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2005年11月

2005年11月30日 (水)

カササギ鳴く

keikanrou_043 統治せし宮にカササギの声激し

景福宮は美しい、壮大な宮であった。もっとも大きな建物である勤政殿の前庭は石畳が広がって、とても車椅子では動けない。しかし、かつて王が臣下の拝礼を受けたというその庭には階級によって並ぶ位置が決まっていたらしく、石の目印が沢山据えられていた。

わたしは介助してくださる方に車椅子を押され、回廊を行くことにした。そこは土のまま残され、朱の柱と緑色を交えた幾多の色の文様の梁が屋根を支えて静まっていた。

この王宮では200の殿閣が日韓合併によって破壊され今では10棟が残るだけだという。しかし、その建物は皆美しい。中でも慶会楼は心洗う優美さを備えている。柳の緑と周囲にめぐらされた池に映える殿を見ていると、かつてここで王たちが宴の夕べを催した姿が浮かんでくる。目を先方に向けると幾つかの緑の屋根が重なり合い、海の波が寄せるようにも見えた。

やがてわたしたちは同じ敷地に建つ国立民族博物館に向かったのだが、歩く道には高い木々が多く枝を張っていた。車椅子で土の凹凸を避けながら進むそのときである。頭上に荒々しい鳥の声を聞いた。鴉か、尾長鳥のようでもあった。

「カササギです」車椅子を押しながら韓国の友はそう教えてくれた。「韓国では珍しい鳥ではありません」。カササギはわたしの中では美しい絵を作り出す鳥であった。和歌にも詠まれて、夢を演出する鳥でもある。

その鳥があわただしく飛びながらけたたましく鳴いて、枝を渡っていたのである。わたしは頭を低くして先を急いだ。

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2005年11月28日 (月)

喜びの記念会

kankoku 「喜びのいのち」韓国語版出版記念会に招かれてソウルに行った。

全行程が温かく準備されていて、いたるところで豊かな交わりを持つことができた。それはNGO団体SAVE THE CHILDENの韓国支部が今回の出版記念会を中心になって立ち上げ、その中でわたしの旅行中の援助も全面的に支えてくださったからである。

出版記念会の招待は病院関係者、基督教教会、民間福祉団体などに送付されたという。集った方々は白凡記念館のホールに満ち、沢山用意された円形のテーブルは華やいでいた。

式は夕方6時から、来賓紹介、韓国語版"喜びのいのち"紹介、祝辞、お祝いの演奏 生命尊重のためのSAVE THE CHILDRENの誓い などの内容で進む予定であったが、監修者ホンチャンウイ教授の挨拶が入ったり、ヴァイオリン演奏、独唱など次々に加わり喜びの輪が次第に広がっていった。わたしは最後に近く、日本全国キリスト教障害者団体協議会代表として挨拶をするようにプログラムにはあった。しかし、会はその後もピアノ演奏などが続き、レセプションは予定時間をだいぶ過ぎて始まったのだった。

こうして、式は命を大切にする声が高く響き、皆さんの喜びの表現と証しが波打つ時として流れた。

レセプション中、大勢の皆さんがわたしのもとに挨拶においでになり、全国キリスト教障害者団体協議会の働きに感謝を述べてくださった。

言葉が伝わらない多くの場を持ったままの会ではあったがしかしわたしはいただいた花束の重さにも似た満足感を感じていた。

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2005年11月18日 (金)

菊の花

満天の星地に落ちて菊の花

姉の家からもらってきて植えた菊が見事に咲いている。濃い黄色の花がまことに鮮やかである。

韓国旅行の準備を抜かりなくやって、疲れた目を休ませたくて表に出た。スロープを下りていくと、もう半ば葉を落として山紅葉の根の部分に沢山の菊が咲いているのだ。艶のある濃い黄色である。空の星が地に宿ったらこんな光景かもしれないと思いつつしばらくわたしは立ち止まって眺めていた。

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2005年11月15日 (火)

救われて

 NHK番組で「アーカイブス・こころの時代」を見た。死刑囚島秋人(後に千葉秋人)の後半の生き様を紹介するものであった。

 見ての第一の印象は死刑という制度は人間として生きようと改心した人、皆に愛されるようになった、その人から命を奪うものであるということだった。

 島秋人は強盗殺人を犯した男である。その男が短歌をとおして知り合った人たちから自分の尊さ、生きることの喜びを知らされて感謝しつつ処刑されていく。

 番組は彼の短歌を紹介しながら進んだのでその中から2、3をここにあげてみる。

にくまるる死刑囚われが夜の冴えにほめられし思い出を指折り数ふ

 島は子ども時からほめられた経験がなかったという。しかし、ただ一人彼をほた人がいた。それは美術の教師であった。死刑囚になった彼はこの先生を思い出す。そして、やがて交わりを与えられ絵も描くのだが、同時に先生の奥様が短歌を勧めたことがきっかけとなり、短歌に生きる希望を見出したのである。

 一度もほめられたことのない人生の持ち主がいること自体驚きであるし、ほめられること、すなわち自分を認められることがわたしたちはどんなに必要なことかを思い知らされる。

 やがて彼は新聞の短歌欄にその名を出すようになった。そして、信仰者の千葉てる子さんや高校に通う女生徒との文通を通して変えられていく。

 たまはりし処刑日までのいのちなり心素直に生きねばならぬ

 助からぬ生命と思えば一日のちいさきよろこび大切にせむ

 こうした歌は死刑囚だけの思いではない。私たちも限りある命である。だから「たまはりし」命を私たちも感謝して素直に生きねばならないのだ。そして一日の小さき喜びを大切にしていきたいものである。

