2017年3月11日 (土)

新たな教会のための祈り

私たちの主なる天の神様、あなたの聖名を賛美いたします。

年度末のこの朝、こうして今日もあなたにある兄弟姉妹の皆様と共にあなたの臨みたもうこの御堂に招いてくださり心から感謝致します。

あなたは世々その慈愛の御心をもって私たちを導き、励まし、守ってくださいました。

今、私たちの教会は新しい歩みを始めようとしております。この時、心からの祈りを捧げます。

神様、教会に御言葉を豊かに注いでください。

集う者が御言葉に喜んで耳を傾けるようにお導きください。心を合わせて御言葉を聞く集いにしてください。
 御言葉に生かされ、皆で助け合い、支え合う教会にしてください。
 いただいた喜びをひろく伝える教会にしてください。

今日は午後新しい牧者を招聘するための臨時教会総会が予定されています。その時があなたによって祝され、導かれますように。

神様、今日ここに集えない多くの兄弟姉妹も共に祈りの輪の中に加えてくださいますように。

この祈り、十字架の主、イエス・キリストのお名前を通して身元に捧げます。  アーメ


この祈りは先日の礼拝で司会者の私が祈った祈りである。

この3月末で現在の牧者E先生が引退し、4月からは新たな牧者を迎えようとしている今の教会。

私が20年前にこの教会に東京の教会から転会して来たときは、教会暦に沿った行事が催され、それへの参加者も多くいた。新年の餅つきには会堂の外で杵を振り上げ、会員の一人が運んできた臼をご婦人たちが取り囲んで餅を返したりしたものだ。

秋に行われるバザーには近隣の常連客が押しかけて賑やかであった。

教会学校もあったのでその日には大人の礼拝より早く教会に行き、私も定期的に説教奉仕をさせてもらっていた。

さらに、婦人会、壮年会が月一度の例会を持ち、礼拝後の教会がすぐに空になることはなかったのだった。

また、教会では地区集会なるものを持って、市内とその周辺で聖書の学びと祈りの会を月に一度第3週の朝守っていた。その一つである我が家での集会には多い時には7、8名の方が参加していたと記憶する。

 

ところが、餅つきの行事が廃止され、バザーは「教会フェスティバル」となって数年続いたが今年から取りやめになったし、婦人会と壮年会が統合して出来た「聖書と交わりの会」の出席者も固定されてしまった。

教会学校に集う子どもはここ数年全くない。

地区集会は我が家だけとなり、3、4名の参加者である。

最愛の妻はこの移り変わりの途上において召されていった。それは敬愛するT兄においてもそうであった。また、年老いて礼拝参加ができなくなっている方も多い。

牧者と会員の関係にも何度か障害が生じたことは確かであった。

 

しかし、神様の建てられた教会は依然としてこの地にあり続ける。そして、礼拝は聖日ごとに一日も絶えることなく神様に捧げられている。

先の祈りはこうした中での祈りである。新たな牧者を迎えるに当たっての教会の祈り、この世的に言えば教会の目標とでも言えるものだ。

 

教会は神様の救いの御心が豊かに示される、伝えられる世界である。その世界はあらかじめ神様によって選ばれた者の共同体である。

それ故、語られる言葉は聖書に保存されている神の言葉の忠実な伝達でなくてはならない。また、神様が導いた歴史を証しするものでなくてはならない。

人間の業の賛美や人間を聖化する言葉は礼拝には馴染まないだろう。

その言葉を私たちは顔を上げて待ち臨み、耳、目、体全体を用いて受け容れ、感謝して受け容れたいと思う。アーメンと言いつつ喜びたいと願う。

御心は言語で語られだけではない。聖餐というパンと葡萄酒(葡萄液)を用いた儀式を通しても与えられる。イエスが十字架に架かって割かれた体、流された血潮、それが今も十字架に苦しみたもう姿として、具体性を持って示されるのだ。身体を生きる私たちに食物という形で示される主の愛と苦しみ、これに聖餐を通して与りたいと思う。

