2012年5月25日 (金)

キップをなくして

「キップをなくして」(池澤夏樹著)を読んでいる。
ひょんなことから読むチャンスをもらった本である。
先日フェイスブックに昔通った東京駅地下通路の写真を載せた。新幹線ホームに行く時に駅員に案内されて車椅子で時々利用したところである。
油の染み付いた煉瓦造りの通路にクラシックな灯りが点っていてどこか別世界に行ったような写真である。
これを見た昔の教え子が「キップをなくして」の世界を懐かしく思い出しました、先生も読んでみてくださいとコメントを入れたのだった。
なるほど、と数ページを読み進めて合点がいった。切手マニアの子どもが電車に乗って切手を買いに行くのだが、キップをなくして改札口から出られない。そんなとき同じことを経験した子供たちが駅の中で子供たちの世界を作り上げるという鉄道ファンタジー。夢多い彼ならこれにハマることもあっただろう。
私も今、スルメイカ、いやスルメスティックをかじりながら少年たちとファンタジーの世界に入り込んでいる。

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2012年5月23日 (水)

弟来る

しばらくぶりに弟がやって来た。
妻が他界し、孫たちもそれぞれ部屋を持つようになってからしばらくやってくることがかなわなかった。
弟が同窓会を信州の温泉旅館でやるからその前の日泊めて欲しいと言ってきたので、ハルちゃんが他所に住むようになったので部屋も空いているし、若い者もなんとかもてなしができるだろうと判断してOKを出したのだった。
いつもより早く帰宅してくれて、夕食が用意されたのだったが、少しのメニュウの食卓を弟は喜んでくれ、近況や昔話を楽しんでいた。
私と違って声は大きいし、話し好きだから嫁さんともビールを飲んで会話を交しているのを見ると、普段ひっそりとしている我が家の空気はあながち若者のせいではなく、むしろ私の性格にもよるのではないかと改めて思わされもしたのだった。

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2012年5月21日 (月)

フェイスブックというもの

フェイスブックというものを興味がてらに始めた。なかなかうまくいかない。写真に説明をつけようとしても反映されないし、他の写真のタイトルと混同してしまう。
 
だが、面白いことには変わりない。こちらの情報を少しばかり入れただけで旧知の友を探しだしてくるにはびっくりである。娘の動向までよくわかる。あちこちクリックしているとしばらく遊ぶことができる楽しさは確かに持っている。

改めて気付かされるのはいかに現代社会ではネット情報が氾濫しているかということである。相手がこちらと連絡を取りたいなどと考えてもいないのにその相手を浮かび上がらせてしまうのだから驚きである。40年ほど前学校で授業で付き合ったSMさんの姿に接したのだった。
 
そういえば私はよくネットで買物をするのだがその会社のサイトを開くと、過去に私が購入した履歴がちゃんと出てくるし、購入せずチェックした商品まで掲載されているのだ。
世の中の誰か知恵に長ける人物がある意図を持って氾濫している情報を巧みに操ってなにかとんでもないことをしでかすことだってあるかも知れない、などと考えるのは杞憂であろうか。

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2012年5月17日 (木)

弱き者を選んだ神

今朝は家庭集会。テキストは申命記だった。申命記はモーセの説教という形をとっているが、実はもっと後世の捕囚時代に書かれたものであるという。囚われの苦しみの中、もう一度神の言葉に聞くために編まれた書なのである。
今朝は7章を学んだ。そこにはあなた方を選んだのはあなた方が強かったからではなく、弱い者故であるとのメッセージが告げられていた。弱くていい、そこには神の働く畑がある。
私はここには新約になってメインのメッセージになる弱さの肯定がある気がした。イエスは弱い存在だったから十字架につかれたのである。そして私たちの救いを完成して下さったのだ。
良いメッセージをいただいた家庭集会であった。

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2012年5月14日 (月)

