の歳月が経過し、今日までに1000余名に及ぶ寮生を送り出したという。

 わたしは6期生だからその創立間もない頃にここで生活したことになる。遠くに妙義山を望み、裏には碓氷川の流れを聞き3年間を過ごしたのだ。

 高等部の寮はまだ新しく、1部屋に6人が寝起きしていた。田舎出の私は初めて出会う町からやってきた仲間達と上手く折り合いがつかず、苦労しながら成長していったところでもある。

 中学部の建物を過ぎると食堂があったが、ここでクリスマスにはすき焼きをいただきながら柏木校長先生の話を聞き、寸劇などをして楽しんだものである。

 舎監の岡部先生は度の強い眼鏡をかけてにこにこしながら部屋をのぞいて歩いた。パッキンとあだ名される石田先生は寮の入り口近くの部屋に住まわれて、寮生を叱咤激励しておられた。

 この寮で一緒に過ごした友の中にはすでに天に召されだY君やM君がいる。彼らと一緒に期末テストの時期になると夜を徹して勉強したことを思い出す。

 閉寮にあたってこの寮が養い、育んだ多くの若者がいることを思うと、その歴史に感謝の念を禁じ得ない。

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2006年2月13日 (月)

中学時代の恩師

わたしは一回り大きくなった気がする。育ってきた日々が肯定され、その中身が豊かに耕された思いがするからである。

この作業は懐かしい恩師の言葉を通してなされた。中学時代に一年間担任だったS先生が今朝来てくださったのだ。先生は78歳の今、お元気に浜松町で美術教室を主宰しておられる。

先生は玄関と書斎に掛けてある絵を見て、わたしが絵を描くことを大変喜んでくださった。サインをする場所やちょっとした絵の具の付け方のまずさを指摘されたが、手慰みに描いた絵は思いのほか先生に感動を与えたようだった。九月には東京駅近くの会場で美術展を開くからそれまでに一枚描いておくようにとのこと。

6時間ほど我が家におられたその間、ほとんど先生が話された。先生によればわたしは以前から感情を作文に込めたのだそうだ。絵も一生懸命に描くより、熱中して描くことがだいじだそうで、先生の教室でも個性を伸ばすことを大事にしているという。

わたしたちを受け持っていた時にも、いつでも辞めてよいという思いで授業は自由にやったらしい。そういえば授業中に河原に出かけたことがあった。これは詩や作文を書かせるにも体験が先行しなくてはならないから、ノートと鉛筆を一本持たせて、見たもの、感じたことを単語でもいいから書きなさいと言ってやった授業だったのだそうだ。何も書けない生徒でも水に入ったら「冷たかった」と書けるし、空を見て「真っ青」とノートに記せる。これが狙いだったと述懐された。河原へ出かける一団を見ている他のクラスでは生徒たちが大騒ぎだったのだそうだ。

あまりに自由な先生は保護者にも敬遠され、何かと話題を蒔き、2年間だけで教職を辞めていった。そして、上京ししばらくして美術研究所を開いたのだ。

今日は先生はわたしが4人の子どもを育て、それぞれが自立し、孫もいることを知って、「涙が出そう」と喜んでくださった。写真を見せると「もらって行きたい」とも言い、奥さんも偉いわね、と何度も褒めた。

こんなに話し好きだった方とは思わず、最初は戸惑ったが、半日お相手する間にわたしはこの方に養われ、守られたのだったと実感したのだった。

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2006年2月 6日 (月)

すっきりしました

長い間もやもやしていたことの原因がわかると濃い霧の中を抜け出て、視界が360度広がったような気がするものである。

教員をしていたころ、また、退職してこちらに来て最初のうち何度か悩まされた視覚障害、これが曲者だった。突然視野の中に光るものが現れるのである。細い紙を幾重にも折り畳んだ形をして、キラキラと光を放ちながら左上から右へと移動していく。目を閉じても消えてくれない。不安は募る。我慢して20分ぐらいその怪物が去って行ってくれるのを待たねばならなかった。

授業中にこれが起こって、黒板の一部が消えたので、心配して同僚に日大病院に連れて行ってもらったこともある。しかし原因はハッキリしなかった。こちらに来て群大病院の眼科にかかったときなどMRIを取る羽目にまでなった。

さて、さて今朝の新聞にまったくわたしに現れる現象を重ね合わせたと思える症状の説明が載ったのである。閃輝暗点という病気だそうだ。脳の視覚を伝える神経の側の血管が収縮し一気に拡張することで起こる偏頭痛の一種だという。心配は要らないようである。

病気をこんなに的確に説明してもらったら患者は悩みの大半は消えるかもしれない。

この先生の説明ではストレスで起こることがあるというから現役の時代のわたしはそんな生活をしていたのだと納得がいく。

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2006年2月 1日 (水)

政治家の感覚

先週末、麻生外務大臣が天皇の靖国神社参拝こそが重要だと発言をしたと新聞の片隅に載っていた。「英霊からすると天皇陛下のために万歳と言ったのであって、総理大臣万歳と言った人はゼロだ。だったら天皇の参拝なんだと思うね、それが一番」 と言ったというのだ。 

これは聞き捨てならないことだと思っていたのだがマスコミはこの発言を取り上げなかった。ところがようやく今朝、朝日新聞が社説で扱った。それによると外国の政府やメディアは既にこの発言を報じ、批判しているという。外国の反応のほうが早いとは困ったものだ。

それにしてもわが国の指導者達はここまで大胆に靖国神社参拝を肯定してきたのかという驚きを禁じえない。首相の参拝を問題視する人も天皇の参拝となるとこれを許すようになるだろう。皇室はそれだけ無色なもの、純粋な人たちというイメージ造りがなされてきているのである。

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