先に教会は選ばれた者の共同体であると言った。神はいつも私たちに「あなたがた」と呼びかけてくださっている。エジプトから「民」として導き出されたように私たちは家族として神に愛されているのである。だから、教会は説教を通して伝えられる言葉をそこに集う一人ひとりが、皆十分に聞くことが出来るようにお互いが心を用いねばならないだろう。知恵のある者も、そうでない者も、年を重ねた者も、若い者も、また、体に不自由を持つ者もそうでない者も、一緒に主の前に出ることの出来る教会でありたい。

そうした教会には豊かな、愛に満ちた交わりが生まれるに違いない。笑顔が満ち、温かな挨拶が飛び交い、一人ひとりが必要とされる共同体が誕生するだろう。

人は喜びが体内に満ちるとそれを表現したいと望むものである。それは教会の行事の伝道集会として形を成すかもしれない。教会案内のチラシとして配布されるかもしれない。あるいはまた、フェスティバルという形をとって周囲の人たちと喜びの饗宴を共にすることもあろう。

 

神様、どうぞ御言葉を教会に響かせてください。感謝して御言葉を受け入れる私たちに生れ代わらせてください。喜びにあふれる教会にしてください。証しする教会にしてください。

主の御名によって祈ります。

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2017年1月15日 (日)

雪の朝

 礼拝出席のためにマナーモードに設定した携帯電話が胸のポケットで震えた。牧師先生からの電話だ。「今朝は危険ですからお休みにしましょう」。
 週ごとに家まで迎えに来てくださり、また送ってくださる牧師先生。自分で運転ができなくなったからここ数年、黙々と私の礼拝主席を守ってくださった人である。
 カーテンを開けると確かに雪景色が広がっていた。足が浮腫むようになってから衣服の着脱には多くの時間を要するのだが、今朝は外出用のズボンとシャツをようやく身につけたこのままで過ごすことにしよう。

 今週は我が家で地区集会が持たれる。ヨシュア記を学び、祈る集会である。その時を楽しみに待つことにしよう。

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2017年1月 8日 (日)

新年の祈り

恵みに富みたもう主なる神様、あなたの聖名を賛美いたします。

新しい年の初め、こうしてあなたにある兄弟姉妹の皆様と共にあなたの家である教会の礼拝に集わせてくださり心から感謝致します。

 

あなたの御心によって私たちはここに教会を建て、あなたを中心とした共同の場所を形作ってまいりました。どうぞ、これからもあなたに生かされて御心を広くこの世に伝える業をなさしめてください。

特に今年は長く奉仕の業を務めてこられた牧者を送り、新しい牧者を迎える年となりました。どうぞ、ここ本庄教会で喜びの内に奉仕をしてくださる先生をあなたがお与えくださいますようにと心から祈ります。

かつて旧約の祈りにおいて「あなたはわたしの主。あなたのほかにはわたしの幸いはありません」と歌われたように私たちもあなただけを崇め、賛美し、より頼んで教会生活を続けて行くことが出来ますように。

 

神様、今日もここに集えない多くの兄弟姉妹がおられます。その事情はさまざまですが、どうぞ、御心でしたら再び共に礼拝に与ることが許されますように。

集えない今朝はその方々がその場所においてあなたに顔を上げて、御言葉をいただくことが出来ますように。

 

 この祈りを私たちの贖い主イエス・キリストのお名前を通して御前に捧げます。  アーメン

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2016年12月16日 (金)

痛い、痛いと言う

時々、体のあちこちがつる。しばらくの我慢であるがその時の痛みはきつい。次の動作に入ることが出来ない程だ。
独りの生活だから誰にも聞いてもらえないが、私は「痛い、痛い」と声を上げる。「あー痛い、痛い」と。この声を聞くのは自分しかいないが、それでも言わないより痛みの軽減にはよい。

最近子どもの自死が問題になっている。学校でいじめに遭って、親にもその苦しみを言えず、先生には聞いてもらえず、死を選んでしまう。「苦しい、つらいよ」と何処にでもいいから声に出してほしいものだとつくずく思う。
正岡子規が脊椎カリエスで相当の痛みを負いながら生きた話は有名である。彼も痛い、痛いと言いつつ、最期まで俳句を作って生活を楽しんだのだ。
子規が亡くなったとき、お母さんは「もう一度、痛いと言うてみ」と息子の死を悼んだという。

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2016年12月13日 (火)

ちょろぎのよな指を持ち
まんじゅうのように膨らみ
只 重さだけは余るほどある
そして、かわいそうに いつも冷たい私の左足よ
そんなお前が私は好きだよ...
 