 もう一つ付け加えれば、千葉さんが言っていたことだが、信仰の真理だけを説いても相手にはなかなか通じない。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く、そこから信仰を伝えていく、この姿勢が信仰者には求められている、このことを教えられた今日の番組であった。

 

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2005年11月 8日 (火)

山茶花

 亡き姉の着物にも似て山茶花の咲く

 庭の隅に山茶花が咲いた。短い枝のかたまりを花が囲んでいる。花は赤であるが、派手さはなく艶にも乏しい。誰に見てもらうでもなく、時期が来たので寒い風が吹く中自分の務めを果たしているように見える。

 姉たちは娘時代こんな色の着物を着せられていたような気がする。戦後何もなかった時代、木綿の質素な着物を身につけ、せっせと働いていた。夏場は畑に出て両親と一緒に田植えや草取りに精を出し、秋口からは賃機織りを夜なべまして過ごしていたのだった。

 山茶花の花はそんな姉たちを偲ばせて咲いている。

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2005年11月 4日 (金)

主の証し人

kosumosu 「みちのくコスモスの会」は全国キリスト教障害者団体協議会に加盟している一団体である。この会の代表、小田嶋義幸さんから先日、機関誌「シャローム コスモス」復刻版が送られてきた。ここには信仰の真実が数々の文章によって証しされている。兄にことわって巻頭文と表紙を掲載させていただこう。 

 みちのくコスモスの会会報「シャロームコスモス」が20号になった。力もなく運営資金もない小さな群れが、ただ主イエスキリストの御言葉「神の業がこの人に現れるためである」(ヨハネ93)を信じて、小さな歩みを続けてきた。

 一歩一歩沢山の人のお祈りとお支えにより、着実に進んできた。特に、故島崎光正先生の支援は大きかった。いつも温かい眼差しで見守ってくれた。この会が、10周年を迎え、会報も20号になって一番喜んでいるのは島崎先生ではないかと思う。

 シャロームコスモスは、肉体に棘を持ち行動になんらかの制約を覚えるキリスト者を中心とした会である、当会にとって会員の励まし、慰め、絆として大きな励み となっている。特に、すばらしい講師に恵まれている修養会は1年に1度の大切な集いであり、出会いの場となっている。そして、そこで語られたメッセージは神様から贈られた最高の宝となっている。この宝を発行20号、みちのくコスモスの会設立10周年を記念して、シャロームコスモス1号から20号、「宮城、福島、山形地区報」のすべての号をまとめ、一冊の復刻版を発行することにした。

 この復刻版を、小さな群れ、みちのくコスモスの会の証しのひとつとして御一読いただければ幸いです。

 我が家の庭で、夏の暑さにも台風の風雨にも負けないで、真っ赤なコスモスの花が今日も一輪咲いている。神様の優しいまなざしか感じられ、心から感謝している。

 これからもお祈りご支援をお願いいたします。

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2005年11月 2日 (水)

病院と温泉

 病院にかりん熟しぬ診察日

 群馬大学附属病院での検診の日だった。6ヶ月ぶりだったが結果は特に問題なしとのこと。GOT、GPTともに正常の枠に収まっていた。

 会計を済ませて外に出ると秋の日が病院の上に止まったかのように暖かかった。駐車場の脇のかりんの木にはレモン色をした大きな実がたくさんなり、熟れたものは取る人もなく地に落ち、ころがっていた。和子はやや高くなった石垣を登り、その幾つかを拾い、そして、やがて落ちるであろう実を直接樹からも2個いただくことにした。

 車の中に入れるとかりんは自分を主張するように甘いにおいを放った。

 その後私たちは日帰り温泉「ばんどうの湯」に行った。小さな浴槽のある空間には人影もまばらで、お湯の音がかすかに響くだけであった。

 病状が安定していることを知らされ、またゆったりとした時をお風呂で過ごし、今日はよい秋の一日であった。

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2005年11月 1日 (火)

小学校にて

master  神川町立渡瀬小学校で講話をする機会をいただいた。周囲には木々が多く、小高い山を近くに望む環境の中に個性的な建物の学校があった。

 珍しくバリアフリーの整った学校で、入口のスロープはおろか車椅子トイレまで備わっている。

 一学年一学級、全校児童は100人に満たない。その子どもたちが体育館の中で私を待っていた。

 講話の題は「たくちゃんがいた」とした。たくちゃんは私が在職中に担任し、いろいろと教えられ、励まされもした生徒である。今日はたくちゃんが小学校時代にお友達と交わり、学校で勉強した様子をお母さんから先日送ってもらった資料をもとに聞いてもらった。

 また、たくちゃんが私の学校に来て電動車椅子に乗って生き生きと生きた日々も紹介した。そして、やがて21歳で天に召されたとき、皆がたくちゃんに感謝を捧げていたことも小さな子どもにわかるように工夫しながら語った。

 watarase 最後に、皆さんがお父さんやお母さん、お友達と一緒にいることはその人たちに喜びをあげることなのです、お互い支えあうところに美しいものが生まれるのです、こう話して45分の話を終わりにした。

 代表の子どもから花束をいただき、その後校長室で給食にあずかった。

 秋空が広く、美しい、その下の校庭を校長先生などに見送られて走り、無事に終わったことに喜びを感じながら門を出て 帰途に着いた。

 「たくちゃんがいた」ことに私はこれからも感謝し続けるだろう。

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