2009年12月23日 (水)

賀状作り

賀状を作っている。形式的なものは性に合わない。そこで今年も今の私を伝え、今年頂いた多くの援助に感謝する文面のものにした。
ただそれだけでは面白味がないので上半分には郵政のホームページから拝借した漫画チックな図柄を配置した。
ここで紹介してもいいのだが、まだ日があるので正月になったら掲載しよう。
 
ヒカちゃんも一緒に作っている。子供の理解力はたいしたものでテンプレートや図柄をドロー・アンド・ドロップしてたちまちに好みに合ったものを作り上げる。印刷方法も一度教えたらすっかりマスターしてしまった。
書斎が子供の工芸教室になってしまっている昨日今日である。

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2009年12月21日 (月)

おてんとうさま

てんとうと一緒に動き日向ぼこ
 
今日も赤城おろしが吹きまくっている。だが、部屋の中はガラス越しに入ってくる陽でほっかりと温かい。
カーテンをいっぱいに開けて冷えやすい足先にお日様の光をいただく。
だが冬の日は動くのが速い。さっきまで光の中にあった足がもう蔭に入っている。
わたしは車椅子をちょっと、ちょっと動かして光の中に居続ける。

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2009年12月20日 (日)

クリスマスの祈り

 慈しみ深い天の父なる神様。
 今朝、私たちを礼拝堂にお招きくださりこころから感謝いたします。あなたに連なる多くの兄弟姉妹、子供たちとこうして一緒に席を並べ、相集ってこれから礼拝にあづかれる幸いを感謝します。
 今日は降誕祭の喜びを共にいただく日です。
 あなたは大切なみどりごを私たちにお与えくださいました。馬小屋という貧しさの中に、孤独の中に、暗い夜の中に弱い形をとって御一人子をお与えくださいました。
 この姿をとって御子をくださったことは私たちをあなたが愛してくださった印です。
 どうぞみどり子を感謝して受け入れる信仰をお与えください。
 そして、みどりごこそわれらの主、と心から告白して受け入れることが出来ますように。
 主が来られ、希望の光がこの世に灯されました。不信と戦争の世に愛の人、平和の君が生まれました。主は私たちの救い主です。
 私たちは私たちに与えられた御一人子、主イエス・キリストに感謝してクリスマスの礼拝をお捧げいたします。
 神様、私たちの兄弟姉妹の中にはこの喜びの礼拝に集えない方々がいます。どうぞそこにあなたが臨み、そのお一人お一人の傍らに立って、御手を伸べてその方々の祈りを聞き上げてください、力と慰めをお与えください。
 最後にあなたのメッセージを取り次ぐ牧師のために祈ります。どうぞ聖なる力をお与えください。
 午後のクリスマス感謝の集いにもあなたの導きがありますように。
 これらの感謝と願いをあなたの御子主イエス・キリストのお名前によって御前にお捧げいたします。 アーメン

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2009年12月17日 (木)

小さなクリスマス

教会の友が集って我が家で小さなクリスマス礼拝を捧げた。
黙祷 挨拶 讃美 交祷 聖書 讃美 メッセージ(クリスマスの意味) 祈り 讃美 派遣の言葉 挨拶
以上の順序で礼拝は進んだのだが、ここでは全員で朗読したメッセージを掲げよう。

「クリスマスは、聖書が伝えてくれたうれしい知らせです。神さまは私たちを深く愛してくださって、ふしぎな仕方で私たちのために、すばらしいことをしてくださいました。

 それは、救い主キリストがえらい学者や強い王さまや英雄としてではなく、ひとりの赤ちゃんとして、暗く寒い夜に貧しい家畜小屋で生まれてくださった、ということです。どんなに小さい子どもでも、悲しみや苦しみの中にある人も、みんなが少しもこわがらないで、喜んで、安心して信じることが出来るためでした。

 クリスマスにあらわされた、このような神さまの心は、イエスさまの言葉とみわざ、十字架の死と復活のおとずれの中で、ますますはっきりしてきます。どんなに暗い気持ちで悲しんでいる人も、さみしい人も、憎み争っている人も、もうだいじょうぶなのです。このキリストが共にいて、明るく暖かく清くしてくださいます。

 クリスマスは、世界に希望と勇気と正義と平和を取り戻してくださるという、神さまからの特別な、確かな約束です。私たちはこんなに愛されていることを知ったのですから、喜び祝い、感謝の礼拝をささげ、また人々にもこのうれしい知らせを宣べ伝えるのです」。
 
今朝の恵みに感謝。アーメン

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2009年12月16日 (水)

聞く者の傍らに

説教者と礼拝参加者との関係を問いたくてインターネットで検索を続けている。

説教者が取り次ぐ福音は会堂にいる一人に出来事となって臨むとよく言われるのだが、それぞれ異なった一人ひとりが求める神の言葉、福音はおのずから異なる。その一人ひとりに着目した神学、聖書論があるのかどうか、そこが知りたいのである。