今朝   何度お前を擦ったことだろう

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2016年12月 2日 (金)

FALL(死)ということ

「葉っぱのフレディ」という絵本があります。アメリカの哲学者レオ・バスカーリア博士が書いた絵本です。一〇年ほど前に日本でも有名になって、森繁久彌の朗読や、日野原重明演出のミュージカ劇になったりもしました。
フレディは一枚の葉っぱです。絵本には木の名前は書いてありません。絵から判断するとフレディはどうも楓らしい。葉の先が五つに分かれているのです。
 フレディは梢で多くの仲間と楽しく毎日を過しました。春風に誘われて踊ったり、夕立に体を洗ってもらったり、お月さまの銀色の光を浴びたりして。だから、フレディは「葉っぱに生れてよかったな」と喜んでいました。
 ですが、季節は移って寒い風が吹く頃になると、やがて友達は枯れて散っていきました。フレディは深い悲しみを抱きます。その時、友達の一人のダニエルが「変化しないものはひとつもないんだよ。変化するって自然なことなんだ。死ぬということも変わることの一つなんだよ」と教えるのでした。
 そして、最後、フレディも初雪の朝、空中をしばらく舞って、そっと地面に降りていきました。こんな物語です。 

先日東京にいる40年間のほとんどを過ごした教会の教会会報が送られてきました。見るとこの会報の中にT・Kさんが「『葉っぱのフレディ』The Fall of Freddie the Leaf」と名付けた小文を書いていました。

このT・Kさんは私が大学生の終わり頃まだ多分高校生だったと思います。彼は大学には一度で合格せず浪人したのでしたが、その間も熱心に教会に来て、私たちの仲間と触れ合って来たと記憶しています。土地柄、大学生や卒業間もなくの若者が大勢いる教会でしたが、その者たちは彼を「T・K君」と呼んで何かと声掛けをしていたのではなかったかと今に思います。
 時は過ぎ、T・Kさんがこうしてまだ教会の一員として信仰生活をしているのに反し、当時大学生だった仲間達や若者はその多くが今では天へと旅立っていってしまいました。司法試験合格を目指したSさんはその願いは叶わず埼玉県職員として勤め上げ、Tさんは大手企業の役職を終えた後、伝道所を立ち上げ伝道の道を進んだ後神様に召されました。
 いえ、年長の仲間だけではありません。T・Kさんと同年代の仲間、Yさん、Sさんももう教会を去って、天にいるのです。青年会で、あるいはまた教会学校で一緒に活動し、心を許しあった仲間たちはもうこの教会にはT・Kさんくらいになってしまいました。
 そのT・Kさんですが、浪人生活をした後、見事大学進学をなし、得意の英語力を用いて英文学を専攻し、やがてN大学の教授となりました。「ナルニア国物語」の著者C・Sルイスとかいう学者の研究者としても知られ、その分野ではどうやら権威者であるとの評を聞いたこともあります。
 その彼が「葉っぱのフレディ」を原書で彼流に読んでこの度、教会報に小文を執筆したわけです。送られてきたこの文章を読んで、ここには見過ごすことのできない彼らしい読みがあることに私は驚きました。
 その一つはThe Fallの訳が日本版では落ちているという彼の指摘です。T・Kさんは「邦訳者は「『落下』という葉っぱが落ちることを『死』と解釈している点では迷いがありませんが、子どもの読者を恐れさせてはいけないと確信してFallの言葉を捨て去ったのでしょう。だが、葉っぱの『落下』は自然界の事実です。」と書いています。確かに日本版の「葉っぱのフレディ」には「落下」はなく、「いのちの旅」との言葉が付されているだけです。
 次に私が刮目させられたのは葉っぱの名前に意味があるというT・Kさんの指摘です。枝先の葉っぱにはフレディの隣のアルフレッド、右側のベン、直ぐ上のクレア、物知りのダニエルなどと名前があるのですが、T・Kさんはこの名前はA、B、C、Dとアルファベット順になっている、そして、EがなくてフレディのFとなっていると言い、そして、こう締めくくっています。「さて、気になるのはEで始まる葉っぱが登場しないことです。このことはとくに意味があるわけではないという解釈も可能ですが、私は本書が「落下」「即―死」を問題にしていることに注目すると、葉っぱのEの不在は生まれることのなかった葉っぱについてそれとなく暗示していると解釈します。そのように解読すると、『葉っぱのフレディの落下』は生きることを許された者と生きることを中断された者の物語であることが立ち現れてくるのです。」
 名前がアルファベット順になっている、なるほど、そうです。いつも夢をみているようにワンテンポ遅れて笑顔で発言をするT・Kさんらしい気づきです。Eの名の葉が登場いないことに思いを馳せて「生きることを中断された者」に心を向ける姿勢に至っては彼独自の世界の表明としか言いようがありません。
 これは、いつか出生前診断について神と人の心を思いやった文章をある雑誌に書いた私には無視できないT・Kさんの言葉でした。

