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2005年9月24日 (土)

アーモンドの会開かれる

 「埼玉地区第11回 障がいを負う人々共に生きる教会を目指す懇談会(アーモンドの会)」が昨日恵みのうちに21教会、60数名の参加者を得て本庄教会を会場として開かれた。

 わたしは講師として招かれ、主題講演を行うことを許された。いずれこの講演内容はまとめて公表するつもりである。
 ただ一言講演をしている時の思いを記せば、参加者の皆さんがわたしと心を一つにしてくださって、時を共有してくださっていたということである。
 時々このような場で声を発してしまい、参加者に迷惑をかけることをお母さんが心配しているY・M君が、最前列で車椅子に座って、「アーメン」などと言葉を挟んでくれたが、そして、お母さんはこのことを気にしているようであったが、彼のお陰でわたしは心に余裕を持って話を続ける恩恵にも与ったのだった。 

 午後の分科会ではわたしの話があちこちで取り上げられていた。わたしの話はわたしの思いを超えて広がりを見せ、それぞれの方の関心によって豊かにされていた。
 講演をする機会は随所にあるが、今回のように多くの人に自らの関心と関連づけて聞いていただいたのは初めてのような気がする。

 最後の全体会では各分科会の報告がなされたのだが、その中で本音の言えない教会、苦しみを明かせない教会という深刻な問題が提起された。「今日はじめてお話しすることができました。自分の教会でも話していません」「本当に苦しい時には教会に出ていない」というのである。

 このことについては改めて考えてみたい。

 本庄教会という埼玉県では北の隅、ガリラヤの地方でこの集会が開かれた意義は大きいものがあるだろう。 

 

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