どくだみの花

学校にいた時分、時間に空きがあるとカメラを持ってグランド周辺の植物の花を撮っていたものだ。校庭の一部は芝生になっていたから松葉杖を放り出して這いつくばってタンポポの綿毛を狙ったこともあった。
また、講堂の脇にあったバラの花を少し望遠の利くレンズを使って撮ったりもした。白が混じった紫がかった赤い色の薔薇の写真が今でも私の寝室には額に入れて掛けてある。
ある日宿舎の蔭にどくだみが白い花をつけているのに出会った。葉はあまり綺麗とはいえないし、名前から言って人に好かれるものでもない。だが、よく見ると花は十字になって重みがある。何枚かシャッターを切って帰った。
現像した写真を植物を専門にする女性の先生に見せると大変気に入ってくれた。その方は学校の植物図鑑を作っては授業で使っていたらしい。
それ以降彼女の役に立つのがうれしくて花や実を付ける草花をよく撮るようになった。教官室の出口近くにあった青桐の根本には小さい紫の花が出ていたが、それは花ニラだと彼女から教わった。ムラサキシキブという名もそうして覚えたのだったかもしれない。
こんな悠長なことを書いていると教員の本務かとどこかの市長に怒られるかもしれないが、こうした自由さのないところには真の教育も成立しないだろう。

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2012年5月13日 (日)

復活節の中の祈り

 御在天の父なる神様。あなたは今朝もこうして私たちをあなたの下にお招きくださり、共に交わる時をお与えくださいました。感謝致します。
 どうぞこれからのひととき、私たちがあなたの愛に応えて、真心を持ってあなたへの賛美の礼拝を献げることができますように。
 神様、私たちは今、あなたが死に打ち克たれた復活節の中にあります。あなたは復活され、とぼとぼとエマオへの道を歩いていた二人の弟子に付き添って歩き、彼らに信仰にある希望を与えられました。またガリラヤに帰って失意の中で漁をしていたペテロを再び呼び出され、彼を温かく迎えて新しい道を用意されました。
 どうぞ私たちも同じようにあなたが傍に居て一緒に歩かれ、愛の言葉をおかけになってくださっていることに気づかせてください。そして、その御声に応える者とさせてください。
 本庄教会に集う私たちのこの一年がそのあなたの愛によって突き動かされるものでありますように。
 この喜びの礼拝に集えない友をその場で祝し、支えてください。あなたへの賛美と感謝を私たちと共に献げることをなさしめてください。
 午後予定されている集いをお導きください。
 御言葉を取り次ぐ先生を導き、豊かにあなたの恵みを語らせてください。
 これらの言い尽くしません祈りと感謝、願いを救い主イエス・キリストのお名前を通してみ前に献げます。  アーメン

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2012年5月11日 (金)

仰げば主の御顔

朝祷会に参加して大きな恵をいただいて帰った。感謝である。
説教はペトロへのイエスの愛。
イエスを裏切って、その己の弱さに打ちひしがれて故郷ガリラヤに帰ったペトロはまた漁師になって魚をとっていた。だが、なかなか網にかかってくれない。
そこにイエスがおいでになった。そして網を入れるところを教えられ、それに従ったところいっぱいの魚がとれたのだった。陸に上がったペトロのところには炭火が炊かれたいたという。
イエスは自分を捨て去ったペトロを責めるどころでなく、彼を引き受け、温かくもう一度接して下さったのである。
私たちにとってのガリラヤ湖畔とはどこか、それは日常の生活であると牧師は言った。困難を多く抱えて、いつも下を向いて過ごしている私たちも顔を上げて仰ぎ見る時、イエスの温かい御顔が待っているのである。
主よ、あなたの御顔を私にも見上げさせてください。

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2012年5月 9日 (水)

微笑みのある日

120507_214301 日々微笑みのある生活を送りたいものだ。でもこれはなかなか難しい。一人で微笑んでいるのもなんだか変な気がする。
いや、時々そんなこともある。電話をもらった後その話がいい話だったりすると一人で微笑む。
でも、微笑みを隣の人に感じながら共にいられたらどんなにいいだろう。
ここに紹介する絵皿はヒカちゃんが6年生のときに制作したものである。『笑』がほんとうに笑っている感じがしないだろうか。

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2012年5月 8日 (火)

主にまかせて

病院の待ち合い室にいる。なかなか順番が来ない。
今朝は泌尿器の具合が悪くまんじりともしなかった。その上胸の筋肉がピクピク動き不安が募った。
最後に行き着いた思いは私は主のもの、主は覚えていてくださるということだった。
主のなさることを受けて生きよう。

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2012年5月 4日 (金)

ライラックが咲いたよ

Photo 君の植えたライラックが咲いたよ。小さなライラックが咲いたよ。紫の花を小さくつけてライラックが咲いたよ。
もうじき母の日が来るね。今日はこれから衣理子が君のお墓に寄ってから来てくれるってさ。家も緑になって今日はいい日だから映えているよ。みんな君の置き土産だね。
空から見ていてね。Photo_2

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