私はもうじき80歳を迎えます。体も大分弱ってきました。子どもの頃から抱えている身体の障害もより重くなり、毎日を痛みを友として生きる状態です。その上、先程書きましたように友の多くがFALLし、今は天上におります。
 そうした私に図らずも人生の多くの時を生きた教会から会報が届き、T・KさんからFALLの積極的、肯定な意味を浮かび上がらせていただいたことは喜びという他ありません。 

よい便りに触れた一日でした。

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2016年11月23日 (水)

イエスの苦しみ

今、私は「イエスとその弟子」(ピーター・ミルワード著)を読んでいる。定価120円の本だ。いつ買ったのかは分からないが、いい本はいつ読んでもいい。

本書によるとイエスが最後の晩餐を摂って、ゲッセマネの園に向かったのはエルサレムから身の危険を避けていつも留まっていたベタニアに帰る道筋に園が在ったからだという。その道筋がおもしろい。エルサレム市内の晩餐の部屋→神殿の門→ケドロンの小川→オリーブ山→ゲッセマネ、そうなるのだそうだ。だから、ベタニアに到着する前に、ゲッセマネの苦しみを負うことになったというわけである。

そこで何があったか。ユダの裏切りである。しかし、園に入る時には、イエスはその前兆の悲しみの重荷を他の弟子からも負わされていた。それはオリーブ山で必死に祈るイエスの悲しみを理解せず居眠りをする弟子、迫ってくるペテロの否認、弟子たちの逃亡、人々に捨てられること、さらには天の神の黙視であった。

イエスはこういう状況の中で捕らえられたのだ。一人ユダばかりが悪者なのではないのだ。この弟子たちの姿は私たちのそれでもある。

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2016年11月12日 (土)

御言葉をください

主なる神様、あなたの聖名を賛美いたします。

私たちをあなたは今朝もこうしてあなたの家に招いてくださいました。本当にありがとうございます。

 私たちは自己中心に、自分の利益や利害を重んじて生きる者ですが、あなたはその私のところに一方的に近づいて来られ、私たちをあなたの愛によって捉えてくださいました。

 どうぞそのあなたの御腕をしっかりと自覚し、あなたの愛にもう一度気づく者としてください。

 今朝もあなたの御言葉を聞くことのできる幸いを感謝いたします。預言者を通して語られたり、アブラハム、ヨセフ、ヤコブ、モーセを通して示されたあなたの業や言葉、そして、主イエスの民衆や弟子に語った言葉をどうぞ今日また私達に聞かせてください。

 そのために奉仕をなさる牧者を導き、励ましてください。

 さまざまなことがら故にここにおられない兄弟姉妹をお支えください。御こころをならば私たちがいただく言葉をその方の上にも届けてください。

この祈りを私たちの贖い主イエス・キリストのお名前を通して御前に捧げます。  アーメン

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2016年10月25日 (火)