あれこれ調べているうちに「説教塾」なるものがあることが分かり、そこで加藤常昭牧師の説教に出会った。私の当面の目的とは異なるが氏の説教の中に以下の言葉を見つけたのでここに紹介したい。これは「シュタイガー先生」の言葉の引用した箇所である。

「われわれ説教者は苦しむ者の傍らに立たなければならない。傍らに立って何を言うのか。 それは、『私にもどうしようもない。しかし、あなたはその苦しみを神の前に差し出したらいい。訴えたらいい。神をなじりたかったらば、なじったらいい。それが祈りだ』」。

この言葉は私が今年のキ障協総会で行った証を支えてくださっていると感じた故にありがたいのである。
 参考 http://homepage3.nifty.com/bridge2/369.html

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2009年12月14日 (月)

ヤクルトのおばちゃん

今日は月曜日。ヤクルト配達のおばちゃん(お姉さんといったら少し年をとっているし、お母さんというと仕事の関係が消えてしまう。レディと呼ぶのが社会的には適当なのだろうが、おばちゃんで我慢してもらおう)が来る日だった。
おばちゃんは今朝、「ありがとうメッセージ」というはがき大の青い紙を持って玄関に来た。そこにはボールペンでこう書かれていた。
「いつもヤクルト飲んで頂いている◎○さん!!元気で明るくやさしい対応をありがとうございます。来年もまた宜しくお願い致します」
お客さんに一枚一枚書くのは大変だったろうが、それよりもやさしく私が接していることをありがとうといってくださることにこちらも心を動かされたメッセーではあった。

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2009年12月12日 (土)

主に仕えて

賛美歌に「今日も送りぬ、主に仕えて」と歌い出す曲がある。
1日を終わるに当たって今日あった様々のことを思う。それは多くの力を必要とするもので決して楽ではなかったが主に仕えてということにはこれも含まれているのだろう。

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ウンチ物語

おじいちゃんはウンチがしたくてたまらなかった。三日もウンチが出ないのでお腹が張って仕方なかったからだ。
新聞を読んでいるとウンチが出るような気配がしてきた。これはいいぞ、そう思っておじいちゃんはトイレへ急いだ。そして落っこちないように気をつけながら車椅子から便器に乗り移った。
だが、出そうだったウンチがなかなか顔を出してくれない。お尻のおくには大勢のウンチ軍団が勢ぞろいしていることははっきりしている。だが彼らも用心してそう簡単には城門から出ようとはしないのだ。
おじいちゃんはウンチ軍団を懐柔すべく城門の周囲を圧迫したり、放水したりしてみた。
だが効果はない。おじいちゃんは長期戦を覚悟した。寒い戦場で風邪を引いたら困ると思いながらお尻を出したまま便器に座り続けた。
そのときである。ウンチ軍団に変化が出てきたようだった。どこの世界でも頑固者だけでなく相手の気持ちを捉えて自分を変える者たちがいるものだ。少数者だが軍団の統制を破って行動を始めたようにおじいちゃんは感じた。屈強な統制の取れた群れをぬって数人が城門に近づきつつあるようだ。
チャンス!そう感じたおじいちゃんはお尻に力を入れ、その裏切り者を迎え入れようと踏ん張った。
だがその群れは多勢に押さえつけられてしまった。
おじいちゃんはいつかウンチ軍団がおじいちゃんの苦しみを理解してくれるだろうと願いながらまた車椅子に乗ってトイレを出て行った。

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2009年12月10日 (木)

夜間中学

昨夜のNHK教育テレビで夜間中学で学ぶ人たちの姿を見た。この学校は認可されておらずボランティアが支えているものだった。
学ぶ人たちは多様だが、その中には戦後の貧しさのために学校教育を受けられなかった朝鮮半島出身の人、東南アジアから来た人などがいた。
その人たちは皆、学校というところで勉強することを至上の喜びとしていた。ノートに文字を書くという、ただそれだけのことが大きな喜びなのである。その喜びはまたお手伝いをするボランティアの喜びでもあった。
以前知的障害を持つ人の日常生活を見たことがあるが、ある男性は電話帳から女性の名前を拾ってはノートをいっぱいに埋めていた。
本来人は人が長い歴史の中で作り出してきた文化にこよなく憧れるものなのだ。だから文字を書く、文字を読むということは実利的な面を差し引いても喜びになるのである。
私が関わった子供の中にも文字や単文を書くと、「先生、いい?」「これでいい?」と出来具合を確認した子がいた。「いいよ」と認めると、「先生、うれしい?」とまた尋ねる。「うれしいよ、よくできたね」そう言って顔を見合わせて二人は喜んだのだった。
どの学校も学ぶことを楽しむところ、喜びを共有するところとなったらどんなにかいいだろう。

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2009年12月 8日 (火)

エコキュート

風呂が壊れたので思いきってエコキュートを設置することにした。
問題は費用である。まだまだ高額である。
見積もり書を見て息子がもらした。「これだけ掛けても風呂場は今までと同じなんだよね」
その通りだ。世の中には大きな犠牲を払っても表面は何もなかったようにに見えることがたくさんあるものだ。

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