ギビング アンド レシービング

S氏は私より3歳年配の方である。先日、同氏は多くの方たちに手紙を書いて、今までの厚誼を感謝し、これからは従来のようにお交わりをすることができません、と知らせたのだった。それは病気の奥様の世話と己の体の弱まりが主な理由だという。年賀状もこれからは失礼することにします、とも付け加えておられた。
この手紙に接した方たちは同氏の誠実なお人柄を偲び、たくさんの良いお付き合いをいただいた事実を挙げて感謝の手紙を送ったという。
私個人においてもこの事実は変わりなく、S氏には長い間、負いきれない程のご援助をいただいた。公には学校行事において、また学級経営において、その支えは私の教師生活を維持していくのに欠かせないものだった。
個人的にはC型肝炎の治療で勤務からの帰り道、医院に寄って注射を打つ時、雨の中を道路脇に停めた車から傘をさしかけて私を守り、治療が終わって宿舎にたどり着くまで面倒を看ていただいたことなど数えたらきりがない。
このS氏と先程電話で話したのだが、金曜日は奥様がデイケアに一日行っているので、時間を作って在任中担任した生徒Y子さんを施設に訪ねたそうである。
Y子さんは身体的にも知的にも重度の障害を持つ人である。だが、そのこころには天性の優しさが宿り、私も彼女の指導をしているときにはたくさんの癒しをいただいていた。
先日訪ねたとき、もう今は会話をすることが不可能になってしまったがS氏に触れる喜びはその体の動きからわかったとのことだ。
帰宅するとY子さんのお母さんから喜びのお礼の電話があったともS氏はおっしゃっていた。
S氏の訪問というY子さんへの愛情のギビング(与えること)とY子さんが体で示してくれた応答とお母さんの感謝をS氏がレシーブすること(受け取ること)はこうして同時に生まれて、一つの世界となって広がるものなのだろう。

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2016年10月14日 (金)

通信教育の数学教師

半藤一利の「漱石先生ぞな、もし」を暇にあかして読んでいると時々おかしなことに出合う。その一つ。
漱石が松山中学に赴任して直ぐ、弘中又一という人物が同中学校にやって来た。数学の先生だ。
ところが翌年には二人揃って松山を去り、漱石は熊本の第五中学校へ、弘中は熊谷中学校へと別れたのだそうだ。
ここまでは私にとってさほど興味あることではない。
その次である。熊谷へ来た弘中は坊っちゃんのモデルになった人物と言われるだけあって熊谷でもひとのやらない行動をあれこれやらかしたようである。それを丹念に調べ上げた人がいると半藤一利が書いている。宮崎利秀という熊谷高校の数学教師である。
彼は弘中の住居はおろか家族構成、弘中の生涯まで丹念に追ったとのこと。
ここまで読んだとき、私はふとこの宮崎利秀という人に会っているのではないかという気がしてきた。半藤一利がこの先生は昭和26年から熊谷高校で数学教師として教壇に立ったと記しているからである。
私は昭和28年の春、隣町の高校から入学を断られ、やむなく熊谷高校の通信教育を受けることになった。そして、松葉杖にすがって、月に一度スクーリングのため熊谷高校へ汽車とバスを乗り継いで通ったのだった。当時の熊谷高校は畠中にあって、測候所の前のバス停から長い道を歩かねばならなかった。
通信教育部は小さな木造の教室だったが、そこで先生方と交わり、勉強の仕方などをお教わっていた。
数学教師は背が高く、顔の長い、着ているものから言っても一風変わった人に見えた。偏屈というわけではない。接すれば良い人なのである。確か国語の教師は高木某と言ったと思う。
全く根拠はないのだが私には半藤一利が又一の話を聞いたという宮崎なる人物があの数学の先生に思われてならないのだ。
今こうして人生の終わりを無事に過ごしているこの私の生涯の源流で出会ったかもしれない苔むした石にも似た人、それを呼び覚まされた私は心地よい心境にある。

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